第24話 復讐のその後と、その後のその後
「終わりましたね、姉様」
ティアラが呟く。
アンネローゼは塵ひとつ残さす消滅し、シルベリア公爵も瓦礫の下で息絶えた。
これですべての因縁が清算され――
「いいえ、まだよ」
だが、フィオリアは否定する。
「20年前、アンネローゼを背後から操っていたのはレガリア帝国だった。この国そのものに落とし前を付けてもらわないと」
その言葉に、人々はふたたび静まり返った。
フィオリアの圧倒的な強さは、先程の戦いで、嫌というほど目に焼き付いている。
もしも《神罰の杖》が己に叩きつけられたら――。
想像するだけで震えが止まらない。
誰も彼もがその顔に、深い恐怖と絶望を浮かべる。
「安心しなさい。私は貴方たちに危害を加えないわ。……痛みもなく殺すのは慈悲みたいなものだし、危害のうちに入らないわよね?」
フィオリアとしては軽いジョークのつもりだったが、笑う者は誰一人いなかった。
……ここで、まったくもって洒落にならない急報がもたらされる。
周辺諸国の蜂起である。
精強で知られるレガリア帝国軍だが、いまだクーデターの混乱からは立ち直っていない。
諸国同盟の急襲を前にあえなく敗走。
敗走に次ぐ敗走。
この10年間の外征で得た土地をすべて失うことになった。
事態はさらに悪化してゆく。
何者かの手引きにより、クーデター側の貴族のほとんどが脱走。
彼らは自領に戻ると連合を組み、レガリア帝国に反旗を翻した。
「20年前の意趣返しよ。イソルテ王国をいちばん支援していたのは、レガリア帝国でしょう?」
「ぬ、ぅ……」
そうしてすべての盤面が整った後――
フィオリアは、レガリア帝国皇帝、ドレイク・ベル・レガリアに選択を突き付けた。
「けれど私は優しいから、貴方に救いの糸を垂らしてあげる。トリスタン王国と同盟を組みなさい。さもなければ――」
フィオリアはリンゴを掲げた。
「どうなるか分かるでしょう? トリスタン王国もこの戦争に加わるわ。レガリア帝国を永遠に地図から消してあげる」
「……っ、だが、こんなものは同盟と言わん!」
怒声をあげるドレイク。
その蟀谷はヒクヒクと震え、浅黒い禿頭には青筋が浮かんでいた。
無理もあるまい。
トリスタン王国側から提示された同盟の条件は、レガリア帝国にとってはともかく、レガリア皇家にとって屈辱的なものだった。
「皇帝の任命権を、なぜトリスタン王国に渡さねばならんのだ! それどころか貢物を毎年よこせだと? 馬鹿にするな! これでは属国扱いではないか!」
「誇りを差し出すだけで国が守れる。安い買い物でしょう? ……ちなみに、こういう文書があるのだけど」
フィオリアが取り出したのは、契約書。
洋上でクーデターの知らせを受けた時、ダルク皇子にサインさせたものだった。
曰く、『レガリア皇家は、フローレンス公爵家を対等な立場にあると認め、フィオリア・ディ・フローレンスに対してクーデターの鎮圧を依頼する』。
「貴方の息子は、もうとっくに皇家の誇りなんてものを投げ出してるのよ。……もしかしたら契約書の文面をろくに読んでなかったのかもしれないけど、それはそれで大恥よね。一国の皇子にしてはあまりに迂闊だもの」
「貴様は、我が国にいったい何の怨みがあるというのだ……っ!」
「私は20年前の借りを返しているだけよ。当時、アンネローゼを影から操っていたのは貴方でしょう? ……そのあと彼女の色香に惑わされて、好き放題にさせていたのは愚かとしか言いようがないけれど」
「……女のお前には、分かるまい」
どこか捨て鉢な態度で言い捨てるドレイク。
「自分の愛人が、多くの貴族どもを手玉に取る。それはそれで楽しいものなのだよ」
「歪んだ優越感だこと」
「息子が、そうとは知らずワシの愛人を妻にし、そうとは知らずワシの子を育てる。……これ以上の娯楽はあるまいて」
「――貴方、魂が腐ってるわね。長生きできないわよ」
その後、トリスタン王国とレガリア帝国は同盟を締結。
第87代皇帝ドレイクはその直後に謎の死を遂げ…………否、病で急逝し、第88代皇帝にはダルクが即位した。
だが、残念ながらダルクはお飾りの人形皇帝でしかなかった。
何をするにもトリスタン国王ヴィンセントの意を受けてのことであり、貴族のみならず民衆からも蔑まれ、レガリア帝国を滅ぼした愚王として歴史に名を刻むこととなる。
フランツ銀行のトップであり元婚約者のティアラにはまったく頭が上がらず、国庫への融資を頼む際、まるで犬のように彼女へ縋りつき、その靴を舐めたと言われている。
* *
