長崎
少女は小高い丘の上で、果てしなく広がる海原を、食い入るように見つめていた。
沖合から繰り返し押し寄せる波は単調で、耳慣れた音ばかりであったが、退屈することがなかった。
ただ、ときおり海鳥が目の前を横切り、突風が小柄な身体を襲う。
晴れている時は陽が海面を照らし目映いばかりの光景だが、雲に覆われ見通しの悪い時もあるし、雨や嵐の日もある。
それでも少女はこの場所を気に入っていた。なぜだかその理由はわからないし、考えたこともない。景色に見惚れていたわけでもない。疲れを癒しに来るわけでもない。ただ、この場所にいると何かが見つかりそうな気がする。そして、ただなんとなく心が満たされていく。
いつまでもこのままでいたい。けれどもそろそろ行かなくてはいけない。もう時間がきたようだ。
少女は名残惜しそうに来た道を戻り始める。
何度も何度も振り返りながら、ゆっくりとした足取りで歩いていく。
*
坪井数馬は息を弾ませ日頃通っている学問所の玄関に駆け込んだ。
そして戸口で荒い呼吸を整え、大きな声で師匠を呼んだ。
「先生、ただいま戻りました」
奥の座敷からすぐに声が返り、足音が耳に届く。そして、障子が開くと同時に笑みを浮かべた三十年配の男性が現れた。
「それで、どうだった数馬。まあ、その様子ではいい報告に思えるが」
「はい、おかげさまで正式に中老様からご下命がありました。長崎の伝習所に参り学問を習得するようにと」
師匠の顔を見て興奮気味に答えた。
「そうか、それは良かった。まあ、そこではなんだ。座敷で詳しく聞こう」
「はい、それでは失礼します」
数馬は師匠に促され床に上がり後に続いた。
学問所は織部一之進が教えていたが、生徒は主に藩の武士階層の年少者が対象であった。
ただ、一之進の意向と藩の方針もあり、出来るだけ優れた人材を発掘するため、町民や農民にも門戸が開かれていた。
一之進は、もうすでに故人となった前任の儒者から学問所を引き継いだのだが、学識が豊かで国内外の情勢にも通じており、藩の上層部からも信頼されていた。この時期、黒船来航、幕府の開国への転換から数年が経ち、諸藩は否応なく世情の変化に対応しなければならなくなった。
一之進は以前に私費ではあったが、長崎に数年間留学し蘭学も含め、様々な分野の学問を学んだ経験を持ち、新時代の教育者として適任であった。
そして、年少者への熱心な講義のかたわら、小藩ではあったが藩費での長崎への数名の留学を上層部に働きかけていたのである。
その結果、ようやく藩も2名の派遣を決定するに至った。内一人は家老の息子でいわゆる身分選考であったが、もう一人は一之進が推薦した坪井数馬に決まった。
数馬は下層武士の子息ではあったが、学問所に通う若者の中では、最も優秀でしかも一之進が一番買っている生徒であった。そして、この日、数馬は城中に呼び出され、長崎留学を伝えられた後、真っ先に師である一之進に報告に来たのであった。
「それで、いつ出発することになった?」
「はい、伝習所の新規生の受け入れが二月先なので、それまでには現地に赴いていなければなりません」
「そうか、あまり日がないな。すぐに準備に取り掛かる必要があろう」
「ただ、わからないことだらけで、ぜひ先生のお力添えをいただきたく存じます」
「もちろんだとも。私の知っている限りのことは全て伝えるとも、また、わからないことがあれば遠慮なく聞くがよい」
そのあと、一之進は留学の心得、留意する項目、注意事項等をかつての経験を思い出しながらひと通り語った。
さらに長崎の知人あてに紹介状を送ることも伝えた。一之進としても最も目をかけている弟子の留学に支障がないよう、便宜を図ってやりたかったのである。
この日は講義が休みということもあり、昼過ぎから夕刻近くまで二人の話は続いた。
そして、ようやく話し終えたと思われた頃に、一之進は不意にあることを切り出した。
「長崎に行っている間のいつでもいいんだが、実は数馬に頼みたいことがあるんだ」
「もちろん先生のご依頼ごとであれば、いの一番にやらせて頂きます。なんでもおっしゃってください」
「いやいや、むこうで落ち着いてからでいいんだ。ただ、このことは誰にも話さないでほしい」
「わかりました」
そして一之進は十年前の長崎での体験談を再び語り始めた。けれども、それまでとは違って言いにくそうに、顔をしかめながら説明していった。
*
徳川幕府は創設以来、対外的に鎖国政策をとっていた。それは異国人の入国を禁止すると同時に自国民の出国も厳重に取り締まった。もちろん他国との交易もご法度であった。
ただ、唯一、例外が設けられていた。幕府の中心地、江戸から遠く離れた長崎に限り、異国人との交流が許されていた。ただし、相手国は唐人(中国)と阿蘭陀人だけで、湾に面した入江の一角の港町に限られていた。
けれども、数こそ少ないが、不定期に入港してくる船舶は、外部世界の科学技術の進歩を裏付ける品々を乗せていたし、幕府下の人々が知り得なかった新しい文化をもたらした。
その狭い区域を出島と呼び、特定の国だけではあったが、国際交流が活発で異国情緒があふれ、進取の気性に富んだ人々や好学の士にとって魅力のある都市となった。
やがて時代が進むにつれ日本周辺の外国船の動きが活発となり、幕府に対する開国圧力が強くなっていく。
そしてとうとう嘉永・安政のペリーの二度にわたる来航で鎖国政策を放棄せざるを得なくなった。
さらに各国との和親条約が結ばれ長崎も含め国内数か所が開港されることとなる。また、長崎には、従来のオランダ商館が閉鎖される一方で、英語伝習所が開かれ、新たな大国との交流に対応するための人材確保に乗り出すこととなったのである。
*
坪井数馬は長崎に足を踏み入れた。そこは見るもの聞くもの全てが珍しく新鮮であった。
数日前に国元から出発したのだが、旅をすること自体が初めての経験であった。道中の景観、物産等、目に入ったものすべてに関心を惹いた。本来であればゆっくり鑑賞したかったが、開講の日が決まっており速足で歩かねばならなかった。
そして、目的地の長崎はそれまでとは違い、まるで別世界に来たように思えた。そこは、幕府が外国人との折衝や貿易専用に作った人工都市であった。従って、建物やあちこちに据え付けられた看板、造形物が異国風で一見よく判らないものも多かった。
幸い数馬は一之進から予備知識を得ていたおかげで、なんとか最初の訪問地に辿り着いた。港町の中心部から内陸側に離れた外町にある一軒の宿屋であった。一之進が以前に定宿していたところで既に紹介状も届いているはずであった。
「頼み申す!」
玄関で大きな声を張り上げ訪いを告げると、すぐに奥から年配の女房が顔を出した。
「ようお越しで、どちら様で?」
「坪井数馬と申す。確か知らせが届いていると思いまするが」
「ええ、ええ、聞いておりますとも。お前様、坪井様がお見えで」
女房が奥に声を掛けると、宿の主人と思われる初老の男が現れた。
「坪井様。お待ちしておりました。織部様より伺っております。さぞお疲れのことでしょう。ささ、お上がりなってくつろいでください」
「それでは失礼して」
数馬は会釈して荷を解き、上り口に腰掛け草鞋を脱ぐ。
すぐに女房が手桶をもってきて、数馬の足を拭う。
「かたじけない」
二人とも師から聞いていた通り、人が好さそうで安心した。
「どうぞこちらへ。お部屋は用意しております」
主人に案内され、清掃された部屋に入る。
そこで改めて自己紹介した。そして、簡単に長崎逗留の目的を説明したが、主人は一之進からの手紙であらまし知っているようであった。
