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終章  作者: 野原いっぱい
光あるところに陰もあり
14/16

横浜(五)


挿絵(By みてみん)


そしてその日がやってきた。

伴野医師から急ぎで申し訳ないが来てほしいと連絡があった。

用件は察しており、ナミはフィッシャー夫妻やソラに見送られ一人で駅前の伴野医院に向かった。

緊張の面持ちで門扉の前に到着すると、医師の妻女が待っていた。


「あなたがいらっしゃるのを心待ちにしておられますよ」


と微笑みながら奥座敷まで案内してくれた。

部屋に入ると床の間を背にして正面に背筋を伸ばして座っている年配の男性が座っていた。

その年長者は温和な笑みを湛えてナミを見つめている。

ナミはその外見を一目見て誠実そうな印象を抱いた。


「急に呼び出したりして悪かった、ナミ。さあ、中に入って」


真横に座っている伴野医師が声を掛けると、ナミは会釈しながら下座に進み正座した。


「紹介しよう。私の師の織部先生でいらっしゃる」


すぐに織部は言葉を引き継いだ。


「ナミさんですね。少しでも早く会いたかったものだから、伴野君に頼んだのですよ。申し訳なかったですね」


「いえ、私のほうこそ無理をお願いして。恐縮に思っております」


織部はナミの顔を直視しながら息を呑んだ。


「ほお、目元が小菊にそっくりだ。間違いなく小菊の娘さんだ。あ、いや失礼した。その名前はナミさんには馴染みがなかったかもしれない。至らないことでした」


ナミは言葉の意味を察して言った。


「いえ、私は小さいころから母の仕事を存じておりました。私を食べさせるために苦労しているのだと聞かされて育ちました。ですから母を誇りに思っております。それと母同様、私のことをナミと呼び捨てにしてくださいませ」


織部は感服したように頷いた。


「では、そうさせてもらいますが、ナミ。私はナミに謝らなければなりません。私が長崎に留学していた当時に小菊に出会ったのですが、あまりに講義を受けるのが辛く落ち込んでいた私を励まし勇気づけてくれたのです。もちろん何度もお店に通うほどの金銭的な余裕もなかったのですが、仕事を離れて会ってくれました。小菊は大変心根が優しく情の深い女性でした。彼女のおかげで私は学業に精力を注ぐことが出来たし、何度か会ううちに特別な感情を抱き、将来を約束するまでになりました。その気持ちは小菊が農家の出身であることも、子を宿したと打ち明けられてからも変わりませんでした。ところが、私の父が急死し家督を継ぐ必要があったため必ず再会すると約束し、国に戻ったのですが、その後何度か手紙を送りましたが返事が得られないまま時が過ぎていったのです」


織部は悲しそうな表情で続けた。


「なぜ小菊から音沙汰がないのか自問自答の毎日でした。確かめたいと思う反面、事実を知ることの怖さもありました。小菊の気持ちが私から離れていくことを知る怖さです。更に私自身が国元から出ることが難しい立場になっていました。けれども私に勇気があれば長崎に足を運ぶことは出来たはずです。振り返ってみれば忸怩たる思いです。十年を経て数馬、今の伴野君に依頼し確かめてもらうまで真実を知らなかったのですから。私にとって小菊の当惑は察しておくべきことでした。知った時は手遅れでした。ただ、信じてほしいのは私の願いは小菊に傍にいてほしいとただそれだけだったのです。だが、ナミにとっては辛いことかもしれませんね」


伴野医師は恩師の言葉に耳を傾けるだけで口を挟むことはなかった。

ナミは織部が率直に母への想いを語っていることに感激した。


「私には母の記憶はありません。でも生まれた子、つまり私が織部様の子でないと知った時の母の気持ちが分かるような気がします。やはり母にとって織部様は最も大切な存在だったのだと思います。それだけにお言葉に甘えることが出来なかったのだと思います。そして、私を実家に預けた後、不自由しないよう仕送りをするために長崎の街で懸命に働いていると祖父から聞かされて育ちました。けれども、祖父が亡くなり、母も病に侵され私を養うことが出来なくなったとき、織部様にすがる気持ちが心の中に滲み出たのだと思います。伴野様から、母に織部様の名前を出した時に願いが叶い安心したような様子であったと聞きました。おそらく心の憂いが無くなり安らかに天に召されたと信じます」


