第36話 カノッサの屈辱 (前編)
いろいろあって36話を完全リテイクしました。
それにともない前話のラストをちょっと書き換えました。(以下参照)
* *
この直後、2人のもとに急報が入る。
ハウル3世が、諸国連合のひとつ、バナン市国に刃を向けたという――。
「――生贄を選べ」
諸国連合の、軍議。
まだ開戦すらしていないのに、王たちは戦後の取り分について揉め続けていた。
延々と続く会議のなか、ハウル3世はこう言い放った。
「貴様らは戦後の取り分をすこしでも増やしたいのだろう? ケーキを大きく切るには、食べる人数を減らせばいい」
《聖剣》を手にしたハウル3世は、その恩恵によって若く美しい姿へと変貌していた。
紫色の長い髪が、肩まで伸びている。
前髪によって右目は隠され、露わになった左目は、太陽のような輝きを放っていた。
「《聖剣》は魂を食らって力にします。国を5つほど呑み込めば、フィオリアであろうと容易に打ち破れましょう」
歌うような声で告げたのは、ローブを被った女性――。
年のころは20代半ばだろうか。
ハウル3世の椅子の、その肘置きにかるく腰掛けている。
ローブは腰から右足にかけて長いスリットが入り、細い太腿の側面を惜しげもなく衆目に晒していた。
指を口元にあてて話す姿は、いかにも艶めかしい。
左目の泣き黒子もあいまって、退廃的な色香というものを醸し出していた。
黒き森の魔女ベアトリス。
ハウル3世に《聖剣》を与え、諸国同盟を陰から操る存在。
血のように赤いくちびるが、酷薄に言葉を紡ぐ。
「ハウルさまがフィオリアに勝てなければ、貴方たちも困るでしょう。ですから、さあ、選んでください。生贄になる国はどこですか?」
そのような提案が通るわけがない。
本来なら、大反対に遭うところだ。
だが。
「ワシは嫌だ」
「わたしもだ」
「貴様の国が滅びればいい」
「いいや、お前こそ」
「前々から、あの国は気に食わなかったのだ」
「死ね」「死ね」「死んでしまえ」
王たちは、昏い目つきで互いを睨む。
もしもここにフィオリアがいれば、会議場全体に、闇の魔力が満ちていることに気付いただろう。
「国王が弱い国は、兵士たちもまた脆弱でしょう。……あとは分かりますね?」
魔女ベアトリスがそう告げると、国王たちは一斉に立ち上がった。
始まったのは、血で血を洗う凄惨な戦い。
ある共和国の代表は、自分が腰掛けていたイスを持ち上げ、隣の者を殴りつけた。
ある小国の王は、いままで何かと領土を脅かしてきた隣国の王の頭を掴み、地面の大石に叩きつけた。
さらにその上から、何度も、何度も、踏みつける。
やがて脱落者が5人出たところで、パン、パン、と魔女ベアトリスが手を打ち鳴らす。
「お疲れさま。皆さん、とても格好よかったですよ。よし、よし」
魔女ベアトリスはひどく妖艶な笑みを浮かべると、勝ち残った者らの頭をひとつひとつ撫でて回る。
王たちは、まるで母親に褒められた子供のような表情を浮かべていた。
「そして負けた5人の方々。残念でしたね。せいぜい、ご自身の無力を恨むことです。……さ、ハウルさま。《聖剣》に食事を与えてください」
「いいや、此奴共は後回しだ。そのほうが面白い」
ハウル3世は、力に酔った者特有の笑みを浮かべる。
「しばらく待っておれ。貴様らの国がどんな風に滅びたか語り聞かせながら、嬲るように殺してやる。クク、ハハハッ、ハハハハハハハハハハハッ!」
高笑いとともに踵を返し、ハウル3世は外に出た。
最初に向かったのは、五ヵ国のうちひとつ、バナン市国。
諸国連合の本拠地は聖都ミレニアにある。
ベルガリア大陸の東側だ。
一方、バナン市国は大陸の西端で、海に面している。
聖都ミレニアからバナン市国へ向かう場合、ちょうど、大陸中部を東から西へと横切る形になる。
馬車ならば半月はかかる距離だが……ハウル3世は、《聖剣》の力で飛翔し、わずか半日で辿り着いた。
「余の覇道の礎となること、喜ぶがいい」
ハウル3世は《聖剣》を掲げた。
幅広の刀身が、眩いばかりの光を発する。
「なんだ、あれ……」
「ヤバくねえか?」
「こっちを狙ってんじゃねえか、あれ……」
人々は、上空のハウル3世を目にし、本能的に危機を感じ取った。
「に、逃げろ!」
「逃げるって、どこにだよ!」
「とにかく離れるんだ!」
バナン市国は、名前の通り、さほど広い国ではない。
海沿いの小さな都市国家である。
四方はかなり頑丈な城壁に囲まれているものの、空からの攻撃には無防備だ。
人々はたちまちパニックに陥った。
「無駄なことを」
ハウル3世は、嗜虐的な笑みを浮かべる。
現状でも《聖剣》はかなりの破壊力を有する。
バナン市国程度ならば、一撃で蒸発させることも可能だろう。
