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第1夜

 この殺伐とした世界の中で。

 僕らは夜に安らぎを得る。




 きい。きいぃ。

 すべてが仄青い薄闇に沈んだ、夜の公園。ブランコが微かに軋む音が、冴えた空気を渡って響く。月はくっきりとしたその輪郭で、漆黒の夜空を切り取っていた。

 ブランコを揺らしているのは、十二歳ほどの少女。ブランコに浅く腰掛けて鎖に緩く両腕を回し、ゆらゆらと揺らしている。

 その、何かをじっと考えているような黒い瞳の先にあるものは――煌々と光る、月。

 やがて少女はブランコに深く座り直し、鎖をきつく握りしめると、勢いよくブランコをこぎ出した。

 きい。

 きい。

 やがてブランコが高く上がるようになっても、少女はこぐことをやめない。ただひたすら、月を見つめてこぎ続ける。



 *

 果てしなく広がる荒野。吹きすさぶ風が少年を取り囲み、立っていることさえ億劫だ。

 少年は目を細める。吹きすさぶ風の中で、何かを探すように、少年は目をこらす。

 けれど、何も見つからない。ただ在るのは、風に波打つ荒野だけ。

 それでも少年は“何か”を探し続けた。

 *

 少年は目を開けた。目に飛び込んできたのが見慣れた天井だと言うことを確認して、ふぅー…と長く息を吐き出す。

 眠っていたのに、酷く疲れていた。背中や手のひらが汗でじっとりと濡れ、気持ち悪い。

 いつもの夢を見ていた。

 吹きすさぶ風、果てしない荒野。自分は何かを探しているのに、自分が何を探しているのかわからない。ただ、ひとり荒野に立ちつくす。

 少年はゆっくりと身を起こす。首を緩慢に巡らすのと同時に目に入ってくる部屋は、不明瞭な影に落ちていた。深夜だろう。今まで夢から覚めた時間が、そうだったように。

 もう一度眠る気にはなれず、少年はベッドから抜け出した。汗ばんでいるパジャマを脱ぎ捨て、白いTシャツと濃紺のジーンズに着替える。

 と、少年は唐突に手を止めた。

 何かが聞こえる気がする。何かがゆれて、軋むような音。

 少年は閉めていたカーテンを引き開けた。マンションの三階。このマンションの近くには児童公園があり、少年の部屋からは、その児童公園を眺めることができた。

 公園。少年はそこに目をとめる。

 この距離にしてその音が聞こえたのは、何故だろう。

 狭い範囲を照らしているブランコの脇の街灯。その明かりに引っかかるようにして、ひとつのブランコが人を乗せて動いていた。

 少年は家を抜け出した。



 もっと高く。もっと高く。

 一回転しそうなほどに高く上がっても、少女はこぐことをやめない。

 まだ、届かない―――。

「月にでも行くつもりか?」

 ふいに、暗がりから問われた。

 少女は声のしたほうに目をやる。

 街灯の明かりがぎりぎりで届かない、だからこそ他の場所よりも濃く見える薄闇の空間。そこに、人影があった。

 人影はゆっくりと歩んで、ブランコを囲う柵の、すぐ近くまで寄ってくる。

 少女はこぐことをやめ、足をだらりとおろす。ブランコが下に降りる度にスニーカーを履いた足が地面に擦れて、乾いた音を立てた。

 それを暫く繰り返すうち、ブランコは止まった。

 少女はゆっくりとブランコを降りる。まだ僅かにゆれているブランコを背に、少女はしっかりと人影に向き直る。

 人影は――少年は、薄く笑った。

「コンバンハ」


「何でこんなトコにいんの?」

 少年が公園前の自販機から買ってきた缶ココアを両の手のひらで包み込むようにして、少女はベンチに腰を下ろした。少年は少女の斜め前に立ち、ファンタの缶のプルタブに指をかける。プシュッと音がして、プルタブは開いた。