ナミの言葉を聞き、織部は哀しみのあまり瞼に手を添えた。

ナミには織部の感情の変化を好ましく感じた。

少し間をおいて織部は言った。


「やはりナミは小菊に似て心根の優しい女性ですね。今日は本当に来て良かったと思っています。懐かしさのあまり先に私と小菊に関する話題に触れてしまいましたが、これからはナミの大事な申し出について答えなければなりませんね」


ナミは思わず緊張した。

しかし織部は溜息を漏らしながら切り出した。


「ただ私はナミにいい話を伝えることが出来ないのが残念でならない」


その言葉の意味合いを察してナミは応えた。


「どのような内容でも受け止める覚悟が出来ております。今日はそのつもりでこちらに参りました」


織部は大きく頷きそして続けた。


「ナミが捜している宮田賢一氏は今の東京府出身で間違いなくおられた。そして、明治初期に時の最高権力者の西郷参議に推挙されて使節団の一員として西洋に渡られた。その後留学生として各国を回られたが西南戦争が始まる直前に滞在先の米国から帰国され、参議を辞職した西郷氏と面会するため鹿児島に行かれた。ところがそのまま当地にとどまり、政府軍との戦争に参加され戦没されてしまった」


一息の説明はナミにとって難しい言葉が多かったが理解できた。

ナミの悲しみを和らげようとの配慮だと察したが、不思議と動揺することなくむしろ心のしこりが軽くなったように感じた。

織部の気の毒そうな顔に向かってナミは言った。


「ありがとうございます。私と宮田さんとはほんの一月のお付き合いでした。もちろん再会の約束を信じてはおりましたが、連絡が取れずに日を経るに従って、周りから騙りに遭ったのではないかとの声が聞こえて参りました。このままではいけない、娘のためにも真実を知らなければいけないという気持ちが募りました。日本に戻って来たのもその理由からです。今は悲しいという気持ちよりも宮田さんがいらっしゃったと知り、ほっとしています」


織部は首を縦に振り請け合った。


「宮田氏がおられたことは事実です。もう少し詳しく説明しましょう」


そして、織部は宮田賢一の生い立ちを語り始めた。


宮田の両親は薩摩藩の江戸藩邸の使用人であった。

屋敷の管理や雑用を職として藩士たちと同様に邸内の長屋に居住していた。

宮田賢一はそこで生まれ江戸詰めの藩士の子供たちと一緒に育った。

士分の人たちと同様に教育を受け武芸を学んだ。

才能に優れ十代半ばで頭角を表したが、思い上がることなく誰とでも気さくに接する性格であった。

ちょうど幕末動乱の時期にあたり、西国の雄藩の薩摩は長州等と共に幕府権力が弱体化する中で活発な動きをみせる。

その薩摩の中心人物は西郷隆盛であったが、その西郷の意を受け江戸で工作活動を行った藩士の一人に益満休之助がいた。

益満は後の江戸開城の際に重要な役目を担うことになるが、彼が可愛がり、その手足となって働いたのが宮田賢一だった。

宮田は大変優秀で東言葉が堪能であるだけに、上からの難しい指図も容易にこなした。

そして、彼の活躍は益満を通じて西郷の耳にも入ることになった。


時代は幕府崩壊、明治維新へと移行していったが、宮田は功績を認められ新政府で設けられた官庁の一員となった。

彼は官僚として無難に勤めをこなしていたが、ある日時の権力者である西郷参事から海外留学を命じられた。

当時の欧米先進国に学ぶために使節団が派遣されることになったが、新政府の要員も多数参加、西郷自身は国内に留まることになっていたが、西洋の文化に関心があり、戊辰戦争で命を落とした益満の弟分の宮田に白羽の矢が立った。

