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第32話 黄金の祝福

「――こ、ここに、フィ、フィオリア・ディ・フローレンスの永久破門を宣言する! そ、その魂は死後、神によって厳しく裁かれるだろう!」


 教皇庁の伝令官が、震え声で書状を読み上げる。

 ここは聖都ミレニアの中心広場。


 まわりには多くの信徒たちが集まっており、彼らは異様なまでに殺気立っていた。


「フィオリア様が破門だって!?」

「冗談じゃねえ!」

「間違ってるのはハウルのデブだろうが!」

「教皇だからって調子にのりやがって!」

「お姉様が裁かれるというなら、そんな神様はニセモノです!」


 飛び交う怒声。

 興奮が興奮を呼び、群集心理を形成していく。

 人々の瞳に、危険な光が宿り始めた。

  

「ひ、ひいいいっ……」


 伝令官は竦み上がった。

 名前をアーサー・ランベールという。

 24歳独身、気弱な青年だ。

 今回、上司からフィオリア破門の伝令役を押し付けられ、嫌々ながら広場にやってきた。


 人々の熱量は臨界点に達しており、ほんのわずかな刺激で暴動が起こりかねない。

 その時、自分はどうなるのか。

 きっとリンチに遭うだろう。殺されるかもしれない。そんなのは嫌だ!

 だったら逃げるか? 逃げたい。でも無理だ。群衆にまわりを囲まれている……。


「おお、神よ……!」


 アーサーは天を仰ぐ。


「どうか哀れな子羊をお救いください……」


 両手を組み、跪く。

 命懸けの状況ゆえの、真摯な祈り。

 

 ……皮肉な話だが、それが群衆の逆鱗に触れた。


「なにが哀れなんだよ! そっちは加害者じゃねえか!」

「そうよ! フィオリア様を破門しておいて、いい面の皮だわ!」

「やっぱり教会は腐ってやがる!」

「こうなったら殴り込みだ!」

「教皇庁をぶっつぶしてやる!」

「そうだ!」

「ハウルに死を!」

「殺せ! 殺せ!」

「手足を捥いで逆十字に吊るしてやれ!」


 ある者は、足元の石を拾った。

 ある者は、道端の角材を抱えた。

 彼らの目は殺意にぎらついていた。

 大声をあげてアーサーへ殺到する。


 殺到しようとした。

 その直前。




「――落ち着きなさい」



 

 黄金の女神が、姿を現した。




 

 

 * *




 

 人々は言葉を失い、その姿に見惚れた。


 フィオリアは、礼服姿だった。

 純白の、清楚なドレス。

 歩くたび、裾のレースがふわりと翻る。


 それは20年ぶりとなる、聖女としての装いだ。


 長い黄金の髪をなびかせ、フィオリアは歩く。

 アーサーの目の前で、立ち止まった。


「破門の件、たしかに聞き届けたわ。ご苦労様、アーサー・ランベール」


「ぼ、ぼ、僕のことを、ご存知、なのですか……?」


「教皇庁のことはだいたい把握しているわ。上司から伝令役を押し付けられたのでしょう? 大変だったわね」


 ぽん、ぽん。

 まるで子供をあやすように、フィオリアはアーサーの頭を撫でる。


「けれど、もう大丈夫よ。貴方は悪くない。上司の命令には従わざるを得ないものね。きちんと理解しているわ」

 

 どこまでも穏やかな声。

 静かな笑み。

 それらは聖母のような暖かさでもってアーサーを包み、彼の恐怖心を溶かしてゆく。


「ひとつ問うわ。貴方は、いまの教皇庁が正しいと思う?」

「………………いいえ」

「もうひとつ問うわ。貴方は、教皇庁の一員であることを誇りに思える?」

「…………いいえ」

「ならば私とともに来なさい、アーサー。貴方が自分を誇れるような生き方を、かならず私が用意してあげるわ」

「……はい。宜しくお願いいたします、フィオリア様」


 深く(こうべ)を垂れるアーサー。

 フィオリアは満足げに頷くと、群衆に向かって呼びかけた。


「私は聖都ミレニアを出ていくわ。シーラたちと一緒にフローレンス公爵領へ戻って、新しいモナド教を立ち上げる。

 もし今の教会を許せないと思うのなら、いつでも手を貸してちょうだい。公爵領には、聖都の全住民を受け入れる用意があるわ」

 

