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幕間 絆

もふもふ要素多め、今回はちょっとしんみり

 右手を掲げる。

 指の間をすりぬける海風が心地いい。

 砂浜はふっくらとやわらかく、歩くたびにやわらかな感触を返してくる。

 

 夏の日差し。

 抜けるような青空。

 遠くにはカモメの鳴き声。

 

 フィオリアは大きく伸びをして――


 右手を振り下ろした。

 海風が動きを止め、カモメたちが静まり返る。

 まるで時間が止まったかのようだった。

 世界の空白。


 一瞬遅れて、暴風が吹き荒れる。

 ただの嵐ではない。

 魔力によって完全に制御され、垂直に海へと叩きつけられた。

 

 さながらモーゼの十戒のごとく、海が割れる。

 左右に押しのけられ、海底が露わになる。

 フィオリアの足元から、視界のはるかずっと向こうまで、一本の広い道が生まれた。


 ……海底には魚人(マーマン)の集落があり、彼らはギョッとした表情を浮かべていた。


「ごめんなさい、驚かせてしまったわね」


 フィオリアは一言謝罪すると、角度を変え、再び海を割った。

 

「ふうん」


 しばらくその行為を続けた後、何かを理解したようにフィオリアは頷いた。


「この世界は丸いのかしら」


 不思議な感覚があった。

 風の掌握範囲を遠くへ遠くへ伸ばしていくと、途中から、奇妙な現象が生じる。

 ある一点から奇妙な反転をはじめ、フィオリアの背中に向けて風の“先端”が近づいてくる。

 つまり、地上を一周ぐるりと回ったのだろう。


「……こんなものね」


 魔法を打ち切る。

 あえて無駄遣いを心掛けた甲斐もあって、魔力はほぼ枯渇寸前だった。

 フィオリアの全身を、かるい倦怠感が包んでいる。

  

 そのまま仰向けに倒れ込んだ。

 ぽふん。

 サマードレスに包まれた細い身体を、やわらかな毛皮が受け止める。


「大丈夫か、ご主人」


 フィオリアの飼い犬……モフモフである。

 夏の日差しのなか、白銀の体毛がキラキラと輝いている。


「これくらい平気よ。……やっぱり、変化はないわね」


 右手を、太陽にかざした。

 その指先はいつもと変わらず、白い。

 陽光を浴び、瑞々しい肌が艶めく。


「ねえ、モフモフ。不老の薬って、どういう原理か知ってる?」

「……犬にそれを聞くのか、ご主人」

「貴方、フェンリルでしょ」

「ワンワン! クゥーン!」

「似合わないわ」

「残念だ」


 ため息をつくモフモフ。


「話を戻すが、不老の原理なら知っている。特定の毒を体内に取り込み、それを魔法で分解する。結果として若返りのポーションに変わるのだろう?」

「尋ねておいてなんだけど、詳しいわね」

「俺は賢いからな」


 モフモフはふふーんと誇らしげに身体を揺らした。

 ふかふかの毛が、フィオリアの頬を撫でた。ほどよい暖かさが眠気を誘う。


「アンネローゼは、魔力を使い切った結果、薬の反動でおばあさんになってしまったわ。……私は、どうなのかしら」


 フィオリアはふたたび、己の右手に目を向ける。

 

「20年前、私はアンネローゼにあの毒を盛られた。不老薬のもとになる毒をね。

 けれどそれっきりよ。毒の追加もしてない。今だって魔力を使い切ったのに、何も変わらない。おかしいでしょう?」

「……ご主人は不安なのか?」


 フィオリアの細身をしっかりと横腹で支えつつ、左から顔を寄せるモフモフ。

 同時に、長いふさふさの尻尾を前に持ってきた。

 ちょうど己の身体全体で、フィオリアを包み込むような形になる。


「慰めてくれてるの? ありがとう、でも、大丈夫よ。不安がってるわけじゃないから。

 単に、不思議なだけ。私は()()()()()()()()()んだろう、って」


 20年ぶりに目を覚ましてから4ヶ月が経とうとしている。

 成長期は終わっていないはずなのに、身長はピタリと止まったまま。

 どれだけ食べても体重は変わらず、日差しに晒されても肌は焼けない。

 夢のような身体ではあるが、同時に、奇妙さがつきまとう。

 もしかすると自分はこのまま老いることも死ぬこともなく――


「……フェンリルは百年ほど生きるという。厳密なところ俺はフェンリルではないが、まあ、そのくらいの寿命はあるはずだ」


 フィオリアの耳元で、モフモフが囁いた。

 さすが99匹の子を持つ親というべきだろうか、その声は、厳かな父性に満ちていた。

 