数馬は二日程度この宿に宿泊するが、そのあとは研修者用の寮に入ることになっている。ただ、師からの忠告で、まとまった金子や大切な品物は信用できる人に預けた方が良いと言われ、この宿を紹介されたのだった。そのことも主人は承知していた。
「確かにお預かりしました。間違いのないようにさせて頂きます。必要であればいつでもおっしゃっていただいて結構です。最近はこの長崎も各地から多くの方々がお越しになりますが、盗難や騒動の数も増えております。用心に越したことはありませんからね」
師が言うには、この時期の長崎は、開国を機に虎視眈々と利権を増やそうとする者、風雲の志を抱く者にとっては格好の舞台で、人の出入りが頻繁になっているようであった。
そして、しばらく体を休めた後、伝習所に挨拶に行くため宿を出た。
物見しながら歩いている途中ですれ違う人たちの中にも、明らかに唐人と思われる容姿、衣服をまとった者もいる。また、町人に交じって武家や華やかな衣装の女人も通り過ぎる。国元からすると多種雑多な感がぬぐえなかった。
伝習所は港に近い内町にあった。町の中心部に位置し、奉行所や旧オランダ商館も近かった。
この時期は海軍伝習や医学伝習から引き継いだ科学技術全般の研修を行っており、オランダ人もいたが英人も顔をそろえているとのこと。
玄関は煉瓦作りで周囲は柵で囲ってあり、両側は広い庭があって樹木や花が植えられている。もちろん国元では見たことのない普請であった。
「ご免ください」
建物の門の前で何度か声を掛けてみると、正面の戸が開き年配の男性が顔を出した。
「拙者、このたびこちらで講義を受けることになりました坪井数馬と申す者。ご挨拶に参りました。お取次ぎをお願いしたい」
「私がこの伝習所の管理を任されているが」
「これは失礼しました。明後日の開講前にこちらと寮を見ておこうと存じまして」
「まあ、中に入るがよい」
そう言って管理人は数馬を建物の中に案内した。
もう建てられてからかなりの年月を経ており、著名な人々が学んだ伝統ある学舎を意識して、緊張した面持ちで後に従った。
廊下伝いに幾つか部屋があり、中規模の講義室に通された。
管理人が資料を取りに行っている間、室内を見学したが、正面には黒板があり、講師は一段高くなっている演壇で、部屋に置かれた椅子と机に座った受講者に講義すると思われる。藩の学問所で板間に正座して受講するのとは明らかに異なっている。師から話には聞いていたが、あらためて厳粛な雰囲気を想像した。
やがて、管理人が戻ってきて名簿に目を通し、そして言った。
「確か、貴藩からはお二人のはずだが」
「ええ、国元より別々の出発と相なりまして、拙者のほうが先に参りました」
家老の息子とは身分の違いで、同行ははばかられたし、気が進まなかった。相手は恐らく付き添いを従えての移動と思われる。
更にいくつかの質問があり、返事していると廊下から管理人に声が掛かった。
「ジョンストンご夫妻がお帰りになります」
そして戸口に三人の男女が顔を出した。
「これはこれは、いかがでしたかな。ご見学お済になりましたかな」
管理人は笑顔を浮かべて返事したが、数馬は二人の人物の容貌に釘づけとなった。
異国人だが明らかに街で見た唐人とは違っていた、二人とも上背があり、男性は口髭を蓄え鼻が高く眼は藍色であった。
更に驚いたのは女性で髪の毛は後で束ねてはいるが、純白で光沢があった。また、肌の色も白く、男性と同様に瞳は澄んだ水色を思わせた。また、身に着けている衣装も和服とは異なり、すっきりとしかもあでやかであった。
オランダ人のことも師から聞いてはいたが、初めて見た印象は強烈であった。かなりの年配者であろうと思われたが、二人は数馬の方を見て、愛想良く笑みを浮かべた。数馬はたじろぎながらも会釈で返した。
管理人が付添人と一緒に見送るために外に出て行ったが、しばらく二人の姿が数馬の目に焼き付いていた。ただ、後で知ることになるが、その夫妻は米国人で英語を教えるために長崎に来ていた。ただ、夫婦同伴は珍しいことであった。
数馬は伝習所を辞去したあと、寮に立ち寄り手続きを済ませた。
そして、辺りが暗くなる前に宿屋に戻った。
開講式には各藩から選ばれた受講生が集った。
参加者の紹介があったが、近隣の藩で多数の学生を送り込んでいるところもあった。
受講目的は皆さまざまであった。科学技術の知識を身につけたいと思う者、医術を志す者、異国語を学びたい、視野を広めたい、或は単に藩の命令で参加した武士もあった。
教授陣も顔ぶれが揃っていた。この時期低迷気味とはいえオランダの教官もいたが、英国や米国からも参加していた。
開国は米国のペリーによるものであったが、国内で南北戦争が勃発し、江戸幕府への働きかけは英仏が主体となっていた。以前に見かけたことのあるジョンストンも出席していたが、米国人で、日本人にとっては新たな言語である英語を教えるとのこと。もちろん、婦人の姿は見えなかった。
数馬は医学の知識習得を目指していた。
年少の時、父親が腹部に腫瘍ができ、その痛みにもがき苦しみながら亡くなった。何度か医者に診てもらったが当時の医療技術ではお手上げの状態であった。それを目の当たりにして、自分に治す力があれば歯痒い思いをしなくても済むはず、大人になったら医療知識を身に付けると心に誓った。
家は年の離れた兄が継いだ。数馬は次男で比較的自由の身で、剣の腕を磨くより、学問知識を習得することを好んだ。また、伝聞で蘭医が今まで難病と言われた症状も治療した例があることを知った。
そして懸命に勉強し、機会があれば医の道に進む方法を探った。数馬が入校した学問所は幸い師の織部一之進が長崎への留学経験があり、蘭学にも詳しかった。学問所では同年代の首席を通したが、一方で師からオランダ語の手ほどきを受けた。そして人一倍の努力が実り、今回の留学生に選ばれたのである。
次の日からさっそく講義を受けた。数馬が受けた科目は物理、化学、生理学等々、化学技術、医学全般にわたるもので、覚えることは山ほどあった。
日本人講師もいたが、オランダ語による授業が主となり、また、近年重要性を増している英語の授業もあって、理解するのにかなりの努力を要した。
この時期、西洋式病院である養生所も完成しており、実習も行われた。数馬にとっては伝習所で目いっぱいの時間割をこなし、寮に戻ってからも復習に励む、相当厳しい日課となった。
参加者の一部には早々に落伍する者もみられた。
*
やがて、一連の講義と新しい環境に慣れた頃、休日に数馬は師の一之進からの依頼を果たすため、朝早く寮を抜け出した。行先は山側に位置する歓楽街であった。道々、その内容を思い返していたが、数馬にとっては少々厄介なものであった。
十年程前、師の織部一之進は自費で長崎に逗留し、最新の学術文芸を学んでいた。
一之進は秀才で国元ではもはや学ぶべきことがなく、親族や親しい知人等の支援を得て、海外からの情報が集まり、過去の著名な遊学者が学んだ長崎を目指したのだった。
もちろん熱心に勉学に励み、日々研鑚を積み重ねていったが、ある時親しくなった遊学仲間から夜間に賑わう遊郭の探索に誘われた。さすがに連日の頭脳集中の疲れで、息抜きも必要だと考えたのと、関心もあったため同行した。
一同、居酒屋で軽く飲んだ後、花街の料亭でそれぞれ遊女に引き合わされた。一之進の相手の娘の名前は小菊と言った。
一之進はもちろん初めての経験で大変緊張したが、相手がかなりの年下で、純真な性格、しかも長崎港から遠く離れた農家の出身とわかり、打ち解けるにはそう時間は掛からなかった。また、そこそこ器量が良く、地域や身分の違いこそあれ、お互い在所の出で親しみを持った。
