第38話 女教皇フィオリアの誕生
「……少し、疲れたわ」
《開闢の降臨》により、フィオリアの魔力は枯渇寸前となっていた。
もはや立っていることもできず、その身体は後ろへと倒れ――
ぽふん。
やわらかくて、ふさふさしたものに受け止められた。
「来てくれたのね、モフモフ」
「嫌な予感がしたからな。……御主人がこうも消耗するとは、明日は槍が降るかもしれんな」
「今度、そういう魔法も作ってみましょう。天使よりは省エネでしょうし。……ふぁぁ」
あくびを漏らしつつ、モフモフの毛皮に頬擦りする。
冬に向けて長くなりつつある体毛は、上質のシルクのような肌触りだった。
その心地よさが、フィオリアの意識をまどろみの中へと誘ってゆく――。
「くぅ……すぅ…………」
「ゆっくりと休むがいい。……あとは我が一族が引き受けよう」
この場に、すでに魔女ベアトリスの姿はない。
転移魔法で黒き森へと逃げ去ったが、ひとつ、置き土産として魔獣を召喚していた。
――ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴッ!
――グォォォォォォォォォォォォッ!
――ジャァァァァァァァァァァァッ!
三重の咆哮が、天と地と、その間に存在するあらゆるものを震撼させる。
名を、ケルベロス。
地獄の番犬とも綽名される、3ツ首の巨大な魔獣だ。
巨木のような四肢は、ただ歩くだけで、地面に深い亀裂を刻む。
獰猛な視線が、モフモフを睨みつけた。
「ガァァァァァァッ!(おい、その女をこっちによこしな)」
「ギギギギギギギッ!(光の匂いがプンプンしやがる、我慢ならねえ)」
「グゥゥゥゥゥッ! グルルルルルルゥ!(オレたちは魔女ベアトリス様の最高傑作だ! ただのケルベロスと思うなよ! 野良イヌごとき、秒殺してやるぜ!)」
この個体は、通常のケルベロスよりもずっと強靭な肉体を与えられている。
魔女ベアトリスによって何度となく改造を施され、圧倒的な戦闘力を得るに至った。
「ヴヴヴヴヴヴッ?(ほざくな駄犬。貴様らごときが我に勝てるはずがなかろう)」
同じく、犬の言葉で答えるモフモフ。
「ガァァァァ? ゴァァァァッ!(はぁ? なにチョーシこいてんだ、コイツ)」
「ギギギギギギギギ……(テメーも犬の魔物みたいだけどな、上には上がいるんだよ)」
「ゲレゲレゲレ! グルルルッ!(げらげらげら! ケルベロスに勝てると思ってるのか、ケルベロスだぜ!)」
「ヴォォォォォォォォォォォォン!(たかがケルベロスの分際でよく吠えた。行け、我が仔たち。狩りの時間だ!)」
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「ォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオンッ!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
無数の雄叫びが、交差した。
この場に駆けつけたのは、モフモフだけではなかった。
99匹の仔フェンリルらが、一斉にケルベロスへと殺到する。
「ワウッ! ワウッ!(ボクたちは犬じゃないぞ! 誇り高きフェンリルの仔だ!)」
「クォォォォォォン!(フィオリアさまを守るんだ!)」
「カァァァッ!(黄金の女神の名のもとに!)」
牙を剥き、容赦なくケルベロスへ襲い掛かる。
その動きは一撃離脱。
小柄ゆえの素早さでもって、巨大な敵を翻弄する。
「ガルルルッ!(くそっ、こいつら、チマチマと!)」
「ギギギギィ!(つーかいまフェンリルって言ったよな!?)」
「ゲゲゲゲッ…!?(犬じゃなくて狼かよ! とんだ詐欺じゃねえか!)」
ケルベロスの声に、怯えの色が混じる。
形勢不利を悟ったときには手遅れだった。
青白い体毛が、刻一刻と血の赤へと染まっていく。
「ガ、ガァッ!(そういや聞いたことがあるぞ! 白いフェンリル! ――《竜殺しの大狼》!)」
「ギ、ギギッ!(《四ツ足の魔王》! 生きてやがったのか!)」
「ゲ、ゲベェ!(なんでこんなところで人間のペットなんてやってんだよ!)」
「ヴォォォォォッ(決まっているだろう? フィオリアは我が命の恩人にして、永遠に守り抜くべき愛しい主だからだ)」
オーンとひと吠えし、仔フェンリルらを下がらせるモフモフ。
フィオリアの身体を子供たちに預け、ケルベロスの前に立つ。
「ヴォォォォオオオッ!(我が名はモフモフ、黄金の女神に仕える白き牙!)
ヴゥゥゥゥァァァッ!(ケルベロスよ、せめてもの慈悲だ。我が身体に傷をひとつでも残すことができれば、この場から見逃してやろう)」
「ガ、ガゥゥゥ!(ひいいいいいいっ! 勝てるわけねえ!)」
「クゥーン! クン! クン!(許してください! 調子乗ってスミマセンでした!)」
「ケーン!(何でもしますから、命だけは! 命だけは!)」
どうやらケルベロスは、完全に戦意を失ったらしい。
ごろりと寝返りをうって、腹を見せた。
服従のポーズ。
「……貴様らに誇りはないのか」
「ガウ! ガウガウ!(すげえ、人間の言葉を話してるぞ!)」
「クン! クン!(さすがモフモフ様だぜ!)」
「ケーン! ケンケン、ケーン!(かっこいい! 抱いて!)」
自分たちの命がかかっているからか、まさに必死のヨイショ。
これにはモフモフとしても嘆息する他ない。
「ならば魔女について知っていることをあらかた喋ってもらうか。情報次第では、ペットとして飼ってやる」
* *
「ふぁぁ……ねむ…………」
とろん、とした表情でフィオリアは目を覚ました。
ベッドの上、ではない。
フカフカした大きな椅子に座らされていた。
「んっ……」
伸びをしながら記憶を遡る。
《開闢の降臨》で魔力を使い過ぎた結果、深く深く眠り込んでしまった。
その後のことは分からないが、モフモフは私をどこに運んだのだろう?
