横浜(二)
ニューヨーク港地区の教会で執り行われたエイミー・ジョンストンの葬儀には多数の参列者があった。
牧師はエイミーと長年親交があり、その死に深い悲しみを覚えていたが、定めに従ってしめやかに式を進めていった。
喪主は娘のナミ・ジョンストンで集まった人々に対し丁寧に会葬の礼を繰り返していった。
ナミはエイミーが亡くなった直後は悲しみで涙に暮れたが、この日は泣くこともなく落ち着いた態度で式に臨んでいた。
以前に夫のフランクに先立たれた時、エイミーは最愛の人を亡くし泣き崩れたが、葬儀にあたっては毅然として会葬者の応対をしていたのを、ナミは鮮明に覚えていた。
ナミにとってエイミーは母親であると同時に、見習うべき教師でもあった。
この日はバードハウスの隣人や日ごろ親しくしていた知人、友人、さらにかつてエイミーから教えを受けた人々も故人を惜しみ数多く参列していた。
彼らはエイミーの人柄を褒めたたえ、ナミの礼儀正しさに感心した。
葬儀が終わった後、エイミーを偲ぶため、バードハウスの住居に隣人や故人ゆかりの人々が集まった。
それぞれが飲食物を持ち寄り、賑やかに会食した。
話題の中心はエイミーの過去の功績やエピソードにあったが、ナミとソラ親子の今後の身の振り方についても関心を集めた。
ほとんどの人が母子家庭になった経緯を知っていた。
ナミもあえて日本人留学生と関係があったことを隠さなかった。
ナミが宮田と名乗る日本人に、与太者から暴行に遭うのを助けられたこと。
そして、二人は恋に陥り結婚を約束したこと。
本国の政情不安により、宮田は急遽日本に帰国したが、その後ソラが生まれ、連絡を取ろうと何度も試みたが梨の礫であったことも気心の知れた人々は皆承知していた。
今までも彼らの間で憶測が飛び交った。
ちょうど日本で西南戦争が勃発し多くの人命が失われたという情報が入り、何らかの形で宮田氏が巻き込まれたのではないかという意見。
日本人留学生というのが偽りでナミが詐欺師にひっかかったのではないか。
もっと極端な説は、宮田というのは偽名でナミとの関係を打ち切るのに日本の政変を持ち出したと言う者もあった。
その根拠は宮田から聞いた使節団の中に、名前が確認できなかったことにある。
もちろんナミはそれらの憶測を信じたくなかった。
けれども1年が経ち2年が過ぎ、気がついてみれば5年以上の歳月が経過した今では、当初抱いていた宮田に対する想いも、かなり薄らいでいることは否めなかった。
親しい人からは、ナミに娘がいるにしても、まだ充分若く、同性も羨む美貌の持ち主であることから、関心を寄せる男性がいると、何度か縁談を持ちかけられた。
けれどもその都度、今は仕事が忙しくその気にならないと断り続けている。
確かに、教師となって学ぶことは山ほどあったが、本当の理由はナミの心の中にあった。
宮田との間のことは、過ぎ去ったはるか以前の短期間の出来事だったとしても、一粒種のソラがいるのである。
仮に、欺かれたとしても、ソラのためにも事実を知りたかった。
もちろん、ナミ自身も中途半端な気持ちを払拭することが必要だった。
もどかしい思いを抱いたままでは、新たな道に進むことが出来なかった。
そして、いつの頃からか、事実を確認するためには日本に行く以外ないと思っていた。
そのナミの心境をエイミーは見抜いていた。エイミーが昏睡状態から一時的に目覚め言った言葉、
『行きなさい、あなたの道を。大丈夫、ナミなら出来るわ』
はナミの心を読み取り励ますものであった。
そこには娘を想う親の気持ちが現れていた。
客人たちの話は尽きなかったが、夜も深まり徐々に馴染みの顔が減っていき、最後の一人を送り出すと、ソファで寝てしまった娘のソラをベッドまで運び横たえた。
そして、ナミは日本への渡航について思い巡らせてみた。
けれどもどう考えてみても難しいと痛感した。
たとえ乗り物が確保出来たとしても、どこの誰を頼っていけばいいのか。
ほとんど知り合いはいなかった。
又、現地で誰に問い合わせればいいのか全く目当てはなかった。
更にソラをどうするのか。
一緒に連れて行くのは困難に思えた。
夜遅くまであれこれ思案したものの一向に名案は浮かばなかった。
一段落した後、仕事に戻ったが娘の世話や弔いに訪れる客がいて、早めに帰宅することになった。
ボストンから娘のレベッカと一緒にやって来た親友のジェシカがその一人であった。
二人は顔を合わせるなり、エイミーの死を抱き合って悲しんだ。
