第十一話 助けて!
私は小さいころから人に助けてもらうのが嫌いだった。だから、簡単に人に助けを求める人間を嫌った。クラスの友達でも何かというと
「助けてくれ、手伝ってくれ。」というセリフを簡単に言い、すぐ人任せにする子供とは自然と距離をおくようになった。逆に一人で一生懸命やっている子を横から頼まれないのに手伝うのは好きだった。そのことがたとえ、とても辛くても喜んで付き合った。だが、自分から人に助けを求めたり命令したりすることはできなかった。嫌いだったし、生理的にできなかったのだ。ほかの子と一緒にした事で先生に怒られるような時もいつも一人で怒られていた。
でも一度だけ、見ず知らずの赤の他人に必死に助けを求め、そして助けられたことがある。
その日は日曜日で学校は休みだった。私は一人で自転車に乗って野原の中をかなり遠くまで来ていた。風がそよそよと気持ちがよく、道なき道をどこへ向かうでもなくひたすら自転車を漕いでいた。初めての世界を探検するようなそんな気分だった。
そのとき突然、本当に全く突然に地面が消えた。自転車もろともどぶ川に落っこちたのだ。一メートルくらいに生い茂った草むらにそのどぶ川は完全に隠れていた。川は用水路のように周りをコンクリートで固められて、底には泥がたっぷり溜まってどろどろとゆっくり流れていた。コンクリートの両壁から橋を渡すようにところどころに二十センチ角くらいの四角いコンクリートの柱が掛けられていた。
私はいきなり現れたどぶ川を避けることができず自転車ごと宙に浮いた。そのとき奇跡的に、本当に奇跡的に私の両腕はコンクリートの柱にしがみついた。そして頭の上でコンクリートの柱を抱えるようにしてぶら下がった。自転車のほうは下に落ちて泥の中にずぶずぶと沈んでいった。私は一瞬呆然として下を見ていたが、下に落ちたら沈んで死ぬ、と直感した。だが、死に物狂いで力を入れても、どうにか、ぶら下がっているのが精一杯で上に上がることは全くできそうになかった。逆に下手にあがけば落ちてしまいそうだった。
そのとき私は叫んだ。
「助けて!」力いっぱいできる限りに大声で叫び続けた。
「助けてえ!」と。助けを求めることに対する私の生理的嫌悪感は吹っ飛んだ。何もかも忘れて叫び続けた。
しばらく叫び続けていると、ざわざわと草むらの中を誰かがやってきたのがわかった。私よりは一学年上くらいだがおとなしそうな少年だった。半泣きで叫び続ける私をその少年は何かおどおどしたような感じで覗き込んだ。
その子は「どうしたの?」とも何も、一言も発しないでそろそろと私のそばへ来た。私は壁のそばでぶら下がっていたので彼の手はすぐ届いた。彼は片手で私の服を掴み、もう一方の手で私の手を(その手はコンクリートに擦られて血だらけだったが)握って
「よいしょ」と、いとも簡単に私を引き上げた。引き上げられ草むらに腰を下ろし、私は自分の手がコンクリートに擦られ、かなりひどい状態になっているのに気づいたが、怪我よりも何よりも助かったという安堵感と見も知らない子に命を救われたという妙な屈辱感で
「うわーん!」と大泣きした。彼は私が泣き出すと逆におろおろし始めて
「自転車は後で取りに来よう、大丈夫だよ」と見当違いの慰め方をした。
彼は居心地が悪そうに私に付き添いながら家まで送ってくれた。私の家につくと、彼はすぐに帰ってしまったので、お礼も言っていないし、彼の名前すら聞いていなかった。後になって探そうとしたが、私の記憶の曖昧さもあってとうとう探すことはできなかった。
その後、私は少しだけ変わり、人に助けを求めたり手伝ってもらうことが前ほど気にならなくなり、困っている子を助けたり手伝ったりすることが一段と好きになった。そしてそれを感謝されなくてもいっこうに気にならなくなった。