第4話 王国の解体とイソルテ男爵の最期
イソルテ王国の解体は、思いのほか早く進んだ。
どうやら最近のブラジア・ディ・イソルテは暴政を敷いていたらしく、平民のみならず貴族からも支持を失いつつあった。
それゆえ圧倒的な力でもってブラジア王を捻じ伏せたフィオリアは、彼らにとって救いの女神に映ったのだ。
さて、イソルテ王国の貴族たちだが、彼らのほとんどは軽い処分を受けるだけでトリスタン王国に復帰することができた。
「反乱を起こしたのは20年前の当主でしょう? だったら今の当主たちに責任を問うのは筋違いよ」
フィオリアは、そのような旨の書状をトリスタン王家に送っていた。
実際、ほとんどの貴族家当主はこの20年で代替わりを果たしており、そうでない家の場合、現当主を隠居させることがトリスタン王国への復帰条件となった。
他にもフィオリアは、こんなことを行っている。
「ザック・ディ・コラカン男爵ね。貴方の領地がどうなっているか、少し調べさせてもらったわ」
「は、は、はい……」
その日、フィオリアに呼び出された青年男爵は全身から滝のような汗を流していた。
自分はこれから何を言われるのか。我が家は後ろ暗いことなどやっていない。
大丈夫なはずなのに、フィオリアを前にすると、なんかをやらかしてしまったかのような錯覚すら浮かんでくる。
「イソルテ男爵はかなりの重税を敷いていたみたいだけど、その中でなんとかやりくりしていたみたいね。領民たちの生活も比較的保たれていたと聞いているわ。……貴方の手腕については、ちゃんと王家への書状に記しておくから安心して。少しは心象もよくなるでしょうし、処分も緩いもので済むはずよ」
「えっ? ……ええっ?」
糾弾されるとばかり思い込んでいたコラカン男爵は戸惑っていた。
もしや評価されているのだろうか、この自分が。
社交界ではパッとしない存在として見下され、結婚話も断られてばかりの貧乏男爵なのに?
「トリスタン王国を裏切ったのは、あくまで先代の判断でしょう? 貴方に罪はない。トリスタン王国に復帰すれば税率も低くなるし、生活も楽になるわ。……これまで、よく頑張ったわね」
「……っ!」
目頭が熱くなる。
コラカン男爵の頬を、つう、と涙が伝う。
こんなふうに誰かから褒められたのは、いつぶりだろう。
領民からは生活が苦しいと文句を言われ、イソルテ王からは金を出せ、無理なら妹たちを後宮によこせと脅される日々。
どれだけ領地経営に力を入れようが、その成果はすべて王に持っていかれる。
これまでは無力感を覚えてばかりだったが……いま、ようやく、自分を認めてくれる人が現れた。
嬉しくて、嬉しくて。
恥も外聞もなく、泣き崩れた。
コラカン男爵だけでなく、イソルテ王国の貴族はおおむね真剣に領地経営へと取り組んでいた。
フィオリアはその一人一人と面談をしながら、その働きぶりを王家への書状に添えた。
(彼らの家をまとめて取り潰しにしたら、誰がその領地を治めるのよ)
さすがにフローレンス公爵家の総取りというわけにもいかないし、かといって、他のトリスタン貴族に分け与えるのも難しい。取り分をめぐっての内輪揉めが起こるだろう。
そのあたりを勘案するに、彼らをそのままトリスタン王国に復帰させたほうが効率的だ。
……などと色々考えてはいるものの、本音としては単に「頑張って領地を治めているのに取り潰しなんてかわいそう」というだけのこと。根本的にフィオリアはお人好しなのだ。
だが、例外は存在する。
他ならぬブラジア王……イソルテ男爵である。
「さて、貴方の申し開きを聞きましょうか。せいぜい囀りなさい」
イソルテ城の地下牢。
鉄格子に囚われたイソルテ男爵を睥睨しつつ、フィオリアは悠然と片手で扇子を弄んでいた。
「ワ、ワシが何をしたというんじゃ! ワシは王だ! 自分の国を好きにして何が悪い!」
「勘違いしてないかしら」
フィオリアは地下牢の廊下に、イスとテーブルを運ばせていた。
先程レクスが淹れたばかりの紅茶に口を付ける。
……やけに渋いが、文句は言わない。いずれ上手になって頂戴。