けれども宮田に課せられた使命は欧米各国の社会構造と問題点の把握にあったが、西郷の私的な理由が色濃かったため正式な要員ではなく、水夫としての扱いでの参加となった。

欧米の主要国中心に一定の期間滞在し調査することが任務であった。

留学の期限に制限はなく年月をかけて各国を回っていったが、アメリカに渡った時点で日本に戻ってほしいとの要請があった。

このとき、明治新政府では主に海外派遣組と留守政府組との間で征韓論をめぐっての確執があり、多くの参議や官僚、軍人が辞職するに至った。

この状況を憂慮した識者が国内反乱の危険を察知し、海外経験の豊富な宮田を国内に呼び戻し、下野した実力者の西郷に欧米先進国の実情を聞かせようと目論んだ。

そして、宮田は急遽、アメリカの滞在先から帰国することになり、直接鹿児島に入ったのだった。


織部の説明は難しい言葉や聞きなれない名詞が多数あったが、随所で補足説明したり平易な単語に言い換えたりしてくれて、ナミにも充分理解できた。

さすがに教育者だけのことはあると感心してしまった。

おかげで宮田賢一が正式な薩摩藩の所属でなかったことや、使節団の名簿から漏れていたことも納得が出来た。


「いずれも私が信頼している教え子や知人から得た情報なので間違いないのですが、ただ鹿児島に行かれてからの足取りは定かではないのです。どうです。遠方ではありますが現地に行って確かめてみますか。及ばずながら力になれると思いますよ」


