無詠唱の習得
数日後。
俺は着替えと朝食を済ませ、母様のいるアトリエへ向かっていた。
母様の趣味は絵を描くことだ。
メイド達曰く、母様の描く絵は城に仕える絵描きが舌を巻くほど上手いという。
そんな母様に、「ルナも一緒にどう?」と誘われたのだ。
俺は髪を生まれ変わってから切ったことがなく、腰のあたりまで伸びている。
母様には夜、俺が風呂に入った後に母様の寝室で髪を梳いてもらっている。
自分で梳くこともできるのだが、母様が髪を梳いてくれている間は幸福を感じることができるのだ。
こんな感じでスキンシップは十分にとっているのだが、このように母様が俺を何かに誘ってくることは珍しい。
「主様、歩くのが遅いです」
俺の肩に留まっているセレネが文句を言ってくる。
こいつ、黙ってさえいればかわいいのに……。
召喚を終えた翌日の夜から今日の朝にかけて分かったことが一つある。
セレネが毒舌だということだ。
可愛らしい姿とは裏腹に、内面は真っ黒。
見た目で物事を判断してはいけないということを、痛いほど理解した。
「歩幅が小さいんだ。我慢してくれ」
取り敢えず謝っておく。
まだ短い付き合いだが、ここで言い返すと後々面倒になるのはわかっている。
なにが面倒かというと、一旦言い合いが終わってすっかり俺が忘れた頃にまたグチグチ言ってくるのだ。
「仕方がありませんね。早く大きくなってください」
「善処するよ」
なんだかんだ、セレネを召喚してから退屈しない。
常に傍らに話し相手がいるっていうのはいいものだ。
アトリエの前まで来て、扉を二回ノックする。
「入っていいわよ~」
母様の吞気な声が聞こえる。
俺は「失礼します」と言って、扉を開ける。
アトリエの中は、美しい海の絵や、サンゴ礁など海の中の絵。
キャンバスや絵の具といったものが沢山置いてあり、部屋の中心には大きな画布とにらめっこしている母様の姿があった。
「ルナ、こっちに来てくれない?」
母様に呼ばれ、置かれている物に触れないように部屋の中心に向かう。
途中、大きなタコの絵が目に入った。
だが、そのタコの絵は酷く禍々しい。
「……クラーケン?」
「よくわかったわね。これは私が倒したクラーケンよ」
横を向くと、母様がいつも通りの優しい笑みを浮かべて立っていた。
足音とか全く聞こえなかったんだが……。
っていうか、
「母様が倒した?」
聞き間違いじゃないよな?
「まだ私がショーンと出会う前にね。喧嘩売ってきたから倒しちゃった!」
昔の母様……何してんだ?
喧嘩売られたから倒しちゃったって、どう見てもそんなノリで倒せるような魔物じゃないでしょ……。
「す、凄いですね……」
「ルナもすぐ倒せるようになるよ」
いや、無理だろ。
絵から物凄い凶暴な雰囲気が伝わってくるんだけど。
「……頑張ります」
「じゃあ、こっち来て」
母様に手を引かれ、俺は部屋の奥の方に進んでいく。
奥には、母様がにらめっこしていたサイズの画布と、様々な色の絵の具が用意されていた。
「よし、じゃあ描いてみよっか」
……何を?
いきなり「じゃあ描いてみよっか」って言われても、何を描けばいいのかわからない。
そんな俺の気持ちが伝わったのか、母様が何を描くのか教えてくれる。
「あっ。これだけじゃわからないか。ルナには今から魔法を描いてもらうよ」
魔法を描く?
「魔法っていうのはイメージが大事なの。ルナも知ってるよね?」
もちろん知っている。
リーラに嫌というほど言われたことだ。
「でも、そのイメージが固まらない人が多すぎるんだよ。だから私はこうしてイメージする力を強くしてる」
そう言って母様は筆を持つと、凄まじい速さで画布に何かを描いていく。
数分後、画布の中には水で形成されたような槍が描かれていた。
「これがなんだかわかる?」
「水魔法のウォーターランスですよね?」
画布には水魔法のウォーターランスが描かれえている。
今にも飛び出してきそうな瑞々しさ、躍動感だ。
この魔法は、セドナが俺にぶっ放してきた魔法でもある。
「正解。イメージの力が強ければ、詠唱しなくても瞬時に魔法を使えるようになるの。無詠唱ってやつだね」
母様は俺に無詠唱を教えてくれようとしているのか。
それにしても、イメージの力を高めるために絵を描く……か。
なるほど。
実に理にかなっている。
人は頭の中では物事をイメージできた気になっているが、実際はそうではない。
いざそのイメージした気になっているものを紙に描いてくださいと言われ、描いてみると全く違うものが描かれていたりする。
それはこの世界でも一緒なのだろう。
だから無詠唱を使える者が少ない。
絵を描いて、イメージする力……想像力を高める。
素晴らしい考えだ。
「だからルナにも私と一緒に絵を描いてほしいの。やっておいて損はないと思うわよ?」
「断る理由がありません。よろしくお願いします」
「私、火魔法は使えないから、火魔法のことはショーン聞いてね」
父様は確か……“炎帝”という異名を持っていた。
中二病の奴が考えるような恥ずかしい異名だ。
だが、炎帝という異名で呼ばれるくらい、父様は火魔法を扱う者として高みにいるということなのだろう。
「わかりました」
「じゃあ最初は地魔法のアースウォールを描いてみようか」
俺は母様が出したお題のアースウォールを画布に描いていく。
不思議なことに、俺の手はスイスイと動く。
最初から、それがどんなものか知っているかのように描けるのだ。
「凄い……」
母様が感嘆の声を漏らす。
一分も経たぬうちに、俺はアースウォールを描き終えた。
画布の中に描かれたアースウォールからは、どっしりとした存在感がしっかり伝わってくる。
さながら、本当にそこにあるかのような重厚感だ。
我ながらよく描けていると思う。
「ルナ……」
隣にいる母様が俺に声をかける。
「……どうですか?」
俺は上手く描けたと思うが……。
「私が教えることはもうないわ」
母様の唐突な発言に、俺は開けた口を閉じることができなかった。