「謁見の間、みたいな雰囲気ね……」
正面の扉からここまで、赤色の絨毯がまっすぐに敷かれている。
椅子もなかなか豪奢な装飾が施されており、「玉座」という言葉がふさわしく感じられた。
「フィオリアちゃん、こっちよ、こっち」
右のほうから、声がした。
新教会における主要メンバーのひとり、シーラ・ホーネット枢機卿が手招きしている。
いったい何の用事かしら……と首を傾げつつ、立ち上がる。
「ほら、みんなに姿を見せてあげてちょうだい」
「えっ? えっ?」
シーラはすぐ近くのドアを開くと、フィオリアの背を押す。
外はちょうどバルコニーとなっており、眼下を一望できた。
フィオリアの意識は、この時になってようやく眠りから目覚めた。
……思い出した。ここ、ボルト市の新しい教皇庁よね。でも、どうしてこんなところに?
「教皇様だ! 教皇様のお出ましだぞー!」
「フィオリアさまー! 教皇就任おめでとうございますー!」
「あれが黄金の女神か……ありがたやありがたや……」
フィオリアの疑問は、いくつもの声に搔き消された。
新教皇庁には、とんでもない数の人々が押し寄せていた。
正面の広場にはおさまりきらず、街の通りもいっぱいになり、街を囲む城壁の外にまで群衆が溢れ出している。
「……教皇?」
首を傾げるフィオリア。
新教会のトップ――教皇位は、シーラかハインケルに任せるつもりだった。
自分は「聖女」という肩書きで、大陸のあちこちを飛び回りながら新教会の存在をアピールする。
事前にそう決めてあったはずなのに、これはどういうことか。
「フィオリア、貴女は活躍しすぎたのだ」
背後からそっと話しかけてきたのは、ハインケル。
悪魔的なまでに美しいその笑みは、どこか愉悦の色を孕んでいた。
「あんなことをされては、もはや、貴女を教皇に就けるしかないだろう?」
ハインケルは天空を指差した。
抜けるような蒼穹。
そこには、何百、何千という天使たちが整然と並んでいる。
「フィオリア様、上空から失礼いたします!」
「地上の人々が多いので、こちらで待機しておりました!」
「教皇就任おめでとうございます! 我ら、身命を賭してお仕えいたします」
天使たちは、いずれも見目麗しい青年ばかり。
活気に満ちた表情で、次々に賞賛のことばを口にする。
「……はい?」
これにはさすがのフィオリアも戸惑った。
おそらく彼らは《黎明の開闢》で生み出した大天使だろう。
もうとっくに魔法は切れているはずなのに、どうしてまだ存在しているのか。
それどころか、自ら意志を持って動いているではないか。
おかしい。
《断罪の光天使》で生み出した大天使は、インスタントな使い魔くらいの知能と寿命しか持たなかったのに。
……もしかして私、また、やりすぎたのかしら。魔女ベアトリスがわりと強そうだったから、けっこうテンション上がってたのよね。それにお母様の剣を使い始めてから、なんだか魔力が増幅されてる気がするし。
「病の人々を癒し、モーゼ川を持ち上げ、大天使の軍勢を従える。――そんな人間を、ただの聖女にしておけるわけがないだろう。民衆の声もあった。貴女を教皇位につけなければ、暴動が起きていたかもしれない」
だがまあ……とハインケルは続ける。
「人々をそのように誘導したのは俺だがな。貴女が眠っている間に、いろいろと仕組ませてもらった」
「……私、どれくらい寝ていたのかしら」
「20日だ。枢機卿らを説き伏せ、貴女の活躍をあちこちに宣伝するには十分な時間だった。……どうだ、予想外の展開だろう?」
かつてハインケルはこう口にした。
フィオリアを打ち負かしたい、と。
「今回は不意打ちになってしまったが、それでも、俺の勝ちだ」
「……そうね、言葉もないわ。身動きが取りづらくなるのは困るけれど」
「ならばもうひとつ、予想外をプレゼントしよう」
そのように前置きして、ハインケルは説明を始める。
新教会では、教皇の下に新たなポジションとして「法王」を置き、そちらが実務いっさいを引き受けることになっている。
フィオリアは今まで通り、自由に行動して構わない、と。
かくしてこの日、ベルガリア大陸に史上初となる女教皇が誕生した。
名を、フィオリア・ディ・フローレンス。
人類史の終焉まで永遠に語り継がれることとなる、空前絶後の公爵令嬢である。
魔王くん「やっとつかまえたぞ。ったく、ベア子が《邪神の審判》を使うなり逃げ出しやがって」
邪神くん「ヤメロォ! 離せェ!」
魔王くん「冷静に考えろよ。フィオリアから逃げれると思ってるのか?」
邪神くん「うっ……」
魔王くん「アンタ、神なんだろ。だったら神らしくドーンと構えてろ。俺も一緒に戦ってやるから」
邪神くん「魔王、おまえ、いいやつだな……」
魔王くん(フィオリアにこいつを差し出したら見逃してもらえねえかな)
邪神くん(いざとなったら魔王を差し出して見逃してもらおう)