その後、何度か通い親密度を増し、示し合わせて店の外でも会うようになった。
ところが幾月か過ぎて、小菊から身籠ったと打ち明けられた。一之進の子に間違いないと言う。一之進は動揺したが、根が真面目な性格であるため、責任を持って面倒みると約束し出産してくれるよう励ました。
小菊は喜んだ。初めての子で産むことを望んでいたのだ。
けれども思わぬことが一之進の身に振りかかった。父親が心の発作で急死したため、大至急帰るよう国元から連絡が入った。一之進は長男で家督を継ぐ立場にあった。小菊のことが気がかりであったが、どうしても帰らなければならなかった。
小菊には必ず戻って来ると伝え、更に便りを寄越すよう言って長崎を離れた。もし子供が無事に生まれたならば、場合によっては妻子ともども国元に呼び寄せることも考えた。
ところが、その後小菊からの便りはなかった。一之進からも文をしたためたが、やはり返信はなかった。
もしかしたら、子は流れたのかもしれない。或は他の事情で現況をしらせることが出来ないのかもしれない。かといって、家長となり、勤めのある一之進が再び長崎に行くことは不可能となってしまった。
そして、歳月が過ぎ、長崎留学の決まった子弟の数馬に長年の望みを託すこととなった。
「若気の至りで小菊に辛い思いをさせてしまい、おまけに、その後約束を果たせていないことが心のしこりとなってしまってな。このような頼みをすることになって、数馬には相すまぬと思っている」
もちろん数馬は二つ返事で引き受けた。
尊敬する師から秘密を打ち明けられ、信頼されている証と嬉しく思った。
また、一方で師が周りからの縁談を断り続け、いまだに独り身の理由が分かった気がした。
「頼み申す!」
数馬は師から聞いていた料亭の玄関先で、訪いを告げた。
派手な看板の真下にある引き戸は、客寄せのためか開いていた。
何度か呼びかけると、奥から年寄女が顔を出した。
「なんだい若いの、まだ遊ぶには早いよ、夜に来ておくれ」
どうやら遊客と間違えられているようだ。
数馬は慌てて誤解を解く。
「い、いや、そうじゃなくて、人探しをしておる」
「誰だね?」
「ええ、小菊という名の女で、この店に勤めていると聞いているんだが」
「小菊?さて、そのような名のおなごはここにはおらんね」
師が通っていたのは随分昔で、もはやいないのも無理はないと思った。
「ああ、知り合いが十年ほど前に会っていた女だ。確か農家の出身で、もしかしたら子を産んだかもしれん」
年寄女は少し考え込み、やがて思い出したようでうなずいた。
「そうそう、小菊、いたいた、もうかなり前のことだわ。ややこを産むって言うんで、しばらく店を離れ、また出戻りしてきた娘だったな。まだ年季も中途で主は渋い顔をしてたわ」
数馬は俄然元気が蘇った。
「そのおなごだ。今どこに?それと子は?」
「もうとっくに年季終えて辞めとる。それにあまり年とるとこの仕事も厳しいからな。それとややこのことは何も言わんかったな。事情があったのかもしれん」
「それでは在所に帰ったのかもしれぬな」
「いや、この前、東のお茶屋で見かけたって誰か言ってたな」
その一言で光明が見えだした。とにかく今も健在のようである。
数馬はその場所を聞き、礼を言って辞去した。ただその際、年寄女から今度は夜に来てくれるようにと熱心に誘われた。
お茶屋街に向かいながら、道々数馬は考えた。小菊は子のことを触れたがらなかったようだ。もしかしたら流れたのかもしれない。それが、師に便りを書かなかった理由かもしれない。
そして、一刻後、教えてもらったお茶屋を尋ねた。ところが首尾は芳しいものではなかった。小菊という名前自体が変わっているようで心当たりがないようだった。
また、近くにも似たような茶屋があり、別の店なのかもしれなかった。また数馬自身、師から聞いた以上の詳しい知識の持ち合わせがなく、何軒か当たったが徒労に終わった。
数馬がすっかり意気消沈して歩いていると、後から呼びかける者があった。
「もし、お侍さん」
振り返ると、先ほど立ち寄った茶屋の給仕の女であった。
「先ほど小耳に挟んだんですがね。小菊というのは姉さんの以前の源氏名だと聞いたことがあって」
数馬は小躍りして相槌を打った。
「御手前の言う通り、遊郭での呼び名であったと察するが、今どこに?」
「それがねえ・・」
どうも言い憎くそうである。
数馬は小銭を握らせ話すように仕向けた。
「頼む、どうしても会わねばならんのだ」
「いえ、そういうわけじゃあないんだけど」
と言いながらも小銭を懐にしまい、話を続けた。
「姉さん、体を悪くしてねえ。寺町の養生所に入ってからかなり日が経つんよ。どうも心配で、心配で」
その顔は本当に気の毒そうであった。色々話を聞いたところ、どうやらその女が小菊に間違いなさそうであった。そして、今の名を確かめて、養生所に向かった。
*
そこは養生所とはいえ、寺の一郭に小屋が立てられ、病に罹った人々が収容されていた。
そこで面倒診ている介護人に尋ねると、かなり重病でしかも、身寄りのない者、事情があって家族には頼れない者が入っていると言う。
小菊の今の名を伝えると、確かに入っていると言う。但し、労咳が深耕しており、もう先は長くないとのこと。
知り合いなので、どうしても会いたいと頼みこむと、あまり近づきすぎないよう釘を刺され案内された。
中に入るやいなやその有様に茫然としてしまった。部屋一面に寝かされた人々に生気がなく、さらに、病人独特の臭気が強烈で、あちこちで咳や唸り声が聞こえる。
そして踏みつけないようゆっくり進み、小菊と思われる女の枕もとで座った。
しかし、女は布掛けから覗いた顔の頬がげっそりとこけて、目の下が黒くむくんでいた。
父親の病死に立ち会った経験のある数馬にとって、この女はもう長くもたないだろうと確信した。ましてや、師が行き来していた頃の面影はもはやないに等しいだろう。
だからと言ってこのまま引き返すわけにはいかなかった。
数馬は不安な気持ちを押し殺して、目を閉じた女に呼びかけた。
「小菊殿、小菊殿」
何度か以前の名で呼びかけると、うっすらと目を開けた。
「小菊殿、拙者がわかりますか?」
女は数馬の方に顔を向けか細い声を出した。
「誰?」
「拙者は坪井数馬と申す者。師の織部一之進様から頼まれ申して小菊殿に会いに参った」
「織部・・一之進・・」
「もう十年程前、小菊殿と遊郭のお店で親しくなったと申されておったが」
小菊の顔がわずかに揺れた。
思い出したようだ。
「ああ、一之進様・・懐かしいこと」
「思い出されたか。今日参ったのは、国元で師の織部様からの言付けを伝えたかったからでござる」
そして数馬は師から聞いた内容をゆっくりと語った。
留学時代の遊郭での小菊との出会い。そして親交を深め小菊が身籠った経緯。師の父親の急死により国元に戻らねばならなかったことと、その際の二人の約束事。そして年を経ていまだに音沙汰がないことへのこだわりと後悔。そして、今回、数馬が長崎に行くことになり、安否確認を依頼されたこと、償い金を預かったこと等を包み隠さず伝えた。
話の途中で小菊の目尻から涙が零れ落ちた。わずかに頬が緩み言った。
「あたしのことそんなに・・嬉しい・・」
その様子を数馬も見守る以外なかった。
「今まで生きていて良かった・・でもそんな女じゃない・・」
数馬は、小菊が自分の生業を恥じて言っていると解した。
そして次に大切なことを尋ねた。
「それで、お子はどうなされた?」
一瞬、小菊はためらったように見えたが、かろうじて言った。