すなわち、人々に逃げ場はない。
「――《教皇の雷霆》」
ついに《聖剣》が振り下ろされた。
幅広の刀身から、極限の光熱が放たれる。
黄金の破壊光が城壁ごとバナン市国を焼き尽くし、一万を越える人々を呑み込む。
はずだった。
「……遅かったわね。先に着いてしまったから、暇だったのよ」
《聖剣》の光は、地上に届く前に、消え去っていた。
吸収されたのだ。
もうひとつの《聖剣》――ソル・ユースティティアによって。
「貴様ッ、なぜ、ここにいるッ!」
声を荒げるハウル3世。
「うちの情報網を舐めないで頂戴。そっちの動きは、ある程度まで把握しているのよ」
「だが、バナン市国は諸国連合のひとつ。貴様にとっては敵だろうに」
「そうね。けれど、いずれ私が治める国のひとつだわ」
「……なに?」
「戦後のことを考えれば、できるだけ無傷にしておきたいということよ。――《天駆の光翼》!」
フィオリアはその背に、光の翼を纏う。
嵐が吹き荒れた。
その風に乗って、羽搏きながら、ハウル3世へと肉薄する。
「さあ、見せてちょうだい。《聖剣》の力はどれほどのものかしら」
「くっ――!?」
ふたつの《聖剣》が激突する。
そのたびに眩いばかりの光が弾け、熱風と疾風が荒れ狂う。
……バナン市国の人々は、固唾を呑んで戦いの趨勢を見守る。
「あの女、何者だ?」
「前に見たことがあるぞ。ありゃ、フィオリア・ディ・フローレンスだ」
「でも、うちの国はトリスタン王国と敵対してるだろ」
「普通なら助けに来ないよな」
「……フィオリアって、“黄金の女神”なんて呼ばれてたよな」
「どうせ綽名だろ」
「マジかもしれねえぞ。ほら、翼だって生えてるし」
「だったら男のほうは誰だよ」
「女神の敵だから……そりゃ、悪魔じゃねえか」
ハウル3世は《聖剣》で変化したあとの姿を、ほとんど人前で見せていない。
ゆえに人々は、男が教皇ハウル3世ということに気づかない。
「消えろ、悪魔!」
「よくも俺たちを殺そうとしやがって!」
「女神様ァ! 頑張ってくだせェ!」
人々の応援が後押しになったのだろうか、状況はフィオリアの側へと傾いていく。
「愚民どもがッ……!」
苦々しげに吐き捨てるハウル3世。
「余は教皇だぞ、《聖剣》に選ばれし者だぞ……! それを悪魔などと!」
「どう考えても自業自得でしょうに。――ほら、手元が乱れてるわよ」
「ちぃっ!」
剣の腕において、フィオリアはハウル3世を圧倒していた。
それでもハウルが生きているのは《聖剣》のもたらす特性のひとつ、不死ゆえのものである。
「こうなればッ……!」
ハウル3世は《聖剣》を構え直す。
そしてフィオリアへと突撃――せず、地上へ向かう。
「まずは愚民どもを皆殺しにして、《聖剣》のエサにしてくれるわ!」
「……それを私が許すと思うのかしら」
速度においても、ハウル3世は劣っていた。
横合いからフィオリアに蹴りつけられ――回転しながら、宙へと打ち上げられる。
「ただの斬り合いじゃ、決着が付かないわ。巻き添えを出すわけにもいかないし、場所を変えましょうか」
「――くっ!」
再び、両者が激突する。
だが今度は、フィオリアの圧倒的な攻勢。
空中だからこそできる、変幻自在、三次元軌道からの斬撃。
ハウル3世はひたすら守勢に回るしかなく、だんだん、押されてゆく。
状況的にも、物理的にも。
戦場が、少しずつ、移動していく。
バナン市国上空から、南東へ、南東へ。
その戦いは、諸国連合の多くの人々に目撃された。
神話さながらの光景。
黄金の女神と、紫髪の悪魔。
これもまた絵画の題材として、多くの芸術家たちを魅了するのだった。
「――ここなら、全力を出しても大丈夫そうね」
フィオリアが、攻勢を緩める。
そこは、旧カノッサ公爵領の北部。
かつてカノッサ公爵が《聖杯》の欠片で大天使を召喚した場所であり、もともとは風光明媚な草原であった。
しかし、大天使という強敵を前にしてテンションの上がったフィオリアが《神罰の杖》を連発した結果、さながら世紀末のような荒野に変わってしまった。ぺんぺん草も生えないとはこのことである。
「舐めるなよ……」
ギリ、と歯噛みするハウル3世。
「貴様には、貴様にだけは負けん! ――余を見下すなよ、小娘の分際でェ!」
《聖剣》が光熱を纏う。
それを放つことなく、むしろ刀身に収束させ、突撃を敢行する。
「ふうん」
フィオリアは、少しだけ面白そうに、口元を綻ばせた。
「――《雷帝の裁き》」
それは光の上位魔法。
天から落ちる雷が、ハウル3世の身体を撃ち貫く。
「この、程度ッ!」
だが耐えた。
《聖剣》のもたらす不死性を頼りに、ただまっすぐ、愚直に、フィオリアへと向かう!
