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第28話 脅迫状事件(後編)




 

 かくしてマルティアス邸には5人の人間が集まることとなる。


 前教皇マルコス。その弟ロレンス。

 ロレンスの同級生にして“暴風の女帝”、フィオリア。彼女の執事、レクス。

 そして、現教皇の息子であるカール。


「ほう、あなたも来ていたんですね?」


 カールはフィオリアを見つけると、やけに偉そうな態度で話しかけてきた。


「ロレンス氏に解決を依頼されたそうですが、いやはや、人選ミスもいいところだ。あなたのことを調べさせてもらいましたが、ただの暴力主義でしょう? 困ったら《神罰の杖》で恫喝するばかり。知性のカケラも感じられない」


「……まあ、そうね」


 頷くフィオリア。

 カールの言葉は多くの間違いを孕んでいたが、あえて訂正はしなかった。

 

 たとえば、レガリア帝国の現状。

 貴族たちの反乱、周辺諸国による対レガリア連合軍の結成、トリスタン王国との(属国扱いに等しい)同盟。

 その絵図を描いたのは、他ならぬフィオリアである。


 とはいえ、むやみに己の手柄を誇るのは策士として三流以下。

 むしろ普段は「あの女は蛮族ではないのか?」「脳味噌まで筋肉でできてるんじゃないか?」「むしろ頭にスライムが詰まっているのかもしれない」などと見縊(みくび)られるくらいが丁度いい。


 フィオリアが言葉少なげに沈黙する一方、カールは己の言葉に酔いしれて話を続ける。


「今回の事件、あなたに出番はありませんよ。賢い人間のやり方というものを見せてあげましょう。……ご存じないかもしれませんが、わたしは教会で『ハインケル・ウィンフィールドに匹敵する秀才』と呼ばれていましてね」


「ふうん」


 果たしてどこまで真実なのやら。

 フィオリアの情報網によると、カールの周囲に「さすが秀才!」「さすが教皇様の息子!」と持ち上げる人間ばかりで固まっているという。


「まあ? 正直なところ? ハインケルも大したことはないと思っています。なにせ、あなたに懐いていたのでしょう? 人間というのは同レベルで群れるものです。彼の頭脳も、あなた程度に違いない。顔がいいから過大評価されているだけだ。顔のよさと賢さが一致しているのは、わたしくらいのものでしょう」


「……その自信家ぶりだけは、評価してあげてもいいわ」


「負け犬の遠吠えですか、見苦しい。これからは若者の時代です。37歳のオバサンは田舎で余生でも過ごしていなさい」


 カールの増長は、いっそ劇的なほどだった。

 3日前、フィオリアの威圧に負けたことを忘れたのだろうか。

 女性に年の話をするあたり、怖いもの知らずである。




 

 

 マルコスから情報を集めるということで、意気揚々とカールは去っていった。

 商会の応接室には、フィオリア、ロレンス、レクスの3人が残っている。


「……」

「……」

「……」


 部屋には重い沈黙が降りている。

 原因は、フィオリア。

 いつも自信と自負に満ち溢れた彼女にしては珍しく、どん底まで落ち込んでいた。


「さんじゅうななさい……ええ、まあ、そうよね。アラサーどころかアラフォーなのよね、私…………」

「お嬢様、落ち着いてください」


 まずフォローに入ったのはレクス。


「何歳になろうとも、お嬢様が美しいことには変わりありません。ご安心を」

「私が美しいのは当然のことよ。問題はそこじゃないわ」


 はぁ、と嘆息するフィオリア。


「年齢はね、呪いなのよ。あらゆる女性を常に苛んでいるの……」

「や、17歳じゃねえの?」


 当たり前のように言ってのけるロレンス。


「フィアちゃん、20年も昏睡状態だったしな。そのへんはノーカンだろ。17歳だ、17歳。つーかホント当時のまんまなのな。オレなんかすっかりオッサンになっちまったのによー」


