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第35話 もうひとつの聖剣


 その日、フィオリアは父親にして現トリスタン王国宰相、グレアムの呼び出しを受けていた。


「我が国の状況は把握しているな?」


 問い掛ける表情は、『親』としてのものではない。

『氷の宰相』の名にふさわしい、絶対零度の冷たさを伴っている。

 グレアム・ディ・フローレンス、このとき60歳。

 皺の刻まれた顔は、しかし、老いとは全くの無縁だった。

 むしろ以前よりもずっと(いかめ)しさを増し、突き刺すような威圧感を放っている。


「これを見ろ」


 グレアムは執務机に、ベルガリア大陸の地図を広げる。

 トリスタン王国は大陸南西部に位置し、国土としてはかなりの広さを持つ。

 上から数えて2番目。

 ちなみに1番目は、大陸北部を占めるレガリア帝国である。


 他の国々は、大陸の西部・中部・東部・南東部にかけてひしめき合っており、今回、これらが連合を組み、トリスタン王国に宣戦布告を叩きつけてきた。

 連合国の国土をあわせれば、トリスタン王国の5倍以上となるだろう。


「面積の広い方が勝つ……とは言わんが、それでも、戦力差は絶望的だ」


「かもしれませんね」


 と、フィオリアは頷く。

 グレアムの鋭い視線を受けながら、いたって平然としている。


「常識的に考えれば、我が国は滅亡するでしょう。連合国の圧倒的な兵力を前にして、トリスタン王国は連戦連敗。国境を破られ、村と街を蹂躙され、王都トリスターナは炎に沈む。……ですがお父様、それは古い時代の考え方です」

 

「ほう?」


 ここに来て、グレアムは初めて表情らしい表情を浮かべた。

 ニヤリと効果音が出るような、意地の悪い笑み。

 ……もっとも、本人にそのような()()()はないのだが。


 なお、このときグレアムは、仔フェンリルのポフポフを膝上に載せている。

 ポフポフはおねむらしく、すぴー、すぴー、と穏やかな寝息を立てていた。周囲の空気などおかまいなし。きっと将来は大物になるだろう。


「これからの時代、勝敗を決するのは兵の数ではありません。すべては経済力に帰結します。戦争などあくまで政治手段のひとつ。経済でもって国家を叩き、政治どころではない状況に追い込む。そうすれば、おのずと勝利は転がり込んできます。……まあ、人々へのパフォーマンスとして、1度くらいは大決戦を演出すべきでしょうが」


「……具体的には、どうするつもりだ」


「お父様、それは違います。『どうするつもり』も何も、あらゆる準備はすでに整っています」


 20年前にグランフォード商会やフランツ銀行を設立した時、すでに構図は描き終わっていた。

 それから長い月日が流れ、すべての策がここに結実しつつある。

 

 諸国連合であろうと、武器や食料を手に入れるにはグランフォード商会を頼らねばならない。

 一部の国家はほかの商会を利用しているが、ほとんどの場合、それはグランフォード商会の傘下だ。


 諸国連合であろうと、戦費の調達にはフランツ銀行を頼らねばならない。

 一部の国家はほかの銀行を利用しているが、ほとんどの場合、それはフランツ銀行の傘下だ。


 フィオリアは経済面において、諸国連合の首根っこを掴んでいる。

 

「昏睡から目覚めて半年。そのあいだ、私はアンネローゼばかり追っていたわけではありません。……少しずつですが、他国の財政を絞め上げてきました。彼らはもはや窒息寸前、あとは引導を渡すだけです」


 ここで、フィオリアは左手にあるものを掲げてみせた。

 赤々とおいしそうに実ったリンゴ。

 今年の秋に収穫されたばかりの、新品である。


 ――それを、片手でいとも簡単に握りつぶした。

 

 ぐしゃり、ぼろぼろ。

 リンゴはバラバラになり、フィオリアが右手に持っていたガラスの皿に落ちてゆく。


「ただ一度だけ打撃を加えれば、ご覧のとおり、諸国連合はバラバラになります。あとは各個撃破を行うだけ。来年のいまごろには、ベルガリア大陸のすべてがトリスタン王国のものになるでしょう」


