災厄の夜
勇輝は目を覚ました。
明かり一つ点いていない自室のベッドの上から身を起こしてカーテンの閉められた窓の隙間から朝日が差し込んでいないことを確認する。
まだ朝じゃない・・・・・・。夜中に起きてしまったことに彼は頭をかいた。
帰宅後、勇輝はまず出された宿題と唸りながら数十分格闘し最終的に問題を入力すると答えが表示される個人作成アプリ、通称解決君を使い宿題を終わらせ、見つかったら怒られるなーと思いつつもゲームや漫画などを読んで一人の時間を楽しんだ後、仕事から帰って来た両親と共に夕食を摂った。
盲目の母とどこか頼りない長身ながらも細身の父と囲んだテーブルには目が見えないとは思えない手並みで作られた前菜やパンが並び、それを見た父がたまには米が食べたいと蚊の鳴くような声でおうかがいをたてるが大好きな葡萄酒を飲んで気分が良くなった母に軽く却下されたのは道島家では日常的な光景で、三人でその日あったことを話しながら食事をとり、その後風呂に入ったりして彼は眠りに着いたのだった。
そしていつもなら彼は一度寝たら起床時間を過ぎても起きないこともざらなのだが、どういう訳か今日は夜中に目が覚めてしまっていた。
完全に姿をくらました眠気に寝つきは良かったんだけどなと布団を抜け出した。
部屋から出てリビングに降りると台所の食器棚からコップを取り出して蛇口を捻る。
注いだ水を一気に飲み干してどうするかぼーと考える。
寝なおすという手もあるが完全に目が冴えてしまっている為きっと眠れないだろうなと思い、とりあえずまた眠くなるまでテレビでも見るかと青白い半透明のスクリーンを表示しOASMの遠隔操作でリビングのテレビを点けようとした。・・・・・・しかし、
「あれ・・・・・・?」
――――点かない。
どういう訳かうんともすんとも言わない。何度起動のボタンを押してもテレビは頑なに働くことを拒んでいた。
朝もおかしかったしやっぱりOASMの故障かな? などと首を傾げながら仕方なく直接テレビの電源を押す。けれどそれでも画面に映像が映ることはなく何度押しても終始沈黙し続けたままだ。
テレビ自体の故障かと試しにOASMの遠隔操作でリビングの照明を点けようとするが、点かない。
「・・・・・・停電かな?」
念の為脱衣所にあるブレーカーを確認するが全て上がっている。
原因に全く見当がつかない勇輝は何かネットで情報が上がってるかもしれないとSNSを立ち上げようとする。しかし、
「・・・・・・え?」
青白く光る半透明のスクリーンに表示されたのは《インターネットに接続出来ません》と表示された真っ白な画面だった。
支払いの滞納などはしていないはずだしそういう趣旨の説明は両親から何も聞いていない。なのに何度やっても映し出されるのは《インターネットに接続出来ません》の文字だけだった。
流石の勇輝でも変だと気づく。何かがおかしい。そう思い両親を起こしに寝室へとむかう。
夜中に起こしてしまうのは正直気が引けたがそれでも原因をつきとめた方がいいだろうと、
「父さん」
ノックもせず薄明かりの漏れる父の部屋へと押し入って声をかける。しかし返ってきたのはどこか頼りなくも優しい父の声ではなく真夜中の静寂だけだった。
「いない・・・・・・?」
父の寝室兼書斎にはベッドはなく、代わりに部屋の隅にソファーが一つありいつもそこで睡眠をとっているのだが、寝ているはずの父親の姿がそこにはなかった。
疑問に思いつつも勇輝は次に母親の寝室に押し入った。
父と違い化粧台にちゃんとしたベッドがある部屋だが、こちらも肝心の母の姿がない。トイレかとも一瞬思ったがこの家はすれ違いが起きるほど広くはない。
玄関へ行き靴があるかを確かめる。すると案の定両親の靴が消えていた。
出かけたのかと両親が行きそうな場所を思い浮かべる。するとすぐに一つの場所が脳裏に浮かんできた。
「教会かな・・・・・・」
父と母は同じ教会が経営する孤児院の出身で外国の血を引く母はその教会の教えもあってキリスト教を信奉するシスターになったのだが、どういう訳か父は神道に目覚め神学者になった。
全く違う宗教観を持つ二人であり、普通なら喧嘩の一つも起きそうなものだが元々幼馴染で仲も良かったこともあり言い争いも起こらず、むしろ逆に結婚して納まってしまったというのがオチだった。
