赤色の乱入者
勇輝は上を見上げたまま呆然としていた。
廃墟を出た彼の目に飛び込んできたのはビル群を押しのけるように生い茂る巨大な樹木。それからそこら中に生い茂る草花などの植物。そして何より、どこもかしこもぼろぼろな街並みだった。
荒廃した街の中、その衝撃から立ち直れずに勇輝は立ち尽くす。
ここは・・・・・・どこだ・・・・・・?
当の昔に人間などいなくなってしまったかのような取り残された廃墟の街に見覚えなどあるはずもなく、彼は当たりを見渡す。だが誰もいない。人らしきものも生物の影さえも見当たらなかった。
まさか噴火の影響で――――?
そんな考えが脳裏に浮かんだ。だが火山の影響で街が被害を受けたならこの巨大な樹木が生い茂っていることに説明がつかなかった。これではまるで人類などとうに――――いや、そんなはずはない。彼は頭を振った。
説明のつかないことが多すぎて頭がパンクしそうになる勇輝。そんな彼に目的を思い出させるかのように何かが爆発したような轟音が響いた。
「――――っ!! ・・・・・・そうだ、伊吹!!」
ようやく我に返り自分が何をしようとしていたかを思い出した勇輝は音のする方へむかおうとした。だが彼はすぐに足を止めた。背後、遠方から聞こえる爆音に。
それは爆音を轟かせながら徐々に彼に近づいてきていた。しかしそれは怪物が暴れているような破砕音とは違う、人工的なエンジン音。大きな駆動音を街中に響かせながらむかってくる何者かは、姿が見えたと思った次の瞬間には彼の数十メートル先を猛スピードで過ぎ去っていった。
それはバイクだった。改造を施した大型の二輪自動車。それが凡そバイクとは思えない速度で走り抜けていった。一瞬過ぎて誰だったのかは勇輝には分からなかった。だが過ぎ去る一瞬、バイクにまたがる人物がちらりと目線だけでこちらを見た気がした。それは気のせいだったかもしれない。けれど勇輝にはその一瞬だけ一瞥をくれた人物に覚えがあった。
それは桃色の髪をたなびかせヘルメットも被らずに大型二輪を乗りこなし疾走する少女の姿で、その全貌は余りにも見知った一人の面影と重なっていた。
(今のは――――)
――――――――鎬を削る。
今だ暴走状態の怪物に引きずられながらも伊吹は猛攻を凌いでいた。
体制を整える暇すら与えられず木々や廃ビルのコンクリート壁などに身体を叩きつけられ擦りつけられる。圧倒的に不利な状況ではあるが最も危険な黒死の羽の連撃だけは確実に防げていた。それは六枚の羽の内四枚ほどを足替わりにして機動力を確保している為攻撃に割けるのは残りの二枚だけであることも大きい。しかしじり貧には変わりなく徐々に伊吹の身に傷が増えていく。
どうにかしなければ。そう打開策を模索している時だった。彼の耳に音が聞こえた。それは怪物が足替わりにした黒死の羽で地を踏み砕く破砕音ではなく、もっと人工的な駆動音――――。
「――――ッ!!」
伊吹は怪物の身体を足蹴にして自身を弾いた。持てる力の全てを振り絞って。
しかしそれでも開いたのは手を伸ばせば簡単に届いてしまう程度の微かな距離だった。だが伊吹にはその程度の距離で十分だった。
――――黒い大型二輪が猛スピードで怪物を引いた。
バイクと共に吹き飛んだ怪物はすぐに体制を立て直し横槍を入れた乱入者に視線をむける。ぶつかる寸前に上空に飛んで一人だけ脱出したその人物は超人的な身体能力で着地し、明確な敵意を以て視線を返した。
それは少女だった。伊吹と同年齢くらいの少女。
レックホルスターから血色にも似た二挺の銃剣銃を抜き放つと、薄桃色の長髪が一瞬にして真紅に染まる。どういう原理で髪の色が変わるのかは分からない。だが驚くべきはそれだけではなかった。彼女が抜き放った二挺の銃剣銃。血色にも似た紅色に染め上げられたその銃はただの少女が扱えるようなものではなかった。
――――デザートイーグル。
最強のハンドガンと名高い自動拳銃であり12.7㎜という非常に大きな口径と.50AE弾という高威力な弾から推し量れるように高い貫通力や打撃力を有しており、女性が撃ったら肩が外れるなどと言われるほど反動が大きく、また重量やサイズも大きく重い。単純な殺傷力が高い分扱いに苦労する代物であり、故にとても一般的な少女が扱える銃ではなかった。だがそんなものをあろうことかこの少女は二挺も手にしているのだ。それがどれだけ無茶かなど言わずとも分かるだろう。
人など簡単に射殺してしまえそうな今紫の双眸で敵を睨む赤色の少女は、その不釣り合いなほど大きく重い銃剣銃で以て十字を切る。その姿は少女というより敵対する者に容赦ない死を見舞う赤い悪魔のようだった。
その悪魔の名はダリエラ・フォーエン・カインバルド・セレーネ・ヴィスター。それこそがどこの国の人間か見当も付けられない名を持つ人ならざる乱入者の正体だった。
背に生えた羽を使い器用に立ち上がった怪物は、その獰悪な狂笑を以て突然の乱入者を歓迎する。
大物が二匹!! これは良い!! 狩りごたえがありそうだ!!