「……大陸の統一、だと」


 グレアムは、目を剥く。

 それは、神話の時代にただ一度だけ成し遂げられたという偉業。

 野心ある者ならば誰もが少なからず思い描いたことのある、夢物語――。


「おまえは、それを、20年前から考えていたのか」


「新たなモナド教を打ち立てること。トリスタン王国をベルガリア大陸の覇者にすること。この2つが、私の、幼い時からの目標です。

 まあ、あくまで目標に過ぎませんが。本当にやりたいことは、その先にあります」


「……何をしようというのだ」


「フローレンス公爵領での改革。あれと同じことを、ベルガリア大陸全土で行います。

 20年前に言ったとおり、もはや時代は変わりました。王族や貴族といった権威にすがるようでは、経済という怪物には抗えません。無残に淘汰されていくだけでしょう。……それで家が滅ぶのは自業自得としても、彼ら為政者の無能のせいで、人々が困窮するのは見過ごせません」


「ゆえに、おまえが手を差し伸べるというのか。……我が娘ながら、ずいぶんと大きく出たものだ」


「いけませんか」


「さて、な」


 グレアムは、少しだけ椅子を引いた。

 そして執務机の裏に立てかけてあった、長細い包みを手に取った。


「これを持っていけ。お前の母、フローラが軍人だったころに使っていた剣だ」


 包みを解くと、まるで青空のようにまぶしい鞘が目に入った。

 剣を受け取る。

 柄を握り、鞘から抜いた。


 剣はやや幅広で、その刃は煌々とした黄金の輝きを放っている。

 さながら、太陽を宿したような刀身だった。


「――『太陽の欠片』を知っているか」


 懐かしむように、グレアムが呟く。


「数百年に一度、天から地上に落ちてくる隕石。その中心部からわずかに採れる物質だ。フローラの剣は『太陽の欠片』から作られたらしい。……個人的にいくつか調べてみたが、おそらく、《聖剣》と同じルーツのはずだ」


「お母様の形見でしょう、これ。使っていいのかしら」


「フローラが言っていた。おまえが大事を成そうとする時、これを受け継がせろ、と。――銘は、ソル・ユースティティア。古い言葉で『太陽の審判者』の意味だ」


「いい名前ね」


 フィオリアが誉め言葉を呟くと、まるでそれを喜ぶかのように刀身が輝きを増した。




 


 * *

 




 

 教皇ハウル3世のもとで諸国連合は一枚岩となった。

 ……わけではない。


「総員、進め! いまこそ30年前の借りを返すのだ!」


 北の国境線を越え、いま、まさに兵士たちがトリスタン王国へ攻め込もうとしていた。


 ヴァロア王国。

 かつてトリスタン王国との戦争に敗れて以来、ずっと逆襲の機会を窺っていた。


「聖女フィオリアなど恐れる必要はない! 我らには、黒き森の魔女がついているぞ!」


 最前線で声を張り上げるのは、ヴァロア国王シャルドネ。

 白ワインをこよなく愛する若き国王である。


 今回、彼は独断でトリスタン王国へと攻め込んだ。

 諸国連合には加わったものの、来る日も来る日も軍議ばかり。

 まだ戦端が開いてもいないというのに、トリスタン王国の割譲についてモメている。

 そのうえ、超教皇帝ハウル3000世などというアホがやたら偉ぶり、ご機嫌取りを求めてくる。


 やってられるか。

 というか3世から3000世とか意味不明すぎるだろ。4世から2999世までどこいった。

 

 シャルドネの不満は日に日に募り、ついにここで爆発したのだ。

 愛馬ブルゴーニュを駆り、渓谷を駆ける。


 ここはフィレンティア渓谷。

 かつて30年前、ヴァロア王国軍がトリスタン王国軍に大敗を喫した場所だ。


 因縁の地を抜け、丘を登ってゆく。


 その先には、北の城塞都市ノズスが見えるはずだ。

 手始めにここを攻略し、ヴァロア王国の意地をいうものを見せつけよう。

 そうすれば軍議ばかりの腰抜けどもも動き始めるはずだ――。


 シャルドネは自らを奮い立たせながら、丘を越える。

 越えようとした。

 そこに。







「いらっしゃい。よく来てくれたわね」






 人のかたちをした絶望が、待ち構えていた。

 

