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魔女の弟子と高級官僚

作者: 彩里きら

Persone strane/妙な人々


 ぼんっ、と明らかに何かを間違えたとしか思えない爆発音が辺りに響いた。

 魔女の森フリークウィークリーク、略称リックには現在魔女が二人いる。――正確に言えば、魔法使いと見習い魔女が一人ずついる。

 男であろうが女であろうが纏めていうときは魔女になる職業に就く人たちは、大抵森の奥深くに住む。そこで代々師匠から弟子へと魔女の秘術と森を受け継いでいくのだ。

 今代の魔女の森の管理者であり、魔法使いであるセンツァ=ソルディノも同じように弟子をとって暮らしていた。弟子の名をスフォルツァンド。彼女を一言で表すならば馬鹿、の一言に尽きる。

 そして、先ほどの爆発音も、勿論スフォルツァンドによって起こされたものだったりする。


「こんのクソがっ! テメェ、どうしてこんな初歩の初歩ができねぇんだよっ!!」

 怪しげな緑色の煙が立ち昇る小鍋の前で固まって動かない少女――見習い魔女スフォルツァンドに、多少口の悪い師匠センツァ=ソルディノが思いっきりよく蹴りを入れた。

 蹴りの衝撃に耐え切れず床に倒れこんだスフォルツァンドを、師は容赦なく踏みつけた。ぐりぐりと、踵を押し付けるようにする念の入れようである。

「だ、だって菫の葉を入れるように言ったじゃないですかー!!」

 やめて下さいー! 自分を踏んでくる足から逃れようと必死になって床を這うスフォルツァンドに、師はその整えられた眉を跳ね上がらせた。

 目は完全に据わっている。初対面でも余程人の顔色を伺う能力が無い人間でない限り、怒っていることは明白であろう。

「ああ?! 菫の葉じゃなくて七竃だよっ、このクソボケ! どうやったら間違えられるんだ!!」

 言って、師は踏みつける程度では効果が無いと悟ったのか、今度は蹴りに変えた。

 すらりと長い足から放たれる蹴りは、女だとかまだ子供であるとか関係なく、一切の容赦が省かれていた。

「い、いたっ、痛いですシショー! てか、ナナカマドっ?! え、なんで間違えるの私ーー!!」

 蹴りから逃れるためにずりずり床を這いつくばって移動しながら、スフォルツァンドは悲痛な叫び声を上げた。

 スフォルツァンドはどうしようもない位物覚えが悪く、一度失敗して痛い目を見る程度では覚えることが出来ない性質であった。その駄目っぷりは、初めて彼女が魔女見習いとして師の元にやって来た時、彼女をセンツァ=ソルディノに紹介した人は『無理だと思ったら、最悪実験体にするといい』と言っていたほどである。

 勿論師も始めは今のように踏みつけたり蹴ったり殴ったり、をしていたわけではなかった。彼は口は悪くとも結構面倒見の良い魔法使いなのである。だから厄介払いとしてスフォルツァンドを押し付けられた面もある。彼は彼女の前にも二人弟子を取ったことがあり、森を相続せず魔女にならなかった二人は、今では王都でも有名な薬師になっている。普通魔女は生涯で一人しか弟子を取らない。それは森の相続が一人しか行えないことに所以があるのだが、逆に言えば弟子が森を相続せず、つまり魔女にならなければ弟子は一人以上とることが可能なのだ。珍しいことではあるが、その分弟子への教授が上手くなっていたはずの彼は、最初の一月ほどは根気よく、根気よく何度も何度も同じことを教えていた。

 しかし、何事にも限界と言うものがある。

 さくっと言ってしまうならば、キレたのだ。同じことの繰り返しに堪忍袋の尾がぷっちんいって、彼は殴った。心の底からコンチクショー! いい加減にしやがれー!! と言う気分でスフォルツァンドをぶん殴った。

 そこからは、もう、なし崩しである。

 先ほども言ったが彼女は一度や二度痛い目を見ても覚えるものも覚えられない。気が付けば殴り癖が付き、そして、今のようにヴァイオレンスにまで発展していったわけである。ちなみに段階をじょじょに踏んでいったため、彼女はこれがかなり酷いということに気が付いていない。

