違和感
暮れる斜陽が茜色に染め上げられた帰り道を、勇輝達四人で歩いていた。
もちろんただそのまま学校から直帰という訳ではなく、そこはやはり学生らしく小一時間程学校付近にある安いファーストフード店でだべった後家路へとむかっていた。
「疲れたー・・・・・・」
勇輝がぐでっと腑抜けた様子で愚痴をこぼす。
隠すことなく疲労感を滲ませている彼の今日一日は胃と精神にとって激動だった。
転校生のアリスはその美少女っぷりと偶然の出来事が重なり吹き込んだ桜吹雪の演出付き自己紹介のおかげでクラスどころか学校中で噂となり、ついには場所的なものもあいまって木花之佐久夜毘売の生まれ変わりなんじゃないかと囁かれていた。
そんな女神様はどういう訳か勇輝にご執心のようで群がる男子達にお構いなしに彼にだけ話しかけていた。おかげで男子達から悪事がばれて衆人環視に晒された悪の親玉のように敵意をむけられ散々だった。しかし勇輝自身アリスの好意を嫌とは思っていなかった。可愛い子に好意的に接されて嬉しくない思春期男子などいるはずもなく、例にも漏れず勇輝もその一人だった。
とはいえ彼にとって一番の問題はそこではなかった。
というのも相手が普通の女の子だったなら勇輝は素直に諸手をあげて喜んでいたことだろう。しかし相手は女神の生まれ変わり説が浮上している美少女転校生で、そんな人物から好意を寄せられれば学校中の男共から殺意が飛んでくるのは分かり切ったことだった。
そしてそれも神格化されかけている美少年と口汚さが変態に人気の美少女が元々友人にいて嫉妬という名のヘイトがむけられていた人間ならばなおさら火に油である。
それ故に今日一日中やれ大量の殺害予告状が下駄箱に入っているとか体育の授業で自分以外全員敵という状況でスポーツをしたりと親の仇とでも思われてるんじゃないかというくらい目の敵にされたのだった。
おつかれさん、と苦笑するダリエラにぽんと肩を叩かれて労いの言葉をかけられる。しかし疲労困憊の友人を気遣うように見えてその実絶対に内心で面白がっていることを勇輝は今までの付き合いで分かっていた。そんな彼女に溜め息を吐きながら勇輝は隣で伊吹と談笑する転校生に視線をむける。
変わった子。それがアリスという少女に対しての勇輝の印象だった。
不思議な雰囲気と明るさであっという間に元からいたと錯覚するほどに周囲に馴染んでしまう適応力。授業中に指された問題を教師が知らない部分まで解説してしまう頭の良さ。かといって運動が苦手という訳でもなく超人的な運動能力を垣間見せる文武両道さ。いずれをとっても伊吹、ダリエラと負けず劣らずのハイスペック転校生――――それがカルディア・E・アリスという少女だった。
だからこそ、そんな彼女が何故自分に対してここまで好意的なのか勇輝には分からなかった。
戯れ?
冷やかし?
それとも本当に――――。
考えれば考えるほど思考の坩堝にはまっていった。だから、
「ねぇアリスさんや」
分からないならもう聞くしかないと腹をくくり、ぼけた老人のように彼女に声をかけた。
「何ー?」
気の抜けた間延びした声が返ってきて若干気が削がれるものの何とか持ち直して本題に触れる。
「どうして俺にばっかり話しかけるの? 皆話したがってるよ?」
あくまで自分が気になってるからではなく皆の為という大義名分を装いつつ勇輝が疑問を口にすると、んーと考える素振りをして、
「クラスメイトではあるけど仲良くする必要性は感じないかなー」
と学友とのコミュニケーションの必要性を感じないとばっさり切り捨てた。
意外とドライなところもあるのかな? と少々意外に思いつつ「でもある程度は仲良くしておいた方がいいんじゃない?」と彼女が仲間外れにされないようやんわりと提案する。けれどアリスは頭を振って、
「君とさえ仲良く出来てればそれでいいの!」
と顔を覗き込んで笑って告げた。
それは一種の告白のようなものに思えて勇輝はどきっとした。そしてそれをばっちり見ていた二人も「ヒュー! 情熱的」とダリエラが口笛を吹きながらにやけていたり、普段クールな伊吹も流石に面喰ったようで「おぉ・・・・・・!」と感嘆の声をもらしていた。
「で、返答は如何に?」