 黄金に輝く、長い髪。

 凛とした、翡翠の瞳。

 風にたなびく、純白のドレス。


 “暴風の女帝”フィオリア・ディ・フローレンス。


 その両側には、白黒、雌雄一匹ずつの巨狼が侍っている。


「血気に逸りすぎたな、若造」


 フェンリル・アルビノのモフモフ。


「少し痛い目に遭うかもしれませんが、授業料と思ってくださいね」


 その妻にしてフェンリルのレムリス。


 一匹だけでも中規模の国家を滅ぼせるだけの力を有する大魔獣が、2匹。

 そこにかの“暴風の女帝”が加わるとなれば、もはや、ヴァロア王国軍にとって勝ち目など潰えたに等しい。


「いいや、それがどうした」


 しかし、シャルドネの目から戦意は潰えていない。


「フィオリア・ディ・フローレンス! 我が名はヴァロア王国国王シャルドネ! 貴女に一対一の決闘を申し込む!」

 

 隣国だけあって、シャルドネはトリスタン王国の内部事情にも詳しい。

 フィオリアの性格だって熟知している。

 彼女ならば、この誘いに必ず乗ってくる。シャルドネの器を見極めようとするはずだ。


 そこに、彼は活路を見出した。


「ふうん」


 愉快げに口元を綻ばせるフィオリア。


「いいわ、その罠、かかってあげましょう。私の名はフローレンス公爵家令嬢フィオリア。貴方との決闘を受託するわ」


 


 

 

 * *






「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 王族としての見栄、恥、外聞。

 そんなものは最初から投げ捨てた。

 シャルドネは剣を振りかぶり、全力でフィオリアにかぶりつく。


 横薙ぎ、袈裟、逆袈裟、石を蹴飛ばしての目潰し――。


 一対一の決闘という最低限のルールは守りつつ、その中で、がむしゃらに勝利を求める。


「……悪くないわね」


 フィオリアは、しかし、悠然としている。

 決闘が始まってからいままで、その両足は一歩も動いていない。

  

 剣はいまだ鞘の中。

 右手ひとつでシャルドネの斬撃を捌いていた。


 圧倒的な実力差。

 アリがドラゴンに挑むようなものである。


 にもかかわらず、フィオリアの表情は楽しげだった。

  

「私に挑み、なんとしても道を切り開こうとする。ええ、とても素晴らしい意志ね。……その勇気に応えて、ひとつ、約束しましょう。戦後、貴方と貴方の民のことは丁重に扱う、と」


「見下すな! まだ勝負は終わっちゃいない!」


 獣のような咆哮とともに、再度の突撃をかけるシャルドネ。

 

「貴方ももう限界でしょう。あまり無理をするものでもないわ」


 フィオリアはどこまでも優しい声で呟く。

 右手で、剣――ソル・ユースティティアの柄を握る。

 抜き放たれた刃は、太陽の輝きとともに、ひとすじの剣閃を描く。


 キィィィィィィン!


 鋭い金属音。

 シャルドネの剣は、中ほどで、断ち切られていた。

 上半分は空に舞いあげられ、くるくると回って、地面に刺さる。


 これにて決闘は、終わった。

 かに、思えたが。


「……勝負は、これからだ」


 シャルドネは懐から、黒い魔法石を取り出した。


「あとは頼んだぞ、我が弟よ」


 意を決するように瞼を閉じると、魔法石を、呑み込む。


 ――瞬間、変化は劇的だった。


「                                !」


 言葉にならない叫び。

 シャルドネの全身から闇色の粒子が撒き散らされ、その姿を作り変えてゆく。

 全身の筋肉が膨れ上がり、内側から鎧を弾き飛ばした。

 皮膚は紫色に染まり、額からは一対の角が伸びる。

 その背中からは竜のような翼と尻尾が生えていた。


 さながら伝承に語られる悪魔の姿そのもの――。


「人間が、魔族に変わっただと……!」


 フィオリアの背後で、モフモフが驚愕の声をあげた。


「バカな、信じられん」


「落ち着きなさい、モフモフ」


 他方、フィオリアはいたって平然としている。

 むしろ、ますます笑みを深めていた。


「目の前で起こっていることは、すべて、現実よ。起こりえないことだろうと、起こった以上は受け入れなさい。

 ……それにしても、貴方って本当に可愛らしいのね、シャルドネ。私に勝つため人間をやめる。なかなかできることじゃないわ」


「                                       !」


 フィオリアの言葉を理解しているのかしていないのか、シャルドネは血走った眼を光らせて襲い掛かる。

 その両腕は、大木のよう。

 鉤爪は鋭く、ひとつひとつが大槍のよう。


 叩きつけられれば、どのような豪傑であろうと無事では済まないだろう。


「少しは、やるみたいね」


 フィオリアは右足を一歩後ろに引き、左手で、シャルドネの攻撃を受け止めた。

 