「知るかボケェ!!」

 がすっ。

 今回最高の蹴りがスフォルツァンドの脇腹に決まった。

「はうっ」

 ずりずり這いつくばっていたスフォルツァンドは思わず声をあげて、床の上で悶絶する。余りの痛さに右手だけ前に突き出した形で固まってしまった。

「気が済んだら初めからやり直しだアホ。毎度毎度ワケのわかんねぇもん作りやがって、いい加減お前の飯にすんぞ」

 竃の上でようやく緑色の煙を立ち上らせるのを止めた五人前のスープを作るのがやっとの小さな鍋を前に、師は忌々しげに舌打ちした。竃で未だに燃える魔法の炎を、空中で指を適当に振るうことで消してから、師は竃の側にある棚から小さな薬瓶を一本取り、そこに何やら液体としてありえないどろどろの紫の物体を入れた。

 実のところスフォルツァンドの失敗は、意外な発見をもたらしてくれることもある。一見毒々しいものでも、そこにまた別のものを加えれば新しい製造法になったりもするのだ。無論、スフォルツァンドの功績によるものではない。新しい発見は既存のものを熟知しているセンツァ=ソルディノだからこそ見つけられるのだ。

「……うう、すみませんー。とりあえず鍋の中身捨ててきますー」

 復活したらしく、床の上で情けない格好を晒していたスフォルツァンドはよろよろと体を起こした。身に纏っている耐熱性の黒いローブは、室内でも土足のために持ち込まれた砂で薄汚れている。

「食人花のジェンツァにだけやれよ。他のとかには絶対にかけんないよ」

 まだ熱い鍋で火傷をしないようにミトンを手にし――これは流石に熱すぎるので三回目で学習した――たスフォルツァンドに、師は声をかけた。

 ジェンツァは元は普通の薬草だったのだが、失敗した液体を側に捨てているうちに食人花になったものだ。大きさは人間の赤ん坊を立たせた程度だが、スフォルツァンドは何度か腕を食われそうになっている。名前は、食べようとするのは決まってスフォルツァンドだけで、他の人間が近づいても見向きもしないことから知能があるのだろうことに敬意を表して、センツァ=ソルディノが付けた。正式にはインテリジェンツァと言い、知性、だとか賢さ、という意味を持つ。言うまでも無いが対比されているのはスフォルツァンドだ。

「わかってまぁす」

 言って、スフォルツァンドは家の外に出た。主に薬作りを行うのは二人が暮らす家の中でも、台所に値する場所である。そこから一番近い外へと続く扉は家の正式な入り口とはほぼ逆に位置し、裏手の庭に繋がっている。

 外に出ると、スフォルツァンドは庭と森とが混じらないように柵をしている中で、柵が壊れ森の一部になりかけている場所を見た。魔女の住む家は、森と共に継承され続けているため古くなっている。庭の囲いである柵も同様であり、こちらは石造りの家よりもずっと朽ちやすい。修繕は随時必要なときに行っている。しかし、ジェンツァの生えている場所だけは修繕されていなかったし、今後もするつもりがなかった。お腹が空くのか、彼女は気が付けば柵を食べているのだ。これではいくら修繕しようが意味が無い。

 見れば、どうやら眠っているらしい。巨大化した花をもたげて、ジェンツァはぴくりとも動かない。そっと音を立てないようにスフォルツァンドはジェンツァに近付いた。起きたら食われる。

 熱い鍋と同じように、流石にこれも早々に学んだ。命の危険を伴う出来事は、学習しやすい。息を殺し、音を立てず、ジェンツァを起こさないようにと、慎重に行動をする。足を一歩踏み出した。

「なーにやってんの、スーちゃん?」

 突然の声に驚いて、思わず足が疎かになった。じゃり、と砂のすれる音がする。ジェンツァは?! ばっとそちらの方を見れば、まだ遠かったことが幸いしてかジェンツァはまだぐっすり眠ったままだった。このことに息を撫で下ろして、スフォルツァンドは声のした方へと向いた。

 そこには、師たるセンツァ=ソルディノと同い年位――彼はまだ若い――の青年が立っていた。美丈夫と言うべきであろうか、赤茶色の柔らかそうな髪に、そこそこ白い肌、それから何と言っても神秘的なエメラルドグリーンの瞳の、大層な美しさを誇る人物である。

 スフォルツァンドは彼のことを知っていた。師、センツァ=ソルディノの友人であり、お得意様なのだ。魔女の森フリークウィークリーク、略称リックが属する国の都で高級で高給な官僚をしているらしい。

