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終章  作者: 野原いっぱい
光あるところに陰もあり
12/16

横浜(三)


挿絵(By みてみん)


『帰って来た。ようやく帰って来たんだわ』


船が到着したのは横浜の港であった。

出発した当時の長崎の港とは景観が異なってはいるものの、同じ日本であることに間違いはなかった。

もうはるか昔のことで記憶も定かではないが、肌に感じる雰囲気は同質のものであった。

港内には蒸気船をはじめ大小さまざまな船舶が停泊していた。


「ママ、見て見て大勢の人がいるよ」


娘のソラが埠頭に集まっている人だかりを見て、手を振り始めた。

もちろんナミ親娘にしてもフィッシャー夫妻にとっても、親しい人がいるわけではない。

おそらく他の乗客の知り合いが迎えにきたのであろう。

ところが、船が桟橋に接岸し列になって甲板から降りると、フィッシャー教授を呼ぶ声があった。

どうやら教授を日本に招聘した関係者の一人であろう。

彼は近寄ってきて名乗ってから挨拶した。


「お待ちしておりました。この船であると聞いておりましたが、お目にかかり安心しました。どうでした船旅は」


「悪くはなかったんだが、なにしろ長旅だったんで陸地に上がれてほっとしたよ」


そして教授が妻マリアの後にナミを紹介すると、案内人はその美貌に少し驚いた様子で言った。


「ええ、聞いておりますよ。日本語をお話しになるとか」


『拙い日本語ですが教授夫妻のお役に立てればと思っています。今後ともよろしくお願いします』


早速ナミが日本語で答えると案内人は笑顔でうなずいた。


『とてもお上手ですよ。こちらこそよろしく』


さらに教授はソラをナミの娘であると伝えた。

いずれ分かることだし、ここで正しておくのが賢明と判断した。

と同時に、4人は家族と思ってもらって結構だと念を押した。


案内人は了承し早速待たせてあった馬車で住居まで先導した。

彼らが向かう先は山下町という場所にある外国人の居留地で、多くの西洋人が住んでいた。

居留地は西洋風の街並みでホテル、教会堂、洋館等があり、住人向けの雑誌も発行されており、更にテニスやクリケット、野球などのスポーツも人気で、また競馬も行われまさに西洋社会そのものの雰囲気があった。

