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カオスエンドワールド  作者: 真名瀬 照
序章
7/20

最後の電話


 ――――悲鳴、

 ――――怒号、

 ――――嗚咽。


 殷々(いんいん)と溶岩を噴出する霊峰(れいほう)の狂態に、寝静まっていた街は一転、恐怖のどん底に叩き落され阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄と成り果てていた。


 放たれた火山岩が緋色の放物線を描き高層ビルなどの建造物を襲う。人間が築き上げた軌跡をかき消すように、傲りに満ちた栄華を容赦なく破壊していく。そして当然、逃げ惑う人々に対しても一切の区別なく降り注ぐ。昨日まで信仰し慣れ親しんだ富士に背を向けた者達に、あたかも神罰であると告げるように。


 そんな中、誰もが災禍の中心から離れようとしているにも関わらず、ただ一人の少年だけがその流れに逆らうように走り続けていた。


 ――――邪魔だ退け!

 ――――助けてくれ!

 ――――おい、そっちへ行くな!


 一人逆流し続ける彼に逃げ惑う人々は様々な言葉をかけていく。しかしそのどれもが半狂乱になった勇輝の耳には届いていなかった。


 本来なら今もなお災厄振りまく渦中の中心へとほんの少し足りとて近づくなど自殺行為に他ならない。だが彼の脳裏には自身の身の安全などこれっぽっちも存在しなかった。


 もし入れ違いで父さん達が家に戻っていたら――――そう思うと正気ではいられない。


 必死に家へと駆ける。


 駆ける、駆ける、駆ける――――、


 一心不乱に走り続けてようやく家へ辿り着いた勇輝は、荒い息を整える間もなく、騒ぐ心臓をうるさいと鷲掴み、見上げる。


 つい一時間前まで眠っていた思い出の詰まった我が家は――――降り注いだ火山岩により跡形もなく潰れて、燃えていた――――。


「――――――――」


 言葉にもならなかった。

見るも無残な我が家の姿に頭が真っ白になる。全身から力が抜け膝から崩れ落ち、目を閉じ歯を食いしばる。


 もし父さんと母さんが帰ってきていたのなら、今はあの燃え盛る我が家の下敷きになって――――いいや、そんなはずはない! きっとまだどこかにいるはずだ! 


 必死に折れかけた心を繋ぎ止め、勇輝は考える。この災害の中、避難出来る場所が全くない訳ではないだろう。ならきっと父さん達は何とかそこに逃げ込んでいるに違いない、と。


 しかし彼には有事の際どこに逃げ込める場所があるかなど知らなかった。それもそうだろう、常日頃から災害に備えてハザードマップを熟読している学生などいないに等しい。そして例に漏れず彼もその一人だった。


 OASMは故障していて使えない。こんなことなら一度でもいいからハザードマップを見ておくんだったと遅すぎる後悔の念に苛まれ、拳を握りしめた時だった。


 不意にOASMのスクリーンが電子音を響かせて目の前に現れた。


(・・・・・・! 電話――――!)


 それは着信だった。

故障していたはずのOASMがどこかからかかって来た着信を奇跡的に繋いだのだ。とっさにかけて来た相手の名前を確認する。もしかして父さん達か!? 一瞬そう期待したが通話画面に表示された名前は彼の良く知る学友である國津伊吹(くについぶき)の表記だった。勇輝は慌てて電話に出る。


「伊吹、無事――――!?」


「良かった、繋がったか」


電話に出て真っ先に友人の安否を確認する勇輝に対し、まるで彼の方では災害など起こっていないのではないかと錯覚するほど普段と変わらぬ冷静さで応じる伊吹。


 この緊急事態に何を悠長なと普通なら思いたくなるだろう。しかし普段から何事においても冷静沈着に物事を解決してしまう彼がこの有事においてもなおいつもと変わらぬ冷静さで話していることに、ああ、きっと大丈夫なんだと返って勇輝は安心出来た。それは彼という人物を良く知るからこその信頼の証でもあった。