「あ、こんにちは。師匠なら中にいますよ?」

 鍋を持ったままぺこりと頭を下げ、スフォルツァンドはそう言った。

「いや、だからさ、君は何してんの?」

「へ?」

 彼の言葉に、スフォルツァンドは首を傾げた。彼女は記憶力が無く、学習能力が足りないばかりか、人の言うことを即座に理解出来ない程度に馬鹿だった。

 呆れる彼に、言われたことをよーく考え込んでから、ようやく彼女は何を言われたかを理解した。

「ジェンツァに失敗作をあげるところなんです。だから邪魔をしないで下さいね」

 そう彼女が言うと、彼はため息を付いて彼女から鍋をぶん取った。まだ熱が冷めていない鍋を素手で持つのは危険極まりないというのに、全く気にせず、そして熱いということを感じていないかのようにしっかりと握りしめ、彼はジェンツァの元へと歩み寄った。

 スフォルツァンド以外が近寄っても見向きもしないジェンツァは、勿論今回も見向きもしなかった。それどころか起きもしなかった。これがもしスフォルツァンドだったとすれば、そこそこの距離があったとしてもその巨大な花弁をがばっと持ちあげ、五枚の花びらを口のように開いたり閉じたりしただろう。

 彼は鍋を思い切りよくジェンツァの上でひっくり返した。熱々の紫色の液体がジェンツァにかかる。しかし、耐熱に優れているジェンツァのこと、今回の熱さ程度では水がかかったのと同じような認識しかないはずである。

「スー、君ねえいい加減その失敗癖治したら?」

 呆れたように言って鍋を返してきた彼に、スフォルツァンドはへらりと笑って首を傾げた。意外なことに、彼女は自分がとんでもなく記憶力が悪く、理解力が無く、途方も無い馬鹿であることは承知している。初めて捨てられた時にお前は何て馬鹿なんだろうっ、と金きり声に叫ばれ、次に捨てられた時もこの馬鹿がっ、と言われ、更にその次も馬鹿なんて拾うんじゃなかったっ、と言われたのだ。流石に覚えた。生まれて大体十年とその半分くらいではあるが、馬鹿と言われて捨てられた数は覚えている限りで十回を超える。もっと多いかもしれない。

「治せるものなら治ってますよ」

 別段スフォルツァンドも努力していないわけではない。しかし、何かを覚えるたびに、何かに注意を払うたびに以前のことがぽろっと抜け落ちていくのだ。普通人の記憶と言うものはごちゃごちゃした引き出しの中に適当に仕舞われていくようなものだと言われる。どの引き出しに仕舞い込んだか分からないから過去のことを思い出せないのだ。誰でもそのはずなのに、彼女の場合は平皿が頭に入っていて、新しい情報を平皿に注ぐと容量越えした分だけ流れ落ちているようにしか思えない。

 スフォルツァンドのへらりとした笑みに、彼は深くため息をついた。

「まあいいさ、センツァの所に行こう」

 彼の言葉に、スフォルツァンドは黙って頷いた。


「よお、久々だなアジタート」

 台所へと入り鍋を置いてから、センツァ=ソルディノの姿を求めて続きの食卓となる部屋へと行くと、ジェンツァ相手に時間が食うことを分かっていたのか、師は一人優雅に椅子に座って茶を啜っていた。茶器を卓の上に置き、アジタートと呼ばれた男の元へと近寄りながらそう言って、師は彼の頬に唇を寄せた。親しい友人の間柄では、頻繁に会うならともかく、久しく会っていないのであればそうするのは極一般的な事だった。

「ええ。ここの所馬鹿な方が馬鹿なことをして私を陥れようと無駄な努力をしてくれてね。忙しいことこの上ない」

 言ってからアジタートも同じように頬にキスをした。二人は系統は違えども、大層な美男である。年は三十路手前。影ではどうだかは知らないが浮ついた話も無い。極々一般的で友人間では普通の行為も、この二人がすると何やら怪しい雰囲気が漂う、と言うのが彼らを知る人の言である。

 しかし残念なことか、はたまた幸運なことにか、ここに居るのは当人達と馬鹿さ加減では他の追随を知らぬスフォルツァンドである。当人達は怪しいつもりはなく、彼女は怪しい、ということ自体意味が分からないだろう。

「ほーお、お前のことを貶める馬鹿がまだ居たのか」

 センツァ=ソルディノは見知らぬ馬鹿に対して見下すような表情を浮かべた。

「試したい呪術があるんだ、友人価格に加え特別価格で呪術具実費のみで請け負ってやるぞ。ああ、おい、そこの馬鹿。アジタートに茶を淹れてやれ」

 にやにや笑って師は食卓の部屋の壁に置かれた棚に近寄り、そこから本を取り出しながら言った。本は全て呪術書である。魔女というものは、薬師同様に薬を作るだけでなく、呪術を行うのだ。この呪術にも大まかに分けて二種類ある。人に災いをもたらす類のものと、幸福をもたらす類の呪術だ。師は他人の幸せを願う性質ではないので、災いをもたらす呪術を得意としていた。

