変化
―――五年の月日が流れた。
いつも通りの朝。
俺はベッドから起き上がろうとする。
「……ん?」
何かが俺の上に乗っていて起き上がれない。
毛布をめくると、やはりと言うべきか、予想していた通りの人物が俺の上に乗っかっていた。
「……シンディ、起きてくれ」
俺の上に乗っていたのは、四歳の妹、シンディだ。
父様と同じ紅色の髪が揺れる。
「んん~……」
シンディは俺の脚に抱き着いたまま起きない。
「はぁ……」
また始まった。
シンディは朝、何故か俺の脚に抱き着いて離れないのだ。
「早く起きないと――」
俺はシンディの脇腹をくすぐる。
「きゃははははっ!」
大笑いしながら、シンディが飛び起きた。
俺の妹は、起きているのに寝たふりをしているのだ。
「ごめんなさいおにーさま! もうやめて~」
笑い過ぎて涙目になりながらも、シンディは俺の脚から離れる気配がない。
「……んっ」
シンディが目を瞑って、顔をグイッとこちらに寄せる。
「わかったわかった」
俺はシンディの頬にキスをした。
「えへへ~」
シンディが目を開き、にへらと笑う。
「おにーさま、おはよー」
「ああ、おはよう」
朝の挨拶を交わす。
ここまでのやり取りが、俺達の日常だ。
「おかーさま。おはよーございます!」
「おはよう……あら、またルナと一緒に寝たの?」
「うん!」
着替えを済ませた俺は、シンディとともに大食堂にやって来た。
珍しいことに、大食堂には母様の姿があった。
母様は朝は大抵アトリエで絵を描いているのだ。
「おはようございます、母様」
「おはよう、ルナ」
俺とシンディはメイドが引いた椅子に座る。
「うぇ~」
メイド達が運んできた料理を見たシンディが変な声を上げた。
「わたし、これきらい……」
そう言いながらシンディがフォークに突き刺したのは、小さくて丸っこい、赤い野菜だった。
「シンディはトマトが嫌いなのか?」
「うん……食べると、お口の中がぐちょぐちょするの……」
あ~。
そうだな。
トマトは水分が多いから口に入れるとそんな感じになる。
斯く言う俺も、トマトは苦手だ。
「でもシンディ。好き嫌いはよくないぞ」
「だっておいしくないし……」
シンディはトマトを見ながら心底嫌そうな顔をしている。
「じゃあシンディ、このトマトを食べられたら――」
俺は隣に座っているシンディの耳元で囁く。
「えぇっ! ほんとう!?」
「ああ」
トマトを食べられたら、一回だけシンディのお願いを何でもしてあげる。
これがシンディの耳元で囁いた内容だ。
俺の言葉を聞いたシンディは、目を輝かせて食いついてきた。
「たべたら、わたしのお願いを何でもしてくれるんだね!」
「一回だけな」
「んっ……おいしい!」
えっ?
「もう食べたのか?」
「うんっ! おいしかったよ!」
少し目を離した隙に、シンディはトマトを食べ終えていた。
さっきまで嫌いだって言っていたのに美味しいとか言ってるし……。
「わたしのお願い、何でもしてくれるって言ったよね!」
「あ、あぁ……」
グイッと顔を近づけながら、シンディが俺のことを捲し立てる。
「じゃあねぇ……。わたしとけっこんして!」
シンディがキラキラとした瞳を俺に向ける。
「いや、それは……」
「何でもするって言った!」
言いよどんでいると、シンディが涙目になりながら抗議してきた。
「おかーさまも聞いてたよね?」
「ええ。聞いてたわよ。ルナ、何でもするって言ってたじゃない」
母様にも責められ、もはや八方塞がりだ。
まさかシンディがこんなお願いをしてくるなんて思っていなかった。
「ですが母様。兄妹は結婚してはいけない、ということはないのですか?」
「えっ? 兄妹でも結婚してもいいんだよ」
なんてこった……。
この世界では近親者との結婚は何の問題もないのか。
「……シンディはまだ小さいだろ? だから、シンディが十歳になってもこのことを覚えていたら結婚してあげよう」
考えても逃げ道が見つからず、俺は結局こう返すしかなかった。
何も考えずに発言したさっきの自分を殴り飛ばしたい。
「今日はめでたいわね! そうだ。ショーンにもこのことを話してあげないと!」
やめてください母様。
シンディが忘れていたらこの話は無くなるわけですよ?
それなのに外堀埋めないでください。
そんな俺の思いは届かず、母様は父様の執務室に転移していった。
「やったー!」
シンディは隣で大喜びしている。
こんな俺のどこがいいんだ?
食事を終えた俺とシンディは、勉強をするために書斎へ向かっていた。
俺は今、シンディと腕を組んで歩いている。
「あれ? ルナ様、シンディ様、今日は一段と距離が近いですね」
豪華な装飾が施された廊下を歩いていると、中庭から声をかけられた。
「アミ―か」
今や俺専属メイドまで上り詰めたアミーが、中庭から小走りでやってくる。
アミーはこの五年で、身体的にも精神的にも大きな成長を遂げた。
シンディが産まれ、リーラがシンディの世話役になったため、俺専属メイドの座が空いた。
専属メイドの定員は一人。
その座をめぐり、城で働いているメイド達の競争が始まった。
新人から古参のメイド、数多くのメイド達が争う。
アミーはその競争に勝ったのだ。
並み居るメイド達を押しのけて、俺専属メイドの座を見事に勝ち取った。
ものすごい快挙だ。
「どうかされましたか?」
過去のアミーの姿を思い出していると、いつの間にかアミーが目の前まで来ていた。
「いや、アミーもこの五年で変わったと思ってな」
「そうですね……確かに胸は大きくなりました」
いや、そうじゃない。
確かにアミーは十歳とは思えないくらいの胸をお持ちだが、そうじゃない。
「いえ、冗談ですよ」
そんな俺の気持ちが伝わったのか、アミーがさらっと謝罪する。
「胸なんて、おにーさまには関係ないの!」
俺達の会話を黙って聞いていたシンディが、薄っぺらい胸を張りながら俺の前に出る。
「シンディ様、殿方は大きい胸が好きなのですよ」
「おい……」
四歳の妹にそんな話はしないでほしい。
「そ、そんな……」
アミーの言葉を聞いたシンディは、ぺったんこの胸に手を当てながら、絶望の表情を浮かべている。
「でもおにーさまは、胸がないわたしともけっこんしてくれるもん!」
アミーの目の前で、シンディが爆弾を投下した。
「…………」
ものすごいジト目で、アミーが俺のことを見てくる。
「……本当なのですか?」
「あ、あぁ……」
圧力を感じながらも、俺は答える。
「……わかりました」
その言葉を残して、アミーはどこかに去っていった。
去り際のアミーは、何かを決意したような表情をしていた。