「こちらは無事だ。怪我もしていない、安心してくれ。ついでに不服だがダリエラも無事だ」


 電話越しに「不服はこっちのセリフだ」と勇輝の良く知る少女の憎まれ口が聞こえ、二人共無事で良かったと安堵する。しかしすぐに、


「そうだ伊吹、父さん達見かけなかった!? 姿が見えないんだ!!」


 もしかしたらと彼に尋ねる。けれど、


「すまないが俺達は見ていない」


 否という返答に勇輝はまたしても顔を青くした。

やっぱり探しに行かなきゃ・・・・・・! そう感情に引っ張られて飛び出して行きそうになるが、それを察してか伊吹が引き留める。


「落ち着け。気持ちは分かるが当てもなく探し回ったところでお前が災害に巻き込まれるだけだ」


「でも――――!!」


「大丈夫だ。お前の両親なら“絶対に無事”だ」


「――――!」


 “絶対に無事”。

緊急時においてその言葉は気休め程度の意味合いしか持たない。しかし、


「・・・・・・信じて、いいんだね?」


 こと國津伊吹(くについぶき)という少年は、有事の際に冗談でも根拠のないことは絶対に口にしない。例え相手が望まずとも一切の躊躇(ちゅうちょ)なく事実のみを伝える。それが彼という男だった。


 だからこそ今この瞬間においては“絶対に無事”という言葉が何よりも事実だということを物語っていた。“お前の両親が無事だという確証がある”と。


「お前の友人がこういう場面で一度でも根拠のないことを言ったことがあったか?」


 重みのある問いかけに、けれど伊吹は何を当たり前のことをと言わんばかりに逆に問い返して見せた。その堂々とした自信家っぷりに勇輝は再び安堵した。やっぱりこういう時に伊吹は頼りになると。


「落ち着いたか?」


「ごめん、ありがとう」


「気にするな、念の為俺達もお前の両親を探してみる。だからその件は任せておけ」


 任せておけだなんてつくづく心強い友人だと勇輝は無意識に頬が緩む。こんな状況になってしまったけれど、きっと無事に乗り越えてまた笑える、と。そう彼が思い始めた時、


「さて、ここからが本題だ、よく聞けよ――――」


 不意に彼の声が真剣な色を帯びた。告げられた言葉を飲み込めず勇輝はえ? と困惑の声を漏らした。しかし伊吹は構わずに続ける。


「“この電話が切れたら転校生を探せ”。そして“合流次第研究施設に行け”。いいな?」


「えっ? 待ってよ、アリスを探せって・・・・・・? それにどうして研究施設に?」


 彼の問いかけに、しかし伊吹は答えない。


「これから何もかもが変わる。もしかしたら絶望し立ち上がれなくなるかもしれない。――――けれど思い出せ、おま――――は――――けっし――――弱くな――――――――」


 電波障害か途中から声がぶつ切りになり、最後にはノイズしか聞こえなくなる。


「伊吹っ・・・・・・!? 伊吹っ!!」


 呼びかけるが返事はない。

慌ててかけなおそうとするがやはり偶然繋がっただけだったのか、OASMは再度故障して電話をかけることさえ不可能になっていた。


 嫌な通話の終わり方に再び不安が勇輝の中に芽生える。

もしかして伊吹達に何かあったんじゃないか? そんな想像が脳裏をよぎる。だがそんなはずはないと最悪な妄想を振り払い彼の言葉を思い返す。


『“この電話が終わったら転校生を探せ”。そして“合流次第研究施設に行け”』


 何故転校生(アリス)を探せと言ったのか。それに研究施設にむかえと言った彼の意図は? そのどれもが勇輝には分からなかった。しかし伊吹がそう指示した以上何かそうしないといけない理由があるはずだと。


 なら彼の指示通りに動こう。そうした方が“生き延びられる”という確証が伊吹の中にはあったのだろうと、そう勇輝はこれからの方針を決める。


 そして次に思い返したのは伊吹の最後に残した言葉だ。


『“これから何もかもが変わる”。“もしかしたら絶望し立ち上がれなくなるかもしれない”。“――――けれど思い出せ、おま――――は――――けっし――――弱くな――――――――”』