 おどけた調子で肩をすくめる。

 その姿に、フィオリアはクスッと微笑んだ。


「悲観しなくてもいいでしょう。貴方は20年前よりずっと魅力的になったわ」


 筋肉で引き締まった身体に、小麦色の肌。

 酒場で用心棒でもやっていそうな姿だが、実は、マルティアス商会を立て直した救世主でもある。

 開けたシャツの首元から覗く鎖骨は艶めかしい。

 いまは独身のようだが、彼に熱い視線を向ける女性はきっと多いことだろう。


「お褒めにあずかり恐悦至極。でしたら褒美に、いずれ一緒に食事でも」

「考えておくわ。ついでに、グランフォード商会との提携も考えておいて頂戴」

「ビジネスの話か。色気がなくて寂しいねえ」


 口調とは裏腹、愉快げに声をあげるロレンス。

 フィオリアも機嫌が直ったらしく、その顔つきは朗らかなものだった。


 

  

 

 

 * *






「みなさん、これを見てください」


 ほどなくしてカールは他の4人を応接間に集めた。事件の真相について話すつもりらしい。

 さながら推理モノのクライマックスさながらのシチュエーションである。


「実はあの脅迫状、ちょっとした仕掛けが施されていました。……(あぶ)()しです」


 カールは得意げに脅迫状を示す。

 右下の部分には焦げたような跡が残っていた。……炎魔法で炙るつもりが、うっかり火をつけてしまったのだろう。

 それはともあれ、紙面にどんな文字が浮かんだのかといえば、



『――満月の夜、貴様の命を貰い受ける』


 

 というものだった。

 

「おお、なんと……!」


 驚いて尻餅をつくマルコス。()()過多である。

 

「マジかよ、こんなの予想外だぜ」


 他方、ロレンスは優秀な商人だけあってか腹芸も上手い。

 

「……」

「……」

 

 フィオリアとレクスはあえて無言を貫く。


 実のところフィオリアは2日前の時点で炙り出しに気付き、他の3人に教えていた。

 わざわざ火を近づけなくても、光をうまく当てれば文字は読める。

 フィオリアは光魔法の使い手であり、その程度はなんということもない。


「いいですかフィオリアさん。これが優秀な人間というものです。まったく、この程度のことも見抜けないとは……」


 嘆息するカール。

 4人から向けられる視線はひどく醒めたものだが、彼はまったく気付いていない。


「ですが相手の動きが分かった以上、これを逆手にとりましょう。マルコスさん、貴方を囮にしてハインケルを誘き寄せます。協力してください。いいですね?」


「……ひとつ、いいかしら」


 フィオリアが口を開く。


「貴方はハインケルを犯人と決めつけているみたいだけど、それは間違いないの?」


「やれやれ、何を言っているのやら」


 癖なのだろうか、前髪をナルシスティックに弄りながらカールは答える。


「脅迫状のイニシャルはW・H。ウィンフィールドでW、ハインケルでHに決まっているでしょう」


「どうして姓が先にきているのかしら。普通、H・Wと書くべきじゃない?」


「そ、それは……」


 言葉に詰まるカール。

 フィオリアにしてみれば期待外れもいいところである。貴方、その程度のツッコミも想定してなかったの?


