出立
マリリエルに手を引かれ、俺は父様の執務室にやって来た。
執務室の中には父様、母様、シンディといった面々が集まっており、皆どこか悲痛な表情を浮かべている。
「おにーさま!」
執務室に入るや否や、シンディが俺の胸に飛び込んできた。
俺はシンディが怪我をしないように、優しく抱き留める。
「おにーさま、もう行っちゃうってほんとなの?」
「……は?」
何言ってるんだ?
俺がウィンデールを出立するのは三日後のはずだ。
俺は父様に確認を取る。
「父様?」
「マリリエルからの願いでな、ルナには今すぐにウィンデールを出立してもらうことになった」
マリリエルからの願い?
俺が父様の言葉に疑問を抱いていると、それを察知したのか、隣にいるマリリエルが口を開いた。
「実は私、無断で学院を抜け出してここに来てるのよ。だから早く戻らないと」
「なら学院長が一人で戻ればいいじゃないですか」
俺はシンディにかまってやると決めた。
この人の都合で出立までの時間が縮むのはご免だ。
「そうは言っても、ルナはもう私の部下なんだから一緒に来てもらわないと」
「なっ!?」
横暴だ!
俺はそう叫ぼうとしたのだが……
「それに、明日は入学式なのよね」
「……」
マリリエルの言葉に、本人とシンディ以外の全員が頭を抱えた。
「ルナ、マリーはいつもこうなの。頑張って慣れなさい」
「まあ……頑張れよ!」
母様はやれやれといった感じで、父様はどこかなげやりな感じで俺に激励の言葉を送る。
そして二人の目には、若干だが憐みの感情が浮かんでいた。
天然とは違う、残念な性格の持ち主。
マリリエルに対する俺のイメージがしっかりと固まった。
これに慣れろと……。
「おにーさま、がんばってね! わたしもがんばるから!」
俺の胸に顔をうずめたままのシンディからも激励の言葉をもらう。
顔が見えないので表情はわからないが、今の声を聴く限り、涙をこらえているのだろう。
別れ際に、俺に泣き顔を見せまいと……。
「強い子だ……」
俺はシンディを強く抱きしめ、顔を上げさせる。
予想通り、シンディの目からは涙が止まることなく流れ出ていた。
「俺も頑張るからな」
「……うんっ」
シンディと別れの言葉を交わす。
シンディが俺の身体から離れ、今度は母様の胸に飛び込んだ。
「そういえば……」
ふと、俺と一緒に来ることになっていたアミーのことを思い出し、声を出そうとすると……
「失礼します」
ちょうどいいタイミングでアミーが執務室に入ってきた。
アミーの後ろには、リーラを筆頭に十名ほどのメイド達が続いている。
メイド達は、大量の荷物を詰め込んだのであろう大きな袋を何個も抱えていた。
「お待たせしました」
メイド達がマリリエルの目の前に大きな袋を置いていく。
マリリエルはその袋に手をかざし――
『転送』
瞬間、マリリエルの目の前にあった大きな袋が跡形もなく消えてしまった。
まさかこれは……
「時空間魔法……?」
「不正解」
俺の言葉を、マリリエルが否定する。
じゃあ、今のは……?
「これよ、これ」
マリリエルが突き出してきた手を見てみると、金属ではない何かで作られた小さな指輪が指にはめられていた。
「これは?」
「人工遺物よ」
人工遺物。
はるか昔に作られた魔道具の総称だ。
人工遺物は何らかの特殊な能力を付与されていて、滅多にお目にかかることが出来ない。
かく言う俺も、人工遺物を見るのは初めてだ。
「この人工遺物には時空間魔法が付与されているのか……」
「発動時に消費する魔力はすごいんだけどね」
魔道具というものは、使用者の魔力を糧として付与された能力を発動させる。
人工遺物ともなると、通常の魔道具の数倍、数十倍の魔力を消費するとも言われているのだ。
「ここにあった大荷物は今頃、ピランジェにある私の屋敷に送られているはずよ」
「その人工遺物は人も転移させることができるのか?」
「ええ。帰りはこれですぐにピランジェに着くわよ」
この人の余裕はこの人工遺物のおかげか。
遠く離れたピランジェの地にも一瞬で行けると。
だから焦りといったものが感じられないのだろう。
「そろそろ行きましょう……」
「待ってください」
マリリエルの言葉に待ったをかけたのは、一振りの刀を手にしているリーラだった。
「ルナ様、これをお持ちください」
「これは……?」
「刀、と呼ばれる剣です。私が師匠から受け継いだものでもあります」
そう言いながら、リーラが鞘から刀を抜く。
刀身が光を反射して銀色に輝き、鋭い刃は何とも言えぬ存在感を放っている。
「餞別です」
「……いいのか? 師匠から受け継いだものなのだろう?」
「昔、師匠が言っていました。もしお前が弟子を取り、その弟子が一人前になったとお前が判断したら、この刀を弟子に引き継がせろと。そして、ルナ様はもう一人前です」
「……わかった」
俺はリーラから刀を受け取る。
「重いな……」
重量ではない。
刀に宿った想いの重さ。
その重さは本来ならば感じないはずなのに、感じることができる。
「その刀の銘は『ツムギ』。その名の通り、師匠から私へ、そしてルナ様へと紡いでいかれる刀です」
「ツムギ……」
俺は刀を握りしめ、顔を上げる。
顔を上げると、父様、母様、シンディ、リーラが満面の笑みを浮かべ――
「「「「いってらっしゃい!!」」」」
「っ!」
目の奥から、何かが込み上げてくる。
それは俺の矜持を無視して、目からあふれ出た。
「ルナ様のことは……お任せ……ください」
俺の背後に控えているアミーも、それをこらえることができなかったようだ。
「母様、一ついいですか?」
「なぁに?」
俺は、ある人物と一羽の小鳥への伝言を母様に頼んだ。
「セドナには愛していると、セレネには早く帰ってこいと伝えてください」
「わかったわ。私に任せておきなさい!」
ああ……最後まで母様は母様だな。
まあ、最後って言っても最後じゃない。
また会えるんだ。
「じゃあ、行くわよ……」
マリリエルの言葉が聞こえたのと同時に、周りの景色が一変した。