 これから何もかもが変わる? それはこの災害を指して言っているのだろうかと勇輝は推測する。


 灰と火山岩が降り注ぎ人々が死に絶える地獄の中をこれから自分一人で進まなきゃいけない。きっと沢山の人が死ぬところを目にするだろう。助けることさえままならなず苛酷な選択を迫られる時もあるだろう。そんな現実を前に絶望し、生きることさえ諦めたくなることがあるかもしれない、と。


 これから彼が行こうとする道はそういう道だと伊吹は言いたかったのかも知れない。そう勇輝は思った。そんな険しい道のりが待っていると決して確証のないことは言わない友人に告げられ、勇輝の身体は震えた。


 もしそうなったら、果たして自分は耐えられるのだろうかと。心は(すく)み、身体は震えあがっていた。


 行かなければいけない。何故ならそれが“自分自身がこの災害の中を生き残る確率の高い選択”なのだと伊吹は言ったのだから。けれど理性とは裏腹に身体がそれを拒む。恐怖がべったりと張り付いてその場に押し止めようとする。


 動けない。一歩も。

辺りは燃え盛っているのに自分自身だけが氷漬けにされてしまったように停止している。どうにかしてこの状況を覆さないといけない。だから――――、


『“――――けれど思い出せ、おま――――は――――けっし――――弱くな――――――――”』


 電話が切れる直前、伊吹が言い残した言葉の断片を一つ一つ分析し、途切れた部分を足して繋ぎ合わせていく。そして一繋ぎの意味を持つ言葉となったそれを、言い聞かせるように心の内で響かせる。


『――――思い出せ――――お前は決して、弱くない――――』


 災禍は止まない。

身体は震え、心は(すく)み上がっている。


 けれど――――それでも自分が知りえる中で一番強い友人から“決して弱くない”と言ってもらえたのだから――――、


「――――――――行かなくちゃ・・・・・・!」


 恐怖に縮む心臓を引きずって、勇輝は走り出した。




 不意に通話が途切れつーつーという単調な音を繰り返す。電話を切り、伊吹は富士を見上げた。霊峰からは依然溶岩と噴煙を吹き出し続け、逃げ惑う人々の悲鳴が街中に響いていた。


 そんな中、伊吹とダリエラは逃げることもせず住宅街の奥手にある小高い土手の階段から、まるで他人事のように街の様子を俯瞰(ふかん)していた。


「よりにもよって当たるとか・・・・・・運が良いのか悪いのか・・・・・・」


 伊吹より一段上、取り付けられた手すりに腰かけて座るダリエラがつまらなそうにぼやいた。


「当てたくて当てた訳じゃない。集めた情報や状況を分析し、総合的に組み立てた上での憶測だ」


「で? 伝えることは伝えたのかよ?」


 彼の説明に心底興味なさげに先程までのことの次第を彼女は問う。


「当然だ。繋がらなくてもおかしくない状況なんだ。“たった一度きりの必然”をしくじる訳ないだろう」


「“一度きり”、ね・・・・・・」


 それはこの災害時に勇輝に電話が繋がると分かった上でかけたということであり、もう一度かかることはないと伊吹は分かっていたということだった。さらに言えば“あのタイミングでなければかかることはなかったし、もう二度と彼に繋がることはない”という意味でもあった。


 だからこそダリエラはたった一度きりのチャンスを伊吹に(ゆず)ったのだった。

自分ではきっと感情が優先して重要なことを伝える前に時間切れになってしまうと理解していたからこそ、“絶対にしくじらないであろうこの男”に役目を任せ黙っていたのだ。


「あいつは、“間にあうと思うか”?」


 今も猛威を振るう災禍を眺めながらダリエラが問いかける。その問いはどこか“来るはずの何かを待つ間の退屈を紛らわす”ようなニュアンスで、危機的状況だということをまるで意に返していないようだった。