彼らが着いたところは、住宅地の一角に建つ煉瓦造りの住居である。

周囲は同じような建物が並んでおり、英国人、米国人も住んでいるので言葉も通じるし環境に慣れるのも早いだろうとのこと。

以前の住人が家財道具を残しており生活に不自由することはなさそうだ。

案内人が帰った後、荷を解き着替えを済ませ、早速近隣の住民に4人揃って挨拶に回った。

フィッシャー夫妻は独語、蘭語等にも通じておりほとんどの人との会話は可能であった。

さらに会った人たちは異口同音に、日常の暮らし向きについて協力の申し出があった。

居留地に住む外国人どうし結束は強いように思われた。


次の日、フィッシャー教授が任官する東京大学から職員の訪問があった。

彼らから大学についての説明があり、その後、講義内容の打ち合わせを行った。

念のためナミも同席したが、いずれも英語を解せる人たちであった。

開校中は週4日フィッシャー教授が東京に通うことになり、そのための宿舎も用意してあった。

着任披露は構内を見学した後、恒例となっている記念講演会を行うことで同意した。

教授はその際の通訳にはナミを薦めた。

事前の打ち合わせが綿密に行えることを強調したが、ナミの名前を広めることで人探しに役立たせようとの思惑もあった。

女性の通訳は前例がなかったものの最終的には合意にこぎつけた。


彼らが帰る際、宮田賢一という人物を探していると伝えた。

アメリカで大変世話になった方であると説明した。職員からは知り合いには必ず聞くようにするとの返答があった。

アメリカではナミの出国に差支える恐れがあるため控えたが、上陸後は可能な限り確かめるつもりであった。


居留地の生活はほとんどの会話を英語で通用し困ることはなかった。

もともと社交的なマリアは周りの住人と親しくなるのは早かった。

教会もあり教授の休みの日には揃って礼拝に行くことになった。

また、児童対象のスクールも存在しソラも通うことになった。

外国人居留地とはいっても、日常は日本人も数多く出入りしている。

商売人や工事関係者、警備役人等であるが、以前ほどではないものの、外国人とのトラブルの発生を避けるため身元のチェックは行われていた。

ナミは親しくなった日本人にも宮田の捜索を依頼した。

また、娘のソラも持ち前の人懐っこい性格で、日本人に対しても覚えた日本語で話しかけるため可愛がられた。


そしてフィッシャー教授の講演会の日、ナミの姿は東京大学の大講堂にあった。

会場の聴衆はほとんどが男性で、通訳という立場の脇役ではあったが、かなり注目を浴び緊張を強いられた。

今回のような規模の催しで、通訳が女性というのが初めてであったばかりでなく、洋装の米国人であるのが奇異に映ったようだ。

けれども、教授を交えての数度にわたる事前練習が功を奏し、大役を無難にこなすことが出来た。

おかげで、ナミ・ジョンストンの名前も多くの人に知られ、関心を寄せられるようになった。


その後、教授の用事で大学に来ることがあると、面識のない人からも声を掛けられた。

ナミは教養のある女性と見られており、皆礼儀正しい人たちであった。

ある程度会話が弾むと、差しさわりのない程度に宮田の情報を確かめた。

そのような中でも職員の大久保将平は親切で紳士であった。


「その後どうですか、宮田さんという方は見つかりましたか?」


「いえ、今のところ尋ねた方の知り合いにはいらっしゃいません」


「そうですか。私も色々当たってはみたんですが。いい返事ができなくて」


「いえ、気に掛けて頂いて、とても感謝していますわ」


ためらいがちに将平は言った。


「間違っていたら大変申し訳ないことなんですが、宮田さんという方は娘さんのお父さんではないですか?」


「ああ、お分かりでしたか。いえ決して隠すつもりはないんです。ニューヨークに留学生として一人でいらっしゃった時に知り合った方です。ただ、宮田さんご本人にご迷惑をかけるといけないので」


「そうですか。ソラちゃんとおっしゃいましたっけ、大変可愛い娘さんですね。早く見つかるといいですね」


「ありがとうございます」


「もちろんこのことは他言いたしませんが。ひとつ確認したいことがあって。確か宮田さんは鹿児島出身の人だということですが。日本語の言葉遣いはどうような感じでしたか?」