「そうだぜ、熱烈なLove Callなんだ。しっかり答えてやれよ」
「そういうのいいからちょっと黙っててくれる二人共・・・・・・!」
何でこういう時だけ仲が良いんだ、普段あんなに仲悪いのに、と内心で面白がっている友人達を非難しつつ勇輝はアリスに意識を戻す。そして彼らのやり取りを良く解らないと言いたげに首をかしげて眺めているアリスに、改めて勇輝が、
「今のって、どういう――――」
「あっ! 違うよ!? 別に恋愛的な意味合いはなくてただの事実というかなんて言うかその――――!」
訊ねようとして、ようやく意味を察したアリスが勢い良く恋愛感情は全くないと完全否定した。そしてちょっと期待していたが故に覚悟を決める暇もなく居合さながらの早業で斬り捨てられた勇輝は予想外の精神的ダメージに何かもう、色々と駄目だった。
「ほら、元気だせよ・・・・・・! こういう時は旨いもんでも食ってさ」
「何、これで人生終わった訳じゃないんだ。お前にもいつか良い相手が見つかるさ」
「待って、何でフラれたみたいになってるの? フラれてないよ!? そもそもそういうのじゃないからっ!!」
それぞれ彼の肩に手を置いて辛いよなと生易しく慰める伊吹とポケットから取り出した食べかけの携帯固形食を差し出してくるダリエラに生暖かく励まされる。終いには、
「三年間の高校生活で男女共に恋人が欲しいと思う割合は約70%。そしてその中からカップルが成立する確率は約20%。ソーシャルゲームのガチャから最高レアリティのキャラクターが排出される確率より高いよ! ファイト!」
とフッた張本人にまで小馬鹿にされた。
「アリスまで!? というかソシャゲのガチャの排出率と比較しちゃ駄目だと思う・・・・・・! そもそもその確率はどこ情報なのさ!」
「もちろん私調べだよ」
全然信用ならない確率だった。
何の根拠もない数字をただ突き付けられただけなのに信じそうになった勇輝は、数字というものの恐ろしさを知り、恐怖した。
そんなこんなしているとY字路に差し掛かり俺達はこっちだからと伊吹とダリエラがY字路の右へと歩み出る。二人は勇輝とは家の方向が違う為いつもここで分かれるのだ。
惜しみつつも気を付けてと別れを告げて勇輝達はそれぞれの家路へと帰っていく。そして勇輝ともう一人、転校生のアリスの背を見送ったダリエラは、さて帰るかと伊吹とは違うルートで帰宅しようとして、
「待て」
「んだよ・・・・・・?」
呼び止めた伊吹に不愉快そうにダリエラが睨む。しかし彼は気にもせず、
「少し付き合え」
そう告げた伊吹の顔は、いつになく真剣さを帯びていた――――。
そしてその頃、伊吹達と別れた勇輝とアリスは奇遇にも家が同じ町内だったこともあり話しながら帰路を歩いていた。
何が好きとかあそこの店は美味しいだとか、そんな寝て起きたら忘れてしまうような他愛もないことを話ながら彼は校内で一躍時の人となった転校生との下校を楽しんでいた。
今日は大変だったけどこんなご褒美があるなら悪くはないかな、などと内心で浮かれていると、急にアリスが彼の前に歩み出た。
背をむけて沈む夕日を眺めながら静かに何かを考えている少女に、どうしたんだろうと勇輝が声を掛けようか迷っていると、
「一つ、聞いてもいいかな?」
背をむけたまま訊ねられ、何? と聞き返す。
茜色に染め上げられた景色の中、ただ一人逆光で黒く塗りつぶされた少女は、振り返り、
「――――君には、世界はどう見える?」
唐突だった。突然過ぎる問いかけに、勇輝は戸惑った。
「それは、どういう・・・・・・」
「真面目に答えて欲しいんだ」
茶化されないよう先回りして彼女は言葉を紡ぐ。背にした夕日に黒く塗りつぶされた少女の顔は、彼が今日一日見ていたどの表情とも違い、真剣だった。
彼女の質問の意図は勇輝には全く分からない。しかしそれでもふざけている訳ではないと理解は出来ていた。だから彼はちゃんと答えようと思考を巡らせ、
「世界がどうとかは、良く分からない――――」
ありのままを口にした。
しかしその解答にアリスは口にこそ出さないものの、どこか落胆の色を滲ませて、俯いた。けれど、
「ただ、今のこの日々は大切だと思う」
続く言葉に少女はゆっくりと顔をあげた。