そして、ナミはジェシカに対してだけは、胸に秘めた思いや決意も、素直に打ち明けることが出来た。
宮田の消息がつかめないことに対して、自分自身の気持ちやエイミーが奨めたことを話し、日本に行って確かめたいと伝えると、ジェシカはすぐに賛成した。
むしろ、どのような結果が出ようと目を背けない覚悟でいることを称賛した。
もし、一人で行くのであればソラを預かってもいいとの申し出があった。
ナミは感謝し、かけがえのない親友の有り難さをしみじみ感じた。
その後、レベッカとソラが娘どうし仲良く遊んでいるのを目にしながらジェシカが言った。
「私近々、結婚するかもしれないわ。今付き合っている男性なの。レベッカのことも気に入っているし、昔の事件のことも知っているわ。それでも構わないと言っているの」
「まあ、なんて素敵なことなんでしょう。ぜひ紹介してほしいわ」
「もちろんよ。決まればすぐに連れてくるわ。ナミが日本に出発する前にね」
そして、二人は夜遅くまでお互いの近況を語り合った。
ジェシカとレベッカは一泊し、翌日にエイミーのお墓に詣でた後、ボストンに帰って行った。
次の日の夕刻、アルバート・ポーターが勤務地から駆け付けた。
驚いたことに慎ましい印象の若い女性を伴っていた。
いつも通っている教会で知り合い、親しくなって将来を約束しているという。
アルはエイミーにも紹介したかったと、悔しがった。
昼間、ナミが不在であったため、知り合いの牧師を尋ね、場所を教えてもらい墓参してきたという。
翌日仕事が入っているため、弔意を伝えた後、帰って行ったが、ナミは二人の幸せを祈りながら見送った。
ナミは親密な人たちがいずれも前向きに暮らしているのを羨ましく思った。
それに比べ、自分はいまだに過去に囚われおり、先に進むには、それを払拭する必要があった。
そのためにも、日本に行くことが不可欠であった。
その夜、娘のソラに話しかけた。
「ママね。海に向こうにある日本という国に用事があって行くかもしれないわ」
「じゃあ、お船に乗れるのね。楽しそう」
「で、でもね、大変危なくて、時間も掛かるし、お友達にも会えなくなってしまうわ」
「平気、平気。それでいつ行くの?」
一緒に行けると思い込んでいる。
ナミにとってソラを一人残して行くのが頭痛の種となった。
*
ところが数日後、ナミの悩みをくみ取って、天国のエイミーが導いたとしか思えない来客があった。
五十台後半のロナルドとマリアのフィッシャー夫妻だった。
現在、ボストン在住で、夫が大学の教授であるという。
もともとが、ドイツ出身で本国の教育機関で教職に携わっていたとき、臨時で赴任してきたジョンストン氏と知り合い、お互い家族ぐるみで親しくなったという。
当時、ロナルドは周囲も認める有能な学者でもあったが、少数のユダヤ系であったため、日常、様々な差別や迫害にさらされていた。
その悩みをジョンストン夫妻に相談すると、アメリカに来ないかとの誘いがあった。
アメリカは移民国家で人口が増えつつあり、国家建設に多くの人種が共存しており、今後人々の教育が重要となるとの説明があった。
ただ、今は内戦中で、それが終結した後に帰国する予定になっていて、そのあかつきには、懇意にしている大学に呼び寄せるとのことであった。
フィッシャー夫妻は乗り気になった。
そして、数年後、約束通りジョンストン氏から便りがあって、ボストンの大学で教職に就くために、子供たちも含め、一家で移住することになったのである。
「私たちにとって、ジョンストン夫妻は恩人です。この国に来て充実した日々を過ごせることが出来たのですから。家族は皆喜んでいますよ。従って、以前のフランク氏に続き、このたびのエイミーさんのご逝去を知り悲しみに堪えません」
とロナルドが言うと、マリアが引き取った。
「そうですわ。こちらに来てからも大変親切にして頂いて。心からご冥福をお祈りしますわ。一度、ボストンにいらっしゃった時にご自宅にお礼を言うために、おじゃましたことがあったんです。その折りにおっしゃってましたわ。日本で出会った少女を養子にして連れ帰ったと」
「それは私のことですわ」
とナミは微笑みながら言った。
「そうなのね。その時は学校の行ってらして会えなかったのですが、もうすっかり成長され立派になられて。エイミーさんがおっしゃってたわ。ナミというお名前で大変優秀で短期間で英語をマスターされたと。褒めてらしたわ、素直で物覚えも速いと」
「そのころの私は全く見知らぬ世界に来て、無我夢中でした」
「それは私たちも同じよ。ここに来るまで想像の地でしたもの」