「それは、その……そうだ! ハインケルは東方を旅していた! あちらでは姓から先に名乗ります! 東方の風習に染まってしまったんですよ!」


「随分と無理のある推理ね。まあ、いいけど」


 そう口にして、フィオリアはレクスへと目配せした。


「あれは準備してあるかしら?」

「はい、こちらに」


 レクスが取り出したのは、二通の紙片。

 そこには血のように赤いインクで『 我が逆襲の刃を受けよ。その命でもって罪を贖え』と書いてある。

 マルコスに届いた脅迫状とまったく同じ文面であった、が、


「おおおおおおおおおっ! こ、ここここれはどういうことだ! 筆跡がまるで違うぞおおおおおお!」

「この2通の筆跡は同じだが、うちに来たやつだけ字がやたら汚いな」


 やたら大袈裟なリアクションのマルコスと、普段と変わらぬ調子のロレンス。

 兄弟なのにホント正反対ね……などと考えつつ、フィオリアは話を続ける。


「脅迫状はマルコス以外のところにも届いているわ。全部で5通。そのうち2通を借りてきたの」


「な、ぁっ……」


 これは完全に予想外だったのか、カールは驚愕の表情を浮かべて固まっている。


「い、いったい、どうやって……」


「ツテよ」


 かつて聖女だったころのフィオリアは、教会のあり方に疑問を抱く若手司祭らと交流を持っていた。

 彼らのなかには出世を果たし、モナド教の上層部に食い込んでいる者もいる。

 そのコネクションを通じ、密かに脅迫状を入手したのだ。


「これを見れば分かるとおり、マルコスの脅迫状だけが別物よ。本来の脅迫状は筆跡も違うし、炙り出しも仕込まれていないわ」


「つまり、どういうことなんだ?」


「簡単よ、ロレンス。貴方のお兄さんに届いた脅迫状はニセモノなの。便乗犯ね。……とはいえこれくらい、優秀な彼なら気付いていたでしょうけど」


 チラリとカールに視線を向ける。

 自らを『ハインケルに匹敵する秀才』と称した青年は、真っ青になって震えていた。


「と、と、当然だ! ちょ、ちょうど今から、それを言うつもり、だったんだ……っ!」


「それはごめんなさいね。ついでだから話を整理しましょうか」

 

 と言って、一同を見回すフィオリア。

 場の主導権は、カールから彼女に映っていた。


「W・Hなる人物は、自分を裏切った5人に対して脅迫状を送り付けた。W・Hが誰なのかは後回しよ。この事件とはまったく無関係だもの」


「何だと……?」


 困惑するマルコス。

 

「ハインケルがワタシに復讐しにきたのではなかったのか?」


「違うわ、それは貴方の勘違い。脅迫状を受け取った5人について調べてみたけど、あちこちから恨みを買ってるのよね」


 20年前の、第13次聖十字軍(クルセイダーズ)

 彼ら5人は撤退戦の混乱に乗じ、上司、恋敵、政敵などを密かに葬っていった。

 その被害者のひとりが、おそらく、W・Hなのだろう。


「貴方に脅迫状を送った人間は、ただの便乗犯よ。何も考えずに手紙を書き写しただけ。だからW・Hの正体なんて、考えるだけ時間の無駄なの」


「便乗犯だって……? いったい、どうしてそんなことを」


「さあ、どうしてかしら。……もしかすると、秀才さんなら分かるかもしれないわね?」


 再び、カールに問いかける。

 返事はなかった。

 彼は顔面蒼白となり、落ち着かなげに目を彷徨わせていた。



 

 フィオリアとしては、今回の事件、カールが犯人と考えている。


 カールは教皇の息子であり、その立場ゆえ、5通の脅迫状についても知ることができた。

 彼はそれに便乗し、己の名声を高めようとしたのだろう。


 脅迫状のニセモノを作成し、元教皇のマルコスへと送り付ける。

 あとは探偵役として事件を解決してみせるだけ。

 炙り出しに気付いたというのもまったくの茶番、なぜならそれを仕込んだのはカール自身なのだから。


(これもひとつの若さなのかしら)


 集めた情報によると、カールは自分の知力というものに大きなプライドを持っていたらしい。

 功名心に逸った結果として犯行に及んだのだろう。

 父親のハウル3世は、教皇になってからというものカールそっちのけで政争に明け暮れている。

 あるいはそれも関係しているのかもしれないが……


(この事件、カールひとりで絵図を描いたとは思えないわ)


 彼はお世辞にも頭の回る人間とはいえない。

 裏で誰かが糸を引いているのではないか。

 フィオリアとしてはその人物を引きずり出したいと考えていた。


 ゆえに、


「ともあれ、カールの言う通りにしましょうか。マルコス、悪いけれど囮になってちょうだい」


 あえてこの場でカールを糾弾せず、話を進めることにした。



 

 

 

