第5話 国王からの召喚状
イソルテ男爵が絞首刑に処されてから1ヵ月ほどが過ぎた、春の晴れた日。
フィオリアは王都へ向かっていた。
現トリスタン国王のヴィンセントから召喚状が届いたのである。
どうやら、イソルテ王国を解体した件についての詳しい説明を求めているらしい。
(そう、ヴィーが国王になったのね)
フィオリアの記憶にあるのは、20年前のヴィンセント。
当時7歳だった彼は、誰もが見惚れずにいられない絶佳の美少年だった。
聡明で、早熟で……やたらとフィオリアに懐いていた。
「俺は必ず王になる。王になって、オズワルドからお前を奪う。俺のものになれ、フィオリア」
情熱的な口説き文句を投げかけられたことも、一度や二度ではない。
フィオリアにとって、ヴィンセントは10歳も年の離れた幼子。
普通ならば適当に受け流すところだろうが……
「素敵な野心ね。いまの貴方は輝いているわ。とっても好みよ、ヴィンセント」
あのフィオリア・ディ・フローレンスが、常識的な対応を取るはずもない。
本気で生きる人間がいるならば、ついつい愛でてしまうのが彼女の悪癖である。
「けれど私はオズワルド様の婚約者なの。貴方が玉座を奪おうというなら、全身全霊をもって叩き潰す。……私が欲しいなら、跳ね除けて、逆に組み伏せるくらいのことはしてちょうだい」
ヴィンセントの黒髪を撫でながら、煽るような言葉を重ねる。
「貴方は私に勝てるかしら?」
「勝つよ。勝って、おまえを手に入れる。期待しておけ」
王宮の庭園でそんな言葉を交わしてから、20年の時が流れた。
いまやヴィンセントは国王となっている。
果たしてどんな男に育ったのだろう?
なかなかに楽しみだ。
「……あら?」
フィオリアは、ふと、回想から引き戻される。
彼女は馬車に乗っていたのだが、急に速度が落ちたからである。やがて完全に止まってしまった。
「申し訳ありません、フィオリア様。この先でトラブルが起きているようです」
護衛の騎士がすぐさま報告にやってきた。
曰く、冒険者がけっこうな数の魔物に襲われており、形勢はかなり不利だとか。
「できれば無駄な消耗は避けたいところです。迂回路を探していますので、しばしお待ちください」
「必要ないわ。このまま進みなさい」
「ですが、フィオリア様に万が一のことがあっては……」
「わが身可愛さに逃げ出すのは、貴族の在り方から外れるわ。騎士団の皆に伝えてくれる? 先行して、冒険者たちに手を貸しなさい」
「しょ、承知しました……」
だが、その後も馬車はいっこうに動かなかった。
護衛の騎士らはほとんどが若手であり、フィオリアのことをあまりよく知らない。
冒険者を助けろとの命令も「ワガママお嬢様のムチャな命令」として聞き流してしまったのだ。
「我が家にもずいぶんとつまらない人間が増えたわね」
かつてフィオリアが健在だったころ、フローレンス騎士団といえば悪鬼羅刹の戦闘狂として恐れられていた。
だが当時のメンバーはほとんどが引退し、現在は良くも悪くも「普通の騎士」ばかりになっていた。
「王都から戻ったら、全員、一から鍛え直しましょう」
心のメモ帳にそう書き記し、フィオリアは馬車を降りた。
「どちらに向かわれるのですか」
外には執事のレクスが立っていた。
いつ用事を申し付けられてもいいように待機していたのだろう。
「ちょっとそこまで、一狩りしてくるわ。レクスは騎士たちへの説明をお願い」
「……オレを連れて行っては、くれませんか」
「もう少し強くなったら考えてあげる。励むことね」
* *
フィオリアは飛行魔法を発動させ、すぐさま戦場に向かった。
山の麓にある草原。
冒険者たちが魔物と対峙していた。
大群と聞いていたが、敵は一匹だけ。
ただしそのサイズが尋常ではなかった。
おそらくは中規模の砦に匹敵する。
巨大な、巨大な……スライムだった。
「スライムの大量発生、そして融合。春の風物詩ね」
冬が終わって春になると、スライムは嬉さのあまり増えはじめる。
増えて、増えて、増えて、最後になぜか合体する。
生態系のバランスを崩さないよう数を減らしているのかもしれない。
巨大化したスライムは、人間にとって大きな脅威である。
物理攻撃は通用しないし、魔法も吸収されてしまう。
「あら、頑張ってるわね」
眼下では冒険者たちが必死に奮闘していた。
男3人のパーティで、さほど練度は高くない。
彼らでは巨大スライムなど倒せないだろうし、さっさと撤退すべきだろう。
「すぐ近くに街があるから、スライムを放置できない。1人が応援を呼びにいって、3人が足止め」
フィオリアは風の魔法を使い、冒険者らの声を拾い集めていた。
なるほど状況は把握できた。
素晴らしい。
勝てない相手であろうと、諦めることなく立ち向かう。
ここで命を落とすかもしれないが、それで街を守れるなら安いものだ。
……そういう人間は、嫌いじゃない。伸びしろがある。ここで死なせるのは惜しいと思う。
「――《神罰の杖》」
故に出し惜しみはしない。
天から落ちる黄金光が、巨大スライムを一瞬にして蒸発させた。
泰然とした様子で、悠々とフィオリアは地面に降り立つ。
「すまねえ、助かったぜ!」
リーダー格の男は、フィオリアの姿を認めると、すぐさまこちらに駆け寄ってきた。
「あんた、すげえ魔法使いだな! でかスライムを一発でやっちまうなんて」
でかスライム。
妙に可愛らしい表現に、フィオリアは思わずクスリと笑ってしまった。
「オレはアラン、見てのとおり冒険者だ。まだDランクだけどな」
「私は……まあ、フィリアとでも名乗っておきましょうか。貴方たちの勇気に賞賛を。逆境に立ち向かう意志を持ち続ければ、いずれ自然と頂点に辿り着くはずよ。……そのときを楽しみにしているわ」
余談になるが、後にアランたちのパーティは冒険者としての最高位……Sランクに上り詰めることとなる。
彼らは後輩たちに常々こう言って聞かせた。
立ち向かう意思を忘れるな――そうすれば黄金の女神が必ず祝福してくれる、と。
フィオリアはアランたちと別れると、再び馬車へと戻った。
飛行魔法さえあれば王都までひとっとびだが、貴族が馬車で移動すると、それだけで経済が動く。
それによって平民たちの生活も豊かになるわけだし、決して無駄なことではないのだ。
数日後、ついに馬車は王都トリスターナに辿り着いた。
「ここは、あまり変わらないのね」
トリスターナはすでに都市としてひとつの完成を迎えている。
歴史的な建築物も多く、再開発はきわめて困難。
そのためかどこか停滞した空気が漂っていた。
フィオリアはまずフローレンス家の別邸に入った。
初日は旅の疲れをいやし、翌日はあちこちを見て回った。
とはいえただの観光ではなく、情報収集の色合いのほうが強い。
その中で、ひとつ、気になる噂を耳にした。
かつてアンネローゼの取り巻きだった、騎士団長子息のケネス。
彼はトリスタン王国軍の内情を漏らしていたため、本来なら投獄されることになっていた。
しかしながら当局の手を振り切って失踪、地下に潜み、アンネローゼがトリスタン王国を脱出する手助けをしていたという。いまは盗賊に身を落としているとか、いないとか。
「……彼とは少しばかり話をする必要がありそうね」
フィオリアは獲物を見定めるような目つきで、呟いた。




