1.いいえ、でよろしいですか?
1.
暖かくなってきた、と言われてもサンサンと輝く太陽の下にこれだけ晒されるとさすがに参る。
最近ようやく体力のステータスが二桁になったというのに、その変化をひかりは微塵も感じ取れなかった。
「一年生はグラウンド側のゴミ拾いをお願いします、佐原先生についていってね」
衝撃的な世界との出会いから一ヶ月が経った。
五月になり、散った桜の木には緑の葉が生い茂る。日が経つのは早いな。そりゃあそうだ、ひかりはスクリーンのコマンドを二、三度押しただけで今日という日を迎えたのだ。
***
入学式の日の夜、ナナコに説明を訊く前に泥のように眠ってしまったひかりに突然訪れた"ういちゃん☆ちぇっく"。その内容は夢の中でさえツッコミを入れたくなるような、凄惨なものであった。
『勉強、運動、美容、休む。その他のコマンドには委員活動や部活動が含まれています』
『休日は友人や攻略対象とのお出かけだったり、ショッピングに出かけたり、妹さんとお話もできますよ』
スマホのアラームで起きたひかりに目を擦る隙も与えず、ナナコは説明をする。シンプルすぎるゲームルールも眠気の前では、難解な純文学のようだった。
「……愛嬌はどのコマンドで上がるの?」
『愛嬌は通常選択肢で上がります、他のステータスも上がることがありますよ』
「なんで初期値がゼロなの?」
『そういう事もあります』
ナナコの簡素な返答に、貴女に元々愛嬌がないのは関係ありませんと暗に言われている気がしたが、文句はぐっと喉元で堪える。ナナコはこういう奴なのだ。ひかりは短い付き合いでそれを理解した。
『それでは試しにコマンドを押してみてください』
ぽわん、と目の前にスクリーンが浮かび上がる。そこには、先程ナナコが示した四つのコマンドがポップな字体で並んでいた。
ひかりは試しに運動のコマンドを人差し指で押してみる。
――次の瞬間には、ひかりの身体は部屋から教室内に移動していた。
目の前には変動するステータス。運動の数字が1増えていたが、ストレスも同時に1増えていた。
ひかりの身体は重く、確かな疲労感があった。
そして、ジャージ姿で走る自分の姿が今朝のことのように浮かんだ。
(まじか、こういう所は本当にゲームなんだな……)
『はい。今のようにイベントがある時は自動で止まってくれますが、一週間に何もなければあっという間に週末になります』
(……イベント?)
「じゃあ、委員会と係を決めていきます」
担任の声かけにひかりの視線は黒板へと向けられる。今はクラスの役割を決める時間らしく、黒板には達筆な字で各委員会の名前が書かれていた。
学級委員、風紀委員、図書委員……。
「挙手制にするから、かぶったらじゃんけんなー」
まずは学級委員。やる気のなさそうな担任が白チョークで学級委員の文字を指せば、はつらつとした声が教室内に響いた。
「はい、良ければ僕に学級委員長をやらせてもらえませんか?」
灰司 棗だ。声の方向を見ずとも分かる。なぜならプロフィールにネタバレが書いてあったからだ。
勇気ある挙手にひかり以外の生徒がざわめく。まるでヒーローが登場したかのようだった。
「お、じゃあ男子は灰司で決定な。ええと……じゃあ女子だけど……」
"学級委員会に入りますか?"
はい / いいえ
突然浮かび上がった選択肢にひかりは驚き、慌てて"いいえ"を連打した。否、してしまった。
『時間制限などないので、ゆっくり選んでくださって良かったんですよ』
早く言ってよ。ひかりの心の声に返事はない。
結果、女子の学級委員長に手をあげたのは明るく真面目そうな女の子だった。