その後、ジョンストン夫妻についての回顧やナミの知らない思い出話をして懐かしんだ。
しばらくして、ロナルドが話題を変えた。
「実は私たちはエイミーさんに相談に乗ってほしいことがあったんです」
「そうですか、それは残念なことですね。もし私でもよければお聞きするだけでも」
「いや、ナミさんにも関連するかもしれませんね。私たち数か月後に日本に行くことになっているんです」
ナミは思わず目を見開いた。
「それはどのような事情で?」
ロナルドが説明した。
日本政府の招聘だと言う。
日本では新政府の発足に伴い、近代化の推進のため広範な分野で西洋化が図られている。
そのために、西欧や米国から専門家を招き若者への教育に力を入れているそうだ。
化学部門の一人として、フィッシャーに白羽の矢が立ったと言う。
数年後に退官となる彼は、もう一度異国で自分の知識を役立ててもらおうと、家族と相談の上、日本への渡航を承諾することにした。
「もちろん妻も一緒に行くんですが、言葉が通じなくて不安だと言うんです。向こうにも通訳はいるでしょうが、ある程度行動を共に出来る人がいると安心だと」
ロベルトが続ける。
「出来ればこちらで気心の知れた人を雇いたいのですが、はたして日本語を解せる人がいるのかどうか。ああ、その間のお手当は私が受け取る報酬から出せると思います。もう子供たちもそれぞれ収入があって、私たちもそれほどお金をほしいとも思いませんので」
それはナミにとっては思いがけない要望であった。
ただもう少し確認する必要があった。
「その通訳者には、どのような人を望まれていますか?」
「いえ、それは特に、ただ期間は二年になりますので、それさえ承知いただければどなたでも」
「でも、やっぱり私たちより若い方のほうがいいわね」
マリアが補足する。
ナミは少し考えた後、思い切って言ってみた。
「どうでしょう。私のような者でもお役に立てれば。日本語は完璧にはほど遠いのですが、日常会話程度なら話せますが」
この申し出にフィッシャー夫妻は驚いた様子で顔を見合わせた。
「もちろんナミさんであれば申し分ないのですが、お仕事の方は?」
「ええ、小学校の教師をしていますが、仕事を辞めてでも日本に参りたいと思っていたところなんです」
そしてナミは今までの経緯を語り始めた。
日本人男性の宮田との出会いから交際期間を経て別れるまでの事情。
娘の出産と宮田と連絡が取れなくなった状況。
更に、確認のためには日本に行く以外ないと思い定めたことなど。
その間、夫妻は黙って聞き耳を立てていたが、聞き終わったマリアが同情して言った。
「まあ、大変お気の奥な体験をなさってきたのね。そういうことなら、なんとか力になってあげたいわ。ねえロナルド」
「そうだな、私たちもジョンストン夫妻に恩を感じているんです。少しでもお返し出来ればと思っていたところなんですよ」
「娘さんはどうなさるおつもりで?」
「ええ、私の親しくしている友人が預かってもいいと言ってくれています」
「でも、二年間よ。嫌がらないかしら」
「まあ、仕方がないと思っています」
ナミは困った顔をして答えた。
すると、マリアが意外なことを口にした。
「一緒に連れていけばいいじゃない、娘さんも」
「え、そんなことが出来るので・・」
その時、玄関の扉が開き、表から当のソラが戻って来た。
「ママ、隣のおばちゃんからクッキーもらっちゃった」
応接していた部屋に駆け込んできたソラをナミがたしなめた。
「お客さんよ、ソラ。挨拶しなさい」
ソラは立ち止まり、はにかんだ表情で言った。
「こんにちは」
マリアは優しい笑顔で応じた。
「こちらこそ、初めまして、私マリアと言うのよ。ソラちゃんね。今おいくつかしら?」
「ソラ、今年で5歳になるのよ」
「じゃあ、もうすぐ学校に行くことになるわね。お友達が出来るから楽しみね」
「そうよ。でもね、その前にママと一緒に旅行に行くのよ」
「あら、そうなの。それでどこにいくのかしら?」
「日本という国よ。そこに行ってパパと会うのよ」
これにはナミも慌てた。
「それ、誰から聞いたの?」
「お隣のおばちゃんよ。日本にはソラのパパがいるんだって」
ナミは溜息を吐いた。
いつも世話になっている隣人で、悪気はなかったのであろう。
マリアは微笑を洩らし、にこやかな表情の夫ロナルドを見た後で、ソラに言った。
「そうなの、じゃあ、おばちゃん達もついて行っていいかな?」
「もちろんいいわよ。一緒に行こ、行こ」