「俺がこの世を去った後は、俺の子がご主人を支えるだろう。

 子がこの世を去った後は、孫が。孫の次は曾孫が。曾孫の次は……なんと言えばいい。曾々孫か?

 いずれにせよ、俺の血筋はご主人の隣に在り続ける。――約束しよう。千年、二千年の先であろうと、おまえを決して孤独にはしない」


 静かに、真摯に、純粋に。

 白銀の魔狼は、黄金の女神へと誓いを立てる。

 

「だからどうか、寂しがらないでくれ。なあ、ご主人よ」

「……私がこの程度のことで、動揺するわけがないでしょう」

 

 フィオリアは、口元を綻ばせた。

 モフモフの尻尾を抱き寄せて、もふ、と顔を埋める。


「貴方の忠誠心、受け取らせてもらったわ。……けれど世の中は天秤、恩には恩で返すもの。私もひとつ約束しましょう。この命がある限り、貴方の血筋が絶えることはない、と」


 斯くて、契約は此処に交わされた。

 白狼の一族は永遠の果てまでも彼女とともにあるだろう。


「ところでご主人、ひとつ、訊いていいか」

「なに?」

「これは人間でもフェンリルでも同じなのだが、他所の子供を可愛がりすぎると、そこで満足して婚期が遠のくらしい。気を付けてくれ。……痛い、痛いぞご主人。冗談だから尻尾を引っ張らないでくれ、ご主人の力だと引っこ抜ける!」


 


 

 

 * *






 しばらくのあいだ、フィオリアはモフモフの背に寝転がっていた。

 

 極上のベッドである。

 柔らかだが弾力があり、ふかふかと気持ちいい。


 太陽は燦々と輝き、フィオリアを照らしている。

 その魔力量は急速に回復しつつあった。


 太陽光の、魔力変換。

 誰にでもできることではない。

 フィオリアは光属性であり、それゆえの特徴だった。


 ちなみに以前、レクスは「植物みたいですね」とコメントして全力のデコピンを食らった。


「そろそろ行きましょうか」

「承知した」


 フィオリアはごろんと寝返りを打つと、うつぶせの姿勢でモフモフに掴まった。

 白狼が走り出す。

 砂煙を挙げて、浜辺を駆け抜けた。

 爽快な風が、フィオリアの髪をなびかせる。


 草原を疾走し、森と山を駆け抜け――やがて、ひとつの古城に辿り着いた。


 ここはクリームヒルト男爵領。

 クリームヒルト男爵家とは、レガリア帝国において、アンネローゼの身元を引き受けていた家である。


 もともとの当主はガルドナー・クリームヒルトという老貴族だったが、アンネローゼが貴族社会に登場する前後に隠居。

 息子のギブスン・クリームヒルトに当主の座を譲っている。

 クリームヒルト家は、シルベリア公爵の反乱にも加担し……現在、レガリア帝国に反旗を翻している。

 

 事前にフィオリアが襲撃を予告していたため、古城には多くの兵士・傭兵らが配置されていた。


「お、おい。あれって“暴風”じゃねえのか?」

「白いフェンリルまでいるぞ……くそっ、金に釣られてこんな依頼受けるんじゃなかったぜ……」

「でも、あんな美人に殺されるなら……いや、やっぱ死にたくねえ…………」

「とりあえず最低限の仕事は果たしただろ。あとはうまいこと逃げれば、前金だけでもしばらく暮らせる額じゃねえか」

「そうだな。せーので逃げるぞ、せーのっ!」


 戦いはあっけなく終わった。

 フィオリアはモフモフの背に乗ったまま、何度か風魔法を使うだけでよかった。

 傭兵たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、クリームヒルト家の騎士たちも、怖気づいて腰を抜かす始末。