ナミはためらうことなく返事した。


「もし、ご迷惑でなければお願いできますか。宮田さんの足跡を辿ることが私の務めだと思うのです。また娘のためにも少しでも真実を知ることが大切だと信じております」


織部は納得して頷いた。


「そうおっしゃると思っていましたよ。わかりました。さっそく手配しましょう」


織部は話上手であっただけではなく聞き上手でもあった。

その後、話題はナミのアメリカ生活に移ったが織部は熱心に耳を傾け何度も質問を繰り返した。

伴野医師が診察のため席を立った後も、会話は弾み、ナミは知らず知らずのうちに個人的な思い出や悩みを打ち明けていることに気が付いた。

織部は悲しいことには大いに同情し、逆に楽しいことには自分のことのように喜んだ。

ナミも織部本人のことについて尋ねてみると、正直な答えが返ってきた。

今日に至るまで独り身を通しているという。昔はナミの母、小菊に対してのこだわりがあったが、その後は面倒見のいい人たちが周囲にいて、生活に不便はないという。

更に自分が教えた子供たちが世に出て、育っていくのを見守るのが楽しみだと語った。

ナミは養父のフランクやエイミーと共通した若者への慈しみを感じた。

もっともその中でも一番優秀だったのは坪井数馬、即ち今の伴野医師であったそうである。

その伴野の含め多くの弟子や親交のある人々から尊敬されていると聞く。

ナミはもっともだと思い、その織部から亡き母親が大切に想われていることを嬉しく感じた。


**

織部との意義深い対面の余韻は伴野医院から離れてからもしばらく続いた。

居留地の自宅に戻りフィッシャー夫妻に宮田が亡くなったことを伝えると、心から同情を寄せられた。

けれどもナミの比較的元気な様子に安堵したようだった。

そして、織部との対話の内容や鹿児島に事実を確かめに行くことも話した。

その後、娘のソラにも同様の話をすると、無邪気な声が返ってきた。


「そうか、パパは天国にいっちゃったんだ」


そして更に言った。


「あたしも鹿児島に行ってみたい」

と。


それから、織部と数回連絡を取り合った後、横浜港から鹿児島まで郵便汽船で行くことになった。

織部も同行することになったのは正直ナミにとっては心強かった。

なにしろ鹿児島は日本の南の果て、ナミが生まれ育った長崎よりさらに遠くに位置する未知の地域で不安であった。

織部は当地で旧友と久しぶりに会えるから都合が良いと言ったが、ナミの母親への償いの気持ちが大きかったのであろう。

また、ナミは娘のソラも伴っていたが、織部も国元から年配の従者を連れてきていた。

夫妻であったが、普段は織部の世話をする一方で、学校の用務もこなしているという。

二人は子供好きで、ソラも一緒に行くことを意識しての織部なりの配慮だと思われる。


船上でソラは横揺れにも全く平気で、持ち前の茶目っ気ぶりをみせて大人たちを喜ばせた。

従者夫妻とも気が合い日本の子供に人気の遊戯を教わっていた。

一方で織部はナミに対しても心遣いを忘れず、掛ける言葉にいたわりの思いがこもっていた。

ナミは宮田の身に起こったことを知ることが恐くはあったが、何を聞いても大丈夫な気がした。

別れてから長い年月が経っていたし出会った期間がほんの1か月だったことが大きかった。

鹿児島に行くのも、日本に来た理由と同じで、真実を知った上で自分自身に見極めをつけたかったからであった。

もちろん娘のソラのためでもあった。そして知らず知らずの内に悲しみが気薄になっていることに気が付いた。

その正直な気持ちを織部に伝えるとすぐに返答があった。


「私もそうだった。いつの間にか小菊とのことは思い出に変わっていった。時の移ろいは人の心を癒す役目を担っているのかもしれないね。がっかりすることはない。むしろ希望を見出すために必要なものかもしれないよ」


織部は話題が豊富で教養があったが、常に謙虚で熱心にナミの話に耳を傾けてくれた。

ナミが教師になった経緯を説明すると、何度も質問があった。

更に、教師生活が長かった養父母の話に触れると、強い関心を示し真剣な表情で聞き入ってくれた。

話はアメリカの社会や文化にもおよび、ナミは充実した時間を過ごすことが出来た。

航海は長かったが織部のおかげで宮田のことで思い悩むことはなかった。


**

そしていよいよ鹿児島の港についた。

埠頭には織部と顔見知りの監察官が迎えに来ていた。織部とは長崎留学時代に机を並べた仲だといい、明治政府の要職を歴任し、西南戦争後に鹿児島県の行政監視役として派遣されているとのこと。

織部から紹介があったが、ナミは今回の特別の配慮に感謝した。

そして一行は近くに位置する役場に馬車で向かった。

海を隔てた向かい側には桜島の火山がそびえたっていた。

過去に噴火したことがあり、薩摩隼人と呼ばれる勇猛、精悍なお国柄の象徴のように思えた。

役場の建物に着き、一室に通された。

食事が用意されており、一行は手厚いもてなしを受けた。

監察官は当地では相当な権限を持っていたが、織部にはかなり敬意を払っていた。

出された料理に舌鼓を打ち、昔話に花が咲くと、おのずと長崎留学時代の思い出になった。

留学仲間の成績は織部が一番で、とてもかなわなかったそうである。

更にナミの母親にも話が及んだ。監察官は織部の顔色を伺いながら言った。


「われわれ悪友仲間が気の進まない一之進を無理やり誘って一軒の店に遊びに行ったんだが、そこでもっとも綺麗な女人が小菊さんだったんだ。どういうわけか一之進と気が合ってな、われわれ悔しい思いをしたもんだよ」