「おなごを産んだ・・なみ・・て名前・・一之進様には悪いこと・・してしまった」
「今、どこに?」
「ああ、おっとうが・・里に連れてった・・」
そして少し考え数馬にすがるような目つきで頼み込んだ。
「お願い・・お願いがある・・」
「ああ、なんでも言うがよい」
「里に行って・・あたしがだめなこと・・伝えて・・なみをよろしくと・・」
もちろん数馬は承諾した。一之進の子に会って確かめる必要があった。
その後、時間をかけてなんとか在所を聞き取った。どうやら、長崎の端で海が臨める農家のようだ。
「あたしは・・丘から海が見るのが・・好きだった・・」
そして最後の一言は、
「一之進様の・・子を・・産みたかった・・」
もはやそれが限界であった。小菊は瞳を閉じ夢の中に引き込まれていったようだ。
数馬はしばらくそこにいたが、小菊がもう何日ももたないことは一目瞭然であった。
また、小屋に寝かされている他の病人も似たような状態で、あらためて今の自分が無力であることを痛感した。
養生所の帰り道、とにかく早く病を治せる医師になろうと心に決めた。
*
それからの数馬は今まで以上に、受講中も、寮に戻ってからも寸暇を惜しみ勉学に励んだ。国元でも知見を深めるためには人一倍の努力を積み重ね首席を目指したこともあって、各地から有能な人材が集った伝習所での学業はいい刺激となった。
一方で自藩の家老の息子のように物見気分で参加した者や、この時期、佐幕か勤皇かで揺れ動いている藩から参加した者も国元が気になり、去っていく受講生も現れた。
また、仲間からお茶屋への同行や遊興に誘われても断った。ただひたすら自らの志を第一義として、付き合いが悪いと揶揄されても気にしなかった。
やがて、休日となって小菊の里に向かうことになった。
途中、養生所に立ち寄ったが、すでに小菊は亡くなっていた。介護人の話では、数馬が帰ってすぐに息を引き取ったと言う。
まるで数馬が来るのを待っていたかのような死に様だったとか。
おそらく師の一之進様の温情に接し胸のつかえが下りたことだろう。間に合って良かったと思った。
埋葬墓地に立ち寄り、弔った後、長崎港の郊外に向けて歩き始めた。
数馬の足で、二日くらいの道のりと言っていた。ただ、日数は限られており、出来るだけ速足で進んだ。
海岸沿いの道中はなかなか景色が見応えがあった。山路も峠をいくつか越えなければいけなかったが、国元から長崎までの道のりからすれば、たいして苦にはならなかった。
途中、茶店で何度か休憩し、山寺のお堂で一泊させてもらったが、もう次の日には小菊の生まれた在所に入っていた。
*
農道の木陰で疲れを癒していると、一人の水桶を手にした娘が通りかかった。
数馬は声を掛けようかと思ったが、その容姿を見て驚いてしまった。薄汚れた着衣からのぞく手足は極端に細く、骨が浮き出ているように思えた。また、髪の毛が白く、頬がこけ、瞳も薄く濁っており病人のようであった。
その時、林付近で遊んでいた童が数人、娘に駆け寄り一斉に声を張り上げた。
「はんぱもーん!やーい、やーい」
「はんぱもん、はんぱもん!」
どうやら、ひやかしているようである。
それに対して娘は童たちを見向きもせず、通り過ぎてゆく。
童たちの声はある程度離れるまで続いた。
数馬は諌めようと思ったものの、こらえて、童たちを呼び止め、小菊の生家を尋ねた。すると、童たちはお互い顔を見合わせたが、その内の一人が指を差した。それは先ほどの娘が歩き去る方向であった。
数馬は礼を言って後を追ったが、途中で見失ってしまった。
けれども、小菊が言っていたように海の側に樹木が立そびえ、その手前に位置する農家は数件しかなかった。いずれも何度も板木が張り合わされた粗末な建屋であったが、最初の農家に当たるとすぐにわかった。そして、いよいよ師の娘に会えると思いながら、教えられた建屋に向かうと、女の叱る声が聞こえてきた。数馬が近寄っていくと、中から先ほど見た娘が籠を抱えて飛び出してきた。
そして、数馬とすれ違い再び農道を歩いていく。
「ほんに役立たずだわさあ」
家屋から年増女も顔を出した。そして数馬を疑わしげに見た。
「ああ、けっして怪しい者ではない。拙者は坪井数馬と申す。長崎から来申した」
「どんなご用で?」
「こちらが小菊殿の実家でござるか」
「小菊というと?」
「長崎のご奉公先での名が小菊と申された」
「もしか、ふみさあのことか、もう何年も出て行ったきりだわ」
どうやら、ふみが元の名のようだ。
「そう、そのふみと言う女人に頼まれ申した」
すると、女は慌てて建屋の中に向かって亭主を呼んだ。
ほどなくして、中年の農夫が現れた。女房が数馬のことを伝えると、
「ふみはあっしの妹なんだが、なにかあったのですかい?」
「ああ、そのふみ殿が亡くなり申してな、伝えに参った」
それを聞くと夫婦はお互い顔を見合わした。すぐに亭主は幾分困惑顔で数馬に言った。
「それはわざわざ、礼を言いますだ。ああ、ここではなんだ、狭いとこだけえ、中に入ってくだせえ」
案内されて中に入ると板の間があり、囲炉裏や家具が置かれ、子供たちが数人集まっている。
女房が外で遊んでくるように言うと、皆立ち上がり出ていった。娘もいたが、年恰好から小菊の子ではないように思える。
土間で女房に足をすすいでもらい、板間に上がった。
そして、早速二人に小菊が亡くなった経緯を話した。
とはいってもお茶屋で仕事をしている途中で病に倒れ、養生所に入ったが回復せずに亡くなったということ以外知らなかった。
また、自らのことについては、養生所で親しくなり、いまわの際に家族に知らせてくれるよう頼まれたことを語った。
「確かてて親がおられると聞き申したが」
「ああ、おっとうは二年前に亡くなっただ」
どうやら父親がときおり長崎に小菊の様子を見に行ったようだ。
その父親が亡くなってからは、農作業に追われて誰も行けなくなったようで、小菊の消息もつかめなくなった。
一応悲しみを装ってはいるが、何年も会ってない妹にはさほどの感慨はなさそうである。
「それと、小菊殿いや、ふみ殿のお子がおられると伺ったのだが。確かなみと言っておったが」
その問いに亭主は気まり悪そうに答えた。
「ええ、おりますだ、先ほどかかあが使いに行かしたのがそうですら」
「え、あの娘子が?髪の毛が白くて顔色も悪かったが、病気でも患っているのかのう」
「もしや旦那様、なみのことをご存じないのじゃあ」
数馬が娘の名と父親が連れ帰ったことしか聞いてないと答えると、亭主はなみについて話し始めた
。十年前に小菊が生んだ赤子は異人の血が混じっていた。様子を見に行った父親が小菊から、里でしばらく育ててほしいと頼まれ、連れ帰ったそうである。
もちろん、その間の掛かりは働いて仕送りするし、いずれは引き取ると言う。確かに父親が行き来できる間は金子や品物が届けられたが、亡くなってからはばったり途絶えたという。
数馬は大変な誤解をしていたことを知った。
そして小菊の当時の状況を想像してみた。小菊は自分が生んだ子が師、一之進様の子でないことを知った。恐らく衝撃を抱いたであろう。
結果として、師を裏切ったことを恥じて便りを出せなくなってしまった。ただ、ご奉公は続ける必要があり、赤子の面倒を親元に頼った。
小菊が最後に言った言葉が頭をよぎる。
『そんな女じゃない』『一之進様の子を産みたかった』
今から思えばその意味がはっきりわかり、辻褄が合った。
また、農道で童たちが、『はんぱもん』と呼んでいたことも合点がいった。