 茶を淹れるようにと指示されたスフォルツァンドは黙って頷き、台所の方へと向かっていった。彼女の淹れる茶は、とりあえずよほど拘りのある人間でなければ、まあ、そこそこ飲める気がする、と言うものである。師はそれなりに拘る性質であるため滅多に彼女に淹れさせることはないが、アジタートは全くと言っていいほど気にしないのを知っているのだ。

「待ってスー。これ使って」

 この言葉に立ち止まるスフォルツァンドに、アジタートは懐から何やら袋を取り出して彼女へ向かって放り投げた。受け取ろうと手を出すが、お約束のように頭にぶつかり床へと落ちた袋に、三人は沈黙した。

「運動神経も鈍いんだ」

 師の淡々とした言葉が、スフォルツァンドには痛かった。馬鹿は馬鹿なりに悲しむこともある、稀に。

「……ねえ、スーって文字読めるよね?」

 元々の友人ではあるが、彼が普段住まう王都からは距離があることもあり、馬車では時間がかかるし、移動用の術は大変高価なため、高級で高給な官僚になってからしか魔女の森フリークウィークリーク、略称リックの家には通ってきていない。更にそれも大半が呪術を頼む時であり、友人として会うときは大抵センツァ=ソルディノの方から出向いてスフォルツァンドはついていかないため、アジタートは彼女が実際に書物を読んでいる場面を見たことがないのだ。放り投げた袋には茶葉が入っており、正しい淹れ方を書いた紙も袋の中に入っている。それを憂慮しての一言だった。

「し、失礼ですね! 文字くらい読めますよ、アジタット様!」

 流石にかっとなって返したスフォルツァンドに、二人は一緒になって眉をひそめた。その様子に、彼女はうっと唸って一歩後ろへと退いた。明らかに疑わしい者を見る目つきだったからである。

「一応は読めるが専門用語はからっきしで、魔女見習いとしてはかなり駄目駄目なテメェにそれを言う資格は無い」

 師の言葉に、スフォルツァンドは一歩、また後ろへと退いた。

「更に、こいつはアジタットではなくアジタートだ、このうすらとんかち――いや薄らじゃ効かんな、このかなりとんかち。どうせ名前を覚えてなかったんだろうが」

 師の言葉に、アジタートは頷いた。その目は、道理で、と雄弁に物語っていた。ジェンツァと格闘しようとしているスフォルツァンドに声をかけたとき、彼女は全く彼の名前を呼ばなかった。覚えていなかったから、呼べなかったのである。

「……お茶、淹れてきまーす」

 図星を突かれたスフォルツァンドは力なく台所へと戻っていった。

 その光景を見ていたアジタートは、浮かべていた非難するような表情から一転、目を細め口元に笑みを浮かべた。にやついている、と言うのが的確だろうか。センツァ=ソルディノは知っていた。この男がこんな表情をするときは、その視線の先には大抵幼子が居るのだ。それも、顔立ちが整っている、将来有望そうな。

「ああ、かわいいっ」

 思わず、と言った風にアジタートの口から漏れた言葉は喜の感情が含まれていた。更に言えば、甘く艶めいた色も含まれており、閨房で聞こえてきそうな気さえする。横でそれを聞いていたセンツァ=ソルディノは表情を引きつらせた。それでも気にしないようにしようと思ったのか、卓に置いていた茶器を手にとり、ずずっと音を立てて飲み手に取った呪術書を開いた。そこにはこの国の言語で、見せたい夢を見せる方法、と書いてある。

「アジタート、これなんだが……」

「センツァ、陛下にいい加減妻を娶れとしつこく言われているんだ」

 呪術と薬を司る魔女の本領とばかりに広げた本を指しながらの言葉を遮るようにして、アジタートは切り出した。彼はセンツァ=ソルディノに向かい合う対面の席をひくと、無断で卓につき、如何にも真剣な顔付きをした。この言葉と表情に、センツァ=ソルディノは口元が引きつったのを感じる。ちらと、台所に視線をやればスフォルツァンドが暢気に湯を沸かしていた。

