三人議会
冥々たる空間をテーブルの上に置かれた三又状の燭台の明かりだけが心もとなく灯っている。そんな暗影落ちる部屋の中、やけに広いその室内に一人の男だけが席に着き、食事をとっていた。
まるで会議でも開きそうな白のテーブルクロスの敷かれた長机で、しかし出席者のいない食卓で配膳された肉料理を行儀よく貪る白衣とナプキンを身に着けた長身痩躯の丸眼鏡の男は、その今にも折れてしまいそうな細身からは想像できないほどの量の肉を切り分け口に運びながら、くちゃくちゃとある一点を興味深そうに見ていた。
行儀よく食事をする癖にその実品性とはかけ離れた音をたてて咀嚼する白衣の男が見つめているのは半透明のデジタルスクリーンに映った“とある少年”の姿だった。だがその少年と彼に面識はない。少年を知ったのも顔を見たのもこの男にとっては“これが初めて”だった。
白衣の男の目に彼がどう映っているのかは、その丸眼鏡越しにはうかがい知ることが出来ない。更に一口、雑に大きく切り分けた肉にかぶり付き噛み千切った男はもう十分だと言いたげに映像を切り宙に浮く半透明のデジタルスクリーンを閉まった。そして、
「――――あれが君が言っていた子かね、“女王”」
斜め上を仰ぎ見てにやつく男が何かに話しかける。誰もいないはずの食卓でまるで空想上の友人にでも語り掛けるように紡がれた言葉は、やはり誰もいない部屋の中に虚しく吸い込まれる。そんな男の奇行とも思える行動は、しかし確かにここではない場所にいる存在へと届いていた。
「――――ええ。彼こそが我々が探し求めたパズルの最後の一欠片。始まりであり終わりをもたらす者。斯くて予言はその重い腰をようやく起こしました、“博士”」
“博士”と呼ばれた白衣の男以外誰もいないはずの室内に女性の声が静かに響く。しかし姿は依然どこにも見えず、女王と呼ばれたその存在は同じ空間に実在しているかさえ不確かだった。正体の見えない声に動じることなく博士は口内一杯に詰め込んだ肉を咀嚼し、飲み込んだ。
「重い腰にもほどがあるがね。重篤な腰痛持ちの予言など立ち上がらせるだけでも手が焼ける。が、ようやくスタートラインに立ったという訳だ」
実に愉快だと口元を歪ませる博士。だがその顔からは何を考えているかが全く以ってうかがい知れない。暗がりに灯る燭台の灯火が男の影を色濃く浮かび上がらせる。それは底知れない奈落の大穴を連想させるほど得体の知れない何かを内に飼っているようで――――それを隠すように博士は丸眼鏡を指で軽く持ち上げた。
「しかし――――“此度の救世主”殿はずいぶんと弱々しい。あんな細身で本当に大丈夫かね? 彼はもっと肉を食べた方が良い」
貴方だけには言われたくないと機械種の女王は黙した。それもそうだろう。少年よりなお細いのっぽのような長身痩躯の男にそんな身体で大丈夫かなどと心配されても説得力など皆無である。むしろお前が言うなとそれを聞いた全員からツッコミが返ってくるだけだ。
にやついた顔で質の悪い冗談を口にする男に女王は辟易しつつもそれをお首にも出さずに話を戻す。
「それで、これからどうするのです?」
「そうだねェ。まぁ、まだ始まったばかりだ。しばらくは様子を見させてもらうとしよう」
博士の言葉に、多少の含みはあるものの嘘ではないことを見て取った女王は“この場にいるもう一人”へと問いかける。
「――――貴方はどうするのです――――The・One」
二人の会話を聞きつつ、しかし彼女と同じく食卓に姿を現すことなく黙しているもう一人の出席者――――The・Oneと呼ばれた男が女王の訊ねに固い口を開く。
「――――私も傍観に徹しよう――――」
