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第7話 フィオリアの変化と、元婚約者の脱走

 ――ヴィンセントの初恋はこうして終わりを告げたが、それはただの失恋ではなかった。





(あら……?)


 フィオリアは、ふと、違和感を覚える。

 微かな、しかし確かな胸の痛み。


(こんなことは、初めてね)


 ヴィンセントの恋心を受け入れなかったことを、自分は後悔しているのだろうか。

 誰かを振るという経験はこれまでに何度かあるが、それで心が揺らいだことはなかったのに。


(どうしてかしら?)

 

 昔の自分と、今の自分。

 その違いを考えてみる。

 ……もしかして、前世を思い出したからだろうか。


(前世の私は、恋をしたがっていた)


 胸をときめかすような出会い。

 恋人と過ごす甘い時間。

 そういうものを求めて、けれど手に入らず、乙女ゲームや小説にハマり込んでいた。


(これまで恋愛感情なんてよく分からなかったけれど)


 前世の自分とひとつになったことで、多少、そういう心が宿ったのかもしれない。


(面白い変化ね)


 せつないという言葉は、きっと、いまの気持ちを言い表すためにあるのだろう。

 

(恋愛小説でも読んでみようかしら)


 ヴィンセントとの謁見を終えた後、ふと思い立って王都の本屋に寄った。

 そこで驚かされたのは、平積みになっていた小説の内容。

 なんとフィオリアそっくりの女性を主人公にしたフィクションだった。

 作者はレオノーラ・ディ・アンブローズ。

 貴族学校時代、フィオリアを特に慕っていた同級生だ。

 本を読むのが好きと言っていたが、まさか作家になってしまうとは。


「店主。この作家の本を頂戴。全巻、100冊ずつ」


 嬉しくなって、ついつい衝動買いしてしまった。

 


 

 別邸に戻った後も、フィオリアはときどき物思いにふけっていた。 

 自分もいつか誰かに恋をするのだろうか。

 というか結婚はどうなるのやら。

 オズワルドとの婚約はとっくに解消されてるし、頼まれても願い下げだ。

 ならば他の貴族家と政略結婚?

 あるいは外国に嫁いだり?


(まあ、なるようになるでしょう)


 母親のフローラは、グレアムに一目惚れして情熱的(物理)なアプローチをかけたという。

 りんごを握り潰して、マリッジ・オア・ダイ。


(何度考えても頭おかしいわ。お母様も、お父様も)


 そんなことを考えつつ、フィオリアは部屋を出た。

 気分を変えるため、厨房で料理をしようと思ったのだ。

 ちなみにアレンジを効かせすぎて大惨事を起こすタイプで、フィオリアに絶対の忠誠を誓っているはずのレクスですら「先程の本屋に忘れ物をしました」などと嘘をついて逃げ出すほどの腕前である。


「    ♪        ♪          ♪」


 まるで死霊の叫びじみた鼻歌(本人は10年に1度の名曲のつもり)を歌いつつ、料理に使う野菜を選ぶ。トマトスパゲティにしましょうか。けれど歯ごたえが欲しいし、ピーマンとかカボチャを混ぜてもいいかもしれない。


 ……などと考えていたら、若い男性の使用人が息せき切って駆け込んできた。


「お、お、お嬢様! 大変です! 王族の方がいらっしゃいまして、いますぐお嬢様にお会いしたいと!」


「王族? いったい誰かしら」


「とにかくお嬢様を呼べ、の一点張りでして……」


「ひとまず行ってみましょうか。……嫌な予感しかしないけど」






 * *






 先王夫妻はすでに亡い。

 王位継承争いに敗れた第二王子マルスはふてくされるようにして国を飛び出し、いまはどこかを放浪しているという。残る王族はヴィンセントくらいだが、彼ならきちんと手続きを踏んで会いに来るはずだ。


「フィオリア! やっと身体が治ったんだな! オレだ、オレ。分かるだろ?」


 応接間で待っていたのは、痩せこけたみすぼらしい中年男だった。

 とはいえその容貌から、いったい誰なのかはすぐにわかった。


「お久しぶりです、オズワルド様」


 フィオリアの元婚約者。

 オズワルド・ディ・トリスタンである。


「……時計塔に幽閉されている、と聞きましたが」


「ああ。けれど抜け出してきたんだ。君に会うために」


 オズワルドはやけに気障な様子で歩み寄ってくると、フィオリアの手を取った。

 いや、取ろうとしたものの、フィオリアが一歩後ろに下がったせいで空振りになってしまう。


「冷たいじゃないかフィオリア。オレたちの仲だろう?」


「私たち、そんなに親しかったかしら」


 婚約が決まってからというもの、オズワルドはずっとフィオリアに冷たい態度を取ってきた。

 挙句の果てが、アンネローゼに入れ込んでの婚約破棄。そして毒殺未遂である。

 お人好しのフィオリアをしても、もはや彼の心証はドン底まで落ちている。


「アンネローゼとのことを怒ってるのか? あれは、その、別に本気じゃなかったんだ。ちょっとした火遊びというか……ほら、若いうちはそういうこともあるだろ? 許してくれよ。毒の件だって、オレは悪くないんだ。アンネローゼに嵌められたんだ。分かるだろ、な?」


「……」


 フィオリアとしてはもはや言葉もない。

 いきなり早口で喋りだしたかと思えば、言い訳と自己弁護の数々。


 若いうちはそういうこともある?