 それは誇大広告でも何でもない。

 聖都の人口はおよそ1000人ほど。

 20年前の時点でフィオリアは聖都民の移住計画を立てており、準備はすっかり整っていた。

 

「くれぐれも早まったことをしないように。教皇庁に殴り込むなんてもってのほか。愛しい貴方たちが傷つくところなんて、私、見たくないわ。血の一滴も流さぬまま、笑顔で見送ってちょうだい」


 

 このときフィオリアとしては、自分のほか12人を連れて聖都ミレニアを去るつもりだった。

 12人とは、レクス、ハインケル、ワイアルド、シーラ、そして改革派の元枢機卿8人である。


 聖都の人々にはここでの生活があるだろうし、すぐに離れることはできないでしょうね。……フィオリアはそう予想していた。

 ある意味、人間という存在を見縊(みくび)っていたのかもしれない。


 ――予想外の事態が、起こった。


 その日の午後。

 聖都の城門を出たフィオリアの前には、何百もの人々が集まっていた。


「見送れだなんて水くせえこと言わんでくださいよ、聖女様!」

「オレたちにもプライドってもんがある! ハウルの膝元で暮らすなんてまっぴらごめんだ!」

「フィオリア様のお手伝いをさせてください!」

「一緒に新しい教会を作りましょう!」


 聖都の一般市民だけではない。

 その顔ぶれには()伝令官のアーサーを始めとして、教皇庁に勤めていた者らも数多く混じっている。


「我が異端審問部は、ハウル3世こそが最悪の異端であると定めました。永遠の忠誠を聖女様に捧げます。我らの命、いかようにもお使いください」

「聖パウロス騎士団、総勢72名も旗下に入ります。勝利の栄光を、聖女様に」

「新しい教会を立ち上げるなら、儀式を定め直す必要があるでしょう。儀礼局一同も随行いたしますぞ」


 聖都の全人口のうち、およそ6割。

 教皇庁職員に限れは、8割超。

 600人近い者が、フィオリアについてゆくことを選んだ。


「…………ふう、ん」


 フィオリアにしては珍しく、言葉を失っていた。

 胸に、熱い感情が沸き上がってくる。


「貴方たちは、それで、いいの? きっと、険しい旅になるわ」


 聖都ミレニアからトリスタン王国へ向かおうとするなら、途中、いくつもの山を越えねばならない。 

 それだけではなく、ベルガリア大陸を南北に分ける大河……モーゼ川を渡る必要があった。


「んなことは百も承知ですぜ!」

「聖女様のためなら、血を吐いてでも付いていきます!」

「何があろうと足手纏いにはなりません! ですから、どうか連れて行ってください!」


 さきほど暴動という形で表出しかけた熱量は、いまや、まったく別のものへと変化していた。

 困難へ挑もうとする、強い意志――。

 幼い子供や、腰の曲がった老婆すら、その眼には揺るがぬ輝きを宿している。

  

「……仕方のない子たちね」


 ため息をつくフィオリア。

 しかしその口元は、花が綻ぶような笑みを浮かべている。


「いいわ。付いてきなさい。貴方たちを一人残らず、新天地に連れて行ってあげる」


 それから、右手を高く、高く、天に向かってかざした。


「その選択と決断に、黄金の祝福を授けましょう」


 瞬間――

 やわらかく、あたたかな光が天地を照らした。

 黄金の輝きが人々を包む。


 盲目だった者は、目が見えるようになった。 

 足の萎えていた者は、野原を駆け回れるようになった。

 

 人々からあらゆる病が取り除かれ、長い旅路を往くための力が与えられた。

 

 さながら神話そのものの光景。

 魔法というのは精神の力。

 かつてない予想外によって昂揚したフィオリアの心が、奇跡に等しい現象を引き起こした。


「それでは行きましょう。整然と、優雅に、ハウル3世に見せつけるように、ね」






 予定を変更して、次回は幕間ではなく33話(4章ラスト)とします。



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