「ありがとう。じゃあ約束よ。4人で日本に行きましょ」
ナミは大いに戸惑ったが、結果としてソラも含め日本への渡航が決まったのも同然であった。
その後もマリアは語りかけたがソラからは無邪気な答えが返ってきた。
マリアは子供好きでソラも人見知りすることはなかった。
その性格は一人で世界各国を回っていた父親の血を引いているようであった。
フィッシャー夫妻が暇を告げ、腰を上げる頃には、二人ともすっかりソラが気に入っていた。
ロナルドからは、関係者と折衝し了承を得た上で、正式な返事を後日すると伝えられた。
そして、十日後、通訳者として採用の連絡があった。
ただ、ソラについては同行者の続柄の都合から、フィッシャー夫妻の孫ということになった。
出発日は三ヶ月後であるが、ナミにとっては毎日が忙しいものになった。
まず勤め先の学校を辞める必要があった。
先輩や同僚は皆退職を残念がったが、理由を説明すると理解を示してくれた。
隣人や親しい知人にも丁寧に伝えていった。
ほとんどの者が事情を知っており、その決断に同情し、共感したが、いずれも心から別れを惜しんだ。
遠方の人々にも手紙を送り知らせたが、ただ一人だけ喜んだ女性がいた。
津田梅子で彼女の返信は、
「私も来年日本に帰ります。向うで会いましょう」
であった。
また、通訳としてレベルアップを目指す必要があった。
今までは必要に駆られて体験しただけで、仕事として会話したことがなかった。
知人に頼んで日英辞書をなんとか手に入れて勉強する一方で、直にニューヨークに滞在する日本人に会いに行き、言葉を交わして練習台になってもらった。
また、自宅では娘のソラに日本語を教え、二人だけの時は英語で話さないように努めた。
幸いソラはまだ小さかったこともあり、楽しみながら覚え上達は速かった。
そして、またたく間に3ヶ月が過ぎ、日本に出発する日がやって来た。
行程はニューヨーク駅から鉄道で西海岸まで移動し、そこから船で太平洋を日本に向かうことになっている。
ナミがアメリカにやって来た逆のコースである。
以前は途中蒸気船にも乗り継いだが、もう既に大陸横断鉄道は完成していた。
ソラ親子は多くの人々に見送られ、列車に乗り込んだ。
ほとんどの人々は早く帰って来てほしいと言った。
それに対しナミは目的を果たせばすぐにでも帰ると答えた。
この時点では2年で帰るつもりであった。
途中駅でフィッシャー夫妻と合流し4人は一路西を目指した。
列車の中では、ソラが見たものすべてが珍しく無邪気に話しかけてくる。
それに対しマリアやロナルドがにこやかに答える。
二人とも退屈しないですむと喜んでいる。
それは、かつてフランクやエイミーに向かって興奮しはしゃいだ自分と同じだと思った。
ついこの前まで、自分が娘のソラと一緒に日本に行くことになるとは思ってもみなかった。
エイミーがナミとソラを不憫に思い、天国からフィッシャー夫妻を遣わしたのであろうか。
遠くにそびえる山々を目にしながらふと考えた。
その時、ナミの脳裏に在りし日の光景がよみがえった。
あれは、ニューハンプシャーに居た頃、高校生の友人達とはぐれ一人山奥に迷い込み、インディアンの占い師と出会った時のこと。
その際、ナミの将来を占い、最も親しい者と日本に行くことになると言った。
ナミはフランクやエイミーと再び旅に出るものと期待したが、その後、フランクが亡くなり、占いは外れたと思い込み忘れ去ってしまった。
だが、今こうして自分の娘と一緒に日本に向かって旅をしている。
あの占い師の言ったことは本当だったのだ。
そしてもう一つ大切な予言があった。
確かナミの心を読んで言った言葉。
何であったのであろう。
ナミは懸命に思い出そうと試みた。
あれは馬に乗りインディアンの背中にしがみついていた時であった。
その瞬間、昔の記憶が頭を掠った。
自分が子供の時、背中におぶって、過酷な暮らしをしていた村里から救い出してくれた男の人に、日本で巡り合うと言った。
これから行く日本で。
再び。
けれども、どこで、どのようにして。
ナミの見開いた目は過行く広大なアメリカの大地を見ていなかった。
ただ瞼にぼんやり浮かんでいるのは寂れた山村の峠道であった。
***
上林嘉右衛門は蒸気船で西に向かっていた。
目的地は大坂の道修町で嘉右衛門自身このような遠出をすることは初めてであった。
大久保将平から大坂の薬種業者の動向を耳にしたとき、ぜひ一度行ってみたいと思った。
彼らは単に薬品の販売を行っているだけではなく、西洋薬の製造にも乗り出していると聞く。
