第25話 大聖堂の小さな魔王(前編)
第2部『女教皇フィオリア』あらすじ
復讐を果たし、ついでにレガリア帝国を実質的な支配下に置いたフィオリア。向かうところ敵なしといった彼女だが、実は20年前、ひとりだけ対等に頭脳戦を繰り広げた8歳の天才少年がいた。名をハインケル・ウィンフィールド。人呼んで、“大聖堂の小さな魔王”。久しぶりに再会した彼は記憶喪失に陥っていた。それに前後し、教会の上層部でトラブルが起こる。その解決を頼まれ、聖都に赴くフィオリア。
しかしながら事態は大きく揺れ動き、彼女は教会を破門されてしまう。……へえ、なかなか楽しませてくれるじゃない? けれどやりすぎよ貴方たち、出すぎた杭は排除しないとね? 屈辱は500倍で返すもの。己を頂点とした新教を立ち上げるべく、フィオリアは動き出す。ハインケルという参謀とともに、立ち塞がるアレコレを弾き飛ばしながら!
今回&次回は過去話、フィオリアがまだ聖女だったころのエピソード。
ところで前回の幕間ですが、魚人だけにギョッという作者渾身のギャグに気付いていただけたでしょうか?
22年前。
当時15歳のフィオリアはまだ聖女としての資格を剥奪されておらず、モナド教の上層部ともそれなりに関わりがあった。
モナド教は大陸全土で広く信仰され、貴族・平民問わずその生活に深く関わっている。
冠婚葬祭、生活のあらゆる部分でモナド教の司祭は顔を出すし、回復魔法での治療・浄化魔法での解呪・アンデッド退治なども請け負う。
人々の暮らしになくてはならない存在で、トリスタン王国やレガリア帝国など、多くの国々で国教とされていた。
毎年、秋には聖都ミレニアで式典が行われる。
聖女であるフィオリアはそれらに出席する必要があり、およそ3ヶ月のあいだ聖都に留まらねばならない。
「ハインケルです。聖女さま、よろしくおねがいします」
その期間中、フィオリアはひとりの少年と引き合わされた。
にぱ、と邪気のない笑顔を浮かべている。
色素の薄いプラチナブロンドの髪に、アルビノじみた赤い瞳。
透き通るような白い肌。
まるで木漏れ日の天使のような、儚い雰囲気を漂わせている。
「この子はまだ6歳ですが、魔法の才能はかなりのものです。どうか光魔法を指導してあげてください」
お付きのシスターはそんなふうにハインケルを紹介する。
「すでに語学も堪能で、主だった神学書もすべて暗記しています。来年からは初等神学校ですが、飛び級で卒業することになるでしょう。天才というのはこういう子をいうのかもしれません」
「……とりあえず賢いことは分かったわ。それで、貴女から見てハインケルはどんな子なの?」
「えっと、だから光魔法を使えるかもしれない天才で……」
「それはただの説明でしょう? 私が知りたいのは、彼の人柄よ」
「えっと……」
フィオリアの質問に、シスターは言葉を詰まらせてしまう。
何かを隠しているわけではなく、純粋に、答えが思いつかない様子だった。
「まあ、いいわ」
……普段からこのシスターが親代わりに世話しているみたいだけど、たぶん、ハインケルの才能にしか目が行ってないのでしょうね。人格はまったく見ていない。「とても優しくていい子です」みたいな、ありきたりの言葉すら出てこないのは問題と思うのだけど。
フィオリアは嘆息すると、シスターを下がらせた。
「ねえねえ聖女さま、ぼく、はやく光魔法を使えるようになりたいな。そうしたら、いっぱいみんなに喜んでもらえるよね」
初対面だというのに、ハインケルはやけに懐いてきた。
彼の言動は、いかにも健気で聞き分けのいい子供そのものである。
が、
「……演技、上手いのね」
ハインケルにはまったく取り合わず、フィオリアは冷たく言い放った。
「けれど、目つきを隠しきれていないわ。何もかもを見下しているのね。大人たちを弄ぶのはそんなに楽しいかしら?」
「ふぇっ……?」
首を傾げるハインケル。
「聖女さま、何を言ってるの……?」
「貴方の話をしているのよ、ハインケル。聖都にいる3ヶ月間、くだらない演技ごっこに付き合うつもりはないの」
「ううっ、うえええっ……なんて、なんて聖女さま、いじわる言うの……? 聖女さまなのに……」
「そんなの、教会の上のほうが勝手に言ってるだけよ。……そのうち私の存在が不都合になれば、適当に理由をつけて聖女の称号を取り消すでしょうね」
たとえば回復魔法が使えないから、とかなんとか。
フィオリアが小さく呟いている間に、ハインケルはぐしぐしと泣き始めていた。
心から傷付いている、といった様子である。