 馬鹿か、この男は。

 それは許す側のセリフであって、許しを請う側が口にしていいものではない。


「オレはこの20年、ずっと牢獄で反省していた。この目を見てくれ。別人のように生まれ変わったのが分かるだろ」


「……どうかしら」


「生まれ変わったに決まってるだろ! だからさ、もう一回、オレと婚約してくれないか。そうしたらさすがにあの辛気臭い時計塔から出られ……いや、なんでもない。うん。なんでもない。オレはフィオリアが好きなんだ。小さいころからずっと好きだった。初恋の相手だ。愛してる。だからほら、な?」


 ところでこのとき、フィオリアはひとりの使用人を連れていた。

 オズワルドの訪問を知らせてくれた青年で、彼には小さめの南瓜(かぼちゃ)とナベを持たせていた。

 フィオリアは使用人から南瓜を受け取ると、オズワルドの眼前に突き付けた。


 今までになく心が苛立っていた。

 好き? 愛してる? 初恋の相手?

 どの口でそれを言う。

 よしんば初恋は本当だったとしても、あまりに軽い。

 どれも言葉が軽すぎる。

 それは……初恋を諦めたヴィンセントへの冒涜だ。

 

 ――フィオリアは、南瓜を片手で握り潰した。


「その口を閉じてもらえませんか? さもなければ、これが3秒後のオズワルド様です」


「ひっ……っ!」


 腰を抜かすオズワルド。

 無様に床へ倒れ、怯えの表情でフィオリアを見上げる。


「や、や、や、やめろ! オレは王族だぞ! 王族に手を出してタダで済むと思っているのか!?」


「……」


 何も答えず、フィオリアは一歩、距離を詰める。


「く、く、くそっ! オレがわざわざ脱獄して会いに来てやったのに、なんだこの扱いは! おまえは努力する人間が好きなんだろう!? オレは頑張ってるじゃないか! 認めろよ! 褒めろよ! 時計塔から出られるように手を出せよ! ああ畜生! これだから女は嫌いなんだ! アンネローゼも! おまえも! どうしてオレの思い通りにならねえんだよ! くそっ、こうなったら何もかも吹き飛ばして――」 


「……3秒が経ちました」


 冷たい声で死刑宣告を告げる。

 

「他人が思い通りにならない? 当然でしょう。私もアンネローゼも、みな、意思を持っているのですから。現実は人形遊びではありません。……この20年間は、貴方にとって何の反省にも繋がっていなかったのですね」


 フィオリアは手を伸ばして、オズワルドの頭を掴んだ。

 みしり、と骨が音を立てた。

 オズワルドは、離せ死にたくないやめろやめろ、と喚いていたが、やがて何も言わなくなった。

 恐怖のあまり気を失ったのだ。


「……本当に、つまらない男」


 喚いている暇があるのなら、拳のひとつでも握って殴りかかってくればよいものを。

 もちろん殴り返すが。

 多少の気概を見せれば、慈悲をかけることも考慮した……いや、今回は無理だ。


 アンネローゼに浮気したことも、婚約破棄も、毒殺未遂もどうでもいい。

 だが、あまりにも軽々しく、愛や恋といった繊細な言葉を口にしたのが許せなかった。

 

 いっそ《神罰の杖》で消滅させてしまおうかしら――と剣呑なことを考えた矢先。


「あら?」

 

 フィオリアはふと、鉄が焦げるようなにおいを感じた。

 オズワルドの服。

 胸ポケットの部分で何かが輝いていた。

 黒色の鉱石だ。

 魔法の術式が組み込まれているらしく、不気味な振動を繰り返していた。


「物騒なものを持っているわね」


 術式を読み解いてみると、それは高位の闇魔法だった。

 発動したら最後、周囲数百メートルを消滅させる。

 ここが王都だ。

 政治的・経済的な被害は計り知れない。


 発動までのタイムリミットはすでに3分を切っている。

 高位の闇魔法であるため、その解除は困難極まりない。

 並大抵の魔導士なら手を出すこともできないし、専門家でも10分は欲しい。

 ならば惨劇は避けられない……わけでもない。


「《浄化の祝福(グロリアス)》」


 なぜならここには、闇の天敵が存在する。

 聖女ならぬ聖女、フィオリア・ディ・フローレンス。 

 清浄な輝きが手から溢れ、闇の術式を完全に打ち消していた。


「……とりあえず、国王様に報告しましょうか」

 






 


 フィオリアは、大慌てで駆け付けた近衛兵にオズワルドを引き渡した。

 時計塔からの脱獄のみならず、魔法爆弾によるテロ行為を行おうとしたのだ。

 重罪である。

 もはや王族だからといって許される域を越えていた。

 オズワルドは「魔法石はお守りだと思っていた」「自分は悪くない」「ケネスのやつに嵌められた」と繰り返したが、誰一人として彼を弁護する者はいない。その罪にふさわしい罰が下されるだろう。




 一方、脱獄そのものについての調査も行われていた。

 どうやらフィオリアがヴィンセントと謁見していたのと時を同じくして、オズワルドは時計塔から出ていったらしい。

 もちろん彼一人の犯行ではない。

 協力者がいた。

 ケネス・ディ・ブランブルグ。

 アンネローゼの取り巻きであり、彼女の逃亡に手を貸したとされる重罪人。

 いまは地下に潜伏しているという話だったが、彼とその部下がオズワルドを逃がしたようだ。


「向こうから尻尾を出すだなんて、好都合ね」


 その情報を手に入れたフィオリアは、静かに微笑んだ。

 

「私は力押しばかりと思われているけれど、策略も決して苦手ではないのよ。

 それを思い知ってもらいましょうか」






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