読み切り短編|異世界に行きたい!でも、もし”今の自分のまま”転生しちゃったら――?
あなたは、「異世界に行きたい」と思ったことはありますか? 現実逃避をしたい、今とは違う暮らしをしたい。チートな能力を手にして、英雄になりたい。異性に好かれたい……などなどの望み。
でも、もしもあなたが”今の自分のまま”異世界に転生してしまったら、どうなりますか――?
●異世界に行きたい!でも、もし”今の自分のまま”転生しちゃったら――?
「何だここは。異世界か?」
男は目を覚ます。まだ眠いがまどろみの中、独り言をつぶやく。
まだ、男はまぶたを開けていない。目は瞑ったまま、独り言をつぶやく。
「ついに異世界転生しちゃったか!神様ありがとう!」
大声を出す。男は、感嘆の叫びと共に、勢い良く目を見開く。
男は思っていた。願っていた事態が起こったのだと。
「……んなワケないか。」
シン、とした静けさ。男は呆れながら、力なさげにつぶやいた。
いつもと変わらない部屋の光景が、男の目には写っていた。
「いや待てよ、もしかしたら――」
一人暮らしにはやや広い部屋で、男は顎に手を当てて考える。
――もしかすると、この光景はいつもと変わらないけど、実は異世界に転生した後で、記憶をなくして現実世界に帰ってきちゃったのかもしれない。なるほど有り得る話だ――
眉間にシワを寄せ、男は妄想にふけっていた。突然、男は身体のあちこちを手で触り始めた。
「どこかに、異世界に行ったという証拠があるかもしれない!見つけなくては!」
首や太もも、ふくらはぎや脇の下、様々な場所を男は確認する。
ーー無い。あああ、俺は記憶を失ったまま、さらにアッチに行ったという証拠までも無いのか――
ぴぴぴぴ。スマートフォンのアラームが鳴る。静かだったことで、一層アラームがうるさく聞こえる。
「あ、会社行かなきゃ」
●
今日も、男は会社で仕事をしている。今の企業に勤めてもうすぐ1年だ。本人は嫌々ながらに続けていた。始めて3日で辞めたいと思いながらも、1週間継続し、1ヶ月になり、3ヶ月になり、半年間になり、そして1年間勤めることができた。
ーーはぁ……この先どうしようかな。俺の人生、このままでいいのかなーー
男は、手に持った紙を眺め、ため息をつく。その紙とは、契約更新の紙だ。会社勤めとは言っても、正規雇用ではない。その契約更新の紙を持ち、ため息をついていた。
――あー、異世界にでも行きたいなー。ラノベやアニメ、漫画で流行りの異世界モノ。どれもこれも、皆幸せそうじゃないか。それに比べて、まぁ異世界と現実社会を比べても意味ないんだけど、、、こんな仕事を続けていても、俺は全然楽しくないな――
昼夜を逆転させながら働く交代勤務で働いているが、給料はフリーターのバイトとさして変わらない。男は仕事の様々なことに対して、嫌な気持ちを抱いていた。
――気分転換に、アイツにでも電話してみるかな――
●
仕事を終え、男は自宅へと帰宅した。会社からの距離は10分。通勤時間を極限まで短くするために選択した住処である。
ぷるるるる。ぷるるるるるる。男は電話をかける。北海道に住む友人にだ。
「はい、もしもし?」
「あっ、俺だよ俺ー」
友人は突然かかってきた男からの電話に驚く。友人と男は、15年以上の付き合いだ。小学校・中学校・高等学校と一貫だったためである。
「最近生きてる?」
「生きてるよー。」
男は友人に話した。愚痴をこぼし、泣き言をいった。そのうち他の同級生の話題にもなった。そして男は何気なく、言ってしまった。
「俺さー、異世界にでも行きたいなー」
「異世界?」と友人は言葉を返す。
男は話の流れに身を任せ、異世界に行きたいという胸の内を打ち明けた。
「まぁ冗談だと思って聞いてよ。俺、今すげー辛いんよ。異世界にでも行ったら、幸せになれそうじゃん?すごく優秀な能力に恵まれて、世界の平和なんかを救ったりしちゃって。女の子にもモテて。最高でしょ!いいなー、異世界行きたいなー!あっ、もちろんまぁ、その……冗談なんだけどさ。単なる現実逃避だってこともわかってるし。」