店舗の今後の展開を占う上で、薬種仲買の本場への視察は大いに参考になると考えた。
けれども嘉右衛門にとって具体的な行先の目当てはなかった。
そこで、懇意にしている薬種組合の年長者と相談すると、一軒の店を紹介してくれた。
田辺五兵衛が店主で十一代目となる老舗ではあるが、従来の和漢薬にあきたらず道修町では早くから西洋薬に目をつけ取り扱っているそうである。
早速、手紙で理由を説明し訪問の意向を伝えてもらうと、すぐに折り返し歓迎の返事があった。
他にも関心を示す者もいて、結局4人で大坂に向かうことになった。
一向は富士山をはじめ陸地の景観を堪能しながら海路を西に進む。
途中、一泊するため港に立ち寄ったが、翌日には大坂港に着いた。
小型船に乗り換え、安治川から運河航路に入り船場地区に至る。
そこから徒歩で目的地に向かったが、賑やかな一帯で店舗の数も多く、大坂の商業の中心地だけのことはある。
道先のあちこちで目にする幟旗の題目を指さして一向の一人が言った。
「やはりこちらでも自由民権が盛んなんですかね」
「いや、最近は一部で過激な行動を取る者も現れ、警察も目を光らせているそうだ」
字幕には『自由民権演説会開催』とあった。
自由民権運動は明治7年に政府に対して提出された民選議員設立建白書が契機となって始まった政治運動で、いくつかの政治団体が結成されたり、各地で士族を中心とした反乱が起こったりしたが、明治14年に国会開設が十年後に約束されると、自由党、立憲改進党が主導する民権運動に重点が移っていった。
道修町界隈に差し掛かるといくつかの薬種問屋が軒を並べていた。
いずれも薬嘉堂より数倍の規模の店構えである。
その内の一軒が田辺五兵衛の店であった。
店先で来訪を伝えてもらうと奥からすぐに本人が現れ4人を出迎えた。
「これはこれはようお越しで。東京からここまで大変でおましたでしょう」
「このたびはお忙しい中、無理なお願いを申しまして大変恐縮に思っております」
「なんの水臭い。同業のよしみやおませんか。ちっとも遠慮なさることおませんがな。ささ、中に入ってくつろいでいただきましょ」
五兵衛は嘉右衛門よりも少し年上で、想像以上に若かった。
しかも大変陽気な性格で親しみやすかった。
一向は店の中に入り、奥の応接座敷に通された。
そして、茶や菓子を振る舞われ歓待される。
身を整え、しばらく体を休めた後、五兵衛の弟や番頭にも引き合わされた。
嘉右衛門等も自己紹介して懇談となった。
世間話に始まったが次第に景気や仕事の話に移っていく。
それぞれが、薬種業の動向や苦労話を披露しあった。
嘉右衛門は、お互いの話を聞くうちに、同じ業界とはいえ東と西の商いの感覚、将来の展望の違いを痛感した。
もちろん、道修町は国内外から薬が集まり、全国流通の中心拠点で最新の情報が得やすいこともあるが、単に卸業に甘んじるだけでなく、自らが試行錯誤で西洋薬に対抗していける商品を創造していこうとする姿勢があった。
その点、嘉右衛門は大いに関心を示し、目を輝かせて質問した。
「けれども、相当な西洋の科学知識がないと独自に生産するのは難しいのでは?」
「確かに、最初はわしらもオランダの専門家を招いて、薬品の鑑定やら製薬等の基礎知識を一から学びましたがな。特に、もう一人の弟が熱心に学んでなんとか真似事の製薬場をこしらえることが出来たんですわ」
「ほう、それは素晴らしい。今も稼働中ですか?」
ところが、五兵衛は顔を曇らせて答えた。
「いえ、そこでアルコールやエーテルを作っとったんですが、事故があって製薬場が全焼してしまいましてな、弟も火傷を負って亡くなってしもたんですわ」
「それは、おいたわしい」
一向は口々にお悔やみを述べた。
「けれどもそれでへこたれとったら、弟の苦労も無になってしまいまんがな。もう一度製薬場を再建して、出来る薬品から作り出そうとしているところです」
嘉右衛門はその意欲に心を打たれた。
身内の不幸に係わらず初心を貫こうとする姿勢は、先代の店主と母親を火災で亡くした自分と、事情は異なるものの似た立場にあると感じた。
表向きは陽気な人柄ではあるが、内面は確固たる信念の持ち主であろう。
嘉右衛門は無理を承知で聞いてみた。
「差支えがあれば結構ですが、その製薬場を拝見させていただくことが出来ますか?」
ところがあっさり返事が返ってきた。
「構いまへんがな。早速明日ご案内しますわ」