楽しみが増えたと喜び勇む怪物に対し、しかし伊吹の見解は全く違うものだった。“厄介なやつ”が増えてしまった、と。
こと伊吹とダリエラは犬猿の仲だ。同じ場所にいれば殺し合いの一つや二つ起こることなど日常茶飯事なほどに。そんな二人が戦場で相まみえればどうなるかなど言わずとも想像がつくだろう。
それに何より、先ほど窮地に陥った伊吹をダリエラが救ったように見えたかもしれないがそれは大きな間違いだ。実際は助けてなどいない。むしろその逆で、彼女は“窮地に陥った伊吹ごと”怪物を引き殺そうとしただけであり、彼が引かれなかったのは事前に危機を察知して怪物から距離を取ったからに過ぎない。とどのつまり、二人は常軌を逸した怪物を前にしてなお協力する気など微塵もなかった。
伊吹が動く。弾かれたように飛び出した彼が狙ったのは――――ダリエラだった。
彼にとって怪物だけを相手取るなら一人でも苦戦はしても倒せない敵ではなかった。しかし彼女がいるなら話は別だ。まず協力関係など望めないしそんなことはこちらも願い下げだと。そしてそういう間柄だからこそ確実に彼女は自分の邪魔をする。故に、真っ先に足枷となるこの女を排除するのが先決だと考えた。
だがそれは彼女とて同じことだった。伊吹が彼女を真っ先に始末しようとするようにダリエラもまた彼を一番の邪魔者と認識し銃口をむけていた。
ダリエラの首筋目掛け刃が奔る。それはほんの一瞬。瞬きの間もないほどの速度で放たれた一刀を、しかし彼女は後ろへと飛んで簡単に避けた。そしてそのままほぼ零距離で引き金を引いた。
撃鉄が雷管を叩き、撃発した銃弾が標的目掛け飛んでいく。
音速を超える速度で飛来する銃弾を躱すすべなどありはしない。ましてそれが至近距離ならなおのこと。二発の銃弾が伊吹の眉間と心臓に吸い込まれていく。しかし、
「――――ッチ!!」
狙い通りに急所へとむかっていた弾丸はいとも容易く打ち払われた。それは凡そ人間が出せる反応速度を優に超えていた。当然だろう、この場に人間と言える者など誰一人いないのだから。
刃に阻まれた銃弾は直撃コースを大幅に逸れて明後日の方向へと飛んでいく。――――けれど彼女にとってはこの程度は計算の内の出来事だった。
銃口を下へとむけ地面にむけて発砲。そんなことに何の意味があるのか。常人ならば一笑にふして終わりだろう。しかしただ癇癪を起してやけくそに乱射した訳ではない。
地面にむけて斜めに放たれた弾丸は着弾と同時に跳ね返り、軌道を変えて伊吹の後方へと飛んでいく。そして新たに放たれた銃弾が彼が弾いた銃弾へとぶつかり更に軌道を変える。銃弾から銃弾へと跳弾し、まるで意思を持つかのように無防備な伊吹の後頭部へと返っていく。
それは彼女の銃弾が通常の.50AE弾とは違うからこそ出来る芸当だった。
改造を施されゴム弾に近い性質に替えられた彼女の銃弾は跳弾性に優れており、一発放っただけでもスーパーボール並みに縦横無尽に暴れまわる。無論跳弾性に特化させているが故に殺傷能力は落ちている。だがそれでもことダリエラという少女においてはそれで何も問題はなかった。重要なのは“当てる”ことだ、と。
「――――っ!」
死角へと飛来する銃弾に気づいた伊吹がとっさに首を横に反らす。音速を超えて飛ぶ銃弾は彼の頬を掠め取りながら通過し今度こそ彼方へと消えていった。間一髪ながら危機を脱した伊吹。しかしそんな彼の顔は“してやられた”という苦渋の表情を浮かべ、歯噛みしていた。
――――――――突如伊吹の視界が暗転した。