その後、夫婦は、小菊からの預かりものがないと知ると落胆したようであった。おそらく小菊は自らの病のため、蓄えも使い果たしたのであろう。
そして、日も暮れたため、一泊させてもらうことになったが、戻ってきたなみをあらためて見て、髪の色も瞳の色も異人の血が混じっていることを確信した。
また、夫婦が他の子と差をつけて扱っていることは明らかであった。夕食もなみは量が少なく、陰気でほとんど喋らず寝所に入ってしまった。
数馬も早めに横になり、朝早く発つつもりであった。ただ、なみのことが気になった。師のお子でないことがわかった以上、知らせても意味がない。ただ、このままここで育つものかどうか。どうもこの家族も村人ものけ者にしているように思えてならなかった。
しばらくして厠に行きたくなり寝床から起き上った。そろそろ歩いていくと、奥の部屋から夫婦の話声が聞こえてきた。
「あんたあ、ふみさ死んでもってどうするだあ、なみのこっつ」
「どうもこおもないべ、死んじまったこたあ、どおしようもないべ」
「もうこれで仕送りもなし、なみの面相ではご奉公のあてもねえし、ここに置いててもいいことないべ、いっそのこつ」
「めったなこと口にするじゃあなか」
「じゃあ、どおするね?」
「今までどおりでよか。何もするでねえ」
「んじゃあ、食わさんで死んじまってもしょおがないってかあ、おっとう」
「し!声が高い、まあ、そおいうこった。なるようにしかならんて、もう寝よ」
数馬は思わず怒鳴りたくなった。だがかろうじて堪えた。
数馬にしても貧しい農家の現状は知っていた。米や作物の収穫が少なく、家族を養っていけない時は、我が子を町屋や武家屋敷に奉公に出したり、娘をいわゆる女衒に身売りして食いつないでいく姿はどこにでもみられた。
また、食い扶持を減らすため、間引く農家もあると聞く。ましてやなみはここの夫婦の子ではなく、厄介者でしかなかった。
数馬は用を足した後、再び横になったが目が冴えてしばらく眠れなかった。なみが痩せ細っている理由は明らかであった。ろくに物を食わせてもらっていないようで、栄養失調に間違いなかった。
先ほどの夫婦の会話では、今後も続くだろう。このままでは、なみは飢え死にしてしまう。かといって二人を責めても無駄であろう。作物も凶作続きで、暮らし向きに余裕はなさそうである。
見て見ぬふりをしてここを去るべきか。恩師であればどうするだろうかと考えてみた。確かに師の子でないことは、はっきりした。ただ、信を重んじ、情の篤い人柄からすればこのまま見過ごしにはされないだろう。小菊殿の件でもそれは明らかであった。
どうやら結論は出てしまっていた。あれこれ考えうつらうつらしている間に夜が明けてしまった。
*
起き上ると同時に夫婦に申し出た。
なみを引き取って行くと。一応、長崎に呼ぶことが亡くなった小菊の遺志であることを伝えた。夫婦は驚いてしまったが、渡りに船でもあった。ためらうふりをしたものの、すぐに承諾してしまった。
そうなれば現金なもので、控えめながらもこれまでの扶養料の申し入れがあった。
数馬はあきれてしまった。なみに対する仕打ちを考えれば、とても言い出せることではないと思ったが、今日まで育ててくれたことも事実で、ここはこらえて師から預かった金子の一部を手渡した。
夫婦はおおいに喜び、長崎までの道中の手弁当も作ってもらうことになった。
なみはすでに家屋を出てしまっていた。毎日、陽が昇る前に起き、樹林を通って海が臨める丘に行っているようだ。そして朝食前に戻って来るそうである。
もっとも何を食べさせてもらっているのか気にはなったが、急いで旅装を整え丘に向かった。
樹木が生い茂った小道を進むと、すぐに視界が開け海の見渡せる丘陵に出た。
なみは岩場に腰掛け、ひたすら海の彼方をながめている。
数馬は静かに近づき声を掛けた。
「なみの母者も海を見るのが好きだと言ってたな」
なみはびっくりした様子で振り向き数馬を見上げた。その瞳の色は長崎で見た異人と同じく藍色であった。なみは立ち上がり、
「もう行かんと」
と言いながら戻ろうとした。数馬は引き留めそして言った。
「なみはこれから拙者と長崎に行くことになった」
なみは不思議そうに数馬を見た。
「長崎?」
「そう、あの海の向こう側だ。なみの本当の母者が住んでいたところだ。今の父親も母親もいいと言っておる」
なみはその意味を理解しようと思いを巡らせている。
「それとも今の家に戻りたいか?」
なみは少し考えた後、顔を左右に振った。
「よし、それならこのまま行くとしようか。持ち物など特にないと聞いたのでな。ただ朝飯はまだであろう。これを食べるがよい」
と言いながら荷袋から握り飯を一つ取り出し、なみの手に握らせた。
けれども見ているだけで口にしようとしない。
「どうした、食べないのか?」
なみは数馬を見上げて答えた。
「はんぱもんは白飯を食ってはいけんて言われておる」
数馬は唖然としてしまった。ではいったい何を食べさせてもらっていたのか。それでは痩せ細って当然で、あらためて一家のなみに対する虐待を知らされてしまった。
「今日から拙者がなみの面倒をみることになったのだ。遠慮なく食べるがよい」
数馬がきっぱり言い聞かすと、なみはゆっくりと握り飯に口をつけた。
どうやら食べ慣れてないようで時間がかかり、途中何度もむせて飲み水を与えた。
数馬は医学講習で飢えた者には急に量を与えないほうがよいと習っていた。
「今はそれくらいにするがよい。残りの握り飯もなみの分だ。長崎までの間に食べるがよかろう。ではここを出ようか」
残りの分をしまいながらなみを促したが、大事なことに気が付いた。なみの足に歩調を合わすと長崎までに倍の時間が掛かってしまい、次の講義に間に合いそうもない。
「少し急いでおる。拙者の背に捕まるがよい」
数馬はなみをおぶるため背を向けた。ところが突っ立ったままでどうしていいかわからないようだった。おそらくおぶってもらった記憶がないのであろう。
数馬はなみを引き寄せて背中にかつぎあげた。ところが、思っていた以上に軽かった。歩行は楽ではあったが、ろくに食べ物を与えず飢餓状態にした大人に憤りを覚えた。
なみは勝手が違い戸惑っている様子だったが、次第に慣れて身を委ねるようになっていった。
ところが、農道を進んでいくと遊んでいた童たちが二人を目にした。そして、おぶってもらっているのがなみであることがわかると、一斉に近寄ってきた。
そして、一人が指を差してからかった。
「はんぱもんがおぶってもらってる」
他の者も一緒になってはやしたてる。
「やーい、はんぱもんがおんぶしてもらってら」
「はんぱもん、はんぱもん」
その間、なみは背中に額をくっつけ、身を固くしているのがわかった。数馬は自分のことのように腹立ちを感じた。
数馬は立ち止まって振り返り、童たちを睨みつけた。そして大きな声で怒鳴りつけた。
「なみは拙者が預かった大切な娘だ。悪く言うと承知せんぞ」
童たちはその権幕にすくみあがり皆黙ってしまった。
「あっち行け!」
その一声で皆一斉に駆け出し二人から離れて行った。
それを見届け数馬はなみに言った。
「なあに、拙者も子供のころは周りから、いもっ子、いもっ子とからかわれたものだ。気にすることはない」
再び歩きはじめると、背中が熱くなるのを感じた。どうやらなみが泣いているようであった。それはしばらく続き時々しゃくりあげるのを耳にした。
今までの我慢が解き放たれているのであろう。数馬は連れて来て良かったと思う。
けれどもこれからどうしようか。とりあえず宿の夫婦に預けることにしよう。親切な人たちだ。面倒みてくれるだろう。
難問は師にどのように伝えるか。