「ここは、呪術と薬を司る魔女の森フリークウィークリークだ。それ以外の相談は外でやってくれ」

 強い口調で言い切ったセンツァ=ソルディノに、アジタートはにっこりと裏のありそうな――そして実際ある――笑みを浮かべる。

「それなら呪術の対象者を変えるけどいいね? 僕にうるさく結婚を要求してくる人物に、死の呪術を要求するよ?」

 無論、うるさく結婚を要求してくる人物は、この国の王である。あまりにも大胆な依頼に、センツァ=ソルディノは呆れかえった。

「今言ったことををオレが城に投書でもしたら、お前首飛ぶぞ?」

「大丈夫。陛下は私に甘くて、お前に厳しいから。そんな投書をしたのがバレたら首が飛ぶのはセンツァだなー」

 呆れたセンツァ=ソルディノの言葉に勝ち誇ったようにアジタートは言った。アジタートは元々大して位の高い人間ではない。なのにこの年で高級で高給な官僚に納まっているのは、その能力の高さと王からの溺愛っぷりにあった。現国王は男だが、見目が良く頭のいい人間であれば男女関係なく贔屓する傾向にある。その贔屓団の中でも現在一等贔屓され溺愛されているのが、このアジタートなのである。実の所、センツァ=ソルディノとアジタートが出会い、友情を築いたのもこの贔屓団における会合であった。現在センツァ=ソルディノは王の下から離れ魔女業を営んでいるため、王からかなり恨まれている。王は見目麗しく能力のある者は自分の手元に置いておきたい派なのだ。

「……話くらいは聞いてやるよ」

 魔法使いになると決めて、故、フリークウィークリークの魔女の元へ師事しに行こうとした時、禁軍を動かそうとまでした王の形相を思い出し、センツァ=ソルディノは息をついた。その頃、贔屓団中一番の美貌を持っていたのはこの二人だったのだ。

 実際アジタートが示唆したように、投書をしてそれが誰の仕業によるものなのかをしれば、王はセンツァ=ソルディノの首を飛ばすだろう。いや、もしかしたら一生逃げられない檻に入れられるかもしれない。この国の元首様は、近年稀に見る名君ではあるが、変態的なまでに見目麗しいお気に入りへを貶める行為を憤り、そしてお気に入りへの独占欲が高かった。

 現在センツァ=ソルディノが無事で居られるのは、ひとえに不可侵の森持ちの魔女であるからだろう。魔女が継承する森は普通の森と違い、呪術的に優れている。それは、呪術を行う魔女にとって条件が揃っていることであり、一般的に見れば、おかしい森、と言うことになる。方向感覚を失い、惑い、森が意思を持っているかのように蠢くように感じる。それを魔女管理することによって一定の道だけは安全に通行できるようになり、管理を放棄された森は死の森とまで言われるほど、行方不明者、死者を出し、森の麓に住まう人間を中へと誘うのだ。そのためどの国も森を継承した魔女には手を出さないのである。

 が、おそらく溺愛しているアジタートを貶めようとしたと露見すれば――あくまでも露見すれば、であり、普段は彼自身がこっそり処理をするか、今回のように呪術を頼る――、真実はどうであれ王は問答無用で不可侵の森持ちの魔女だろうと罪に問うだろう。

「きっとそういってくれると思ってたよ」

 ある程度王の人となりを知っているために容易にその先が想像できて、げんなりした顔で諦めたセンツァ=ソルディノに、アジタートは裏のある笑みを浮かべたまま弾む声で言った。溜め息が出た。

「お茶が入りましたー」

 スフォルツァンドは暢気な声をかけながら、盆に乗せて来た白色の茶器をアジタートの目の前に置いた。ぱちゃん、と中に入った紅茶がはね、木で出来た卓に液体が零れる。

「ありがとう、スー」

 裏のある笑みを瞬時に爽やかな笑みに変えて、アジタートはスフォルツァンドに礼を言った。普通の女性であれば、ぱっと顔を赤らめたくなるような笑みである。もしかしたら美貌に耐性のついていない男でも真っ赤になるかもしれない。しかし、残念ながらこの笑みを見たのは馬鹿を具現したようなスフォルツァンドと、彼の性格も顔も知りすぎているほど知っている友人のセンツァ=ソルディノである。彼女はそんな笑顔を見せられても、よく分からない。とりあえずよく分からない時は無言で笑っとけ、と言うのが師の教えの一つなので彼女は無言で微笑んで首を傾げた。その側でセンツァ=ソルディノは嫌そうに顔を背けた。

「上で本読んどけ。こないだ渡しただろ、『クィンデチマ・アルタバッサ呪術書』。あれ全部」

 師の指示に、スフォルツァンドはちょっと困ったように盆を抱え込む。クィンデチマ・アルタバッサの書いた呪術書は、先ほど失敗した薬作りが成功したら読み出すように言われていたのである。馬鹿に属する彼女は頭が固かったりするので、こういう時に柔軟に対応することが出来ない。