いや、彼ではなく彼の周囲が突然一寸先も見えない暗闇に包まれた。そして現れたのは巨大な眼――――今紫の眸子が遥か上空かた彼を見下ろす。
星一つ簡単に呑みこんでしまえそうなほど巨大な眼が、伊吹をぎょろりと捉える。そして現れたのは大国一つ押しつぶせるほどの巨人の手だった。それは彼を目掛けて手を伸ばす。あんなものに潰されては例え怪物といえど命はない。しかし躱すすべもなければ防ぐ手段もない。
回避不能防御不可能の巨人の手が迫る。どうしようもない。当然だ。いくら人間離れした力を持とうとも身体は人間大。一国を亡ぼすほどの大質量の物体から逃れられるはずもない。出来ることがあるとすれば絶望に震えながら祈るか己の生涯を省みて懺悔するくらいだろう。けれど伊吹はそのどれとも違った。
気迫と共に刃を振るい――――――――それら一切を一刀の下両断してみせた。
神に等しい存在を人間大の存在が斬り伏せる。それは神をも超える所業に他ならない。しかし彼が斬ったのは神でもなければ巨人の手でもない。そこに偏在した“虚構の世界”を断ち切ったのだ。
斬られた世界は砕けたガラスのようにぼろぼろと崩れ落ち、元いた世界へとなりを戻していく。
それはダリエラの持つ能力だった。“銃弾を当てたものに干渉し虚構の事象を引き起こす”。それが彼女の力の全てだった。強力な能力ではあるが発動させる為には“条件を満たす必要”があった。それは“相手に傷をつけること”。それも“生身に”だ。故に条件さえ満たせれば強力無比な力を行使することが出来た。しかし当然ながら当たらなかったり相手が鎧などで全身を固めてしまっている場合には全く歯が立たない。
だがだからこそ生身に掠りさえすれば必殺の奥の手でもあるのだが、こと國津伊吹という少年には彼女の能力が通用しない。一度も、全くだ。
故に両者に距離が開き睨み合いが始まる。互いに邪魔な存在を消す為次の手を脳内でくみ上げる。けれど、
「ぐッ――――!?」
飛来物がダリエラの脇腹を直撃し、吹き飛んだ。それは足だった。伊吹に切断された怪物の下半身。それが砲弾のように飛んできた。それは茶々だった。二人の仲違いを側で見ていた怪物が、俺も混ぜろと茶々を入れて来たのだ。
怪物が再び伊吹へ襲い掛かる。
四枚の羽を蜘蛛の足のように動かし、高速で這い回る暴走列車が縦横無尽に動き回り黒死の刃を振るう。捕まらないよう伊吹は猛スピードで突進してくる怪物を軍刀でいなす。しかし怪物の猛攻を反らすのが精いっぱいで完全に手玉に取られていた。だから、
「――――ふッ!!」
愚直に突進してきた怪物の懐に潜り込み、上空へと蹴り上げた。
流石の怪物も蹴りを入れてくるとは予想していなかったようで、面喰いながらも空中で体制を立て直す。中々悪くない。さぁ、次はどうする!!
意表を衝いた彼の蹴りは、しかし怪物には一切効いていなかった。獰悪に顔を歪め嗤いながら、地表にいる伊吹へと狙いを定め、黒死の羽を伸ばそうと――――、
「――――どこ見てんだクソ野郎・・・・・・ッ!!」
意識の外――――怪物の背後斜め上空。完全な死角から逆巻く憤怒を滾らせた赤色の悪魔が怪物を射貫くように睨みつける。
「お返し、だ――――ッ!!」
はっとした時には既に遅く、投げつけられた怪物の下半身を握りしめたダリエラが、力一杯怪物に叩きつけた。凡そ人間とは思えぬ怪力でぶつけられた怪物は、分離した自身の下半身と共に吹き飛び、廃ビルをいくつもなぎ倒しながら荒廃した街の中へと消えていった。