男は、冗談半分に言ったつもりだった。ところが、友人からの切り返しは、想像を絶するものだった。
「じゃあさ、その異世界に行ったら、キミに何ができるのかな?」
男は言葉に詰まった。友人はそのまま話を続ける。
「仮に異世界に行ったとして、もし今のキミの能力で生き残れると思うの?」
男は驚きを隠せなかった。
――なんでコイツは、俺の冗談話を真剣に聞いてくれているんだ?前から良い奴だと思っていたけど、そこまで親身になってくれるなんて。今の俺の能力や知識のままだったら、異世界で世界を救うどころか、その日生きていくのも大変かもしれないなぁ――
「うーん。難しいかもー」
男は正直に答えた。その素直さは受話器を通して友人に伝わった。友人は男に言葉を返す。
「だよね。異世界じゃなくても、この日本から出て、他の国で明日から生活できるか?って言ったら無理があるじゃん。英語なら多少は意味がわかるかもしれないけど、アラビア語とか使う国に行ったら、ちんぷんかんだよね。」
――アラビア語って、あのミミズが走ったような、ぐにゃぐにゃした文字のやつか――
「あのぐにゃぐにゃした奴?」
「そうそう。あのぐにゃぐにゃした奴。」
友人は楽しそうに笑いながら、男に話を続ける。
「言葉の違いもあるけど、文化だって違うわけじゃん。それに、キミの能力や知識は現代社会では活かせるかもしれないけど、その異世界では通用しないかもしれないよ。最悪、野垂れ死にだよね」
男は感心していた。そして同時に感動していた。ただの冗談から、ここまで話を広げてくれるなんて。友人は男にとって、かけがえのない存在だ。男は友人に話す。
「そっかー。そこまで考えたこと無かった。異世界って呼ばれているファンタジーに出てくる世界って、中世だとかだよね。なんか、昔っぽい感じの。」
男は、友人にアニメやゲームやライトノベル小説などから得た、拙い異世界のイメージを語った。
「よくあるのは、異世界では文明がそこまで発展していないから、現代社会の知識やスキルを持っているだけでそこから大儲けができたり、すごい戦略を立てられたりするんだよね。」
友人はうなづきながら、男の話を聞く。
「現代社会の知識だけでは、生きていけないかもしれないだなんて、考えもしなかったよー」
男は、自分の考えの浅はかさに気付かされた。そして友人が語る。
「確かにラノベとかみたいに、異世界に転生したらいきなり何でもできるようになるならいいよな。無条件に異性にも好かれて、能力も発揮できて。確かに居心地の良い世界だと思う。」
友人は、男が異世界に行きたい、という望みの盲点を突く。
「でもさ、その前提条件が無くて、”今のキミのまま”異世界に転生しちゃったらどうなると思う?キミは現代社会で順応して生きているだけで、異世界でも通用するような知識やスキルを身に付けているわけじゃないじゃん」
男は、友人が何を言おうとしているのか、いまいち掴めない。
「えっと、、、どういうこと?わかんないや。異世界なんて夢物語は諦めろってこと?それとも――」
話をしている途中で、さえぎるように友人が話出した。
「違うよ。本気で異世界に行きたいなら、必要な知識やスキルを身に付けてみたらどう?って話。」
男は、ぽかんと口を開けたまま、何も言うことができなかった。
「もしもし。聞こえてる?おーい。」
友人は男に呼びかける。男は答える。
「大丈夫、大丈夫。ぽかーんとしてただけだから。」男は話を続ける。
「異世界に行くときに必要な知識やスキルかー。そうだよなー。とは言っても、会社もあるしなー。なかなか時間も取れないし、、、どうしよう。んーー。」
友人はすぐに切り返して発言する。
「本気で異世界に行きたいんでしょ?」
男は、不安な心情を友人に吐露した。
「異世界には行きたい。でも会社を辞めてどうなっちゃうか怖いんだ。異世界に行くために会社を辞めるだなんて、馬鹿げていると思われるだろうし。」