本当のことを伝えるのは心苦しかった。
といってもなみのことはいずれわかるに違いなかった。ただ、小菊の子は流れたことにしよう。そして小菊からの頼みで、里に預けてある仲が良かった知り合いの子を、引き取ったことにしよう。その子は異人との間に出来た子であったと文にしたためようと、あれこれ考えながら長崎への道を急いだ。
*
長崎には思っていたより早く着くことが出来た。どうやら翌日の講義には間に合いそうである。
宿屋の夫婦はなみの細い身体に驚いたが、生い立ちを知ると大いに同情し、面倒みると言ってくれた。
ただ、一方的な好意に甘えるわけにはいかず、師から預かった金子でなみの掛かりを賄うことにした。もちろん、数馬は後で師に返済するつもりでいた。
なみを預けた後、寮に戻り、道中思い描いた通りの内容で文をしたため、師に便りを出した。
次の日から再び講義が始まり出席した。この休暇中に目にした痛ましい情景が刺激となり、今まで以上に学問の重要性を痛感していた。将来医師を目指すにしても、ここが正念場と思い、講師の言葉に耳を傾けるようにした。
ところが、三日経って講義中に管理人に呼び出された。訪問客が来ているという。
玄関先に出てみると、宿の主人に手を引かれなみが来ていた。なみは数馬を見て喜んだが、海が見えると言いながら横手の庭に駆けて行った。
それを見ながら主人は事情を説明した。なみが数馬のところに行きたいと言って聞かないという。宿屋は夫婦ともども客の応接、食事の準備等に明け暮れており、なみの相手もなかなか出来ないようだ。また、なみの顔立ちも客から見れば奇異に映り、目立たぬよう裏手の小部屋で過ごさせているが、どうやら退屈しているらしい。
どうしても、宿を出て数馬を捜すと言い出したため、仕事の合間を縫ってここに連れて来たという。
数馬はふと思った。在所で、なみは日中、次々と用事を言いつけられ農地や野山を歩き回っていたことを。以前のように、いじめられることはないにしても、一つ所でおとなしくしているのは嫌なのであろう。
数馬は恐縮し、講義が終わりしだい送っていくと伝え、主人に帰ってもらった。管理人にも事情を説明し、建物周辺の庭で待たせることにした。
ところが、なみは海が臨める前庭をすっかり気に入ってしまった。海面の波模様や潮風の風景は里と同じであったが、ここでは大小の船が行き来していた。すぐ近くに港があり、時間をかけて遠くに去っていく船、逆に地平から現れ少しづつ船体が大きくなっていく様子を眺めていると飽きることがなかった。
なみは数馬に宿まで送ってもらう間、明日も伝習所に来ると言い張った。道は覚えたので一人でも来られると言う。里での生活がそうだったように、速くはないが歩くことは苦にならないようだ。
数馬はなみが出ていたほうが宿の夫妻に迷惑が掛からないかもしれないと考えた。そして熟慮した後、同意することにした。
「まあ、よかろう。だが、あまり長居するのは駄目だ。宿を昼過ぎに出て、暗くなる前に帰ること。生き帰りの寄り道はならぬ。それと伝習所では多くの者が学んでおる。邪魔にならぬようにすること」
なみは喜び数馬の言いつけを守ると約束した。宿に着き主人にもそれを伝えた。夫妻は少し心配そうであったが、他に妙案はなく反対はしなかった。
更に伝習所に戻り、管理人になみの境遇を説明し、しばらくの間、昼間に建物の周辺で過ごすことを頼み込んだ。周りに迷惑が掛からなければ差支えないとの返事であった。
次の日からなみは一人で伝習所まで来て、庭から海を見たり植えてある花や樹木を鑑賞して過ごし、講義を終えた数馬の顔を見て帰るようになった。
宿の主人の配慮で行き帰り目立たないよう頭に被りものを身につけていたし、道順も常に同じで決して立ち止まることはしなかった。また、時折、管理人が相手をしたり、事情を知った受講生も話しかけるようになった。なみにとっては今までに味わったことのないそれなりに楽しいひとときであった。
何日か過ぎて、師一之進からの便りを受け取った。数馬の知らせを目にしてすぐに文をしたためたのであろう。
冒頭、伝習所での講習に休むことなく熱心に取り組んでいることを称賛し、更に研讃を積み重ね将来に役立ててほしいとの期待の言葉があった。
一方で、世の中が開国によって騒がしい情勢になっており、様々な異変を耳にするかもしれないが、惑わされることなく志を貫いてほしいとも書いてあった。
そして、小菊の死については大変痛ましく断腸の思いながら、直前に数馬が我が意を伝えてくれたことに、深い感謝の意が述べられてあった。
ところが、なみについての偽り事はさすがに師には通用しなかった。数馬の気配りに礼を述べつつも、当時、小菊は異人の相手をするのを嫌がっていたことを思い返し、お腹には一之進の子が宿っていると信じたかったのであろうと推し測った。
そして、生まれた子を始末するに忍びず、里に預け見守ったことは、小菊の心根の優しさ所以と。更になみはたとえ異人の血が混じっていようと、我が子同然の思いを抱いており、劣悪な環境から救い出してくれた数馬にあらためて感謝の言葉が書かれていた。
また、小菊への償い金はなみのために使ってほしいし、不足があれば知らせてほしいとの記述もあった。
数馬は師に対して尊敬の念を抱いた。
予想していた通りではあったが、胸中は情に満ちている。たとえ、小菊の言葉に落ち度があろうと、生まれた子が我が子でなかろうと、いささかも思いやりの気持ちを変えることはなかった。そして出来るだけのことをしたいと文につづられてはいたが、師にとっては遠くから見守る以外なかった。
なみの今後の身の振り方については、今のところ数馬が知恵を絞ることになったが、いい案は思い浮かばなかった。宿夫妻には好意で面倒みてもらってはいるが、いつまでも置いてはもらえないであろう。かといって、他に頼れる知り合いは長崎にはいなかった。
また、養子や奉公先を捜すにも異人の血が混じっているのを敬遠されがちである。そして、伝習所に来させること自体、いずれ問題になるかもしれない。
数馬にとって思わぬことが頭痛の種となった。
ところが、次の日意外な人物がなみの前に現れた。
*
なみは不思議でならなかった。大きな船が海の上をのびのびと進んでいくのを。
強い波風にも平気のように思えるし、しかも多くの人が立って船上から思い思いの方向を眺めている。
いったいどうして動いているのか。どこから来て、どこに行こうとしているのか。海の向こうに何があるのか。次から次へと疑問が湧き出し興味が尽きなかった。
なみが伝習所の前庭で過ごしていると、時々数馬や他の男性から声を掛けられた。親切そうで、話しやすい人にはまれに質問することはあるが、相手からシナやオランダといった言葉を聞いても、全く意味のわからないことばかりであった。
ところがこの日初めて女の人と思われる高い声が後から聞こえてきた。
『まあ、誰でしょうね。先客がいらっしゃるわ』
早口のせいかなみには何と言ったのかよくわからなかった。気になって振り向いた。
『あら、子供さんのようね。ご存じ?』
『いえ、心当たりありませんが』
一瞬、なみは目の前にいる女人の容姿に驚き、思わず立ち上がった。
年はとっているようだったが、髪の毛が薄茶で目の色は青く鼻が高い、また肌の色も白く今まで見たことも会ったこともなかった。
『お嬢ちゃんのようだけど、でも日本の子でもなさそうね』
なみにはその女の人が自分と似か寄っており、はんぱもんのように思えた。また着ている服も変に思えた。
『どうやらそのようですね。顔のつくりが私とは違いますね。むしろ奥様に近いようです』
