第50話 サイン伯爵の覚醒 (中編)
お待たせしてごめんなさい、本作の書籍化作業に取り掛かっておりました!
サイン伯爵の屋敷には、たくさんの魔法地雷が仕掛けられていた。
「……これで12回目、さすがに飽きてきたわね」
フィオリアは退屈そうに黄金色の髪をかきあげた。
何度となく地雷の爆発に晒されているにも関わらず、翡翠色のドレスには小さなほころびすら見当たらない。
「油断するなよご主人。気を抜けば、20年前のようなことになるかもしれん」
「……そうね、それこそがサイン伯爵の狙いかもしれないわね」
フィオリアは深く頷くと、優しげな手つきでモフモフの背を撫でる。
「ワンパターンな罠で油断を誘って、私を討つつもりかもしれない。ありがとうモフモフ、気をつけるとしましょう」
「そうしてくれ。……ご主人の強さは理解しているが、万が一、という可能性もありうる」
「大丈夫、私は負けないわ」
フィオリアは、ふ、と口元を綻ばせると、軽やかな足どりで階段を上る。
すでに1階と2階の探索は終えている。
残るは3階のみ。
3階のどこかでサイン伯爵は息をひそめ、フィオリアを討つ機会を窺っているのだろう。
「さて、クライマックスと行きましょうか」
階段を上り、廊下を真っ直ぐに進んだ先には、黒塗りの重厚な扉があった。
フィオリアはそのドアを、コンコン、とノックする。
「サイン伯爵、入るわよ」
「……好きにしろ」
中から聞こえたのは、サイン伯爵の低い声。
緊張のためか、ひどく重い響きを伴っている。
フィオリアはドアを押し開くと、部屋の中へと足を踏み入れた。
どうやらここはサイン伯爵の書斎らしい。
部屋の奥には執務机があり、椅子には禿げ上がった頭の、痩せた中年男性が座っていた。
サイン伯爵だ。
「ずいぶんと屋敷の中を歩き回っていたようだな、フィオリア。寄り道などせず、まっすぐワシのところへ来ればいいものを」
「貴方に猶予をあげたのよ。私が寄り道をしているあいだに、一発逆転の策が思いつくかもしれないでしょう?」
「なるほど、そういうことか」
サイン伯爵は、クク、と皮肉げに肩を揺らす。
「大した余裕だな、フィオリア。――だが」
笑っていられるのも今のうちだ。
サイン伯爵は昏い声で呟くと、鋭い視線をフィオリアへと向けつつ、椅子からサッと立ち上がった。
右手には銀色に輝くL字型の物体が握られており――
パァン、と。
何かが破裂するような音が響いた。
それとほぼ同時に、フィオリアの右頬のすぐ近くを、熱い何かが走り抜ける。
「へえ」
フィオリアは翡翠色の瞳を意外そうに見開くと、興味深げな視線をサイン伯爵の右手へと向けた。
銀色の、L字型の物体。
それが何なのか、フィオリアはよく知っている。
前世の記憶に出てくるし、この世界においては東方の国で発明され、フィオリアによってベルガリア大陸へと輸入された。
――銃。
サイン伯爵が持っていたのは、さほど大きなものではない。
サイズとしては、片手で扱えるくらいのもの。
いわゆるピストルだった。
「ねえサイン伯爵、そんなオモチャで私をどうこうできると思っているの?」
「どうだろうな」
サイン伯爵は真剣な面持ちを崩さぬまま、ゆっくりと引き金に指をかける。
「無駄よ。――《深淵の渦》」
フィオリアはブラックホールを生み出し、その中に弾丸を吸い込もうとした。
……だが。
「あら?」
予想外の事態が起こった。
魔法が発動しなかったのだ。
銃弾はフィオリアのスカートのすそを貫き、厚い床板にめりこんだ。
「この部屋には、少しばかり細工をしている」
二度、三度と銃を撃ちながら、サイン伯爵は呟く。
「古代の文献に記されていた、神殺しの結界だ。この部屋において、神と神に近しい存在はその力を発揮できん。貴様もここまでだ、フィオリア。ぐ、ぅ……っ!」
結界の維持にはかなりの負担がかかるのだろう。
サイン伯爵の額には脂汗が浮かんでいた。
そればかりか、口の端から血のすじが、つう、と垂れて床に落ちる。
サイン伯爵は、己の命を代償にしてでも、フィオリアを倒す覚悟だった。
差し違えるつもりだった、と言ってもいい。
「ご主人!」
このときモフモフは部屋の外で待機していたが、フィオリアの危機を悟ると、その巨体で入口のドアをぶちやぶり、迫る弾丸の前に身体を晒した。
モフモフは、ただの魔獣ではない。
黄金の女神に仕える従僕である。
そのせいだろう、結界の中に入ったとたん、モフモフはひどい虚脱感を全身に覚えた。
普段なら銃弾のひとつやふたつでビクともしないのだが、今回ばかりは別だった。
直撃すれば血肉を抉られ、場合によっては致命傷になるかもしれない。結界の効果はあまりにも絶大だった。
「ここはオレに任せて逃げろ! 早く!」
モフモフは必死に叫びながら、やがて訪れるであろう銃弾の痛みに身構えた。
……だが、その瞬間が訪れることはなかった。
「いいえ、それには及ばないわ」
結界の影響下にも関わらず、フィオリアは、軽やかにモフモフの巨体を飛び越えた。
着地とともに床に手を衝き、いや、分厚い床を手で突き破り、そのまま強引に床板を引きはがした。
フィオリアは女性でありながら、リンゴを軽々と握り潰せるほどの握力を持つ。そんな彼女だからこそできる芸当である。
引きはがした床板を盾に、銃弾という銃弾を受け止める。
畳返しの西洋版、というべきだろうか。
「な、っ……!?」
驚愕に目を見開くサイン伯爵。
焦って続けざまに銃を撃つが、分厚い床板の盾に遮られ、フィオリアにもモフモフにも届かない。
「魔法は使えなくても、鍛えた体は裏切らないみたいね。こればかりはお母様に感謝、かしら」
フィオリアは、くす、と微笑むと、一気にサイン伯爵へと肉薄した。
右の手刀で、サイン伯爵の手から拳銃を弾き飛ばした。
続いて足払い。
サイン伯爵の身体が宙に浮かんだところで、その顔を左手で鷲掴みにして、そのまま持ち上げた。
「チェックメイトよ、サイン伯爵。さあ、裁きの時間を始めましょうか」
すでにご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが、本作が書籍化されます。
発売日は12月12日(火)、レーベルはアリアンローズ。
挿絵は『おかしな転生』『聖女の魔力は万能です』の珠梨やすゆき先生です。
大幅書き下ろしを加え、フィオリアの活躍だけではなく、糖度マシマシな展開も多くなっております。
よろしければお買い上げくださいませ!