第54話 開戦
アトラ王国からの外交使節が現れたのは、さらに2ヵ月が経った秋のことだった。
10月の末。
フィオリアが宰相代行に就任してからおよそ半年が過ぎている。
アトラ王国は外交使節を送るにあたり、二十四隻の軍艦からなる大艦隊を護衛として差し向けた。
これは海軍力を見せつけるためのデモンストレーションであり、要するに、トリスタン王国に対する恫喝である。
「お嬢様、どう思われますか?」
「ばかばかしいわね」
アトラ王国からの艦隊が到着する少し前――
レクスから報告を受けたフィオリアは、目を伏せてため息をついた。
「アトラ王国の軍艦とやらはどの程度の性能なのかしら?」
「最新鋭の軍艦だそうです。……少なくとも、アトラ王国の見解では。
何十枚と重ねた木製の装甲板で守りを固め、東方から輸入した大砲で武装しているのだとか」
「ふうん」
失望したように呟くフィオリア。
「アトラ王国は、トリスタン王国を侵略したいのでしょう? だったら、戦う相手のことをもう少し調べておくべきと思うのだけれど」
フィオリアの行った内政改革については先に述べた通りだが、軍事方面についても大きな改革を成し遂げていた。
トリスタン王国軍の再編成である。
軍を陸・海・空の3つに分け、それぞれに最新鋭の装備を行き渡らせた。
たとえば海軍の場合、鋼鉄製の装甲艦が配備されている。
大砲も搭載されているが、火薬ではなく魔力を直接打ち出すものであり、攻撃力・防御力ともに既存の船をはるかに凌駕している。
アトラ王国の“最新鋭”と比較すれば、もはやオーバーテクノロジーと言ってもいい。
「まあ、無知のツケはその身で払ってもらいましょう。彼らと顔を合わせるのが楽しみね」
* *
補足しておくと、トリスタン王国海軍の戦力については、一応、アトラ王国も情報を掴んでいた。
しかしながら――
「ベルガリア大陸の愚か者どもが我々よりも高い技術力を持っているわけがない」
「どうせ偽情報でも掴まされたのだろう」
「そもそも鉄の船が海に浮くものか」
アトラ王国の軍部はどうしようもないほど慢心に満ちており、折角の情報を切り捨てていた。
……その報いが、あまりに大きなものになることを、彼らはまだ知らない。
* *
アトラ王国の艦隊が姿を現したとき、フィオリアは、装甲艦を表に出さなかった。
相手の出方をうかがうため、あえて、古い木造船だけを洋上に並べさせた。
「ふん、やはりトリスタン王国など大したことないではないか」
艦隊の司令官はグースという脂ぎった中年の男だったが、すっかり油断しきっていた。
「これならば我々だけで攻め滅ぼせそうだな。クク……」
グースはひとりほくそ笑み――外交交渉の場においても傲慢な態度を隠そうとしなかった。
そしてあろうことか、ヴィンセント王の前でとんでもない暴言を投げつけたのだ。
「我らの祖先はかつてベルガリア大陸に住んでいた。この地はもともと我々のものだ。貴様らは空き家に入ってきたコソ泥に過ぎん。本来なら力尽くで奪い返してもいいのだが、わざわざ国交を結んでやろうというのだ。跪いて感謝しろ、野蛮人ども」
本来なら、この時点ですぐに戦争が始まってもおかしくない。
だが、ヴィンセントをはじめとし、トリスタン王国側の人間はみな堪えていた。
事前にフィオリアから説明されていたのだ。
――何を言われようと鷹揚に聞き流してちょうだい、すぐに借りは返してあげるから。
――むしろ相手をつけあがらせてくれると助かるわ。
――そうすれば、私が暴れるだけの大義名分が立つもの。
その目論見は上手くいった。
グースばかりがアトラ王国側の外交使節たちも横柄な態度を取り、さんざんトリスタン王国を後進国扱いし、いい気分で帰途に就いた。
……かに、思えたが。
グース率いる艦隊はいきなりトリスタン王国に牙をむいた。
港への砲撃を開始したのだ。
このとき、グースはこのような声明を発している。
「貴様らは我らの故郷に住み着いた野サルだ。即刻、ベルガリア大陸全土を返還しろ。そうすれば、殺さずにおいてやる。奴隷として飼ってやろう。……この温情あふれる勧告に涙を流して感謝するがいい」
おそらく、グースという男の人生において、この瞬間こそが最高潮というものだったのだろう。
頂点を極めれば、あとはひたすら落ちるだけ。
「我らアトラ王国は、高度な魔法科学技術を有している! 貴様ら野蛮人とは格が違うのだ! 大怪我をする前に降伏することだな!」
この言葉を最後にして、彼の零落が始まる。
艦隊の砲撃は、どれひとつとしてトリスタン王国に被害を与えることはできなかった。
「――そろそろ私の出番みたいね」
満を持して現れたフィオリアによって、すべて、阻まれていた。
「《黙示・天駆の光翼》」
《天駆の光翼》は、光の翼を広げて空を舞う魔法である。
《黙示・天駆の光翼》はその上位版だった。
巨大な――街ひとつを覆うほどの巨大な光の翼を広げ、フィオリアは砲撃を阻んでいた。
「私ひとりですべてを片付けてもいいのだけれど、アトラ王国にはデモンストレーションの相手になってもらいましょうか」
フィオリアの軍事改革のひとつに、空軍の設立というものがある。
風魔法を利用しての飛行はフィオリアが20年前の時点で実行していたが、その後、フローレンス公爵領の魔術師たちによって研究され、一定以上の実力を持つ風魔法の使い手なら誰でも空を飛べるようになっていた。
フィオリアはそのような魔術師たちを軍に採用し、この日、ついに実戦に投入したのである。
当時、まだ『空軍』という概念はトリスタン王国以外に存在しておらず、当然、アトラ王国の艦隊も『頭上の敵』への備えなどまったく行っていなかった。
ゆえに、ここから始まるのは、あまりに一方的な蹂躙劇であった。