ナミはここにも母親を知っている人間がいて嬉しく思った。

食事を終えてから娘のソラは織部の従者夫妻と一緒に街の見物に出掛けた。

話ばかりで退屈だったようで喜んで外に出て行った。


その後、織部とナミはこれから会う人たちについての説明を受けた。

彼らは元城下士の出身者で西南戦争当時は薩軍の兵士として出兵した。

宮田賢一氏の身近にいて、その最後を看取ったという。

戦後は降伏兵士として刑に服しその後許され県内で正業に就いているそうである。

詳しいことは監察官も今日初めて聞くことになるとのこと。

ただし、ナミと宮田との関係は織部の手紙で承知しているようだった。

しばらくして係官が入ってきて監察官に耳打ちした。


「どうやら来たようだな。参ろうかな」


ナミと織部は監察官とともに別室に移った。

ナミは緊張の面持ちで後に従った。

宮田がどのような経緯で戦争に参加し命を落とすことになったのか今明らかになるのである。

もし、想像とは異なる人柄を知ることになったら。

話の内容によっては、ナミだけでなく、世話になっている織部や監察官をも失望させることにならないか。

一抹の不安を抱きながら会見用の広間に足を踏み入れた。

すると廊下を背にして二人の男性が頭を下げて座っていた。

傍らには風呂敷包みが置いてあった。

二人の真正面に進み、ナミと織部は監察官を挟む位置に座った。

監察官が声を掛け、二人が顔を上げるとナミよりかなり年下に思われた。

戦争当時はいったい幾つだったのだろう。

それぞれが名乗った後、織部、ナミの順に監察官から紹介があった。

更に呼び寄せた訳を説明する。


「今日はご苦労であった。すでに聞いてもらっていると思うが、我々は宮田賢一氏のことを知りたいと思っている。その者たちが宮田氏のことで覚えていることがあれば正直に聞かせてほしい。もちろんここで話した内容については一切罪に問うことはないと私が保証する」