そしてそんな両親は、母はシスターとして、父は不定期ながらお手伝いさんとして自分達が育ったこの街の教会に奉公していた。だからきっと教会で何かあって起こしては悪いからと何も告げずに出ていったのだと勇輝は思った。
どうしようかと彼は迷う。
家電やOASMの故障というある意味で緊急事態ではあるが騒ぎ立てるほどの大事ではない。だから両親が何か呼び出されて教会へ行っているならそちらの用事を優先的にこなしてもらい帰ってきてから見てもらった方が良いんじゃないかと。
少しの間自分の中で電話をかけるべきかかけないべきかでせめぎ合い、結局言うだけ言っとこうかと両親に電話をかける。が、
「繋がらない・・・・・・」
やはりというべきか、父、母共に繋がらなかった。
やっぱり故障か。そう確信した勇輝はどうするか思案する。
こんな真夜中に教会へ行くくらいだ、きっと一大事があったに違いない。ならば家で両親の帰りを待ってた方が良いだろう。そう考え自室に戻ろうと踵を返す。しかし、
「・・・・・・」
何故だか勇輝は今すぐ両親に会いに行った方が良い気がしていた。それは予感めいた感覚で彼の直観に強く訴えかけていた。
――――駄目だ、今すぐ行かないと。
強迫観念染みた焦燥感に背を押され、根負けした彼は着替えて家を出た。
母が通う教会は街全体を見渡せる丘の上に建っていて子供達が駆けまわって遊べるほどには広い敷地を有しており、道島家から30分程度かかるが徒歩で行ける距離だった。
街灯の明かりだけが心細く照らす真夜中の住宅街の街路を勇輝は歩く。
OASMの不具合などが起きていることから他の人にも同じ不具合が起こっているなら誰かしら人が起きだして民家に明かりがついているんじゃないかと考えていたが、全くと言っていいほど建ち並ぶ家々に明かりは灯っておらず、深夜の静けさと自身の足音だけが彼の耳に響いていた。
不具合が起きているのは家だけなのかな?
疑問に思いつつも両親がいるはずの教会へと足を進める。虫の音一つ聞こえない静寂の中を歩き続け目的の教会へと辿り着く。しかし、
「・・・・・・暗い」
両親がいるはずの教会は暗闇に包まれていてお化け屋敷と言われても簡単に信じられるほど昼間とは違う怪しい顔を覗かせていた。
本当にここに父さん達がいるのか・・・・・・?
直観に任せて教会へ来てみたものの、どう見ても誰かいるようには見えない建物を前に勇輝は足を止めていた。
何か本当に出そうだし今思うと夜中に故障云々のこともまるでここに来ることをお膳立てされていたような――――、
「いやいやないから・・・・・・! 偶然だから・・・・・・!」
薄ら寒くなる想像を振り払うように口に出し、意を決して教会の扉に手をかける。
ほんの少し力を入れて押すとぎいぃという音と共に開きいかにもな演出で教会が彼を迎え入れる。ただでさえお化けでも出そうな外観だというのにそれを後押しするような効果音。思わず彼は息を呑む。けれど勇輝が驚いたのはそれらに対してではなかった。
(・・・・・・開いてる?)
今は真夜中。本来施錠してあるはずの教会の扉がいとも簡単に開いたのだ。
鍵の閉め忘れか? それとも本当に父さん達が来ているのかもしれないと、勇輝は教会の中へと足を踏み入れる。
明かり一つ点いていない静謐な聖堂内は信徒の集う場所だけあって質素な内装で華美な装飾品などは見受けられない。しかしそれとは対照的に入り口から真正面にある豪奢な作りの巨大なステンドグラスが異様に存在感を放ち、そこから差し込む月明りが頼りなく祭壇を照らしていた。
雰囲気があると言えばあるが、今はその粛然さが返って不気味さを助長していた。
・・・・・・さっさと済ませよう。そう決めて聖堂内を見渡す。が、人っ子一人いやしない。
ここにはいないなと勇輝は教会内をくまなく探す。懺悔室、食堂、応接室に子供部屋。立派ではあるがそこまで大きい教会という訳ではないからすぐ見つかるだろうとそう考えていた。しかし、
(・・・・・・・・・・・・いない)
教会内から離れの物置まで見回ってみたものの両親はおらず、それどころかいるはずの神父やシスター、更には寝ているはずの子供達の姿まで綺麗さっぱりいなくなっていた。
(どうなってるんだ・・・・・・?)