女人の後の男の人はお侍のようだが、なみには二人の言っていることが全くわからなかった。
『こんにちは。ここで何をしているのかしら』
女人が笑顔で話しかけてきたが、なみには理解できなかった。
『どうやらわからないようですね。私から話しかけてみましょう』
お侍が近寄り声を掛けてきた。
「君はどこから来たのかね」
今度はなみにも意味はわかった。うなづいた後、表門の方を指差した。
『どうやら日本育ちのようですね』
『そのようね。でもいったいどうしてここに』
女人は少し考えお侍に向かって言った。
『お願いがあるの。誰かこの子に心当たりがないか聞いてくださらないかしら、待っている間、この子のお相手をしてみるから』
『わかりました。管理人に聞いてみましょう』
なみは再び驚いてしまった。お侍が女人に頭を下げて離れていく。
はんぱもんの方が偉いようである。
そして女人は向き直り、今度は手振りを交えて話しはじめた。
『私はエイミー。エイミー・ジョンストン。エイミーと呼んで』
なみは女人が自らに手のひらを当て発している言葉が名前だとわかった。
「エイミー、エイミー」
となみも繰り返した。
『いいわ、その通りよ。今度はあなたの名前は?』
エイミーと名乗る女の人はなみを指差し聞いてきた。その問いを理解し答える。
「あたいはなみ、なみって言うの」
『そう、なみ、なみね。いいお名前だわ』
エイミーは話が通じたことに喜んだ。
なみはその笑顔がとても気に入ってしまった。
『じゃあ次ね。ここでなみは何をしているのかしら』
エイミーは手を地にかざして聞いてきた。なみはすぐさま海を指差し答えた。
「海を見ているの。海はとっても好き」
『そう海を眺めているのね。私も海は大好きだわ』
そのようにして、二人は単語でやり取りをしていった。なみもエイミーの発する言葉が異なることに気がついた。そしてその言葉を覚えることが重要だとも思った。
その間、エイミーはあくまで優しく、そして辛抱強く言葉を教えていった。けれどもなみには学んでいるという自覚はなかった。ただ自然に相手の身振り手振りと何よりも快い口調に反応していった。
しばらくして、お侍が戻ってきた。エイミーはなみとのやりとりを中断してお侍と話し始めた。
二人の話は全く理解できなかったが、時折エイミーが険しい顔で振り返る。なみは中途半端で物足りなく思っていた。更にエイミーには今まで誰とも味わったことのない親近感を抱き、もっと会話を続けたいと思った。
二人の話は終わり、再びエイミーはなみに顔を近づけ微笑んだ。
そして、話し始めたが、今度はお侍がエイミーの言葉を訳して語りかけた。
『なみは明日もここに来るわね』
「もちろん明日もお昼から来ているわ。あたいここが大好きよ」
『そう、じゃあ私は食べるものを持ってくるわね。一緒に食べましょ』
「わあ嬉しい。楽しみにしてる」
その後、二、三言葉を交わしエイミーたちは帰っていったが、なみにとっては気持ちが昂る時間となった。もちろん生まれて初めての経験で、別れるのは名残惜しかったが、また明日も会えるという。なみにとっては、またここに来る楽しみが増えたのであった。
*
数馬は連日にわたり専門知識の習得に全力で取り組んでいた。
異国語中心の難解な講義にもかかわらず、思ったより心労は少なかった。この時代の最先端の教養を学んでいるという自負心と、宿願成就の意志が疲れや不精を封じていた。
また数馬自身、師の織部一之進のような秀才肌ではなく、努力して教養を積み重ねていく種類の人間だと思っていた。
そのためには基礎が大事で、この日も講師が述べる一字一句を聞き逃さないよう講義に臨んでいたのである。
終了間際になって管理人からの呼び出しがあった。英語の講師のジョンストン氏からの依頼だと耳打ちされた。
数馬には全く心当たりがなかった。
とにかく後について行き、管理人室に入ると。ジョンストン氏、その婦人、通詞の三人が待っていた。
管理人から改めてそれぞれの紹介があった。
それを引き取って、ジョンストン氏から講義途中での呼び出しを謝罪する言葉があった。数馬はまだ英語を理解するのは無理であるため通詞を交えてやり取りが行われた。
ただすぐに婦人が会話の相手となった。
『私は昨日なみと前庭で初めて会いました。大変いい子で私たち仲良しになりました。もちろん言葉はまだお互い通じませんが、この二日間である程度理解しあえるようになりましたわ』
数馬は昨日なみと帰りに顔を合わした時、とても機嫌が良かったことを思い出した。
けれども婦人と親密になり言葉を交わしていようとは思ってもみなかった。
『ところが、ご家族のことを聞いたのですが、本人もあなたが知り合いだという以外よく知らないようです。管理人の方もなみが農家の出身で、あなたが引き取ったとしか聞いてないそうです。私はぜひなみのことを詳しく知りたいのです』
婦人の表情から真剣であることが窺えた。隠し立てをしてもあまり意味がないと思える。
ただ師の名前は出さないようにしなければならない。
数馬は承知して、なみの母親との出会いから話始めた。
自分は将来医師を目指していること。そして、講義の休日に後学のために養生所を訪れたが、労咳を患って死に際の見知らぬ女人から、農村にある実家に自分のことを知らせると同時に、預けてある娘をくれぐれもよろしくとの伝言を頼まれたこと。
更に、その女人は以前長崎の料亭で奉公をしていたが、なみはその頃知り合った異国人との間に出来た子で、誰かは知らないと説明すると、婦人は眉を曇らせて言った。
『なぜなみはあんなにも痩せているの。栄養失調のように思えるけど。それとなぜあなたが引き取ることになったのかしら』
その質問には数馬も少しためらったものの、正直に打ち明けたほうがいいと判断した。
女人はその直後に息を引き取ったが、あまりに気の毒に思い、次の休日に農家に行くことにしたと。
尋ねてみると、実家は兄夫婦が継いでいて、なみの面倒を見ていたのだが、扱いはひどいものであった。
顔形が自分たちと異なっていて、更に実子でもないことから、明らかにほかの子とは差別され、食べ物もろくに与えられていなかったし、村人からものけ者にされていたことを体験談も交えて話すと、
『まあなんて酷い。可哀想に、可哀想ななみ』
と言いながら婦人は涙を流し始めた。
数馬はその様子に戸惑いながらも、そのまま見捨てることが出来ず、相手の了承を得て連れ帰ったと説明した。
『ありがとう。ありがとう。あなたの行為に私は深く感謝します』
数馬は照れ臭い思いを抱いた。だが次の問いには当惑してしまった。
『でも、あなたはなみをこれからどうするつもりなの?』
数馬は、今は懇意にしている宿屋に預かってもらっていて、ここで半日過ごすのは海が好きななみの希望であると伝えたが、今後のことは考慮中としか答えられなかった。
『なみは宿屋からここまで一人で行き来しているそうね。幼い子には大変危険だと思うわ』
これには返す言葉がなかった。うかつなことを言うと、自分も宿の夫妻も不人情とみなされかねない。
農村でもなみは一人で行動しており、本人の意思もあってやむを得ず容認していると答えた。
『やめさせた方がいいと思います。この長崎も治安が悪くなっていると聞いています。ましてや小さな女の子です。いつ悪い人にかどわかされても不思議ありません』
数馬は溜息を吐きながらうなずかざるを得なかった。
『もちろん私にはわかっています、数馬さん。あなたは今熱心にこの伝習所に通い、教養を身につけるため少しでも時間を割きたいと思っていることは。またおそらく宿屋のほうでも仕事があって送ってくることは無理なのでしょうね』