「今・・・・・・?」と聞き返すと勇輝は静かに頷いて、続ける。
「伊吹やダリエラと馬鹿やったり、皆と勉強したり、帰りに寄り道したり。そういう何でもない時間っていうのが、俺は大切だと思う」
彼の返答に、アリスは微笑したまま、何も言わずに目を閉じた。
なるほど、私の言う世界の定義を文字通りの地球規模ではなく至極個人的な視点から観測した世界に置換したうえでの回答が|《今の日々が大切》ということなのだろう。しかし、
「――――本当にそう思う?」
と、アリスは再度問いかける。
「え・・・・・・?」
「暴動、戦争、災害や疫病。個人間においても強奪や殺人、嫉妬による嫌がらせや虐めなども絶えない。今この瞬間にもそれらは止むことなく行われている――――君にだって身に覚えくらいあるはずだよ」
確かにその通りだった。
戦争や暴動といった世界規模の話はともかく、個人的な攻撃や批難といったことは彼にとって良く知るものだった。
こと伊吹やダリエラを憧憬視する人達にとって彼らと馴れ馴れしく接する勇輝の存在は目障りでしかなく、今までだって何度もそういった嫌がらせは受けていた。それこそおふざけ程度の軽いものから一歩間違えれば警察沙汰になっていてもおかしくないような重いものまでだ。
アリスは淡々と続ける。
「人々は争いを止めない。世界が滅ぶその瞬間ですら助け合いなどしない。誰も信じず、自分すらも信じられず、目の前の危機に目を塞いで自分達がよければそれでいいと他の命に無頓着になり仕方のないことと殺してしまう。“自分達が生まれた世界はそういうものだから仕方ない”と」
逆光により出来たその影は濃さを増し、深い怒りに沈んでいるように彼には見えた。
それは誰に対しての怒りだろうと考え、誰に対してのものでもないと勇輝は気づく。いや、そもそも怒ってすらいないのだ。
彼女はただ悲しいのだ。
争いばかりの世の中に、何も変わらないことへの苛立ちに、認め合うことの出来ない人々に、ただただ心の底から嘆いているのだ。
「だから、もう一度聞くよ――――」
そして少女は同じ問を投げかける――――、
「君はそれでも――――世界が大切だって思う――――?」
深い悲しみの影から視線切るように目を瞑り、考える。
彼女は一体何を見てきたのだろう――――?
同い年くらいの少女は勇輝と違い深淵のような悲哀に呑まれていた。
まだ生まれて十年ちょっとしか経っていないはずなのに彼と彼女とでは致命的なまでに見識が異なっていた。
一体何を見たら――――、
一体何を経験したら――――、
一体どう生きてきたら――――それほどまでに悲しくなるのだろうか――――。
どうあがいても目の前にいる少女の悲嘆を理解などしてあげられなかった。
だから――――、
「世界がどうとか、よく分からない」
勇輝は同じ返答をした。
「――――それでもやっぱり、今のこの日々が大切だと思うんだ」
「・・・・・・どうして? 君に嫌がらせをする人もいるのに?」
何故と問いかける少女に勇輝は、
「確かに嫌な奴はいるよ。でも相手にだけ悪いところがあって自分にはないなんてことはありえない。そんなのは――――“お互い様”なんだよ、きっと」
そう笑ってみせた。
絶対の加害者なんて存在しないし絶対の被害者もまた存在しない。どんな人間でも悪い時は悪くなるし善い時は善い。どちらか一方だけに偏る人間なんていない。だからお互い様なんだ――――それが彼の言い分だった。そして、
「もちろん嫌なことは沢山ある。でもだからと言って今のこの日々が大切だってことは変わらない。だから――――」
目を瞑り、自身の内にあるものを確かめるように一呼吸おいて、
「――――世界は今も――――綺麗だと思うよ」
と勇輝は笑って締めくくった。
「――――――――」
アリスは目を見開いた。今度こそ返す言葉はなくなった。
きっと殆どの人間が押し黙るであろう質問に彼はしっかりと答えを返した。それもただ答えただけではない。子供のような純粋さでただ綺麗なんだと押し付けるのではなく、目も背けたくなるようなこともあると知ってなお、世界は美しいと全てを肯定してみせた。そして何よりも、その精神性にこそ、少女は――――、