「ひっぐ、ぐすん……」
「…………」
フィオリアは醒めた視線で眺めている。
「ううぇぇ……ふぇぇぇぇ…………」
「…………」
フィオリアはとても醒めた視線で眺めている。
「うっ、うぅぅぅぅ……」
「…………」
フィオリアはとてつもなく醒めきった視線で眺めている。
「くすん、くすん…………ねえ、聖女サマってもしかして鬼畜?」
「いちおう身内には優しいつもりよ。貴方はべつに身内でもなんでもないけど」
「うわー、なにこのヒト。血も涙もないよ。冷酷だよ、絶対零度だよ」
先程までの子供っぽい振る舞いはどこへやら、むしろ大人びた、皮肉な笑みを浮かべるハインケル。
「というかよく分かったねー。ボクがずっと演技してる、って」
「簡単よ。あんな子供らしい子供、この世にいるわけないでしょう?」
「ま、当然だよね」
うんうん、とハインケルは頷いた。
「でもさ、オトナは意外と見抜けないんだよー。みんな世の中に疲れてて、癒されたがってるし。向こうの望む姿を見せてあげれば、コロッと騙されてくれる。……その点、聖女サマはやりづらいね。だってボクになーんにも期待してないでしょ?」
「癒しが欲しいなら、モフモフをもふもふすればいいもの」
「どゆこと?」
「我が家の犬よ。すごくもふもふしてるの」
「……聖女サマ、ネーミングセンスもうちょっと磨こうよ」
「ダメかしら? それはともかく、ハインケル、貴方はとても勿体ないことをしているのね」
「何が?」
「他人の求めてるところを察して、自分のてのひらで転がす。観察力と演技力。それは魔法や語学よりずっと稀有な才能よ。周囲の大人たちを嘲笑うばかりじゃ、ただの無駄遣いとしか言いようがないわ」
「……じゃあ、どうしろってのさ」
ふと。
そのとき、ハインケルの表情に翳りが差した。
少女のような美貌の裏に隠された地金が、わずかに、覗く。
「したり顔で説教してくれてるけど、聖女サマはボクの何を知ってるってわけ?」
「フィオリアよ」
「……ん?」
「私を名前で呼ぶことを許すわ、ハインケル」
「随分と偉そうだね」
「むしろ私としては、聖女サマなんて呼び方のほうが無礼と思うけれど」
まあいいわ、と髪をかきあげるフィオリア。
「ハインケル・ウィンフィールド。詳細は省くけれど、次代の――回復魔法が使えず、あんまり上層部の言うことも聞かない誰かさんに代わる――光魔法の使い手として生み出された子供。けれど魔法適正は水属性がメイン。光属性の適性はごくわずかで、魔法行使には至らない。……だからこそ、私を観察するように指示されたのでしょう? コツを盗むために」
「よく知ってるね。教会の上層部からは嫌われてるはずなのに」
「全員が敵というわけじゃないわ。上層部にも私の味方はいるし、上層部一歩手前くらいの司祭からは好かれているつもり。彼らが自然と情報を持ってきてくれるの」
「ボクが言うのもなんだけど、キミ、ほんとに14歳?」
「年齢詐称はしてないわ。ともあれ、私は貴方のことをそれなりに知ってる。実際に会って確信したわ。……ハインケル、貴方、今のままでいいの? 勝手な期待を押し付けられて、大人たちの言うがままの毎日。できることといえば、素直なフリで周りを嘲笑うくらい。そんなのつまらないでしょう?」
「じゃあ、どうしろってのさ。さっきも同じこと聞いたけど、具体的には、ボクに何をさせたいわけ?」
「教皇の座に、興味はないかしら」
ハインケルの耳元で、フィオリアは囁きかけた。
「これまで居丈高に命令してきた人間が、這いつくばって許しを乞う。そんな未来はどう? 素敵と思わない? その観察力と演技力があれば、モナド教の頂点に立つことも不可能じゃないわ」
「……ボクみたいに純真な子供を唆すのかい、フィオリア」
ハインケルの表情に、もはや稚気めいたものは微塵もない。
底知れぬ黒い微笑を浮かべている。
「キミ、聖女なんて嘘だろう。どっちかっていうと悪魔だよ」
「私はただ才能の無駄遣いが許せないだけよ。貴方の可能性を見せてちょうだい、ハインケル。……私が全力で挑むに足る相手になってくれれば、なおさら嬉しいわ」
「フィオリア、それ、誰にでも言ってない?」
「貴方と、あとはヴィーぐらいかしら。トリスタン王国の第三王子よ」
「ふーん……そっか」
ハインケルは小さく呟く。
ほんの少しだけ、面白くなさそうに。
……このときに芽生えた想いが、やがて、ハインケルを大きく変えていく。
後に“大聖堂の小さな魔王”と呼ばれる少年の、これが起源だった。
黒ショタ