それに対し一人の若者が発した言葉は思いがけないものだった。


「もとよい、そんつもいでおいもす。おいたちは宮田先生のことを話せて嬉しゅう考えもす」


薩摩訛りではあったがナミには理解できた。

宮田のことを先生と呼び、彼の話をすることを嬉しいと言っている。


「それは結構。こちらにおられるジョンストン婦人は宮田氏とアメリカで親しくしておられた。詳しく知りたいと思っておられる」


二人の若者はお互い顔を見合した。

そして、一人が傍らの風呂敷包みを引き寄せて言った。


「こや先生が片身離さず持ってらしたものです。女の人が来られうと聞きもしやと思いお持ちしもした」


そして結び目を解き開けた。

包まれていたものを目にしてナミは息を呑んだ。


「そ、それは私が宮田さんに差し上げた帽子・・」


「間違いないですか?」


監察官の問いにナミは何度も頷きながら答えた。


「はい、宮田さんを駅で見送った時にお渡ししたものです」


ナミの心中を察した若者はすかさず申し出た。


「そんよなこっであれば、お返ししもす」


若者は帽子を手にしてナミの前までにじり寄り差し出した。

ナミは震える手で受け取った。

それは綻んではいたが、かつて身に着けていた帽子に間違いなかった。

ナミはこのとき初めて宮田賢一が亡くなった事実を確信し、同時にニューヨーク駅で見送った時の光景がよみがえった。

ナミから帽子を受け取った時の宮田の笑顔、そして必ず帰ってくると何度も繰り返していた声音。

まるで昨日のことのようにありありと瞼に浮かんだ。


「それでは最初から話してくれんかな」


監察官の言葉でナミは我に返った。

そして若者たちは宮田について聞いたことも含めて話し始めた。



宮田賢一は留学先から日本に戻ると、まっすぐに西郷隆盛が居る鹿児島に向かった。

当時、鹿児島県と明治政府は緊張状態にあったため、県境での検閲は厳重であったが、幸い顔見知りの者が任にあたっていたため、簡単な聴取で通してもらうことが出来た。

更に西郷との面会を申し出た。

その際、留学するにあたって、海外で知り得た情報を真っ先に西郷に報告するという約束ごとを説明した。

係官は納得し西郷への取次を了承した。

その結果、ほとんど待たされることなく西郷の隠棲先に案内された。

西郷は宮田の訪問を大変喜び、無事の帰国を労った後、早速留学先で学んだ知識を聞かせてほしいと言った。

もちろん宮田は要望に応じ、自身が回った順に欧米の国々を詳しく説明していった。

それは社会構造、文化、人種、宗教等、多岐に亘った。

それぞれの国の抱える問題点も披露し、体験談も交えての説明は西郷も熱心に耳を傾けた。

今回の帰国の目的が西郷の目を先進諸国に向けさせ、日本の現状を深く理解させることにあったが、宮田は主観を入れず見聞きしたありのままを伝えた。

西郷も時折質問し、会見は半日に及んだ。

その間、西郷は鹿児島県の現状や、政府との確執について口にすることはなかった。

また、宮田も尋ねることはなかった。話を聞き終わった西郷は大いに満足し、留学の成果を褒め称えた。

そして、出身地の東京に帰り、政府の関係者にも同様の報告をするように促した。

宮田は了承したが、同時に海外留学を続けたい意向を伝えた。

もちろん西郷は賛成し政府にしかるべき働きかけをすると言った。


若者たちの言葉は聞き取りにくかったが、監察官や織部が復唱や質問をして明瞭にしたためナミにも理解できた。

どうやら、宮田は再びアメリカに行くつもりであったようだ。

ではどうして鹿児島に残ることになったのか。

ナミは帽子を両手で握りしめながら疑問に思った。


この時期鹿児島では士族を対象とした私学校が開設されていた。

設立の目的は不平士族の暴発を防ぐことにあったとされる。

ところが、明治六年政変で鹿児島に帰郷した士族と明治政府との関係悪化に従って、私学校生徒も政府への反発が強くなっていく。

更に各地で反乱が続発し、生徒たちの動揺を抑えるため、私学校幹部たちも努力していたが、このような時期に西洋知識が豊富な宮田の存在は大変貴重に思われた。

西郷を感激させた宮田の講話によって、生徒たちの関心を他に向けさせることができると考えた。

幹部たちは早速、西郷のもとを辞去した宮田と交渉した。

宮田は最初困惑したが彼らの熱意にほだされ自分が取得した知識を若者に伝えることも必要だと考えるようになった。

そして、宮田は期限を決めて私学校の講師になることを承諾した。


「先生の話を初めて聞いたとき、目が覚むう思いをしもした。先生はほとんどの生徒の人気の的にんもした」


もともと宮田は人当たりが良く、若者の扱いに慣れていた。

彼の率直な物言は生徒たちには魅力となったし、ましてや今まで聞いたことがない西洋事情は彼らの心を掴んだ。

更に講義のない日常でも、若者たちに付き合い自分の今までの体験を話し聞かせた。

生徒の一人が海外の生活で印象深かった国を問うと、最も楽しかったのはアメリカのニューヨークだったと言ったそうである。