 * *






 作戦としては、単純なものだ。


 マルティアス邸には離れがある。

 マルコスにはそこで一晩を過ごしてもらい、襲撃者を誘き寄せる。


「わたしが離れの近くで待機します。他の人間がいると犯人に気づかれる可能性がありますし、本邸で待機してください」


 カールという青年はなかなかに打たれ強かった。

 もはや計画はボロボロになっているというのに、それでも予定通り、事を進めようとする。

 

「……大したものね」


 フィオリアはカールへの評価をやや上方に修正する。

 やろうとしたことはとても褒められたものじゃないけれど、その諦めの悪さ、嫌いじゃないわ。

 叩いてみれば、案外、化けるかも。まあ、人を年増呼わばりしたことは許さないけど。


 夜が訪れる。

 フィオリアは、離れの近く、茂みに身を隠して様子を窺っていた。

 

 マルコスの警護を引き受けたカールは、外をうろうろと歩き回り……やがて、離れの裏手に向かった。


「わ、わたしの計画に間違いはない、間違いはないんだ……。これで父上もわたしのことを見直すはず……」


 言い聞かせるように呟くと、大きく息を吸って、こう叫んだ。


「犯人め! マルコスを殺させはしませんよ! くっ、うおおっ、やりますね! ですがわたしは火炎魔法の使い手、影まで焼き尽くしてあげましょう!」


 セリフだけ取り出せばまるで激闘のようだが、実際には何も起こっていない。

 ただの演技、狂言である。


「ぬうううっ、逃げるつもりですか!」


 どうやらカールの中では「なんとか襲撃者を撃退したものの、あと一歩のところで取り逃がした」という筋書きなのだろう。……でも、争った形跡も何もないんじゃ、説得力に欠けるわね。


 フィオリアが嘆息した、その時だった。


「こ、これは、魔物だと!? 小癪な!」


 カールは大声とともに、懐から闇色の魔法石を取り出した。

 地面に投げ捨てる。

 ほどなくして黒い靄が広がり、やがて、ひとつの象を成した。


「ふうん」


 フィオリアは少しだけ面白そうに口元を綻ばせた。

 どこから手に入れたのかは知らないが、カールは、魔物の封印された魔法石を持っていた。

 その魔物を倒し、犯人を撃退した証拠とするつもりなのだろう。まさに自作自演である。


「オオオオオオオオオオオオオッ!」


 黒い靄から現れたのは、首のない鎧騎士。

 アンデッドの一種、デュラハンである。

 右手には巨大な剣を、左手にはきらびやかな装飾の大盾を構えている。


「ひ、ひいいいいいいっ!」

  

 その威容に、カールは腰を抜かした。

 自分で召喚したにも関わらず、である。


「ど、ど、どうなってるんだ! じ、事前の打ち合わせと違うぞ! も、もっと弱い奴じゃなかったのか! ……助けてくれえ!」


 悲鳴をあげるカール。

 その頭上に、


「ォォォォォォアアアアアッ!」

 

 デュラハンの斬撃が、叩きつけられる。

 絶体絶命の危機。

 カールは、功名心の代償として命を落としてしまうのだろうか?



「――そこまでよ」



 デュラハンとカールの間に、ひとつの影が割り込む。

 靡くのは黄金色の髪。

 闇の中、翡翠色の瞳がひときわ強い意志の輝きを放つ。


「フィオ、リア……?」

「見栄を張りすぎないことね、カール。自分を大きく見せようとすると、何かしらしっぺ返しが来るものよ」


 悠然とした様子で、フィオリアはそう告げる。

 デュラハンの斬撃は、届いていない。


「グゥゥゥゥッ……!?」

「あら、貴方、力が弱いのね? デュラハンというとアンデッドのなかでも上位のはずだけど」


 フィオリアは左手を掲げていた。

 その、白く細い指先。

 

 示指と中指のあいだで、デュラハンの大剣を挟むように受け止めていた。


「グゥァァァァァァァァッ!」


 デュラハンは両腕に力を籠める。

 だが、切っ先は微動だにしない。

 それどころか――


「とんだなまくら剣ね」


 フィオリアは二本指に力を籠める。

 