彼の中のざわつきが徐々に膨らんでいく。これは、おかしいんじゃないか、と。
いや、おかしいのは教会だけじゃない。今考えると教会に来るまでの間もあまりにも静かすぎた。夜中だからと納得していたがやっぱりおかしい。思い直した勇輝は自分の知る中で一番頭がいい友人に相談しようとOASMのスクリーンを表示させる。
こんな深夜に電話なんて友人だとしてもマナー違反だと理解しているが致し方ないと電話帳から伊吹の連絡先を探そうとして――――手が止まった。
「――――――――何だ、これ・・・・・・?」
表示されたOASMのスクリーン画面。その右端に刻まれた時刻を示す数字の羅列に、勇輝は息を呑んだ。
――――――――AM3:69。
冷や汗が彼の頬を伝った。
本来存在しない時刻を時計は知らせていた。
ありえない。勇輝は言葉を失った。
OASMがサービスを開始してから今に至るまで不具合の報告なんて指折り数えて足る程度しかなかった。その数回ですら数人程度の接続不良やアップデートによる誰も気に留めないレベルのバグなのである。
だが今彼の目の前で起こっている不具合は“規模が違う”。何せ世界中で調整され一度刻みだせば世界が滅ぶまで正確無比に時を刻み続けると言われる“世界共通のデジタル時計”なのだ。そんなものが狂っているということは今この不具合は勇輝一人だけに起きていることではなく“世界全土”で起きているということに他ならない。
“始まりからただの一度も重大なバグが発生する余地のなかったもの”が、今この瞬間にその“起こりえない事象”を発生させている。それも誰の目にも明白な形で。そして彼の身の回りに限定すれば異常はそれだけではない。
静か過ぎる住宅街に、行方の分からない両親と教会の人々、そしてこのOASMの不具合。
これだけ重なれば何か起きているのは明らかで、しかしどれをとっても勇輝には理解しようのないことばかりだった。
「一体、何が起こって・・・・・・!」
困惑の言葉が口を吐く。
理解不能の何かが水面下で這い寄って来ている。そんな妄想が恐怖心となって彼の心にべたつく。
・・・・・・とにかくここを離れよう。そう決めて教会を後にしようとした時だった。
勇輝の左耳に耳鳴りが襲った。それも低く響くような音で頭の中を揺すられているような強烈なもので、堪らず彼はその場に耳を抑えてしゃがみこんだ。
痛みはない。しかし芯を揺するような気持ちの悪い感覚が身体中に響いて止まない。
10秒か、1分か、それとも10分か。感覚の全てが気分の悪さで奪われた状態で、けれど余りにも長く感じる異様な耳鳴りに、耐えかねて叫びそうになった――――直後だった。
「――――っ!?」
大きな音が轟いた。
耳鳴りか? 最初はそう思った。だがすぐに違うと理解出来た。それはまるで爆弾でも落とされたかのような音で――――、
「――――ぅ!?」
突如教会の全ての窓ガラスが一斉に飛び散った。
それは突風だった。突風が吹き荒れ教会中の窓が割られ、ガラス片を吹き飛ばしたのだ。しかし不幸中の幸いか、元々しゃがんでいた勇輝はとっさに条件反射で床に伏せた為飛び散るガラス片の餌食にならずに済んでいた。だがそれでも雪崩のように起きた理解不能の事態の数々に彼の心はとっくに限界を迎えパニックになっていた。
「・・・・・・そ、外・・・・・・! 外に・・・・・・!!」
冷静な判断など出来るはずもなく弾き出されたように教会の外へと走り出す。
先の突風のせいか閉まってしまった扉にぶつかるようにドアノブにしがみつき、肩で扉を押す。
それは未知の危険に対しあまりにもお粗末な対処だった。だが半狂乱の彼に理性的な行動など取れる訳もなく、本能が鳴らす警鐘に身を任せ外へ転げ出た。しかし幸か不幸か教会から出たことで彼は何が起きたのか――――その絶望を余さず理解した。
――――燃え滾る血流、
――――天を覆いつくす黒の灰、
――――噴出された岩塊が緋色の放物線を描き街中に飛来する。
この世の終わりのような終末観が彼の知る街を丸ごと地獄へと叩き落す。その光景に勇輝は言葉を失い、“先ほどまでの細事”など忘れてしまうほどに――――ただ茫然と、その災厄に打ちひしがれた。
――――――――霊峰――――富士の噴火である。