「それは私や大久保さんと同じようだったと思うのですが」


「そうですか。実は鹿児島の人は薩摩弁という独特の訛があるんです。なかなか初めて人には理解しにくいんですが」


そう言いながら将平は気の回し過ぎと思ったか、慌てて付け足した。


「もちろんアメリカに単身で渡航されるような方でしたら、方言の修正は容易いことだと思いますよ。私も知り合いに外務省勤めの者もいるので問い合わせてみましょう」


「そうして頂けると大変助かります。よろしくお願いします」


けれども数日してナミは将平が指摘した意味を理解した。

西南戦争で政府側の兵士の一員として従軍した鹿児島出身の管理官と話をする機会があった。

薩摩訛を極力抑えてはいたが、独特の口調で、やはりナミが宮田賢一から影響を受けた言葉とは違っていた。

そういえば今はすっかり忘れてしまったが、長崎の僻地の方言も独特のものであった。

とすれば、宮田はどこで生まれ育ったのか。鹿児島出身というのは偽りだったのか。

それとも世界を回っている内に訛が抜けてしまったのか。

ナミには宮田への信頼が薄らいでいるのを感じた。その管理官も宮田賢一の名前に聞き覚えがないということだった。

さらに、大久保将平が知人に依頼し手に入れてきた海外留学の一覧名簿を見せてもらったが、宮田賢一の名前はなかった。

念のため心当たりの名前がないか目で追ったが、いずれも知らない人たちばかりであった。

今から思うと、宮田の素性について知らないことばかりであった。

出身は、家族は、友人は等々。

バードハウスに宮田を尋ねてきた男性についても名前を聞いていなかった。

うかつではあったが、今となっては後の祭りである。

唯一心を和ませたのは、女性留学者の中に津田梅子の名があったことである。


その後も有力な情報はなく日が過ぎてゆく。

一方でフィッシャー夫妻の生活は順調に推移していった。

ロナルドの東京大学での講義はなかなか好評で、勉強熱心な生徒たちを大変気に入っていた。

時々ナミもロナルドからの依頼で大学まで足を運ぶことがあった。

マリアも居留地内の催しに積極的に参加し毎日が充実しているようであった。

また、横浜市内にも見物や買い物に出かけることがあったが必ずナミも同行した。

娘のソラも友達も増え毎日楽しそうに過ごしていた。

陽気な性格で大人たちにも可愛がられていた。

その表情からは父親が不明のままであるとの認識は窺い知れなかった。


そういう中でナミは次第に徒労感が募り、宮田を探す気力が喪失していくのを自覚しだした。

さらにナミにはもう一人再会したいと思っている人物がいた。

その人については、フィッシャー夫妻にも話していなかったが、名前すら覚えていなかったため、探すのはほぼ絶望的に思えた。

意気消沈しているナミを励まそうとフィッシャー夫妻は、常に笑顔で接した。

本来の目的は見通しが全く立たなかったが、かえって身内どうしの連帯感は強まっていった。


ある日、ソラが寝た後でナミは夫妻に言った。


「ロナルド、マリア、私もう宮田さんのこと諦めたわ」


ナミにとって夫妻は家族同然であった。


「まだ日本に来て半年じゃないか。まだ諦めるのは早いよ」


「そうよ、いままで大勢の人に問い合わせているんだもの、その内朗報が入ってくるわよ」


「でもこれ以上二人に迷惑を掛けられないわ」


「馬鹿だな。少しも迷惑だと思っていないさ。むしろ少しでもナミの役に立てれば嬉しいと思っているよ」


「私も同じ思いよ。けれど気分転換が必要かもしれないわね。親しい人から誘われたのだけど、次の休暇日に観光旅行に行かないかって。十日ほどの日程で横浜から行ける名所を回るんですって。定期的に仲間を集めて行っているらしいわ。私たちも便乗しない」


「ほう、それは面白そうだな。たまには息抜きしないとな」


「そうよ。ソラも喜ぶわ。行きましょうよ」


ナミも賛同し、その旅行への参加を申し込むことになった。

そして、このことがきっかけとなり願いが叶うことになるとは思ってもみなかった。


ロナルドが休暇に入り夫妻とナミ親娘は居留地内の他の参加者とともに、観光地巡りに出発した。

横浜を出て金沢八景を通り鎌倉に入り、主に寺社を回った後、さらに西下。

江の島をはじめ海沿いの景色を眺めながら小田原に至る。

そして箱根まで足を伸ばし、有名な温泉に浸かった後、芦ノ湖から富士の絶景を堪能する経路であった。何台かの乗り合い馬車を繰り出し、江戸時代から整備されていた東海道を進むため旅程は予定通りであった。

幕末期にあった外国人への危害はなくなってはいたが、念のため日本人の案内で警護人も付き添った。

鎌倉では大仏の姿に見惚れ、禅寺にも足を運び僧侶の修業も目にすることが出来た。

小田原城はかつての原型を留めていなかったが、旧跡からかつて難攻不落といわれた名残は見て取れた。さらに箱根の湯は旅の疲れを取り除き、なによりも富士の景観に心を打たれ、いつまでも滞在していたい気分に陥った。