 古城に乗り込む。

 当主のギブスンは、自分で自分の体を亀甲縛りにし、フィオリアに対して助命を乞うた。


「……セルフSMだなんてレベル高いわね」

「お、お褒めに預かり光栄です! ですからどうか命は、命だけは……」

「そのあたりは皇帝のダルクが決めることよ。……私は貴方に興味なんてないの。前当主のガルドナーはどこ?」

「ち、ち、地下牢です! だからその、処刑だけは……」

「分かったわ。処刑じゃなく死刑にしてもらえるようダルクに提案しておくわ」

「あ、ありがとうございま…………あれ?」


 頭にハテナマークを浮かべるギブスンを無視して、地下へ。

 牢はむわりとした湿気に満ち、苔のにおいが漂っていた。


 石床の上には、今にも息絶えそうな老人が寝転がっている。


「貴女が前当主のガルドナーかしら?」


「ワシにもやっと迎えが来たか……。最近の死神というのはずいぶんと美人じゃのう……」


「ごめんなさい。私は人間よ、多分。フィオリア・ディ・フローレンス。名前くらいは聞いたことがあるかしら」


「おお! 知っておる、知っておるぞ。アンネローゼがずいぶんと迷惑をかけた相手じゃろう。そうか、ワシにもツケを払わせにきたのか。

 ならば言うことは何もない。こんな老体ですまんが、好きにするがいい」


「じゃあ、お言葉に甘えて質問させてもらうわ。……貴方は、アンネローゼの正体を知っていたのよね?」


「もちろんだとも。先帝のバナザ様の愛人じゃろう」


「それを知ったうえで、あえて、クリームヒルト男爵家の落胤……貴方の子供として受け入れたのよね」


「バナザ様に頼まれてな。……それに、ワシとしてもアンネローゼは放っておけなかったのじゃ。あれは危うい子供よ。何年生きてるかは知らんが、心はまだ幼い。誰かが正さねばならん」


「だから養子にしたの? アンネローゼを、更生させるために?」


「いかにも」


 ガルドナーは深く頷いた。

 だがその皺だらけの顔には、深い後悔が浮かんでいる。


「しかし、アンネローゼの心は予想以上に歪んでおった。バカ息子のギブスンを篭絡し、ワシを地下に幽閉させよった。おかげでこのザマよ」


「申し訳ないけれど、たぶん、クリームヒルト男爵家はこれで終わりになるわ」


「仕方あるまい。我が家は時代の波に乗り遅れ、もともと破綻寸前じゃった。滅びるときは滅びるのが運命よ。……ワシももう長くあるまい。死に際に、おまえさんのような美しいお嬢さんと話ができただけでも僥倖じゃよ」



「そうね」


 フィオリアは目を細める。


「貴方の命はもう衰えている。消える寸前の灯。どんな魔法でも回復させられないわ」


「そうじゃろう、そうじゃろう。別に構わん。……まあ、心残りがないわけでもないがな」


「私にできることであれば、聞き届けるけれど」


「なに、年寄りの戯言よ。できればアンネローゼのやつを、まっとうな道に戻してやりたかった。……まあ、今となっては手遅れじゃがな。あの馬鹿娘は、もう、この世におらんのじゃろう?」


「どうかしらね。案外、生き残ってるかもしれないわ」


「であれば、どこかで改心してくれるのを祈るばかりじゃ」


「……分かったわ」


 フィオリアは髪をかきあげる。

 それから、ガルドナーの手を優しく握った。


「私としては、もう、20年前の借りは返したもの。

 もしもアンネローゼがどこかで生きていれば、貴方の願いを叶えましょう。その遺志を継いで、彼女をきっと更生させてあげる」


「……おまえさんがそう言うのなら、きっと、そうなるのじゃろうな」


 ああ、安心した。

 ため息とともにそう呟いて、ガルドナーは瞼を閉じる。

 

 ――そのまま眠るようにして息を引き取った。



 

 フィオリアが、フローレンス公爵領でアンナリーアという赤子を見つけるのは、この10日後のことである。




 



 


いつも応援ありがとうございます。

次回から第4章に入ります!

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