 ミシリ……。


 不穏な軋みがまわりに響く。


 ミシリ、ギシ、ギシ、ギシ……。


「嘆きなさい。これが貴方の辿る末路よ」


 砕けた。

 デュラハンの大剣に無数のヒビが走ったかと思うと、内側から爆ぜるようにして粉々となった。

 アンデッドには感情がない。

 にもかかわらず、デュラハンは驚愕を受けたかのように仰け反った。


「剣というのは、こう使うものよ」


 フィオリアは腰からサーベルを抜いた。

 マルティアス商会で取り扱っている武器を買い取ったのだ。

 柄は金色。

 刃は細く、青みがかかった銀色に輝いている。

 

「――《雷霆の剣(アストライア)》」


 フィオリアの声とともに、剣が雷光に包まれる。

 それは光の上位魔法《雷帝の裁き》を剣に付与したものである。


「死しても騎士の誇りがあるのなら、3合までは耐えきってみせなさい」


 踏み込みは、俊速。

 否、神速の域だった。


 繰り出される斬撃は、左上から右下へと走り抜ける。袈裟斬り。

 デュラハンはせめてもの抵抗に大盾を突き出した。

 

 迸る雷光の剣。

 それは大盾を両断する。

 ただ、切っ先はデュラハンの身体まで届いていない。


 ……かと、思いきや。


「いいえ、まだよ」

 

 刀身が、伸びた。

 否。

 剣から稲妻が放たれたのだ。

 青白い雷光がデュラハンを貫き、内外から徹底的に焼き尽くす。


 その身体が炎に包まれた。

 グラリ、と倒れる。

 爆発。

 烈風が吹き荒れ、周囲の木立を騒がせる。


「……すこし、やり過ぎたわね」


 そうしてすべてが終わった後。

 マルティアス邸の広い庭には、小さなクレーターが生まれていた。

 

 



 * *






「……申し訳ありませんでした」


 計画の失敗によってプライドというものが完全に折れてしまったのだろう。

 カールはとても素直に己の非を認めた。


「ワタシも人のことは言えんよ」


 直接の被害者であるマルコスは、決してカールを(なじ)ろうとしなかった。


「かつて教皇の座に就くため、後ろ暗いことにも手を染めた。ゆえにキミを糾弾する資格もない。……敢えて言うなら、よく反省して、今後に生かしてくれ。さもないと、ワタシのように落ちぶれる羽目になるからね」


「とはいえ、罪は罪だ。ちゃんと罰されるべきと思うけどな」


 弟のロレンスは、口調こそ厳しいものの、必要以上に責めようとする様子ではない。


「うちのクソ兄貴が更生できたのも、きっちり落とし前をつけさせられたからだ。……なあフィアちゃん。今回の件、どうすりゃいいと思う? こっちとしちゃ、大々的に訴え出るのも面倒くせえ。教会と関わったって、ロクなことにならねえからな」


「私のツテで、信頼できる司祭にこの件を預けるわ。カールもそれでいいかしら?」


「はい。……本当に、すみません」


「ま、いいってことよ」


 にかっ、と笑うロレンス。

 それから、マルコスのほうを向き直る。


「けどよ、クソ兄貴。20年前、暗殺者を雇ったってのはちょっといただけねえな。実際、ハインケルってのは死んじまったんだろ。今からでも遅くねえ、教会に自首しようぜ。オレもついていってやるからよ」


「……そうだな」


 悟ったように頷くマルコス。


「今回の事件は、天のお告げだったのだろう。やはり天はすべてを照覧しているのだ。身支度を整えたら、教会に行くとしよう」


「いちおう、私のほうでもハインケルの行方は調べておくわ。彼、まだ死体は見つかっていないんでしょう?」

  



 

 そして帰りの馬車。

 フィオリアは自分の言葉に驚いていた。


「ハインケルの行方、ね」

 

 彼は第13次聖十字軍(クルセイダーズ)に加わり、黒き森で消息を絶った。

 それから20年の月日が流れているわけだし、生きているはずがないだろう。

 