頂上付近に真っ白な雪を抱く高峰を見上げて、参加者は皆『美しい、美しい』を連発した。

途中で泊まった宿のもてなしは大変良く、食事も満足のいくものであった。

フィッシャー夫妻はこの旅行であらためて日本が気に入り、ソラも初めて見る日本の風景に興味深々で、行く先々の見物を思う存分楽しんでいた。

ナミもこの旅の期間中は、宮田の捜索がはかどらない悩みを忘れることができた。


そして、参加者の内さらに西方面へ足を延ばす者もいたが、フィッシャー夫妻達は予定通り横浜に戻ることになった。

ところが、居留地内の住居に着いた途端、マリアが体調を崩し寝込んでしまった。

おそらく旅の疲れが出たのであろうが、ゆっくり休ませることにした。

念のため医者に診てもらうことになったが、知り合いの医師が旅行を続けており不在であった。

そこで親しくしている隣人と相談すると、居留地外で開業している日本人医師の腕が良く、時々往診を頼むことがあるという。

そこで、管理官を通じて使用人に走ってもらい、予約を取ることになった。

即返事があって翌日午後に来てもらうことになった。


次の日、ロナルドは大学で講義があるため、朝から東京に出発した。

東京大学には居留地内にある公民館から電話が通じており、緊急の場合連絡を取ることができた。

ナミは教会で行われる児童向けの催しに参加するソラを送っていくために一度外出したが、戻ってきてマリアの介護をしながら、医師の到着を待った。

そして、昼過ぎに案内人が日本人医師を連れて玄関に現れナミに引き合わせた。


「ようこそいらっしゃいました。わざわざ来ていただいてありがとうございます」


日本語での対応に意外そうではあったが、すぐに返事があった。


「伴野と申します。よろしくお願いします」


逆光で面差は定かではなかったが、落ち着いた雰囲気の年長の男性であった。


「奥様のお加減がお悪いと聞いておりますが」


「ええ、本人は奥の部屋で横になっています。私は通訳をしている者です。どうぞお入りになってください。ご案内します」


「それでは失礼します」


医師は持参の荷物を手に提げナミに従った。

部屋の前まできて扉をノックした。


『マリア、先生がいらっしゃったわ』


『はい、どうぞ』


マリアの返事を聞き、扉を開け入ってもらうよう手招きした。

医師は会釈をしながら部屋の中に入った。

その横顔に明かりが照らした瞬間、懐かしい思いが頭を掠めた。

どこかで会っている。いったいどこでだろう。

その思いにとらわれ通訳の役目がお留守になった。

けれども心配は無用であった。


『私は伴野と申します。奥様のお加減がお悪いと聞き参りました』


ベッドの傍に近づいた医師が英語で問いかけた。


『まあ英語でお話ができるのね。とても助かりますわ。どうぞ椅子にお座りになって』


最初は日本人医師と聞き気がかりだったマリアも安心して言った。

その後、医師は容態についてマリアに質問した。

それに対してマリアは症状を出来るだけ詳しく説明する。

その間、ナミは口を挟むことなく過去に接した人物を思い出そうと努めた。

最近ではない。

アメリカでも似た顔立ちの日本人との接触はなかった。

とすればそれ以前の時期。

ナミにとってそれは長崎の頃しかなかった。

医師がマリアの脈を取っている。

もう一度その横顔に目を凝らすと、記憶の片隅にしかなかった恩人の顔がよみがえった。

ナミは息を呑んだ。

一瞬鼓動の高まりを感じたが、冷静に思い出そうと気を集中する。

なにしろ二十年近く前のことである。懸命に記憶を手繰る。

その間も二人はやり取りをしながら診察が続いている。

確かあの人はもっと若く髷を結んでいた。

断髪して年を重ねれば伴野医師のような容貌になるかもしれない。

似ているが別人の可能性もあった。

しかも伴野という名も記憶にはなかった。

ただ、姓でなく名前を知ることが出来れば判断つくかもしれない。

けれども今それを聞くと妙に思われるだろう。

他に確かめる方法を考えた。

そしてあることに気がつき、頃合いを見て医師に質問した。


『先生はどちらで英語を学ばれたのでしょうか?』


医師はためらわず返答した。


『長崎です。若いころに長崎で学修しましてね。その時に教えてもらったんですが、今は職業上必要な程度の英語で、初歩的な会話しかできません』


ナミは声を上げそうになったが、代わりにマリアが口を挟んだ。


『でも先生の英語、私にはよくわかりますわ。アメリカに行っても通用します。実は、私も主人もドイツ生まれなんですよ。初めてアメリカの土を踏んだ時は心配だったのですけれど、多くの人と接していく内に、自然と喋れるようになったんです』


『そうですか。私たち医師は今逆に、ドイツ語を学ぶ必要に迫られているんです。日本の医学界がドイツ方式を採用しましてね。医学用語もドイツ語を知らないと理解できないんですよ』


二人が話している間、ナミは思案していた。

長崎で学んだからといって、恩人とは限らない。

偶然かもしれない。

もう一度氏名を確認する必要があった。

なにしろ遠い昔ことで顔も定かでなく自信がなかった。

診察が終わり医師はマリアとナミを交互に見て言った。


『どうやら慣れない旅により疲労が蓄積し、身体の機能が低下したようです。けれども体がだるく感じるだけで、熱もありませんし、心音も正常ですから、ゆっくり休養し栄養を取れば回復するでしょう。滋養薬を持参しておりますので置いておきましょう』