「でも、」

「いいから言う通りにしろ、スカポンタン!」

 師匠の言うことが聞けないのか、アァ?! と苛立ったように怒鳴る師に、スフォルツァンドはじり、と一歩後退した。

「スー、言うとおりにしておきなよ。ちょっと相談したいことがあるんだ」

 人の良さそうな笑みでもって穏やかに言うアジタートに、スフォルツァンドはしぶしぶ頷いた。苛立ったままの師は、少しばかり不機嫌そうだ。

「……分かりました」

 スフォルツァンドは盆を抱えたまま、二階へと続く階段を駆け上がった。


「で?」

 センツァ=ソルディノの言葉に、アジタートは二階へ続く階段を見てにやにや笑うのを止めて彼に向き直った。

「陛下も人が悪いよね。私の信条を知っているくせにさ、結婚しろ、だなんて。きっとアレだよね、自分の子供が全員普通だからかっわいい子供が見たいんだろうね」

 アジタートの言葉に、黙ってセンツァ=ソルディノは頷いた。王は美男美女、美少年美少女が大好きであり、そういう綺麗者には執着してしまい自分の手の内に囲っておきたいのだ。つまり、自分の子供が綺麗者であった場合政策の為に嫁したりできない、と言うことなのである。自他共のこの見解、打開するには子供が普通の顔でなくてはいけないかった。更に当然の事と言うべきか、不細工は嫌いである。そのため、わざと妃は全員平々凡々な顔立ちを選んだ。

「ほら、私の性癖って」

「七歳から十歳がストライクゾーン、十二を超えたら興味なし。十五を超えたらクソババァ、だろ?」

 はぁー、と溜め息をついてセンツァ=ソルディノは茶を啜った。

 要するに、ロリコンである。それも筋金入りの。彼の年齢が一桁の時は同年代が好きであったが、十を超えた辺りから段々年下が好きになって行き、七歳から十歳あたりでないと恋愛対象に見れなくなってしまった。勿論、欲情できるのもこの年代である。別の言葉を用いればペドファイルだ。大人になれば興味が無くなると言うのに、将来有望そうな美少女好みなのでこの年代の子供全員が対象でないのと、見境無く襲うような人間ではないのでまだマシではある。しかしそれでもかなりどうしようもない。立場が立場なだけに公言も出来ないのでこのことを知っている人も限られているのが救いだろうか。

 ちなみにセンツァ=ソルディノはグラマラスな女性が好きである。年頃になってからはずっと弟子を取り、魔法使いとして働いていたためあまりその手の人とお近付きになることはないが、偶に都に行くときには結構遊ぶ。向こうから声をかけてくる事もあるが、彼自身が声をかけたりすることが多い。幸いなことに三十路間近でも類稀なる美貌のお陰で女に困ることは無かった。

「でもさ、例外がいるんだよ」

 アジタートの言葉に、センツァ=ソルディノは視線を泳がせた。聞きたくない、このままトンズラしてしまいたい、と言うのが本音である。

「スフォルツァンドなら、イケる。あの子、十六だろう? ちょっと年の差あるけど、結婚に支障のある年齢じゃないしさ」

 うわぁ、とセンツァ=ソルディノは心の中で叫び声をあげた。結構前からスフォルツァンドを見るアジタートの目が怪しいと思っていたのである。しかし、彼女を弟子として取った時すでに彼女はアジタートの興味なし年齢であったため、気のせいだと言い聞かせ続けてきていたのだ。が、やはり。やはり、気のせいではなかったのだ。

 足蹴にしまくっている自信はあるが、何だかんだ言ってスフォルツァンドはセンツァ=ソルディノにとっては可愛い弟子である。普通一師一弟子の魔女の世界において、三人目の弟子である彼女は本人も魔女になる気満々で余計可愛い。どうしようもない位馬鹿ではあるが、この先十年か二十年か位すればどうにか森の管理を任せられるようにもなるだろう、と長期戦の心積もりもしているのだ。それをどうしてこんな邪まな輩にくれてやれると言うのだろうか。しかも、性癖がかなり危ない人間に。