「何故だ! 何故、貴様は、今更になって蘇った! 貴様がいなければ、余は、教皇として平穏に暮らしていられた! なのに、どうして邪魔をする! 何の怨みがある!」
「貴方の平穏は、汚職と賄賂、それから信徒の財産を巻き上げることで得たものでしょう」
「それの何が悪い! 教皇として当然の権利だろうが! 先代のマルコスもそうしていた!」
「いまの貴方の言葉に、モナド教の腐敗が凝縮されているわ。前任者がやっていたから自分もやっていい。……そんな論理が罷り通るからこそ、新しい教会が必要なの」
「五月蠅い、小娘が! 女の分際で、男に口出しするなッ!」
「努力して手に入れたものがないから、追いつめられると、生まれつきのものにすがる。たとえば、性別とか。……典型的な無能ね、貴方」
このとき、両者は至近距離にあった。
フィオリアが、ソル・ユースティティアを振るう。
右上から左下へ、流星のように美しい斬撃。
それは本来ならハウル3世の肉体を両断していただろう。
しかし、
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
一度きりの奇跡が起きた。
ここまでの戦いで、ハウル3世はわずかだがフィオリアの剣というものを覚えていた。
左手を犠牲にし、迫りくる斬撃を逸らす。
同時に、その右手に全力を込めて、《聖剣》を叩きつける。
「《教皇の雷霆》ォォォォォォォッッッッッ!」
黄金の刃が、フィオリアのか細い首に直撃した。
凝縮された光熱が、その一瞬で、超新星爆発のごとく弾け飛ぶ。
カノッサの地に、また新たなクレーターが生まれる。
爆熱が、天地を焦がす。
その中心部――。
「まだまだ、ね」
ハウル3世にとっては、全身全霊を込めた一撃。
しかしそれは、皮一枚、髪の毛一本さえ断ち切ることができなかった。
「《聖剣》は魂を食らって真価を発揮するのでしょう? だったら、どうして貴方は己の命を捧げないの?」
翡翠の瞳が、ハウル3世を見据える。
咎めるような視線。
「ぁ……ぅ……」
声が竦んでいた。
手が、足が、震える。
ハウル3世から、戦意が抜け落ちてゆく。
顔は青白く、この上ないほど恐怖に染まっている。
「貴方には本気さが足りないわ」
フィオリアはそう呟きながら、首に当たる《聖剣》に手を添える。
「諸国連合を組んでから、どうしていままで静観していたの? おかげでヴァロア国のシャルドネなんて、独断でトリスタン王国に攻め込んできたじゃない。
言わなくても分かるわ。各国の王様を従えて、大きな顔をするのが楽しかったのでしょう? それに飽きたから、やっと動き出したのね。
私をなんとかすることより、自分のちっぽけなプライドを満たすことが最優先。
――だから、こんな無様な結果に終わるのよ」
ビキリ……と。
《聖剣》に深い亀裂が走った。
「やめ、ろ。やめて、くれ」
懇願するハウル3世。
いまの彼は《聖剣》あっての存在だ。
その使い手だからこそ、諸国連合のトップとして君臨していられる。
もしも《聖剣》が失われれば、どうなることか。
「頼む。お願いだ。手を放してくれ」
「知ったことじゃないわ」
フィオリアは、さらに強く、力を籠めた。
「新しい教会には、新しい《聖剣》があればいい。
――旧時代の遺物には、退場願いましょうか」
そしてハウル3世に絶望が訪れる。
《聖剣》は、粉々に砕け散った。
ハウル3世大ピンチ! どうなる次回! (※主人公はフィオリアです)