第2話 イソルテ王国の滅亡
恋愛展開の前に、ヒロインの実家に落とし前をつけてもらうかと...
イソルテ男爵家が反乱を起こしたのは、アンネローゼが失踪してすぐのことだった。
いくら他国の支援があろうと、所詮は男爵家。
兵力も経済力も大きくはないし、本来ならすぐに鎮圧されるはずだった。
そうならなかったのは、イソルテ男爵の隠された才能ゆえである。
冴えない太っちょの中年男爵……というのは世を忍ぶ仮の姿、本性は切れ者の策略家だった。
密かに周囲の新興貴族をまとめあげ、さらには「アンネローゼが手に入れた各家の内情」をチラつかせることにより、トリスタン王国が手出しできない状況を作り上げた。
こうして成立したのがイソルテ王国である。
国土としては一般的な伯爵家よりやや大きく、トリスタン王国の北東部に位置している。
南方ではフローレンス公爵領と接し、ここを戦場とし、イソルテ王国とフローレンス公爵家は20年の長きに渡って小競り合いを続けていた。
――だがしかし、ここに幕を引く存在が現れようとしていた。
「イソルテ王国は我がフローレンス公爵領を脅かしています。たとえ小競り合いに過ぎないとしても、我が領民が傷ついているのです。だというのに、なぜ20年間もイソルテ王国を放置していたのですか」
フィオリアはすぐさま父親のもとへ向かった。
グレアム・ディ・フローレンスはこのとき59歳。
髪には白いものが混じり、顔には幾筋も皺が刻まれている。
とはいえ20年前の姿に比べて衰えたという印象は薄く、むしろ、ますます油断ならない空気を漂わせるようになった。
かつて『氷の宰相』と呼ばれた男の、鋭い眼光――。
並の人間ならば睨まれただけで竦み上がってしまうだろう。
そんな視線を受けながら、しかし、フィオリアは平然と言ってのけた。
「私に領主の代行権をいただけますか。極めて平和的にイソルテ王国を降伏させてみせましょう」
「……私としては、まず、娘の回復を喜びたいのだがな」
「申し訳ありませんが、公爵令嬢として見過ごせない事態ですので」
「我が領地が脅かされているからか」
「それもありますし、イソルテ男爵のやりかたはあまりに勿体ないのです。20年ものあいだ独立を保てるだけの政治力を持ちながら、イソルテ王国の領土はいまだ伯爵家レベル。ありえないでしょう。私があの国の女王だったなら、とっくにフローレンス公爵領を併合し、それどころかトリスタン王国をも征服していたはずです」
「我が娘は、ずいぶんと恐ろしいことを言ってくれる」
言葉とは裏腹、グレアムの口元には微かな笑みが浮かんでいた。
20年ぶりに娘が目覚めたというだけでも嬉しいのに、かつてと変わらぬ自信家ぶりを見せつけてくれる。
己が老いたのもあるだろうが、フィオリアのことが可愛らしくて仕方がない。
……とはいえ父親の威厳というものもあるので、つい、厳しいことを言ってしまうのだが。
「しかし代行権は渡せん。もしイソルテ王国に手を出せば、すぐに他の貴族家が横槍を入れてくるだろう。最悪、王家まで敵に回しかねん。実際にそうなりかけたこともある」
「イソルテ王の持つ情報は、それほどまでの影響力なのですか」
「王家を揺るがすほどのもの、と聞いている」
「たかが情報のひとつふたつで揺らぐような王家なら、それはもう寿命が尽きているのでしょう」
不敬きわまりない発言を、何のためらいもなく口にするフィオリア。
「そんなことより領民のほうが大切です。お父様、ご決断を」
フィオリアは左手にあるものを掲げてみせた。
ここに来る途中、厨房で分けてもらったジャガイモである。
20年前に新大陸から輸入されたもので、当時、フィオリアは領内での栽培を推し進めていた。
現在はフローレンス公爵領の特産品となっており、他領や他国への輸出で大きな黒字をあげている。
――フィオリアは、ジャガイモを片手で握り潰す。
ぐしゃり、ぼろぼろ。
潰れたジャガイモは、フィオリアが右手に持っていた銀製のボウルに落ちてゆく。
「今日の昼食はポテトサラダだそうです」
「懐かしいな。……フローラも、よくそうやってポテトサラダを作ってくれた。『手で握り潰すから手作りのポテトサラダ』などと言っていた」
「記憶を捏造しないでください。お母様が生きていたころは、まだ新大陸との貿易は始まっていません」
「その通りだ。……やはり、私に冗談のセンスはないらしい」
肩を竦めるグレアム。
手で握り潰すから手作り。
それが言いたかっただけである。
フィオリアが元気な姿を見せてくれたことが喜ばしく、つい、柄にもないジョークを飛ばしてしまったのだ。
「おまえに代行権を与えよう。他家からの干渉はこちらでなんとかする」
「ありがとうございます。ですが、お父様に手間をかけることはないかと。……移動時間を考えれば、三日で十分です」
この世界には魔法というものがある。
呪文を詠唱し、自らに眠る力を開放することで物理法則を捻じ曲げる、とかなんとか。
もともとフィオリアは莫大な魔力量を持ち、魔法の才能にも富んでいた。
詠唱の省略など日常茶飯事である。
だが、前世の記憶を取り戻したことでさらなる高みへ到達しつつあった。
(魔法とはイメージ……かもしれない)