友人は、くすっと笑いながら、呆れたようにこう言った。
「お前、そんなことで怖がっていて、異世界で世界救えるのかよ。」
男もその言葉を聞いて、笑いがこぼれてきた。二人で、笑いあった。そして友人が話し出す。
「キミは異世界に行きたいんでしょ?」友人は男に問いかける。
「行きたい。異世界はぜったい”良い世界”だもん!」それが男の正直な気持ちだった。
「会社は”良い世界”?」友人が男に問う。いたずらっぽく笑いながら。
「ぜーんぜん。」男は子供っぽい口調で答える。
「じゃあ答えは決まったようなものだよね。」友人は、冷静な口調に戻った。それまでざわついていた男の心にも、おちつきが戻った。
急に、友人は男に、やや急ぎ目の口調で話す。どうやら時間が無い様子である。
「おっと!そろそろ予定があるから切るね」
男は友人に、感謝の言葉を伝える。
「今日は電話ありがとうねー。気持ちにも整理がついたよ」
「まぁピンチになったら電話しておいでよ。」友人は男に優しげに声をかける。
「じゃ、またねー。はーーーい。」男は、さみしい気持ちを感じながらも、電話を切った。そしてスマートフォンを机の上に置いて、ごろんとベッドに横になった。
●
それから数日後。男は会社を辞めることに決まった。その日は勤務日では無いものの、挨拶する為に出社していた。実は以前から男は、人事や上司、先輩にも事あるごとに、辞めたいと相談を持ちかけていたのである。人事には、その月の1日間だけ出勤してあとはすべて有給を消化して退職する旨を伝え、すんなりと了承されていた。
朝礼。男は、職場での最後の挨拶をする。
「皆さん、おはようございます。突然ですが、退職が決まりました。一言、二言だけ挨拶をさせていただきます。あ、もう一言二言言ってますね」
はははは。と社内に笑い声が響き渡る。男は言葉を続けた。
「正直に言うと、ぶっちゃけ勤務開始から3日目で、もう辞めたいと思っていました。それでも、自分には向いていない仕事だと思いながらも、1年間続けることができたのは、皆さんのお陰です。ありがとうございました。」
よくある挨拶をした後、男はこう言葉を繋いだ。
「僕には、目標があります。ある世界に、飛び込みたい!そう思ってるんです。その為に行動し、より、自分を磨いていけたらと思います。」
そして、男はこれまで世話になったことを朝礼で会社の人々に伝え、深くお辞儀をした。意外にも、応援してくれる声や退職を惜しむ声が多く、男は驚いていた。もちろん、男が異世界に行きたくて辞めたことなど、社内の人間は誰も知らない。おそらくは、他の業界に飛び込もうと転職を計画しているくらいに考えているだろう。
――男は、ちっぽけな勇気を手に入れた。これは異世界に行くために、必要なものの一つかもしれない。
●
男は、爽快感と解放感に満ちていた。退職する時の快感を身体いっぱいに感じていた。
――ようやく、会社も辞めることができたし、ラッキーだぜ。まじ幸せ。さて、、、では、異世界に行くために必要な知識やスキルをリストアップしていこう。一つ一つ、できるようにしていこう――
ある程度、やることリストを書き出して、男は酒を飲んでいた。そうしているうちに夜となり、男はだんだんと眠くなり、ベッドで横になった。
「寝て、起きたら、異世界だといいなー」男は独り言をつぶやき、そして眠りについた。
●
翌日。男は朝日の眩しさを感じて、目を覚ます。
「なんだここは。異世界か?」
まぶたを開いて、周りを見渡す。いつもの男の部屋が目に写った。
「……んなわけないか。」
男は、異世界に転生していなかったことを神に感謝した。なぜなら、男には現実社会でやると決めたことがあるからである。
――よし、まずは化学について図書館で学ぼう。粉塵爆発ってカッコイイけど、どうやるんだろう――
”異世界に行くときに必要になる知識やスキル”を身につける。そのことに男は胸躍る気持ちでいっぱいだった。自宅のそばにある自動販売機で買った、微糖の缶コーヒーを飲みながら。
なろう作家デビューしました。