「…そっちは?」

 少女はゆっくりと言葉を発する。選ぶように、探るように。

「どうして、こんなところにいるの?」

 少年は一気にファンタを半分ほどまで開けたあと、口から缶を離してぼそりと呟く。

「…なんでだろうな」

「わかんないの?」

「おう」

「変なの」

「まぁね。自覚はしてる」

 少年は飄々と受け答える。少女は少年を訝しそうに見上げた。少年は「ん?」とおどけたような表情を見せ、まだ半分入っているファンタの缶を振る。

「炭酸のほうがよかった?」

「…炭酸、飲めない」

「あ、そうなんだ。今時珍し」

 少女は答えず、ココアの缶のプルタブを開けた。ふしゅ、と間抜けな音がして、その音は夜の空気に溶けていく。

 濃い茶色の液体を、少女はゆっくりと喉の奥に流し込む。ココアの甘さが全身に広がった。「…おいし」

「それは宜しゅう御座いました、お姫様」

 大袈裟な口調でそう言ったあと、少年は缶を傾けた。炭酸は缶の内側をすべり、少年の喉を濡らす。

「…で? 何でこんなところにいたんだ?」

 さっきから疼いていた好奇心が溢れ出し、そんな問いかけが口を滑り出た。少女はその問いを受けた後、無意識だろうか、月に目をやった。

 それを目にとめた少年は、残っていたファンタを全部一気に胃袋に落とし込むと、口から空になった缶を離し、面白いものを見つけたように口の端をつり上げた。

「月にでも行きたいわけ? …なんで?」

 ゆっくりとしたペースでココアの缶を傾けていた少女は、その問いに動きを止めた。

 口から缶を離して、両手で包み込んだまま、缶を膝の上に置く。

 そうして少女は、空を仰いだ。漆黒の夜空に、消え入りそうに瞬いている星。凜と光る、月。

 少年はそんな少女の横顔を、じっと見つめていた。

 少女の表情には、年相応の感情や、生き生きとした活気は感じられない。感情を忘れて人形になってしまったかのように、その顔から一切の表情を削いでいる。

 綺麗だな。

 何のてらいもなく、そう思った。

「綺麗だから」

 少女はふいに口を開いた。少年の視線をちらとも気にせずに、言葉を紡ぐ。

「綺麗だから。影とか闇とかそんなものはなくて、清浄な世界」

 影や闇。憎しみや悲しみや、嘘偽り。そんなものが無ければ。

 自分は照らされても、すっくと立っていられるはずだ。

 そこまで言って、少女はふと言葉を止める。

 影や闇があるこの世界。自分は影や闇にまみれて、もうそれらに触れたくない。

 影や闇がないところに、行きたい。

「こんな世界にはいたくない。闇とか影とか、そんなものが満ち満ちて。光だけの、月に行きたい」

「そうか?」

 ふいに、少年が言い差した。少女はすい、と視線を少年にずらす。

 視線の動かしかたが綺麗だな、と思いながら、少年はつらつらと話す。

「闇があったからこそ、輝きは生まれた。影があるからこそ、光が重宝される。…それこそ、真理だと思わねぇ?」

「綺麗事」

 少女は間髪入れずに言い切った。夜が、最も深まろうとする。闇の濃度が濃くなった。

「そんなの、光の側の人間が、自分に酔いしれたくて言ってるだけ。自分が『影の意味まで考えるいい人』になりたくて言ってる綺麗事。 …影なんか、いらない」

 少年は、ヒューゥ…と口笛を吹く。

「ま、それは否定しない。 …でも俺は、最終的には影とか闇とか、そっちのほうが強いとは思う」

 少女が促すようにこちらを見た。少年はうっそりと目を細めたあとで、続ける。

「だって影とか闇は、人間が生まれるずっと前…光が生まれるずっと前から、そこに横たわってたんだぜ? すべてが消えたときに残るのは、やっぱり闇。お日様もお月様も、どんなに強い輝きも、闇には勝てないんだよ」

 どんな清浄な光も。

 そう続けた少年を、少女は視線で射抜いた。

 少年はひらりと手を振る。

「あんまり睨むなよ。お前が睨むと、怖い」

「…睨んだつもりは、無い」

「お前が無表情で見つめてくると、もう『睨む』と同義なの。わかっとけ」

 少年は空き缶を振りかぶった。左足を上げ、その足を力強く前に踏み出して体重移動するのと同時に、缶を持った右腕をしならせる。

 少女が目を瞬いた次の瞬間、空き缶がゴミ箱に叩き付けられる高い音が、公園の空気を引き裂いた。

 その余韻が消えないうちに、少年は踵を返す。

「じゃな。月、行けるように頑張れよ」

 さっさと公園を出て行く少年を視界の隅に入れながら、少女はココアの缶をじっと見つめる。

「…ここには、いたくない」

 そう呟くと、まだ中身の入った缶をベンチに置いた。立ち上がり、ブランコに歩み寄る。

 さっきまで乗っていたブランコの鎖を、クッと握る。鎖にはすでに、少女の体温は残っていない。ただ夜の空気を映して、ひんやりと冷たかった。                 




to be continued...

 これは、わたしが連載しているもう一本の小説「東京マヨイガ」の原型となったものです。

 設定がダブっていたり話の流れが同じだったりしても、決してネタが尽きたわけではありません。

 評価は、いただけたらそりゃもう踊り回って喜びますヨ。

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