「親しい者の死というのは、どうにも受け入れがたいものね」


 わずかに寂寥感を滲ませた声とともに、長い髪をかきあげた。



 馬車はまっすぐ王都には戻らず、途中、平地の商業都市に寄り道することになった。

 グランフォード商会の支店があり、そこを視察することにしたのだ。


「レクス、貴方はこの支店についての報告書をまとめておいて頂戴。私は少し、街を見て回るわ」


 ひとおりの視察を終えた後、レクスにそう命じて外に出た。

 街を歩き、人々の暮らしを肌で感じるのは、商売を営むにあたって基礎中の基礎――。

 フィオリアはそう考えている。


「……とはいえ、トラブルを望んでいるわけではないのだけれど」


 嘆息する。

 うっかり裏路地に足を踏み入れた結果、ガラの悪そうな男たちに取り囲まれた。


「お嬢ちゃん、なかなかの別嬪じゃねえか。俺たちと遊ぼうぜ、なあ?」

「社会勉強だよ、社会勉強。オトナにしてやるぜ! へへっ!」

「パパとママに自慢できるかもなあ! まあ、ママになっちまうかもしれねえが!」


 男たちがよからぬことを考えているのは明白だった。

 ぶちのめすのは一瞬で済むし、たまにはロクデナシたちの生態を観察するか、などと考えていると、


「もうすこし、スマートな誘い方というものがあるだろう。……格好が悪いな、そういうのは」


 男の声とともに、バシャァ、と空から水が降ってくる。

 雨ではない。

 バケツをひっくり返したような、水のかたまり。

 3人の男はたちまちずぶ濡れになる。

 水魔法の類だろうか。 


「うわっ!」

「なにしやがる!」

「へ、へっくしょい! く、くそっ! 誰だ、邪魔しやがるのは!」

「……俺だ」


 曲がり角からスッと姿を現したのは、鎧姿の青年だった。

 ぞっとするほど、美しい横顔をしている。

 色素の薄い金髪は儚く、いかにも貴公子然とした雰囲気を漂わせている。

 

「……っ!?」

 

 フィオリアは、彼女にしては珍しく、狼狽した。

 なぜなら、青年の姿に見覚えがあったから。

 背が伸び、顔も大人びてはいる。

 ……けれど、一目で分かった。私は彼を知っている。なんて巡り合わせだろう。


「早くここから立ち去るがいい。さもなくば、氷漬けにする」


 酷薄な笑みを浮かべ、青年は指を鳴らす。

 冷たい風が吹いた。

 見るまに、足元に広がった水が凍りついていく


「ひ、ひいいいっ!」

「お、覚えてやがれ!」

「ただで済むと思うなよ!」


 男たちは身を翻し、大慌てで逃げてゆく。

 後に残ったのは、フィオリアと青年の2人。


「大丈夫だったか? ……女性が、こんな暗いところを一人で歩くべきではない。大通りまで案内しよう」

「貴方……ハインケル?」

 

 フィオリアは問いかける。

 8歳の頃と比べるとずいぶん背が伸びているものの、間違いない。

 彼は、間違いなく、ハインケルだ。


「……俺のことを、知っているのか?」


 他方、青年の反応は鈍い。


「だとしたら、すまない。俺には5年よりも前の記憶がない。いわゆる記憶喪失というやつだ」

 



Q.つまりこの事件って、どういうこと?

A.

 最初に脅迫状を送られた5人:20年前の第13次聖十字軍で、たくさんの人間を陥れた。彼らはハインケルの失踪にも関わっている。


 W・H:上記5人にハメられた被害者。ハインケルとはまったくの無関係。ふつうに自分のイニシャルを書いただけのつもり。


 カール:脅迫状を書き写し、マルコスに送り付ける。あと、小さいころおじいちゃんに教えてもらった炙り出しも仕込んでみた。計画通りなら「元教皇の危機を救ったヒーロー」として名声を得るはずだった。


 マルコス:受け取った脅迫状の「W・H」をハインケルと勘違いしたうっかりさん。

 

 ロレンス:37歳独身



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