「ってわけでさ、スーを嫁にちょうだい?」

 満面の笑みを浮かべて手を強請るように差し出し、首を傾げる姿は三十路間近の男のものにあるまじきものだった。可愛くない。センツァ=ソルディノは色んな意味で頬を引きつらせた。確かにスフォルツァンドは馬鹿で阿呆でどうしようもないが、結構な美少女だったりするのだ。そのお陰で捨てられても拾われる、と言う幸運にありつけていたわけではあるが――人買いに拾われたこともあるが、持ち前の馬鹿さ加減で最終的には捨てられた。無体な真似をさせられそうになっても、あまりに馬鹿すぎて興を殺がれるという理由で彼女自身は綺麗なままだったりする――。陛下が見れば馬鹿でさえなければ贔屓団に入れる程度の可愛らしさを誇る彼女は、若ければアジタートの目に止まるのも頷ける。

「よ、嫁に欲しいって……お前、これ以上オレから弟子を奪う真似すんなよっ!」

 とりあえず言いたい事の大半を放棄して一番の問題点を口にすると、アジタートは満面の笑みを浮かべたまま手をずいっと前へ、より強く差し出した。明らかに諦めるつもりがなさそうな行動と表情である。

「大丈夫、放っておいてもスーは森を継げるようにはなんないよ。無駄な努力を続けるより新しい人を弟子にした方がずっと建設的だしね。あ、そうだ。何かいい子紹介しようか? 陛下に言ったらきっと将来有望な子がもらえるよ?」

「あ、あほかっ!!」

 一片の誤りも無いほど完璧な論だと言わんばかりに目を輝かせて言ったアジタートに、間髪を入れずセンツァ=ソルディノは叫んだ。スフォルツァンドに魔女の森を継承させることについては、長期戦を挑むつもりである。それをあっさり否定されることは、非常に辛いものがあった。彼自身、そんな気がしているからである。

「阿呆じゃないしー。まー、とりあえず本人を騙くらかし……、っと本人を説得する所から始めるべきだよね」

 うっかり本音が漏れて言い直したアジタートに、センツァ=ソルディノは頭を抱えた。

「て、てめぇみたいなロリコンに弟子をやれるかよっ」

 頭を抱えたまま小さく唸るセンツァ=ソルディノに、アジタートはにっこり笑みを浮かべたままである。ふふー、と笑って彼は大きく息を吸った。

「スーウー! スフォルツァンドー!! ちょっと降りて来てー!!」

「うわ、止めろって!」

「私の幸せの為に諦めて」

 慌てるセンツァ=ソルディノに言ったアジタートはあっさりとそう言い切った。呼ぶ声に気づいたのか、二階の方から扉を開ける音と床を踏むぺたぺたとした音が聞こえてきた。必死になってスフォルツァンドが二人のいる場へとやってくることを止めようとするセンツァ=ソルディノの口を、アジタートは微笑みを湛えたままその手フェチには堪らない美しい手で鼻ごと覆った。スフォルツァンドはどうやら階段のあたりでもたついているらしい。歩く音が止んでいた。そのまま結構な時間が経過し、口と鼻を押さえられて呼吸を断念せざる得なくなっているセンツァ=ソルディノは顔を真っ赤にさせている。ぎしぎしと音がして、ようやく階段を降りてきたスフォルツァンドの姿を認めた途端、アジタートはセンツァ=ソルディの呼吸器官を封じていた手を外し、何事もなかったのかのように用意されたお茶を啜った。

「お呼びですか?」

 現れたスフォルツァンドの手には本があった。本の題名は、クィンデチマ・アルタバッサ呪術書。すぐに階上に戻る気であるのか、丁度半分のそのまた題名側の半分ほどの位置に指が挟み込まれていた。分厚い堅表紙の本でその位置ということは、彼女の読書速度は速いということになる。意外なことだ、と関心するアジタートに彼女は首を横に傾けた。その姿にうっかり見惚れて言葉を返す事を忘れたアジタートに、彼女は再度首を傾げた。

「あのぅ……」

 恐る恐る問うスフォルツァンドに、アジタートははっとした。呼びつけた本人がその美少女っぷりに見とれて何も喋らなければ、かなり滑稽である。何となく名前を忘れられたような気もするが、あえて無視して彼は口を開いた。

「……あのね、スフォルツァンド。君、私のことをどう思う?」

 政略結婚というものが日常的な世界にいる分仮面夫婦となっている上流貴族の家庭も知っており、アジタートはそんな愛の無い夫婦関係の虚しさを切々と語られている身である。聞くたびに美人を嫁にしなければならないという制約はあるものの、家柄を重視しなくてはならない貴族出身でなかったと思うほどだ。最終的には嫌がろうが何だろうがスフォルツァンドを嫁に貰うつもりではあっても、出来れば嫌われていると言う事態は避けておきたい。もしここで、師の上得意でなければ顔も見たくない、と言われれば流石に落ち込むと思いながらも彼はそう尋ねた。スフォルツァンドは首を横へと倒してから師を振り返る。師は心底げんなりした表情で茶器を口元に運びながら、おざなりに平を上に向けるようにして、手でもってアジタートを指した。好きにしろということであろう。師の意図が分かったのか、スフォルツァンドはアジタートの方を向き直って不思議そうな表情を浮かべた。