その通りであっただけに数馬は居心地が悪く感じた。
その様子を見ながら婦人は続けた。
『そこでどうでしょう。もしあなたさえよければなみは私たちがしばらく預かりましょう。幸い私にはなみの世話をする時間の余裕があります。ここに来たいのなら一緒に来ることも可能です。宿屋に負担を掛けることもないでしょう。あなたも勉学に専念することができ都合がいいはず。それともなにか具合の悪いことでも?』
数馬は驚いてしまった。まさかいきなり引き受けの申し出があるとは思わなかった。ジョンストン氏や他の二人も意外そうには見えない。どうやら話は通っているようだった。
考えてみると、長崎にはなみのことを気に掛ける血縁者はいなかったし、人別帳にも載ってはいないはず。自分にしても身内の者でもなく保護者ともいえなかった。
「お申し出はわかりました。ただ本人はどう思っているのでしょう。それと言葉は・・」
『初めに申しましたように私となみは大変仲良くなりましたわ。なみも喜んでくれるものと信じております。それとなみはとても頭のいい子で私たちの言葉を懸命に覚えようとしています。私の経験からすると無心である分上達は速いはず』
その説明に数馬も納得せざるを得なかった。
確かに今のままでは良くないと思っていたことも事実であった。
一応、返答する前になみの意向を確かめることにした。そして庭にいるなみのところに行き、数馬自ら婦人の申し出を伝えた。
するとなみは目を輝かせて喜んだ。なみと会って以来、そんな明るい表情を見るのは初めてでもはや決まったのも同然であった。
結局、なみをジョンストン夫妻にゆだねることとなった。しばらく話し合った後、夫妻に連れられて行くなみを見送ることとなった。
横にいた管理人が数馬に言った。
「通詞からきいたのだが、ジョンストン婦人は元教師だったそうだ。主に子供の教育に強い関心があるそうなんだが、我が国では許されないことなので残念に思っていたらしい。ところが、ちょうどなみに会って教える相手をみつけたというわけだ。まあ悪い話ではないと思うぞ」
確かに婦人には子供への愛情と教育者としての資質が備わっているような気がした。
それは師と相通じる使命感といってもいいだろう。従って、婦人であれば任せても心配ないように思えた。そして、なみにとってこれから本当に生きる道を学ぶことになるだろう。
*
それから何度かなみはジョンストン婦人と一緒に伝習所に現れた。どうやら婦人は付きっ切りで言葉を教えているようだったが、なみの表情は明るく楽しそうであった。
数馬が様子を聞くと、毎日が充実しているとの返事であった。また様々なことに興味を持ち始めているようであった。婦人の熱心さの表れと思われる。
十日ほど経て再びジョンストン夫妻と話す機会があった。二人はなみを養女にしたいと言う。あらかじめ予期していたことでもあったので、断わる理由はなかった。
実は師に経緯を伝えていたが、返ってきた文は、こうなることを見越す内容であった。
その場合、もともとなみは孤児同然で、顔形が異国人に近いのであれば、本人が嫌がらなければさしつかえないが、開国したとはいえ民人の出所、管理は厳しく、あまり公にしないほうがよいと書かれてあった。
そうなのだ。ジョンストン夫妻もいずれは国に帰ることになろう。その際なみはいったいどうなるのか、と思うとなにやら複雑な思いになったが、申し出にはただ、
「なみのことをよろしくお願いする」
とだけ伝えた。
*
時代は幕末の混乱期へと向かっていく。
開国以来、尊王攘夷思想が盛んとなり、影響を受けた諸藩で外国を撃退しようという意見が活発となった。ところが実際に長州や薩摩藩が外国艦隊と戦ったものの、大敗北をきっしてしまった。
圧倒的な軍事力の差に直面したことによって、富国強兵を図り諸外国と対等に渡り合える力を身に着けようとする考え方が現れ、討幕思想とも結びつく。
そのためには外国と交易し武器等を仕入れる必要が生じたが、その舞台となったのが、外国人が比較的自由に出入りする長崎であった。
いまや長崎は従来とは違った、近代化を推進しようする諸藩が活発に人員を送り込む都市となった。
「数馬さん、こんにちは」
伝習所で自習をしている数馬のもとに久しぶりになみが現れた。ジョンストン夫妻の養女になって以来、数か月お互い会うことはなかったのである。
ところがなみの変わりように驚いてしまった。以前は痩せ細っていたが、手足にも肉がつき体全体がふっくらして見るからに健康そうな少女に変貌していた。
さらに黄色っぽい髪の毛は後で編んでいて、ほりの深い顔と、洋服を身に着けた姿は、異国人の子供といっても相違なかった。
「やあ、すっかり変わってしまったな。元気そうで良かった」
「この服似合ってる?」
「もちろんだとも。すごく可愛く見えるぞ」
もう以前の栄養不足で半病人のような様子は全く見られなかった。
むしろ、大人になればさぞかし美人になるような予感がした。
「あたしもう少ししたら、ダディーやマミーと一緒にアメリカに行くの」
数馬はジョンストン氏が間もなく講師を辞めることは聞いていた。
米国内の戦乱が一段落し知人から帰国を勧められているとのことであった。その際のなみの処遇が気になっていたのだが、本人から聞かされることになった。
「そうか、それは良かったな。いやむしろうらやましく思うぞ」
「あたしも嬉しい。今まで見ているばかりだったお船に乗れるもの。でも少し心配。初めての人は皆気分悪くなるというから」
数馬は笑った。自藩から長崎への道中、小船で海峡を渡ったがひどく船酔いしたことを思い出した。
「なみだったらすぐに慣れようぞ。それに大きな船だから大勢の人が乗るし、夫妻もいるからな。安心していいぞ」
「それと数馬さんと別れるのが寂しい」
なみは本当に悲しそうな顔をして言った。
「なに、なみも私もまだ若い。人生は長いんだ。また会えることも必ずある」
その時、ジョンストン夫妻も部屋に入ってきた。
なみは二人と言葉を交わしたが、再び振り向いて言った。
「今度の数馬さんの休みの日に、お食事に招待したいって。来てくれるでしょ」
夫妻も数馬に向けて笑顔で誘った。
「それは恐縮。ぜひ伺わせていただくぞ」
それからは談笑となったが、通詞はいらなかった。
夫妻の言葉もなみが訳して数馬に伝えたから。
*
ひと月が経った。ジョンストン夫妻となみの三人は米国に向かって出発した。
数馬は講義の都合で見送ることが出来なかった。なみの出国には一抹の懸念があったが、通詞や管理人が協力し合い、無事に乗船できたようだ。後はなみが元気でいてくれることを祈るのみである。
講義が終了して、通詞が数馬に声を掛けた。
「坪井君、ジョンストン夫妻からの預かり物だ」
と言って、紙包みを手渡しそのまま部屋から出て行った。
数馬はしばらくして包みを開いて中を見た。すると現れたのは一枚の写真であった。
ジョンストン夫妻に食事を御馳走になった日、帰りに長崎で開業した写真館に立ち寄った。そこでなみと一緒に撮ってもらった写真であった。
巷では写真撮影は魂を抜き取るという風聞があり、数馬は緊張気味で顔は横向きであったが、その横のなみは一向に気にせず天真爛漫の笑顔が正面に映っていた。
数馬は思った。
これは大切なものになるだろう。いや師に真っ先に見せねばなるまい。
師であれば、なみの容貌に母親の面影を見出すであろうと。
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