「――――――――君こそが・・・・・・!」
ぼそりと、蚊の鳴くような声でアリスが何かを呟く。しかし声が小さすぎて彼には何と言ったか聞き取れなかった。
「何か言った?」
「いいや、何でも!」
先ほどまでの真剣さはどこへやら、昼間と同じ笑顔に戻った少女は、
「――――帰ろっか!」
と後ろ手を組んで機嫌良さそうに微笑んだ。
――――――さて、ここで少し時間を巻き戻そうと思う。
勇輝達と別れたすぐ後、伊吹達は珍しく二人だけで同じ道をあるいていた。
それは本来ありえないことだった。目が合っただけで警察沙汰になりかねないほどの犬猿の二人が喧嘩もせずに全く同じ場所を歩いているのだ。
ここに勇輝がいたのならまだ理解出来ただろう。しかし今現在その場にいるのは伊吹とダリエラの二人のみ。
彼らを良く知る人間が見れば天変地異の前触れかと腰を抜かすだろうが、幸い人気のない閑静な住宅街の外れ。彼らを知るものもいなければ赤の他人すらまず通らないような道だった。
だからこそダリエラは普段絶対に誘うことのない自分に声をかけ数歩前を目的も告げずに歩き続ける伊吹を訝しんでいた。
あのY字路で勇輝達と別れてから歩くこと数十分。特に何かを話すわけでもなく終始無言のまま彼女の方を気にかけるそぶりもない。
一体何なんだと痺れを切らして彼女が問い詰めようとした時、それまで頑なに何も話さなかった伊吹がぽつりと口を開いた。
「お前は――――あの転校生をどう思う?」
「あ?」
彼の問いかけに質問の意図が掴めず、ダリエラは眉間に皺をよせる。
「どう・・・・・・って変わったやつだな。私達にビビる素振りすらなく話しかけてきて、前々からそこにいたかのように馴染んでる。それでいてどういう訳か彼奴にぞっこんときたもんだ。こりゃ変人と言われても文句は――――」
「――――はぁ・・・・・・」
饒舌になってきたダリエラに足を止め、何を言ってるんだお前はとこれ見よがしに溜め息を吐いて彼女の言葉を遮った。
突然意図の汲み取れない質問をされ、終いには返した言葉に勝手に呆れられ何も分かっていないとばかりに溜め息を吐かれれば誰だって頭にくるのは当然で、その相手が伊吹であればダリエラの血の上りようは簡単に察することが出来るだろう。
青筋を額に浮かべ、ぶちギレる三秒前――――、
「――――違和感があった。喉元を温い風が撫でつけるような違和感が」
・・・・・・だったが、彼の静かながらも何かを含んだような物言いにダリエラは肩透かしを喰らい、苛立ちながらも冷静に思考を回す。
それは直観的な判断だった。
理由は分からない。しかし話を聞いた方がいいだろうと彼女の感が告げていた。だからダリエラは訝しみながらも耳を貸した。
「・・・・・・あぁ?」
「最初に違和感に気づいたのは昼休み、転校生を交えて昼食を摂っていた最後の方だ。いつものように俺達が騒ぎ始めてそれを勇輝が彼女に謝っていただろう。その時彼女はさも当たり前のように“見ていたから知っている”と返した。おかしいと思わないか?」
「別に何もおかしくねえだろ。朝私達がギャーギャー喚いてたのをこっそり見てたか聞いてたかしたんだろ?」
それのどこがおかしいんだと適当に思いついた理屈でダリエラが付き返す。けれど伊吹はいや、と、
「確かに朝俺達は騒いでいた。けれど忘れたか? うちの学校は授業中気が散らないよう廊下側の窓やドアは全て磨りガラスにしてあっただろう。だから廊下から教室内は見えないし声が聞こえたとしても転校初日に顔も名前も知らない人間の声なんて判別出来るはずがない」
「なら覗いてたとかじゃねーの。ドアの隙間からよ」
「教室のドアは古くて少し動かしただけで周りが気付くほどの音が鳴るんだぞ。そんな状態で誰にも気づかれずに中を覗けるとでも?」
そこまで言われてようやくダリエラも自身の中にあった違和感の種に気づく。
確かに変だ。こいつの言う通りなら一体何を指してあの転校生は“見てた”と言ったのだろうか?
芽を出した疑問は彼女の中で瞬く間に大きくなり胸の内をざわつかせる。
初対面の相手のことを“見ていた”という意味ならば彼らは出会う前から何らかの理由で彼女に監視されていたことになる。
一体何の為に――――?