そして、トリスタン・レガリア同盟の締結から半年が過ぎたある日のこと――。
「エヘッ、エヘヘヘヘヘヘヘッ!」
フローレンス公爵領のとある街。
しがない小役人の家で、赤ん坊が笑顔を浮かべていた。
「ふふっ、いい子ね、アンナリーア」
「エへヘヘヘヘヘッ!」
その赤ん坊は、とても可愛らしかった。
容貌もさることながら、大人が望むとき、望むような表情を浮かべる。
すでに両親のみならず隣近所の人々まで魅了しきっていた。
(ふふっ、チョロイものね。男も女もバカばっかり)
赤ん坊――アンナリーア は、すでに言葉というものを理解していた。
それどころか大人顔負けの思考力も有している。
彼女は転生者だった。
これが3度目の人生である。
1度目は、魔法のない世界に生まれた。
日本という国の、あまり豊かではない家庭で育つ。
父親の姿を見たことはない。
母親は毎晩のように違う男をとっかえひっかえ、彼女はそれを冷たい瞳で眺めていた。
高校に入ってからは乙女ゲームにハマったが、それはもしかすると一途な恋愛というものにあこがれていたのかもしれない。
成人してからは、多くの男性を手玉に取りながら贅沢な暮らしを続け……ある時、恨みを買って集団リンチを受ける。
右脇腹をメッタ刺しにされ、出血多量で死亡。
2度目は、魔法のある世界。
彼女はアンネローゼと名付けられた。
前世を悔いて、今度は、まっとうに生きようとした。
しかしイソルテ男爵家の落胤ということが明らかとなり、同時に、ここが乙女ゲーム『深き眠りのアムネジア』の世界と気付いてしまう。
貴族学園に入ってみれば、大嫌いなキャラ――フィオリア・ディ・フローレンスが原作以上の武勇伝を残していた。
悪徳貴族をタコ殴りにしただの、麻薬組織を撲滅しただの。
その活躍のおかげかフィオリアは誰からも慕われていて……ああムカつく、気に食わない。
あたしがこの世界のヒロインなのに、どうしてフィオリアが目立ってるわけ?
というか、ゲーム通りならアンタ学園にいるはずでしょ? どこにいったのよ?
フローレンス領で領地改革? ナメてるの? あたしなんて眼中にないってこと?
アンネローゼは激しい嫉妬に駆られ、その憎悪を拗らせていく。
「だったら、あたしはアンタの居場所をグチャグチャに壊してやる。ぜんぶ。なにもかも。徹底的に」
レガリア帝国の間者と接触したのは、この直後だった。
アンネローゼはその支援を受けながら貴族家の男子たちを篭絡していく。
自分に騙される男を見下し。
自分に嫌う女を見下し。
昏い優越感に笑みを浮かべた。
そしてフィオリアが学園に復帰する日を狙い、毒殺を実行。
……しかし結局は未遂に終わり、20年後、きっちりとツケを払わされることになる。
「塵ひとつ残さず天に還してあげるわ。もう一度生まれ変われるといいわね」
《神罰の杖》。
黄金の破壊光によってアンネローゼの人生は幕を閉じた、はず、だが……
3度目の人生が、訪れた。
それが今だ。
平民の娘、アンナリーア として生を享けた。
ここが『深き眠りのアムネジア』の世界なのか、また別の異世界なのかは分からない。
いずれにせよ、やることは決まっている。
愛されたい、愛されたい、愛されたい。
あたしは飢えている。乾いている。
足りない、足りない、足りない。
もっとあたしを見て。もっとあたしを褒めて。
アンタたち塵屑の存在意義なんて、それくらいしかないんだから、ちゃんと勤めを果たしなさいよ。
アンナリーアはすべてを見下しながら、赤子としての日々を送っていた。
「アンナちゃーん、今日はちょっとお出かけしましょうねー」
母親の腕に抱かれて、家を出る。
なんでも領主の娘が街を視察しているらしい。頭を撫でてもらうと健康に育つとかなんとか。
……馬鹿じゃないの? なにその迷信。たかが領主の娘ごときにそんな神通力があるわけないでしょ。
まあいいわ。あたしの笑顔でソイツも虜にしてあげる。なんなら養子にしてくれたっていいわよ。
ひたすらに傲岸不遜な考えばかりを巡らせるアンナリーア。
しかし、
「――やっと見つけたわ」
領主の娘と対面するやいなや、アンナリーアの表情は凍り付いた。
「こんなところにいたのね、アンネローゼ」
領主の娘……フィオリアは静かに笑みを浮かべる。
アンネローゼ、いや、アンナリーアの頭を掴むようにして撫でる。
「ば、ぅぅぅ……」
アンナリーアは怯えていた。
もしもフィオリアがほんの少しでも力を込めたなら、この頭は爆散するだろう。
「貴女がきちんとした淑女に育つことを祈っているわ。
……いつも見守ってるから、忘れないでね?」




