第27話 脅迫状事件(前編)
2017/5/15 10:30 改稿
法名の設定はややこしいので削除。
レオン10世(法名)→マルコス(本名)に統一
フィオリアがロレンスの手紙を受け取ったのは、王都トリスターナの貴族学校を訪問していた時のことである。
「ふうん、なんだか大変そうね」
手紙には、兄のマルコスに届いた脅迫状が同封されていた。
『我が逆襲の刃を受けよ。その命でもって罪を贖え』
脅迫状はそんな一文から始まり、差出人の身の上がつらつらと書き記されている。
曰く、彼(彼女?)は20年前の聖戦において裏切りを受け、瀕死の重傷を負った。
本来なら魔物のエサとなるはずだったが、黒き森に住む“魔女”に助けられ、なんとか一命を取り留めた。
その後は魔女とともに東方の国々を巡り、今回、復讐を遂げるためにベルガリア大陸へ戻ってきたのだとか。
果たして差出人は誰なのか。
手掛かりは意味深なイニシャルのみである。
「W・H、ねえ」
W=ウィンフィールド
H=ハインケル
兄マルコスはそのように考え、ハインケルの影に怯えているという。
「イニシャルなら、逆じゃないの?」
名がハインケルで、姓がウィンフィールド。
本来ならイニシャルはH・Wとなるはず。
東方式では姓→名になるため、W・Hでも決して間違いではないのだが……どうにも引っかかる。
「フィオリア様、どうして難しい顔をしてらっしゃいますの?」
「もしやお加減でも……ささ、こちらで少しゆっくりなさってください」
「お姉様、もしよろしければ我が家の侍医をお呼びしましょうか……?」
フィオリアの周囲には、たくさんの令嬢が集まっている。
現在、母校のトリスターナ貴族学校を訪問中である。
ちょっと教師陣と思い出話をして帰るつもりが、たちまち令嬢らに取り囲まれた。
きゃー本物よー、本物のフィオリア様よー。
飛び交うのは黄色い歓声。
まるでアイドルのような扱いだが、どうやら“暴風の女帝”の武勇伝は20年経った現在も語り継がれているらしい。
曰く、入学後3日で学園長の不正を暴き、屋上から逆さ釣りにしたとか。
曰く、免罪符で暴利を貪る教皇に《神罰の杖》を落とし、己こそが神の代行者と啖呵を切ったとか。
曰く、王都にはびこる麻薬組織の本拠地をクレーターに変えたとか。
……ちょっと誇張が過ぎる気もするが、まあ、噂話とはそんなものだろう。
「ありがとう。でも、大丈夫よ」
フィオリアは、ふっ、と微笑む。
普段のふるまいが凛々しいだけに、その柔らかな表情は、大きなギャップとなって令嬢らを魅了した。
彼女たちの3分の1は目を潤ませ、3分の1は頬を赤くして俯き、3分の1がくらりと倒れて従者に支えられる。
「……なんというか、すごいわね」
さすがのフィオリアも、この状況には驚かざるを得ない。
みんな、ちょっと興奮しすぎじゃないかしら?
憧れてくれるのは嬉しいけれど、この調子じゃ、おちおち舞踏会にも出られやしない。
「まるで災害ですね。……まあ、わたしにしてみれば下らない騒ぎですが」
どこか見下すような、傲慢な口ぶり。
ひとりの青年が、焦げたバターのような色合いの髪をいじりながら、近づいてくる。
鼻筋の通った顔はなかなかに整っており、銀縁のメガネは知的な印象を漂わせていた。
「初めまして、“癒さずの聖女”。カール・レヴァンテと申します」
「……」
フィオリアは無言だった。
冷たい一瞥を向けたきり、カールの姿を視界から外した。
「おや、無視ですか。貴女はご存知ないかもしれませんが、わたしは教皇ハウル3世の息子ですよ?」
「……」
やはりフィオリアは何も言わない。
“癒さずの聖女”とは、彼女の蔑称のひとつ。
その名前で呼びつけるなど無礼が過ぎるし、わざわざ構う必要はないと判断していた。
「レクス、すぐにロレンスのところへ向かうわ。馬車を用意して」
「すでに手配してあります」
「ありがとう。貴方は優秀ね」
フィオリアとレクスは、そのまま貴族学校を立ち去ろうとする……が、
「くそっ! 公爵家の女だからって調子に乗るんじゃない! そんなもの、教会の権威に比べれば、ゴミのようなものなんだぞ!」
どうやらカールという青年、どうにも沸点が低いらしい。
フィオリアの前に立ちふさがると、顔を真っ赤にして怒鳴りつけてくる。
「……はぁ」
嘆息するフィオリア。
ここでようやく、カールと目を合わせた。
翡翠色の瞳を細め、軽く、睨みつける。
「っ……」
たじろぐカール。
フィオリアの威圧感に負け、何も言えなくなってしまう。