そう自身に問いかけて、ダリエラは一つの答えに辿り着いた――――、
「・・・・・・・・・・・・勇輝か」
彼女の回答に伊吹が静かに頷く。
転校してきたアリスが異様に勇輝に固執するのはとどのつまり彼女の目的が彼にあるからとしか考えられず、勇輝を探し当てる過程で伊吹やダリエラの情報を得たと考えれば納得がいった。しかし、
「あいつが狙われてるのは分かった。けど転校生からは悪意のあるやつ特有の臭いはしなかったぜ?」
彼女が語った通り問題はそこだった。
こと悪意に関しては国のお偉いさんの子息と貴族のご令嬢である二人は幼少期から大人達の小汚い部分を望む望まざるに関わらず見てきた為鼻が利く。
それ故に悪意を以って近づいたのなら彼らが気付かない訳がないのだ。しかし当の転校生からは悪意どころか敵意や害意自体を感じられなかった。だからこそダリエラも伊吹も彼女の目的に見当が付けられずにいた。
「俺も特段感じなかった。けれど悪意を隠して近づくことが不可能な訳じゃない。今はまだ周到に隠しているのか、あるいは――――」
そこまで語って一人で思考の海へと潜り黙り込んでしまう伊吹に、彼女は要するにと、
「何かあの転校生が企ててるから気をつけろってことだろ? わざわざこんな人気のねえところまで連れて来なくてもよかっただろうに・・・・・・」
「お前――――何か勘違いをしているな」
話を要約し結論を出してさっさと帰ろうとしていたダリエラに全く分かってないとまた溜め息を吐いた。当然言われた彼女の方は意味が分からず「あぁ?」と機嫌が悪そうに眉間に皺を寄せて睨み返す。
「俺が“転校生の話をする為だけ”にお前をこんなところまで誘うと思うのか?」
夕日を背に立つ人影は、まだ本題には触れていないと告げる。
影に呑まれたようにたたずみ少女を凝視するその双眸は、深淵を覗き見た後の暗闇の底知れなさのようにただ黒く、鋭い眼差しを投げかけていた。
「・・・・・・何が言いたい?」
「分からないか? 俺が感じた違和感は、何も転校生だけじゃない。今話したことはその中の一つに過ぎない」
「何――――?」
違和感の種は一つではない。
その言葉に彼女の中に言い知れぬ不安がさざめく。そして同様に彼女の内の違和感がまた静かに囁きだした。まるでこっちに気づけと言いたげに・・・・・・。
「日本の首都を東京から富士の麓まで移したのはいつだ?」
「あ・・・・・・? 突然何だよ?」
「いいから、答えろ」
釈然としないながらも彼女は回答を記憶の隅から探す。
日本の首都移転がいつ行われたかなどという問題は真面目に授業を受けている人間なら皆簡単に答えられるような問いで、一般教養として知っていて当たり前という風潮すらあるほど周知の知識だった。
そしてそれは見た目とは裏腹に学年でトップ争いが出来るほどの学力を持つダリエラなら余裕で答えられる質問だった。しかし――――、
「――――――――!」
その“答えられて当然”のはずの回答が出てこなかった。全く。これっぽっちも。
そんな馬鹿なと再度ダリエラは記憶を辿る。しかし記憶容量のどこを探っても“日本の首都が移転された”などという歴史は見当たらない。
冷や汗が滲む――――そんな彼女に追い打つように、
「移転の期間は? 何の目的で? それを指示した者はどこの誰だ?」
矢継ぎ早に伊吹が問いを重ねる。その度に彼女の記憶からあるはずの回答が霞のように消えていく。しかし彼は手を緩めない。
「OASMの正確な稼働開始日時は? 設置型双方向広域転送装置が普及したのはいつだ? そもそも、それらを設計したのはどこの誰だ?」
「・・・・・・」
伊吹の問いに、しかしダリエラは一つたりとも答えられない。いや、そもそも“存在しない”ものを答えられる人間などどこにいるのだろうか。
剥がれ落ちた虚構に言葉を失うダリエラ。それに比例するように芽を出していた違和感の種があっという間に育ち、彼女の困惑を嘲笑うかのように咲き誇っていた。
「何が起きてる・・・・・・? 私達は何に巻き込まれた――――?」
「さてな。違和感の正体に気づいただけで何が何だかさっぱりだ」
お手上げだと少年が肩をすくめる。
それもそうかとダリエラが息を吐く。こんな出鱈目に気づいたところでどうしろという話である。しかし、
「それでも――――憶測くらいは立てられる」
「――――! ・・・・・・聞かせろよ、その憶測とやらを」
眉間に皺を寄せ、射貫くように目を細めて催促するダリエラに、刃先のように冷徹な眼差しを彼はむける。
「良いだろう、聞かせてやる。俺が導き出した現時点での憶測を――――」
何もかも見透かすような冷たさで見据え、伊吹は淡々と語りだした――――。