『それを聞いて安心しましたわ。しばらく出歩かず家で休むようにしますわ』


そして医師は注意事項を二、三申し送った後、暇乞いを述べた。

マリアの感謝の言葉を耳にしながら、ナミは見送りのため医師と一緒に部屋を出た。

玄関に進み扉の前まで来たとき、ナミは振り向き、意を決して医師に声を掛けた。


「つかぬ事をうかがいますが、先生のお名前は伴野何とおっしゃいましょうか?」


予期せぬ質問で戸惑ったようだがすぐに答えが返ってきた。


「私は伴野敏明と言います」


ナミの記憶ではその名前に心当たりがなかった。


「そうですか。伴野敏明様・・」


ナミは気落ちしてしまったが、医師はその様子に勘違いして言い訳するように補足した。


「もっとも私が伴野医院を始めたわけではないんです。養父が開業し私が引き継いだのですよ。つまり、婿に入り伴野を名乗っている訳です」


少し照れ気味の医師の言葉に、ナミは思わず生気を取り戻した。


「では以前のお名前はなんと?」


「はて、元は坪井数馬という田舎者でしてな」


「つぼい・・かずま・・」


その時、ナミの脳裏から過去の記憶が蘇った。


 『数馬さんのとこに行く。数馬さんのとこに行く』


  『本当に困った子だこと』


 『ナミ、ここでなにしておる?』


  『数馬さん、見て見て、海がとってもきれい』


 『嬉しい、数馬さんと一緒にお食事ができるのね』


  『ああそうだよ。坪井氏はナミの親代わりだから、お別れを言わなくてわな』


ナミは目頭が熱くなり、涙が頬を伝った。

医師はそれを見て困惑してしまった。


「いったい、どういう・・」


ナミは子供のような声で言った。


「数馬さんに会えた。数馬さんにやっと会えた」


医師の茫然とした様子を見てナミは我に返った。


「ナミです。数馬さんに長崎の山里から連れ出してもらったナミです」


医師は一瞬頭を巡らせたが、すぐに驚きの表情を見せた。


「ナミなのか、本当にナミなのか」


医師はナミの両腕を手で握り、食い入るように見つめた。

ナミは何度もうなずく。

「すまない。ちっともわからなんだ。いや、あんなに小さかったのに、すっかりきれいな女性になって。戻ってきたんだな。日本に戻ってきたんだな」


「ええ、フィッシャー夫妻に通訳として雇ってもらって。娘と一緒に」


「そうか娘さんもいるのか。いや、もうあれから二十年近くになるな。私も変わってしまったからな。では、ナミと一緒にアメリカに行った先生と奥様は?」


「フランクとエイミー・ジョンストンですが、二人とも亡くなりました」


「そうか、それは残念なことだ。だが感謝しなければなるまい。ナミを立派に育ててくれたのだから」


医師の顔は喜びに溢れていたが、ナミの腕から手を離しながら言った。


「まだまだ聞きたいことがあるんだが、次の患者が待っていてな。どうしても行かねばならない。どうだうちに来ないか。駅前にあるんだが仕事柄なかなか医院を留守にするのは難しくてな」


「参ります。参ります」


ナミが承諾すると医師は笑顔で肯いた。

その後、二人は日時を決めて再会の約束を交わした。

そのときにはナミは娘のソラを連れて行くことになった。

医師には双子の姉妹がおり、面倒を見させるという。

医師は来た時と打って変わって柔和な表情で玄関から外に出た。

住居から立ち去る際にナミに向かって念を押す。


「待っているからな。来るのを楽しみにしているよ」


ナミも首を縦に振って応じる。

そして、医師の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。

このとき、ナミはかつて長崎での出来事を思い出していた。

海が見える岩場での数馬との出会い。

そして、背中におぶってもらい生まれて初めて山里から連れ出してもらったこと。

伝習所で自分と同じ顔立ちのエイミーを見た驚き。

そして、船に乗って憧れの海に出た感動。

いずれも夢のような時間であった。

今から思えば懐かしく、そして自分にとって最も貴重な体験であった。

しばらく蘇った過去に陶酔した。


「ナミ」


家中から呼ぶ声に思わず正気に戻る。

そうだ、マリアにこのことを話さないと。

そして礼を言おう。

数馬さんと巡り会えたのはマリアのお陰だから。

ナミは家に入り、足取り軽く部屋に向かった。




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