沈黙を破り室内に響いた声はどこまでも重く、しかし涼やかに、相反する矛盾を内包して静寂を蹂躙する。荘厳なる調べと共に告げられた男の言葉に、二人は一瞬沈黙した。それはThe・Oneから意図せず発された有無を言わさぬ威圧感に呑まれてしまわないよう気を張ったからだった。
しかしそれも瞬きの間のこと。再び何食わぬ顔で食事を再開した博士がにやついた顔で男に語り掛ける。
「やれやれ、傍観に徹するというのならもう少し鉾を収めて欲しいね。そんなに殺気立たれてはおちおち食事もとれやしない」
「・・・・・・どうやら気が逸っていたらしい、謝罪しよう」
その荘厳な響きとは裏腹に紳士的な謝罪の言葉が告げられる。しかしその妙に素直な寛大さが返って厳めしい不気味さを伴って警戒心を掻き立てる。だがそんなことは日常茶飯事だとでも言うかのように眉をひそめて苦笑する博士には気にする素振りも見られない。
「で、我々の動向については話した訳だが、君はどうするのだね? まさか我々にだけ語らせてだんまりという訳ではないだろう?」
意地の悪い笑みを浮かべ女王に問う博士。だが彼女は当然だと、
「私も同じく傍観しましょう。しばらくの役目は“適任者”に任せるとして――――」
「何だ、全員同意見かね。てっきり誰かしら喜び勇んで何かしら仕出かすと内心わくわくしていたのだがね。残念だ」
心にもないことを口走る博士に姿の見えない二人が押し黙る。そもそも仕出かす可能性が一番高いのはお前だろうと。だがこんな些細なことで口を挿んでいたのでは切りがないことぐらい黙す二人は承知していた。
ことこの男に関しては矛盾塊のような存在であり、彼もそれを自覚している上でふざけているのだから質が悪い。知恵と知識と狡知に長けた人間に正論を言ったところで逆に絡み取られて弄ばれるだけだ。そんな者とまともに会話を交わすだけ無駄である。
故に今だ品なく咀嚼音を漏らしながら食事を続ける博士の言葉を話半分に聞き流しながら彼女は本題を進める。
「では全員しばらくは様子見ということで。その間は役者に“ゲーム”の駒を進めてもらいましょう」
「異議なし!! 君もそれで良いかね――――天の白」
「――――嗚呼、それで構わない」
天の白と呼ばれた男――――The・Oneが同意する。
天の白にThe・One。見知らぬ者ならば一体どちらが彼の名なのだと困惑するだろう。だがそもそもこの場に真実の名で呼ぶものも呼ばれるものなど誰もいないのだ。誰もが偽名、誰もが異名、正体偽り集いし者達は素性さえも偽ったまま食卓を共にする。だが当然同じ目的を持って集まった訳ではない。
利害の一致。一時の利害関係の成立により成り立つ謀略と陰謀渦巻く三人会議はそれぞれがそれぞれの思惑を以てその形だけの協力関係を形成していた。故に三者三様にどう相手を出し抜くか策を巡らせながら会議を回す。いや、そもそもこれはそういう“遊び”だと。
「――――では宿願の成就を祈って――――」
「――――世界の救済を願って――――」
「――――この終末を祝して――――」
それぞれの口上と共に博士が赤ワインの注がれたワイングラスを掲げる。だが姿の見えない賓客が同じようにグラスを掲げているかは定かではない。けれどそうであると彼は仮定して、同じ利害の下、その言葉を口にした。
「「「――――乾杯――――!」」」
博士は赤ワインを飲み干した。一気に。鮮血で喉を潤すように。そして空になったグラスを投げ捨て、獰悪に顔を歪めると、嗤った。それは自身の大願の成就が近づいたことによる歓喜であり、破滅を希う獣の雄叫びのようでもあった。
それぞれの思惑が交差する予言の中、斯くて終わりの物語が今幕を開けたのだった――――。
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