前世に読んだウェブ小説とか、あと、『深き眠りのアムネジア』本編でもそんな文章があったような気がする。
(アニメ、マンガ、ゲームのエフェクト――)
そういったものを参考に、自らのうちに像を結ぶ。
フィオリアはいま、まったく新しい魔法を発明しようとしていた。
浮遊、そして飛行。
どちらもまだこの世界では実現されていない。
(右足を踏み出して、地面に落ちる前に左足を踏み出す)
やってみた。
できた。
もともとフィオリアは極度の自信家だ。
できると思ったら、決してそれを疑わない。
その精神力は黄金よりも固く、物理法則のほうが遠慮して道を開けるほど。
宙を駆け上る。
ゲームのような空中ダッシュ、二段ジャンプ。
もともと貴族学校では「暴風の女帝」などと綽名されていたが、風の魔法はかなりの得意分野だ。
足元で風を圧縮すれば、どこにでも足場を作れる。
それだけではない。
30分もしないうちに、すっかり「飛ぶ」方法を身に着けていた。
空中を走るよりもこっちのほうがずっと簡単だった。
なにせアニメの飛行魔法を思い浮かべただけ。あとは感覚でなんとかなった。
(時間ができたら細かく検証してみましょう。他の人でも使えるようにしておきたいわ)
ただ、いまは他にすべきことがある。
「お嬢様、イソルテ王国に向かわれるのですか」
「ええ。レクス、留守番をお願いね」
「承知いたしました。馬車の手配はいかがしましょうか」
「いいえ、不要よ」
フィオリアはふわりと宙に浮かび上がった。
その身体を包むのは、翡翠色のドレス。
強めの風が吹いて、その裾がたなびく。
天には太陽が輝き、フィオリアの長い黄金色の髪を、いっそう煌びやかに彩っている。
まるで天使のようだ……と、レクスは我を忘れて見入ってしまう。
「じゃ、いってきます」
その一瞬のうちに、フィオリアは飛び去っていた。
* *
イソルテ王国国王、ブラジア・ディ・イソルテはニタニタと粘着質の笑みを浮かべていた。
「陛下、どうかお慈悲を。我が領地は飢饉のために明日も知れぬ状況です。現在の税率ではとても立ちゆきません」
謁見の間。
目の前には、かっちりとした軍服に身を包んだ若い女性が首を垂れている。
彼女の名はエレナマリア・ディ・リースレット。
父親の急逝によって子爵家を継ぐことになった若きリースレット家の当主であり、イソルテ王国軍の軍人でもあった。
「食料の支援と税率の引き下げか。まあ、考えてやらんわけではないがのう……」
ブラジアは舐めるような視線をエレナマリアへと向けた。
「じゃが、世の中はすべて天秤でできておる。何かを欲するなら、それに釣り合うものを差し出してもらわねばなぁ……?」
「陛下はどのようなものを欲しておられるのですか」
「言わずとも分かるじゃろう。ククク……」
玉座から立ち上がるブラジア。
エレナマリアの腕を掴んで、そのまま寝所へと引っ張り込もうとする。
「……っ!?」
身を固くするエレナマリア。
だが同時に、領民たちの姿が頭をよぎる。
ここで自分が我慢をすれば、彼らにも楽をさせてやれる――。
エレナマリアが悲壮な決意を固めようとした、その時。
激しい揺れとともに、大爆発が起こった。
「世の中はすべて天秤でできている。……素晴らしい哲学ね、イソルテ男爵」
たった一瞬で謁見の間は半壊していた。
天井は崩落し、壁もほとんど残っていない。
周囲の城下町、さらには遠くの平原まで一望できる。
「それじゃあ交渉を始めましょう」
一人の少女が、空に浮かんでいた。
エレナマリアは戦慄する。
いったい何者だ。
空を飛べる人間などこの世には存在しない。
いるとすれば、神話に語られる天使か、あるいは、東方の黒き森に住まう魔族くらい。
魔族ではあるまい。
なぜならこの少女は、あまりに美しく輝いていた。
太陽の光を背に、神々しいまでの光を放っている。
「私、立場を嵩に着て女性を手籠めにする男は大嫌いなの。さあ、機嫌をとるために貴方は何を差し出してくれるのかしら?」
少女はすうっと流れるような動きでブラジアのもとに近づくと、その顎を掴んで引き上げた。
「な、な、なんだっ! お前は!」
威厳も何もかもかなぐり捨てたような声で、ブラジアが叫ぶ。
「え、エレナマリア! こいつを捕まえろ! おまえは軍人だろう、国王の危機だぞ!」
「……」
だがエレナマリアは動かなかった。動けなかった。
その心は黄金の少女にすっかり奪われていた。
「錯乱しているみたいね。じゃあ、私のほうから選択肢を示しましょう。……向こうを見てちょうだい」
少女は遠くの平原を指差した。
「――《神罰の杖》」
その魔法をエレナマリアは知っている。
光の最上位魔法。
扱えたものは史上に四人のみ。
ただし、いずれも非業の死を遂げている。
四人目はたしか20年前に毒殺されたはずで――
エレナマリアの思考を打ち切るように、暴力的なまでの光の奔流が天から降り注ぎ、無人の平野を焦土へと変えた。
もしもこの魔法が城に落とされたならどうなるか。
一瞬にしてすべてが灰燼に帰するだろう。
「服従か死か、どちらかを選びなさい。返答次第では機嫌を直してあげるわ。そうしたら交渉を始めましょう」
まず相手を降伏させてから交渉に入るフィオリアさん