「間に合うさ。そもそも“あいつが死んだら終わり”なんだ。むざむざ殺すような真似はしないだろう」


「だと良いけどな」


 いつ自分達の身が危険に巻き込まれてもおかしくないというのに、まるでやることがなくなり暇を持て余しすぎて、特に親しくもない隣の席の人物と面白くもない世間話をしているかの如く安閑(あんかん)と話す二人。


 傍から見れば恐怖のあまり気が狂ったかと思える剣呑さだが、非常事態だということを忘れた訳でも気が触れた訳でもない。だというのに避難もせずただ災禍に呑まれた街をぼんやりと眺め続ける彼らの姿は余りにも常軌を(いっ)していた。


 と、そんな二人の元に一人の珍客が死に物狂いで逃げて来た。

その中年で小太りな男性は伊吹達の側を走り抜けようととして、我に返り足を止めた。それもそうだろう。この状況で子供二人が逃げもせずに(たむろ)っているのだから、良識のある大人ならば見過ごせないのも当然だった。


「おい、何してるんだ!! 君達も早く逃げなさい!!」


 男の忠告に、しかし彼らは耳を貸さず、それどころかダリエラに至っては振り向きもせずに手をひらひらと振ってみせた。


「逃げたきゃ逃げろよ、おっさん」


 心底どうでもよさそうな少女の言葉に、男は耳を疑った。

この少女は今何と言った? “逃げたきゃ逃げろよ”と言ったのか?


 男は正気を疑った。余りの絶望に気が触れてしまっているのだろうと。


「何を馬鹿なことを言ってるんだ!! ここにいたら危険だ!! 早く逃げろ!!」


 再度の忠告。だが、


「大丈夫だよおっさん。そんな必死にならなくても“どうにもなりゃしねえよ”」


 二人は変わらず動こうとはしなかった。それどころかこれほどの災害にも関わらず“どうにもなりはしない”と(のたま)ったのだ。もはやこれは精神に異常をきたしているに違いないと、男は二人を無理やり連れて行こうと引っ張った。しかし――――、


「気安く触ってんじゃねえよ!! オラァ!!」


 逆上したダリエラに理不尽にも殴り飛ばされ、男は鼻を押さえて目をひん剥いた。何なんだこの子達はと。


 気が触れているのかと思えばそういう類ではなく、にもかかわらず逃げる素振りすら見せずただ街を眺めている。もはや男には目の前にいる少年少女を理解することは不可能だと悟る。


 何なんだお前らは!! もう知らんぞ!!

そう怒鳴ろうとした時、それまで沈黙を貫いていた伊吹が口を開いた。


「気を使っていただき申し訳ないが、俺達は本当に大丈夫なんだ。だから自分の身だけを案じて欲しい」


 邪魔くさそうな態度の少女と打って変わって労りの混じった少年の言葉に、男の怒気が静まっていく。


「大丈夫だって・・・・・・何を根拠に」


「心配しなくていい。ただ“あるものがあるべきところに戻るだけ”だ」


「そうだぜおっさん。だから私達は“どうにもなりはしない”。安心しな」


 今だ噴出す紅を背に、何も案ずることはないと断言する子供達に、男は言い得ぬ不安を覚えた。


 何を言っている? 分からない。理解不能だ。男の中の常識が異分子を拒む。


「君達は・・・・・・一体何なんだ・・・・・・!?」


 男は恐怖を感じた。それは噴火した富士に対するものでも、いつ死んでしまうかも分からないという危機に対してでもなく、目の前にいる理解不能な未知(ふたり)に対してのものだった。


 だからこそ男は目の前の未知を本能的に観察した。食い入るように、見入るように――――――――だがそれがいけなかった。


 今は災害時で渦中の只中(ただなか)にいるということを男はほんの一瞬だけ忘れてしまっていた。故に男は気づけなかった――――頭上に迫る岩塊(がんかい)に。


 気づいた時にはもう遅く無慈悲に落ちた岩塊は、誰一人の別なく、その場にいた者を押しつぶした――――。

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