更に、西洋薬の国産化は同業の武田、塩野といった卸商も積極的で、お互い協力していくことを申し合わせているとの説明があった。
その後、一向は予約してもらった宿に一旦引き上げたが、夕刻から近くの料理屋で宴席が設けられていて御馳走になった。
正直これほど歓迎されようとは思ってもみなかった。
翌日、見学に向かった製薬場は、店から近くの場所にあった。
建屋は煉瓦造りで真新しかったが、火事で焼失した木造から変更したのだという。
中に入ると何人かの作業員が働いていた。
内部には煉瓦積みのかまどや、燃料用の炭、陶製の容器、各種装置が置かれており、かなり暑く、独特の臭気があった。
五兵衛はそれらの設備や工程について一つ一つ詳しく説明していった。
現在はアルコールやアンモニア水、丁幾類の製造に取りかかっているが、将来は品数も増やしていくとのこと。
嘉右衛門達の質問にも、なんの隠し立てもなく答えてくれたが、問題点も多く克服する必要があるとも述べた。
まだまだ初歩的な生産設備との解説ではあったが、嘉右衛門にとっては大変参考になったし、自分の目指していく方向性に合致すると感じた。
五兵衛は言った。
「今は西洋の真似事ですが、いずれ追いつきたいと思ってますねん。わたしらは一緒にやっていこうと言う人がいれば決して拒みまへん。それが日本の発展につながると思ってます。東の方でもやらはるなら、協力しますわ」
嘉右衛門はより一層、五兵衛に親近感を抱いた。
製薬場から出た後、五兵衛の案内で自由民権の演説会が行われる集会場に向かった。
前日の宴会場で今日登壇する弁士の一人に女性がいるので、聞きにいこうということになっていた。
今まで男性ばかりで女性は初めてのようだ。
土佐出身で岸田俊子というらしい。
会場は物珍しさも手伝って超満員であった。
一行は後方の位置で見聞きするしかなかった。
何人かの弁士の後、彼女が登場すると、会場にさざめきが満ちた。
彼女は聴衆のほとんどが見惚れるほどの美貌の持ち主であった。
いったいどのような演説になるのか皆固唾を呑んで見守った。
ところがその口から一旦声が発せられると、たちまちその品位ある情感のこもった演説に惹き付けられた。
その声は離れたところで聞いている嘉右衛門の耳にもはっきりと聞き取れることができた。
歯切れのよい口上は非常に新鮮であった。
演説が終わると嘉右衛門たちも一緒になって熱狂し拍手喝采した。
今まで女性が多数の人々の前で脚光を浴びることがなかっただけに、これも西洋化の影響かもしれないと思った。
演説会終了後、一向は会場を出て店に戻った。
嘉右衛門たちは厚いもてなしのお礼の意味もあって、とりまとめておいた薬剤の注文品目録を差し出した。
五兵衛は気を遣わなくてもいいと言いながらも最終的には受け取った。
そしてお互いに再会を約束し合い、辞去することになった。
その後、一向は知人を尋ねる者やもう少し見物するという者もいて、各自が別行動となった。
嘉右衛門は船場地区で急ぎ買い物を済ませ、来た時と同様に直接船で帰ることにした。
今回、田辺五兵衛の案内で見聞きしたことを、親しい人たちに一刻も早く知らせ、意見を得たいと思った。
その上でこれから自分がなすべきことを判断していくつもりであった。
船中では、持参してきた覚書帳に今回習得した知識を詳しく書き留めた。
昔から記憶力に優れており、装置類は素描で表した。
*
店に帰ると遠州屋から戻り次第立ち寄ってほしとの伝言があった。
嘉右衛門にとっては薬嘉堂を再建する際に全面的に資金協力してくれた恩人であり、世話になった前店主の家族の縁者で、おろそかにできない存在であった。
主な店員に道修町の薬種問屋訪問に関して報告をした後、その足で遠州屋に向かった。
薬嘉堂の古参店員からは、嘉右衛門が店を蘇らせたことで、大変信頼されていた。
それは遠州屋も同様で両親が名のある旧旗本家の出身である嘉右衛門は一目置かれている。
「やあ、どうでしたかな大坂は」
遠州屋は笑みを浮かべながら嘉右衛門を迎えた。
「ええ、大変ためになりました。行って良かったと思っています」
そして、田辺五兵衛の店で見聞きしたことをかいつまんで伝えた。
業界が異なるため、遠州屋にとっては関心が低いのではないかと思っていると、意外なことを口にした。
「なるほど、やはり薬の本場も今までのやり方では生き残れないのかもしれないな」
「五兵衛さんは言っていました。時代の流れや政府の方針を見極めて、それに合わせていかないと商いは続かないと」
「全くその通り。我々も同じ状況にあってな。早めに手を打たないといけないんだ」
