5.デリカシーの欠如を感じました
空は先週とは打って変わって、ねずみ色だった。
「あ、ありがとう……これタオル、洗ったから」
「え?」
休み時間の廊下の一角。五月も中頃になってきて、各々が学校の空気感を掴んできた生徒たちは、教室で勉強したり、廊下に出て他のクラスの生徒と談笑したりと自由に暮らしている。
今日はその中にひかりもいた。
いつもはスキップされている授業を突然一限丸ごと受けさせられ、すっかりくたびれた様子でお手洗いに向かおうとしていたところだった。
科目は国語。授業内容は創作物語の内容を読み解き、作者の意図を理解しようなどという単純なものだ。
多分学生時代からひかりは、国語が嫌いだったのだろう。久しぶりの学生の授業と体力の少なさも理由にはあるが、それにしては終わった後の頭痛が酷かった。
そんな己の身を癒そうと教室の外へ出た瞬間に、蘭咲はひかりの道を塞ぎ、声をかけた。
「あの、前……ぼ、ぼく、倒れちゃって」
「……ああ! 別に良かったのに。熱中症だったんだよね?」
こくん、とかぶりを振る蘭咲。
ひかりの目の前に突き出された真っ白な紙袋は戸惑いがちに揺れており、早く受け取ってあげなければとひかりを急かした。
両手に収まった紙袋の隙間から見えたのは、グレーの細長い長方形の箱。ゴールドのリボンで可愛らしく巻かれたそれにひかりは疑問はを浮かべた。
「タオルと、なにこれ?」
「お礼です……あの、シャルンであまり甘くないやつを」
お母さんが、と続き、そこからバツが悪そうに蘭咲は口を噤む。ひかりより背の高い身体は、居た堪れ無さそうに背を曲げていて弱々しい。
何故、甘くないやつを? と問う前に、ここ何度か耳にするシャルンというワードにひかりはつい口を滑らせた。
「あ、それなら宝先輩にあげるべきかも! 私なんかなにもしてないし、よっぽど……」
しかし言ってすぐにしまった! とひかりは思った。
マスクの下だというのに、蘭咲の表情が見る見るうちに曇っていくのが分かる。長い睫毛は伏せられ、眉根は悲痛に寄せられていた。
多分、蘭咲は今胡桃の話題は望んでいなかった。
見た目もそうだが、プロフィールを見て彼の弱気な性格はよくわかっていた。きっとこれを渡すのも、それはそれは想像もつかぬ勇気が必要だったのだろう。
懸命にタイミングを探って、ようやく渡せる時が来たというのに可愛くない女は「他の人に渡せば?」と言う。 余計なお世話でしかない。
馬鹿か私は、とひかりは自分を心の中で罵った。
こういう所だ。国語のこういう所が苦手だったのだ。"興味のない者"の気持ちを考えて、意図を汲む。答えはなんとなく分かるのに、そこまでたどり着くのがひどく億劫だった。
「いや、ごめん。今は関係ないね、あ、ありがとう」
「…………」
取り繕った謝罪に、蘭咲の返事はない。
そのくせに目の前から退こうとはせず、ひかりは困惑に瞳をきょろきょろと揺らした。
周りも徐々にこちらに好奇の視線を向け出している。何やら不穏な空気を察したらしい。そういうリアリティはいらないと何度言ったら分かるんだ、とひかりはナナコに訴える。返事はない。
「……胡桃先輩は」
「え?」
今までどもっていた蘭咲のか細い声がはっきりと聞こえた。ひかりが聞き返したのは、話を続けるとは思っていなかったからだ。
「ええと、俺がなに? もしかして邪魔だったか?」
だが、その続きが聞けることはなかった。
ひかりは蘭咲の背後に見えた柔らかい笑みに安堵し、微笑んでしまう。さっきの今で、蘭咲が傷つくかもしれない事を知りながら。