第53話 進む改革と、忍び寄る暗雲
フィオリアが宰相として実施したのは、廃領置県だけではない。
戸籍の編纂、税制改革、交通網の整備、慣習法の明文化――。
平行していくつもの改革を行っている。
これに対し、多くの貴族たちは、
「性急すぎる。きっと失敗するに違いあるまい、そもそも女に政治ができるものか」
と冷ややかな目を向けていた。
だが、いざ実施されてみれば、いずれも驚くほどスムーズに進んでいった。
「見事なものだな、フィオリア」
廃領置県から3ヶ月が過ぎた夏の昼下がり、ヴィンセントはフィオリアの執務室を訪ねてそう口にした。
「君は本当に優秀だ」
「私だけの力じゃないわ。フローレンス公爵領から連れてきたスタッフのおかげよ」
いまから21年前、領主代行時代のフィオリアは領内にとある教育機関を設置していた。官僚の養成学校である。
時は流れて、現在。
その養成学校で育った者たちが、フィオリアの改革をさまざまな方面からサポートしていた。
「その話はレクスから聞いている。……俺が子供だったころから、君はトリスタン王国の改革を考えていたんだろう。すべては予定通り、というわけだな」
「いいえ、そうでもないわ」
このときフィオリアは、執務室のソファに、ヴィンセントと向かい合って座っていた。
悠然とした様子で黄金色の髪をかきあげる。
「本当なら、この改革はもっと早くに行うつもりだったもの」
それが遅れてしまった原因は、言うまでもなくアンネローゼだ。
毒による長年の昏睡。
それがフィオリアの予定を大きく狂わせていた。
「とはいえ、二十年の準備期間が生まれたおかげで官僚の育成も十二分にできたわけだし、悪いことばかりじゃないのよね」
「たしかに、悪いことばかりじゃないな」
ヴィンセントは端整な顔に微笑を浮かべて頷いた。
「本来ならば、君はそのままオズワルドと結婚していただろう」
第一王子オズワルド。
今となってはもう故人だが、もともと、フィオリアはオズワルドの婚約者だった。
何事もなければ、オズワルドが国王となり、フィオリアは王妃の座についていたはずだった。
だが、アンネローゼという少女がオズワルドを誘惑したことにより、多くの人間の運命が変わってしまったのだ。
「俺が国王になったのも、いまこうして君が宰相として宮廷にいてくれるのも、ある意味ではアンネローゼのおかげか。唯一、これだけはあの毒婦に感謝してやってもいい」
「そうね。国のトップとしての能力は、オズワルドより貴方のほうがずっと高い。改革がうまくいっているのも、貴方が国王だからこそよ。そこは確かに、アンネローゼの功績と言えるわね」
「いや、俺がそういうことを言いたいわけではないのだがな……」
「じゃあ、どういうことが言いたいの?」
ヴィンセントの感情を知ってか知らずか、翡翠色の目を細め、弄ぶような表情を浮かべるフィオリア。
「まあ、その答えはまた別の機会に聞くとしましょう。それよりも重要な要件があるわ」
フィオリアは膝の上に、紐で閉じられた紙束を乗せていた。
それをヴィンセントに手渡す。
「先日の、サイン伯爵の反乱についての資料よ。レクスに背後関係を洗わせたの」
「ほう」
ヴィンセントは興味深げに頷くと、パラパラと紙束をめくる。
「やはり他国からの干渉があったか」
「しかもベルガリア大陸の『外』よ。……アトラ王国って知っているかしら」
「西方の海軍国家だな」
「ええ。あの国、今の国王になってからずっと軍の拡張を続けているわ。どうやらベルガリア大陸に攻め込むつもりみたいよ」
「その情報は俺の方でも掴んでいる。国王みずから民衆を扇動しているらしいな。
『我々アトラの民はもともとベルガリア大陸に住んでいたが、《黒き森》の魔物によって故郷を追われることになった。現在のベルガリア大陸にいるのは、あとからやってきた薄汚い空き巣に過ぎない。いまこそ故郷を奪い返すべく聖戦を行う』とかなんとか。
くだらない話だ」
「まあ、アトラの国王の言うことも、半分くらいは正解なのよ」
フィオリアは目を伏せて、まるで遠い過去に思いを馳せるような口ぶりで呟いた。
「二千年前、《黒き森》から魔物たちが溢れ出したわ。その時にベルガリア大陸から逃げ出した人々が、はるか西方の大陸でアトラ王国を作ったの。……ちなみに、最後まで諦めずに魔物と戦い続けた者たちの末裔が、いまのベルガリア大陸の人間よ」
「それは初耳だ、歴史には詳しいつもりなんだがな。どこの本に書いてあったんだ?」
「忘れてしまったわ。もしかしたら、その場に居合わせていたのかも」
「面白い冗談だな、フィオリア。だとすれば君は二千歳を越えることになる」
「そうね、冗談と思って聞き流してちょうだい」
とぼけるように肩をすくめるフィオリア。
「ともあれ私としては、聖戦だの何だのと喚いているアトラの国王は好みじゃないわ。いっそ戦争でも仕掛けてくれないかしら。そうすれば、叩きのめす名分も立つのだけど」
「……そんな君に朗報、というわけではないが」
コホン、と咳払いするヴィンセント。
「来月、アトラ王国から外交使節がくることになっている。なんでもトリスタン王国と国交を樹立したいそうだ。……大方、無茶な用件を吹っかけての挑発だろう。最終的には戦争に持っていこうとするはずだ」
「あら、それは楽しみね」
フィオリアはくすりと微笑んだ。