 もしここにフィオリアと戦ったことのある者が集まっていれば、誰もが目を剥き、声を出さずにいられなかっただろう。

 あのフィオリアを後退させるとは、と。


「けれどシャルドネ、貴方はひとつだけ大きな間違いを犯したわ。私に勝ちたいのなら、闇じゃなく、光に手を伸ばすべきだった」


 風の魔法を発動させる。

 嵐がシャルドネの身体を弾き飛ばし、空中に巻き上げる。

 フィオリアの手元で、ソル・ユースティティアがまばゆい光を放った。


「これからも研鑽を積みなさい。あるいは、私の喉元に届くかもしれないのだから。――《雷霆の剣(アストライア)》」


 詠唱とともに、剣が雷光を放つ。

 横薙ぎに、切り払う。


 地上に立つフィオリア。

 空中に固定されたシャルドネ。


 両者のあいだには、かなりの距離が存在していた。

 

 だが、そんなものは何の意味もない。

 剣から放たれるのは、あまりにも膨大な光熱。

 亜光速の奔流が、シャルドネの巨体を呑み込む。


「……いい剣ね」


 ソル・ユースティティアは、光の魔力によく馴染んだ。

《雷霆の剣》を使っても刀身にはダメージひとつなく、むしろ、その威力を増幅している。

 素材に『太陽の欠片』を使っているというのは、伊達ではないのだろう。


 周囲では、ヴァロア王国軍の兵士たちがどよめいている。

 無理もあるまい。

 自分たちの国王が魔族に変わったうえ、跡形もなく消滅させられたのだから。


 






 否。







「言ったでしょう? 貴方と貴方の民は、丁重に扱う、って」


 よく見れば、地上に、ひとりの青年が横たわっていた。

 ヴァロア国国王、シャルドネ。

 人間の姿に戻っている。

 

 気絶しているようだが、生きてはいるようだ。

 

  


 


 

 



 ヴァロア王国軍は、降伏した。

 フィオリアを倒せなかった以上、もはや勝利はないという判断らしい。


「わたしを魔族に変えた魔法石――あれを渡してきたのは、黒き森の魔女だ。知っているか?」


 戦いの後。

 フィオリアは、シャルドネからひとつの情報を齎された。


「名前だけは、ね」


 黒き森の魔女。

 読んで字のごとく、黒き森に住まう魔女である。

 なんでも300年前の聖女らしいが、当時の教会に裏切られ、黒き森に逃げ込んだ。

 そこで邪法を極め、虎視眈々と復讐の機会を狙っている……らしいが、ほとんどの人間はただの迷信と思っている。


「実在していたの?」


「ああ。そのものがハウル3世に《聖剣》を渡して、改名を薦めたんだ」


「じゃあ、超教皇帝ハウル3000世って名前は――」


「黒き森の魔女が考えたものだ」



 それを聞いてフィオリアは思った。

 黒き森の魔女とは仲良くなれるかもしれない、と。


 まあ、それはそれとして敵だから倒すのだが。

 




 

 この直後、2人のもとに急報が入る。

 

 ハウル3世が、諸国連合のひとつ、バナン市国に刃を向けたという――。


 

 

 






邪神くん「ところで前回、『夜の魔王』っていたよな。アレ、関係者?」

魔王くん「大昔に降臨したとき、ちょっと力を分けてやった吸血鬼がいるんスよ。その末裔ッスわ……」

邪神くん「じゃあおまえの関係者じゃねえか! やっべフィオリアがそのうち反撃に来るじゃん。うわー! うわー! ちょっとオレに近寄らないでくれる? えんがちょ、えんがちょ」

魔王くん「あっ、テメ、ひとりだけ逃げるんじゃねえ! こうなったら邪神崇拝してやる、めっちゃ邪神崇拝してやる。ぜんぶ邪神様がやれって言ったんです!」

邪神くん「ヤメロォ!」



※5/26 23:30 本話ラストをちょっと書き換えました。

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