「と、言いますと?」
「そこでだ。今日来てもらったのは相談があってな。知っての通り遠州屋は昔から木材の売買で財を築いてきたんだが、今の時代、建物も洋式にしたり材料の入手先も以前のように決まった店ではなく選べるようになってきている。だからこのままではじり貧に陥るのは明らかで指を咥えて見ているわけにはいかんのだ」
「何か名案がおありで」
「それでな、我々も建設業に参入しようと思っているんだよ。昔からの取引業者に一緒にやらないかという話を持ち掛けたら、お互い協力していこうということになったんだ」
「なるほどそういうことですか」
「だが、それだけでは能がない。いっその事以前に嘉右衛門さんが言っていた株式会社とやらにしてみようということになってな」
嘉右衛門がよく買い付けに行っている横浜の輸入業者から、西洋の会社組織の話を聞かされ、それを遠州屋に伝えたことがあった。
一般から資金を調達する有効な組織で、日本でも一部の金融機関等が取り入れ、証券取引所も開設されている。
「いろいろ調べたんだが、お金の面だけでなく名が売れるし、人材も集めやすいのでやってみようということになったんだ。ほんとうは嘉右衛門さんにも加わってほしかったんだが、それが無理であれば発起人として名義だけでも貸してもらえたらなと」
以前に嘉右衛門の商いの手腕を惚れ込まれて遠州屋に誘われたことがあったが、もちろん薬嘉堂の店主としては不可能であったし、その気もなかった。
「私でよければ喜んで」
「それは良かった。嘉右衛門さんはわしにとっては身内も同然。敏郎君にも頼んでみたんだがさすがに公僕の身分では難しいと言われてな」
敏郎は警察官で前店主の息子で嘉右衛門とは母親を通じて義理の兄弟といって差し支えなかった。
また、遠州屋の娘の咲が嫁で二人は所帯を持っていた。
その関係で遠州屋は嘉右衛門の参加を希望したのだが、それ以上に西洋事情に明るい嘉右衛門から知恵を借りたいというのが本音のようだ。
「ところで、今度娘に二人目が生まれるそうだ」
「え、そうなんですか。知りませんでした」
「わしも聞いたばかりでな。お目出度いことなんだが、孫たちが大きくなるまで頑張らんといかんなと思っとるよ。アハハハ」
どうやら、敏郎、咲夫婦は子宝に恵まれているようだ。
けれども同じ夫婦でも二人の姉と兄の間には子が出来ず、心中に繋がったことを考えると手放しで喜ぶわけにはいかなかった。
店に戻ると、東京大学の職員である大久保将平から手紙がきていた。
読んでみると、十日後にアメリカの大学から着任してきた合成化学の専任教授が、顔見せの講演会を行うので参加しないかとの誘いであった。
詳しい経歴が書かれており、薬剤についても関連がありそうだとのこと。
当日は通訳が付くので安心してほしいとの付記もあった。
もちろん嘉右衛門は行くつもりであった。
将平の好意に感謝した。
そして、講演会当日、嘉右衛門は東京大学構内に足を運んだ。
収容人数の多い大講堂での開催で、入り口には『ロナルド・フィッシャー先生記念講演会』と書かれた立て看板があった。
教育関係者や学生と思われる若者に混じって嘉右衛門も会場に入る。
途中で案内係の将平に声を掛けて場内に進むと、床一面に椅子が置かれており、正面前方にひな壇があった。
その後に黒板が設置されていて、書き込み出来るようになっていた。
嘉右衛門は到着が早かったため比較的前の席に座ることが出来た。
出席者全員が着席した後、主催者から開会が告げられた。
と、同時に前方の扉が開き、頭が白く年配で学者風の西洋人が入ってきた。
見た目に知性に溢れた印象を受けたが、彼は後ろに若い女性を伴っていた。
嘉右衛門はフィッシャー教授の娘ではないかと思ったが、そのきめ細かい端正な顔立ちに思わず惹き付けられてしまった。
早速、主催者からフィッシャー教授の紹介があった。
ドイツ生まれで有名大学に入り化学分野全般を専攻し優秀な成績を収め、卒業後、研究活動をする一方で教育にも携り後進を指導育成。
アメリカに移住した後もボストンの大学からの要望で教鞭を取ったとの説明。
今回、2年間の講義で学生諸君は世界最先端の知識を学ぶことになるだろうと結んだ。
更に通訳者としてナミ・ジョンストンという名前の女性の紹介があった。
嘉右衛門は教授と姓が異なることに気がついた。
と同時に彼女の素性を詮索する自分に苦笑した。
けれどもそれは他の出席者も同様のようだ。
なにしろ会場にいるのは彼女以外ほとんどが男性であるといってよかった。