それを聞いたナミは目頭が熱くなった。


ほどなく宮田は受け持った生徒たちに慕われ、親密な間柄になったが、講師としての任期を全うすることは出来なかった。

以前から明治政府は鹿児島県独自の政策に難色を示していたが、次第に強硬な意見が強くなり工作活動が図られるようになった。

それを察知し激昂した私学校生徒が鹿児島鎮台の弾薬庫を襲撃する。

それがきっかけとなり西南戦争へと突入した。

このとき、ほとんどの私学校生徒は西郷隆盛を総指揮とする薩軍に参加した。

その間、宮田賢一は自分の意見を述べることは差し控えた。

ただ、短期間ではあったが自ら教育した若者たちが戦場に出ることを憂慮した。

このとき、彼は鹿児島から離れることも可能であったがそうはしなかった。

生徒たちが戦地で命を落とすかもしれないのに、自分だけが安全な場所に行くことに納得しなかった。

私学校幹部と相談すると、取材を目的とした観戦者としてなら戦場に同行してもよいということになった。

おそらく宮田であれば公正な立場で記事にしてくれると考えたのであろう。

更に安全を図るため宮田には護衛がつくことになったが、それが今回呼び寄せた二人であった。

けれども宮田は単なる観戦者ではなかった。

彼は先の戊辰の役で多くの有為な若者が戦場で命を落としていくのを目のあたりにしていた。

更に留学先で西洋の無残な戦争も耳にしている。

彼は顔見知りの私学校生徒を掴まえると訴えた。


『戦争に勝利することが君たちの使命だ。だが、命の尊さも決して忘れてはならない』

と。

もちろんそれぞれの家族の願いもあったが、身につけた教養を将来に役立てて欲しかったのだ。


戦争は熊本城の強襲から田原坂の戦いをはじめ、各地で激しい攻防が続く。

宮田自身は武器も持たず、戦いに加わっているわけではなかったが、常に前線近くに足を運び若者たちを激励し、激情に駆られて命を投げ出さぬよう訴えた。

ある時には死を覚悟して挑みかかってきた敵兵をも助けたという。

そして、戦争は次第に薩軍に不利になっていく。

兵士たちの被害が拡大し動揺が広がる。

この状況にあっても一人でも多くの若者を助けたいという宮田の信念は変わらなかった。


『戦うことの怖さは敵も同じ。相手も人であることに変わりはない』


『欧米では傷ついた兵士や捕虜を保護する取り決めがある』


宮田は同行者二人に自分の体験や西洋留学で学んだ話を聞かせながら戦地を巡回した。

日に日に敵兵の数が増え薩軍は撤退を余儀なくされていく。

けれども宮田は慌てることなく取るべき行動を二人に示した。

おそらく最初から戦争の結果をある程度予想していたのであろう。

二人とも尊敬すべき宮田の指示通りにしていれば大丈夫だとの安心感があった。

ところがその思いを打ち砕く事態が発生した。


鹿児島に戻る道の途中で一発の銃声が鳴り響いた。

と同時に宮田の体が地面に崩れ落ちる。二人は驚きすぐさま宮田に駆け寄る。

銃弾は助け起こそうとする宮田の胸を貫いていた。

ほとんど絶望的な状態でただ見守る以外なかった。

周りにいる者はしばらく伏せていたが、敵のいる様子がないと分かると立ち上がり前進しだした。

味方が持っている銃の暴発か、考えたくはなかったが、日ごろ宮田の言動をこころよく思わない者の所業かもしれない。

ほどなく宮田は息を引き取った。

二人は涙ながらに宮田を抱えて連れて行こうと試みる。

側にいた兵士が、敵が迫っており気の毒であるが置いて行く以外ないと諭した。

二人はあきらめ宮田の亡骸を地面に静かに横たえて、最後まで手にしていた帽子を抜き取った。


「そん帽子は、自分にとって一番大切なものだと先生がゆておられました」


その言葉はナミの心を揺さぶった。

監察官が二人に尋ねた。


「宮田さんは最後に何かおっしゃってなかったか?」


二人はお互いの顔を見合わせ言い難そうな様子であったが、踏ん切りをつけて答えた。


「先生はうわ言のごと口になさっておいもした。すまない、すまない、と。何度も何度も」


そう言いながら項垂れる。


「すまない、すまない・・か」


監察官は、そう反復しながらそっとナミの方に顔を向けた。

もはやナミは限界であった。

ナミの瞼から涙がこぼれ始めた。

それは留まることなく手にした帽子に流れ落ちた。


「今になって初めて・・」


若者もそれ以上言葉が続かなかった。

しかしその場の誰もが宮田が言い残した言葉の意味を理解していた。

それは遠く海を隔てて待っているナミに向かって発したものであろう。

必ず戻ってくるという約束を果たせなくなったナミへの謝罪の言葉であった。

拭っても拭っても涙が溢れ出す。

我慢を重ねた数年分の思いが湧き出ているのだ。

ナミの肩を優しく触れる手があった。

ナミの気持ちを察した織部が傍に来て慰める。

ナミは首を縦に振り大丈夫だと伝えた。

けれども大丈夫なはずではあったが涙は止まりそうもなかった。



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