浴槽での出会い
―――コンコン
扉を誰かがノックする。
その音でミラは目を覚まし、ベッドから起き上がる。
「ミラさん、朝食の時間ですよっ!」
「ぅん……分かった……」
まだ意識が覚醒していないミラは、上の空のまま返事をする。
扉の外にいた安らぎの揺り籠の従業員は、ミラの言葉を聞いて他の仕事に向かった。
昨夜、疲れ果てていたミラは案内された部屋に入ると、夕食も食べずに寝てしまった。
当然のことながら湯浴みもしておらず、ミラは全身の不快感に顔を顰める。
「従業員さーん」
扉を少し開け、従業員を呼ぶミラ。
呼ばれた従業員は清掃作業を中断して、すぐにミラのもとへやってきた。
「お待たせしました。何か御用でしょうか?」
「湯浴みをしたいんだけど、浴室ってどこにあるの?」
「浴室は階段を降りて左側の通路を真っ直ぐ行った場所にあります」
「そう。ありがと」
従業員が一礼して清掃作業を再開する。
ミラは一旦扉を閉め、色々なものが入っている摩訶不思議な袋を持ってから浴室に向かう。
従業員の言葉通りに階段を降り、左側の通路を真っ直ぐに進んだミラは浴室に到着した。
浴室は中々の広さであり、大人が三十人ほど入っても余裕がありそうだ。
脱衣所で服を脱いだミラは、すっぽんぽんのまま浴槽へと向かう。
「――あら、こんな時間に珍しいわね」
ミラが真っ直ぐ浴槽に向かっていると、浴槽の中から声が上がった。
声の主の姿は湯気で見えないが、その声質からして女性だということは分かる。
「昨日、部屋に入ってすぐに寝ちゃったから……」
「そう。私はこの時間に湯浴みをするのが日課なの」
浴槽に近づくにつれ、女性の姿が鮮明になっていく。
すらりと伸びた手足に男受けの良さそうなプロポーション。
それはミラのプロポーションとは正反対のものであった。
「あら……エルフ?」
ミラの姿を見た女性が吃驚の声を上げる。
エルフという種族は滅多に故郷の森から出てこない種族だ。
それこそ、故郷の森から出てくるエルフというのは異端者――ミラのような変わり者のエルフだけだろう。
「…………何よっ」
全身を舐めるような視線を向けられていたミラが批判の声を上げる。
自然とともに生きてきたミラにとって、全身を舐めるような視線を向けられることは初めての経験であり、その視線は非常に不愉快なものだった。
ミラは桶でお湯を掬って頭から被ると、すぐに湯船に浸かる。
少しでも早く女性の視線から逃れたかったのだ。
「興味深いわね……」
そう呟きながら、女性がミラの方へ近づいてくる。
その目つきは宛ら獲物を狩る際の猛獣のようであった。
女性の目力に気圧されたミラは徐々に後退していくが、女性は逃げ場のない方向にミラを誘導していく。
そして到頭壁際に追い詰められたミラは、女性が伸ばしてきた手を見て思わず目を瞑った。
「なるほど……耳は柔らかいのね……」
女性がミラの尖った耳を触りながら、そう漏らす。
目を瞑っていたミラは、女性が自分の耳を触っていることに気付き目を開けた。
「なっ、何するのよっ!」
「……ハッ、ごめんなさいね。私、学者なんだけど、珍しい生物とか珍しい植物とかを見るとすぐに触りたくなっちゃうの」
ミラが批判の声を上げると、女性はすぐにミラの耳から手を放した。
女性は学者をしているようで、珍しい生物や珍しい植物を見るとすぐに触りたくなるらしい。
女性からすると、エルフのミラは珍しい生物というカテゴリーに入るようだ。
「ふんっ」
女性が弁明するも、ミラはそっぽを向いてしまう。
頬が膨れていることから、女性はミラの機嫌を損ねてしまったらしい。
女性はどうにかミラの機嫌を直そうと、自身の秘密を打ち明けることにした。
「ちょっとこっちを向いてくれる?」
「…………」
頬を膨らませながらも、ミラは視線を女性の方に移す。
ミラが女性の方へと視線を向けると―――
「これが本当の私よ」
そこには、頭から角を生やしている女性――魔人がいた。