フィッシャー教授の講演が始まったが、もちろん語り口は英語で、ある程度の話の区切りで通訳に引き継いだ。
そしてナミ・ジョンストンの口から日本語が放たれた。
「私は日本政府の招聘でアメリカから、この東京大学で学生の皆さんと一緒に授業をするためにやって来ました。今まで日本に来たことのある先輩は、必ず同じことを口にします。日本の皆さんは世界でもっとも教養があり、学問に熱心だということです。私はその皆さんに、今までの自分が得た知識を伝える機会を得て大変光栄に思います」
彼女の声は柔らかで通りが良く、嘉右衛門の耳にすんなりと入ってきた。
もちろん発音は完璧とはいえなかったが、一語一語丁寧な言葉づかいで違和感はなかった。
あらかじめ打ち合わせているのであろう手にした書付を時折目にしながら、フィッシャー教授の話を漏れなく正確に伝えている様子がうかがえた。
講演の中で嘉右衛門が特に感銘を受けた部分があった。
「人類にとって化学という学問はまだ始まったばかりです。広がりは非常に大きく様々な分野に利用できます。私たちが知り得た知識はわずかなものにすぎません。これから少しずつ解き明かされることになるでしょう。けれども決して忘れてはならないことがあります。その解明は私たちを幸せにするためになされるべきです。間違ったことに利用するのは避けなければなりません。化学という学問の表情は善悪両面を持っているからです」
嘉右衛門にとっても薬種を通じての自分の取り組みは、人々に役立つものでなければ意味はない。
薬も場合よっては毒にもなるからだ。
「産業の発展には化学分野も含めた理学の進歩が欠かせませんが、その過程においては幾つもの困難が待ち受けています。けれども、あきらめることなく何度も試みていけば必ず答えは見つかりはずです。日本の皆さんの不屈の精神をもってすれば、乗り越えていくことは可能でしょう」
田辺五兵衛のことを思い出した。
災難にもめげず初志を貫く姿は、嘉右衛門の心を刺激し大いに影響を受けた。
講演はかなりの時間が費やされたが、フィッシャー教授が放った言葉のほとんどが嘉右衛門の耳に残った。
おそらくこの余韻は当分胸に残るだろうと感じた。
終了時間が来て、列になって退場する際、大久保将平から呼び止められた。
講演の感想を聞かれると、嘉右衛門は大いに満足し感銘を受けたと答えた。
心に残った具体的な内容を挙げて、今後の参考にしたいと伝えた上で、招待してもらったことに感謝した。
将平が謙遜すると、嘉右衛門は気になっていることを尋ねた。
「ところで、通訳の女性はどういう人なんだい?」
「ああ、綺麗な人だろ。彼女はフィッシャー教授夫妻の知り合いで、専属の通訳としてアメリカから雇われてきたんだ。学校の教師をしていたそうだ」
「なるほど、それで大勢の人の前でも冷静だったわけか。でもなぜ日本語が話せるのかな」
「詳しくは知らないが母親が日本人だそうだ。もともとある程度話せたようだが、日本に来るまで不安だったそうだよ。今日の講演会での彼女の使用はフィッシャー教授からの依頼だったんだが、無難にこなしていたんで安心したよ。それと彼女には娘さんがいて、一緒に連れてきたそうだ」
夫君がどうしているのか聞きたかったが、さすがに差し控えた。
「ところで都合のいい日に飯でも食べに行かないか。これでも私は薬種店の店主だ。ご馳走するよ」
「そんなに気を遣わなくてもいいよ」
「いや、聞いてほしい話があって。それと頼みたいこともあるのさ」
将平は了承し、待ち合わせ場所を決め、二人は三日後の夕刻会うことになった。
別れ際に将平が言った。
「そう言えばジョンストン女史から聞かれたよ。宮田賢一という人を知らないかとね。アメリカで大変世話になったそうだ」
嘉右衛門にはそのような名前の知り合いはいなかった。
ただ、宮田という名をどこかで耳にした覚えがあった。
けれども嘉右衛門の脳裏には大坂で目にした女性弁士の姿が蘇った。
彼女も多数の聴衆を前にしてほとんど紅一点で滞ることなく語りかけたのだった。
もちろん両女性の置かれた状況、立場は全く異なっていた。
岸田女史の場合は全身から言葉がほとばしり能動的な訴えであったのに対して、ジョンストン女史は選んだ言葉を控えめな声で聴かせていた。
しかしながら、嘉右衛門にとってはどちらも印象深い女性であることに違いなかった。
あれこれ考えながら帰路についたが、嘉右衛門にとってこの日はナミ・ジョンストンを知る初めての日であった。