「ジェンツァに失敗作をあげれる、勇気のある方だと思いますけれど」

 この言葉に、アジタートは顔を思い切りよく引きつらせた。スフォルツァンドは馬鹿である。その馬鹿さ加減は他の類を見ないほどに。勿論、突然の質問に対して正確な意味を汲み取ることなど出来るはずも無かった。眉目秀麗な贔屓団にでも入れそうなほどの美貌に惑わされ、失念してしまっていた彼は口元が引きつっているのを自覚しながら意図を分かるように、補足しようと口を開いた。

「そうじゃなくて、」

「あ、もしかして、ジェンツァの事がお好きなんですか? 私から奪い取ってでも、失敗作をあげるほどですもんね。ええっと、こういうのを……異種間交雑って言うんですか? 大丈夫ですよ、ク、クヮ、……何とかの呪術書にも異種間交雑の子を使う呪術がありますから」

 邪気無く微笑んだスフォルツァンドに師は啜っていたお茶を噴出しそうになり、咽返った。確かに異種間交雑により出来た子を使う呪術というものは存在する。しかしそれほど高度で国の法に違反する呪術は、現在のスフォルツァンドが習得するものではないのでおそらく参考程度に書かれてあったものを下りてくる前に読んでいたのだろう。もしかしたら指を挟みこんでいる頁がまさに件の頁かもしれない。だからと言って、それを種族人間と種族一応植物に当てはめるのはどうかと思う。だが、センツァ=ソルディノはその勘違いに思わず賞賛を贈りかけた。彼女が馬鹿でよかったと心底感謝した瞬間である。

「いや、あの……」

 余りの意外さにか、しどろもどろになるアジタートにスフォルツァンドは輝かんばかりの笑みを浮かべている。

「私、応援します!」

 思わず頬を赤らめてしまうような笑みと言葉と、本に指を挟みこんだまま両手を胸の前でぐっと握って応援していることをアピールする動作に、アジタートはくらりときた。スフォルツァンドの顔にやられたわけではない。彼にしては珍しく不測の事態に頭が痛くなかったからだ。

「ジェンツァにはもうすぐお嫁に行けるんだって言っておきますね。ジェンツァ、賢いからきっと花嫁修業しだしますよ!」

 食人花の花嫁姿は想像したくない。と言うか自分の横に立って頬を赤らめる花なんて欲しくない。ちらりとアジタートがセンツァ=ソルディノを見れば、声に出さないように爆笑しているのが見えた。助けてはくれなさそうである。

「あ、出来るだけ顔を見せてやってくださいね。ジェンツァも偶にしかやってこない婚約者なんて、きっと寂しがっちゃいま」

「スー! 言わなくていいからね! ジェンツァに何も言わなくていいから! スーが望むなら毎日だって通うけど、ジェンツァには何も言わないで!! と言うかジェンツァと結婚しよう何て思いもしないから!!」

 嬉々としたスフォルツァンドの言葉を遮って叫ぶようにアジタートは言った。流石の彼も必死である。何が悲しくて思い人に勘違いされなければならないのだろうか。しかも、相手が人間ならまだしも植物である。それも食人花と言う、人間としては何が何でもお近づきになりたくないような。そんな必死の言葉に彼女は首を傾げてから、あ、っと嬉しそうに声を上げた。

「照れてるんですね!」

 ああもう頭柔らかいのに固いなこの馬鹿は!

 遂に声を殺せなくなったセンツァ=ソルディノの笑い声を背景に、アジタートは心の中で叫んだ。

「陛下には、結婚は当分出来ませんって言っとけよ」

 笑いすぎて瞳に涙を溜めてアジタートの肩に手を乗せながら言ったセンツァ=ソルディノに、アジタートはぎっと彼を睨み付けた。にこにこ笑って大きく勘違いしているスフォルツァンドには、その言葉の意味を理解できるはずもなかった。


 この後、毎日のように手土産を持参して魔女の森に通うアジタートに、スフォルツァンドは種族を越える愛の尊さを学んだらしい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 魔女が管理する森という設定が面白いです。 3人のキャラも立っていて、あっという間に読めました。 [一言] 上記の設定が活かしきれていないように思われるのは、短編だからでしょうか。 せっかく…
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