「貴方が暴君であろうとなかろうと関係ないわ。フローレンス公爵家に喧嘩を売ったからこうなったのよ。まさかとは思うけれど、殴られる覚悟もなしに殴りかかってきたわけじゃないわよね?」
「ぐ……」
「貴方としては『アンネローゼが手に入れた秘密』とやらを隠れ蓑にしていたみたいだけど、残念だったわね。世の中には会話が通じない相手がいるの。私とか」
「自分で言うか、それを」
「あら、これはアドバイスなのよ? 少なくとも私相手に、ヘタな交渉は通じないと思いなさい。まずは、フローレンス公爵家に攻め込んできた理由を教えてもらおうかしら」
「黙秘はできんようだな」
「理解が早くて助かるわ」
「であれば、ワシの命もここまでよ。アンネローゼのやつはこの身体に呪いを刻んでいった。トリスタン王国に反旗を翻し、命が尽きるまでフローレンス公爵領を攻撃すること――その命令に逆らうか、誰かに暴露すれば命を落とす。そういうふうに定められておる。……ぐっ!」
突如として苦悶の表情を浮かべるイソルテ男爵。
喉元を押さえ、まるで窒息寸前のようにのたうちまわる。
よく目を凝らせば、黒い靄のようなものが彼の首へと巻き付いているのが見えるだろう。
それは闇の上位魔法によって刻まれた、絶命の呪い。
解呪のためには教皇や聖女といった存在を連れてこねばならない。
本来ならば到底助からない状況である。
「――《浄化の祝福》」
だが、ここには聖女ならぬ聖女がいる。
フィオリアの光魔法は破壊に偏っているが、前世を思い出して以来、さまざまな応用が可能となっていた。
アニメやゲームに出てくる浄化魔法をイメージしつつ、魔力を操作。
やってみたら、うまくいった。
清浄な輝きがイソルテ男爵を包み、黒い靄を一瞬にして打ち払う。
「な……?」
「よかったわね、死なずに済んで」
「た、助かった……」
安堵のため息をつくイソルテ男爵。
その表情は先程に比べると、若干の余裕が滲んでいた。
「そうか、なるほど。わかったぞ」
「何が、かしら」
「フィオリアよ、おまえさん、ワシをスカウトに来たんじゃろう? なにせワシは新興貴族どもをまとめあげて国を作った上、20年間も独立を保ち続けたからな。カリスマもあれば政治力もある。うむ、人材としては魅力的なのは仕方あるまい。であれば、ここで死なれては困ろうなあ?」
「……は?」
さすがのフィオリアも面食らわずにいられなかった。
この男はいきなり何を言い出すのか。
黒い靄のせいで窒息しかかっていたが、酸素欠乏症で頭がおかしくなったのだろうか。
「いいぞいいぞ、従ってやる。ワシの持つ情報網もコネクションもくれてやる。その代わり、命の保証はしてもらおうか!」
呵々大笑とするイソルテ男爵。
フィオリアは、深いため息をついた。
パチンと扇子を閉じると、鉄格子へと近づいていく。
「――――静かにしてちょうだい、この愚物」
冷たく言い放つ。
同時に、扇子の先端をイソルテ男爵の喉元に突き付けた。
「私が呪いを浄化したのは、貴方に裁きを受けさせるためよ。トリスタン王国の法に従って、粛々と、無様に公開処刑されなさい」
「ワシを助けるのではないのか!? 人に期待させておいて……許されると思うなよ、この小娘が!」
「五月蠅い」
扇子の先端から、光が放たれた。
極小まで威力を絞った《神罰の杖》である。
狙いはギリギリでイソルテ男爵から外してある。
だが恫喝には十分だったらしい。
「ひ、ひ、ひいいいっ!」
イソルテ男爵は腰を抜かすと、そのまま冷たい床にへたり込んだ。
「処刑の日まで心安らかに過ごしたいなら、あまり不快なことを囀らないでくれる? 最後にもうひとつだけ聞くわ。それさえ教えてくれるなら、地下牢の待遇も少しはよくしましょう。――アンネローゼは何者なの、いまはどこにいるの? 私は、彼女に借りを返さないといけないのよ」
その一ヵ月後。
トリスタン王国の王都、トリスターナでひとりの男が絞首刑に処された。
男の名は、ブラジア・ディ・イソルテ。
彼は王都に運ばれたあとは物狂いのふりをして罪を逃れようとし、最後まで己の罪を認めなかったという。
次回から恋愛展開です(たぶん)
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