2歩、3歩と後退し、足をもつれさせる。
ギリギリ転ばずに済んだものの、あまり格好のいい姿ではない。
「……せめて睨み返せる程度になりなさい。いまの貴方はとてもつまらないわ」
髪をかきあげるフィオリア。
背後で、本日何度目かになる黄色い歓声があがった。
振り返ってみると、令嬢たちがやたらキラキラした視線をこちらに向けている。
中には創作意欲を刺激されたのか、フィオリアの姿をスケッチし始める者までいた。
彼女らに小さく手を振ると、それだけで何人かが気を失った。
* *
半日ほどで馬車は海辺の田舎町に辿り着いた。
いらぬ騒ぎを起こさぬよう、お忍びでロレンスの家を訪ねる。
「遠い中お越しいただき恐縮です、フィオリア様」
「面倒な礼儀はなしにしましょう、ロレンス。お互い、肩がこるでしょう?」
「……ま、そりゃそうか」
にかっ、と人好きする笑みを浮かべるロレンス。
20年の年月は、彼を精悍な男へと変えていた。
身体つきはがっしりとした筋肉質で、肌はうすく日焼けしている。
錆色の髪を後ろでまとめた姿は、いかにもやり手の貿易商といった雰囲気だ。
「ありがとな。急な話だってのに来てくれて。感謝してるぜ」
「どういたしまして。折角だから訊きたいのだけど、貴方、私のことは恨んでないの?」
なにせ兄マルコスが教皇位を追われることになったのは、そもそもフィオリアが原因である。結果として実家のマルティアス商会は大打撃を受け、廃業ギリギリの状況に陥った。
ロレンスとしてはフィオリアを恨んでも仕方ないところだろう。
しかし、
「兄貴は聖職者としてやっちゃいけない一線を越えた。オヤジはそれを黙認してた。だったら罰を受けるのは当然だ」
彼はあっさりとそう言い切ってみせる。
小さく肩をすくめると、鎖骨の浮かぶ首元で、サイコロを模った銀のペンダントが揺れた。
「ま、オレは歴史に名を残す予定の男だからな。偉人には挫折がつきものだろ? たかが商会ひとつ、立て直すのは楽勝だったぜ」
それはロレンスなりの強がりだが、実際、彼はマルティアス商会をほぼ独力で再建している。
この地域に限って言えば、グランフォード商会に次ぐ利益を叩き出していた。
「とりあえず、マルコスに会わせてもらっていいかしら?」
「いいぜ。ただ、20年前とは大違いだから驚くなよ?」
いたずらっぽく笑みをこぼすロレンス。
マルコスは現在、自室にいるらしい。
フィオリアが訪ねてみると、たしかに、マルコスは別人のように変貌していた。
たぷたぷの贅肉はどこへやら、むしろ、棒きれのように細い姿である。
かつて欲に濁っていた瞳は、すっきりとクリアに。
なんだか悟りを開いたような表情を浮かべている。
「ひさしぶりだね、フィオリアさん。昔は、いろいろと失礼なことを言ってしまった。反省しているよ」
「……貴方、だれ?」
「マルコス・マルティアス。かつて先代の教皇だった男だよ。……この20年で色々あってね、ワタシなりに人生を悔い改めたのさ」
はは、と達観したような笑みのマルコス。
「ワタシは罪を犯した。教皇の座を追われた直後、逆恨みのあまり、東方の暗殺者に依頼を出したんだ。ハインケルを殺せ、とね。……あらゆる行いは、自分へと返ってくる。数日ほど考えてみたけれど、ワタシは、あえて抵抗せずに殺されようと思うんだ」
「……ふうん」
興味深そうに頷くフィオリア。
「それが貴方の答えなら干渉しない……わけにはいかないわ」
「どうしてかな?」
「脅迫状の主が、ハインケルとは限らないからよ。……とりあえず3日待ちなさい。その間に答えを出すわ」
それから2日のうちに、フィオリアは真相を看破した。
「……まさか、自作自演だったとはね」
「マルコスとロレンスの狂言、ということですか」
レクスの問い。
だがフィオリアは首を横に振る。
「違うわ。2人は騙された哀れな被害者よ。これから犯人が意気揚々と、探偵の顔をしてやってくるんじゃないかしら。自分で事件を作って、自分で解決する。いったい何がやりたいのやら。……まあいいわ。待ち構えて、化けの皮を剥ぐとしましょう」
そして翌日。
マルティアス邸に、ひとりの客人が訪れる。
「とある筋から、先代教皇のマルコスさんが危機に晒されていると聞きましてね。救いの手を差し伸べに来たんですよ」
それは焦がしバター色の髪をした青年。
何かというと鏡やガラスに目を向けては、髪型を細かく直している。
3日前、フィオリアを“癒さずの聖女”と呼んだ人物――
カール・レヴァンテであった。
4章は前後編×4の8話予定