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第18話 復讐譚の始まり

アメとムチな話




 ――ティアラ、まずは手始めに、貴女を陥れた小物から片付けていきましょうか。




 * *




 レガリア帝国ラダーアウト侯爵家の娘、エルザは、実家へと戻る馬車の中でひとりほくそ笑んでいた。

 

(わたくし、策略家の才能があるのかもしれませんわ)


 エルザはアンネローゼを嫌っていた。

 平民育ちのくせに貴族の仲間入りなんておこがましい。

 大した容姿でもないくせに、男にチヤホヤされているのも気に食わない。

 

 だから自分の取り巻きたちに命じ、色々な嫌がらせを実行させた。

 学院の制服をズタズタに破かせたり、教科書を泥の中に投げ込ませたり。


 ……やがて悪事が露見しかけたところで、すべての罪を別の令嬢へと押し付けた。


 スケープゴートの名は、ティアラ・シルベリア。

 シルベリア公爵家の令嬢。

 エルザが2番目に嫌いな相手だ。


(あの優等生、いまごろどんな目に遭っているかしら?)


 いつもおしとやかで、いかにも深窓の令嬢といった雰囲気のティアラ。

 気にくわなかった。

 いい子ちゃんのフリをしながら、きっと周囲を見下しているに違いない。

 だから地べたに引きずり降ろしてやった。ざまあみろ。


(山賊にでも乱暴されていればいいのに。ふふ、魔物のエサというのも愉快ですわね)


 エルザは想像の中で、ティアラが辱められ殺される光景を何十、何百回と思い描いた。

 

 ……実際のところティアラは誰かを見下すような人間ではなく、むしろ、エルザこそが家柄にコンプレックスを抱いている。プライドが高すぎるのだ。王族や公爵家の人間に頭を下げるのが我慢ならず、使用人や子爵家・男爵家の令嬢に当たり散らす。


 エルザの内面は、典型的な「高慢な貴族娘」そのものだった。

 やがて馬車は、ラダーアウト侯爵領に入った。ほどなくして屋敷に辿り着く。


 馬車の外は、少し、蒸し暑い。

 季節は夏に差し掛かりつつある。

 山の端に沈む夕日がまぶしい。

 もうすぐ夜になる……にも関わらず、屋敷には明かりひとつ灯っていない。


「どういうことですの?」


 首を傾げるエルザ。

 屋敷の中はがらんとしていて、古参の使用人がチラホラと歩いているだけ。

 事情を訪ねても「旦那様から伺ってください」の一点張り。

 まるで破産寸前の貧乏男爵家のような、悲壮な空気が屋敷中に漂っている。


 エルザとしては耐えられるものではない。

 険しい表情になりながら、ずんずんと廊下を進む。


「お父様、いったい何がありまして!?」


 パアンと書斎のドアを開け放つ。

 淑女としての礼儀より、苛立ちのほうが勝っていたのだ。


「どういうことなのか説明を…………えっ?」


 頭の中が、真っ白になった。

 書斎で待ち受けていたのは、エルザにとって理解しがたい光景だった。


「お、おかえり、エルザ……」


「おかえりなさい、エルザさん。ご無沙汰していますね?」


 赤い絨毯の上で、父親が四つん這いになっている。

 両腕と両膝で身体を支えている。


 額には脂汗。

 明らかに辛そうだが、媚びたような笑みを浮かべていた。


 エルザの父親は、椅子だった。

 

 短く切りそろえた銀髪の少女が、その背に悠々と座っている。


 よく知っている相手だ。

 いまごろ山賊の慰み者か、魔物のエサになっているはずの女。


「ティアラ、あなた、何をしていますの……?」


「貴女を待っていたんです、エルザさん」


 目を細めて微笑むティアラ。


 エルザは戸惑う。

 ティアラの纏う雰囲気が、かつてとは一変していたからだ。


 虫を殺したこともなさそうな、気弱で大人しそうな顔つきはどこへやら。

 口元は嗜虐を色を浮かべ、妖艶な笑みを浮かべている。

 同じ女だというのに、ぞくりとするほどの色気を湛えていた。


 窓から差し込む夕日に、短く切りそろえられた銀髪が煌めいていた。


「エルザさん、この家の財政状況はご存知ですか?」


「……は?」


「その様子だと何も知らないみたいですね。赤字続きですよ。貴女にも責任の一端があります」


 エルザには浪費癖があった。

 イケメンの商人におだてられて無駄な買い物をしてしまったり。

 舞踏会で見栄を張るために、毎回、新作のドレスを注文したり。

 宝飾品を買いあさって、取り巻きたちにバラ撒くこともあった。


 そしてエルザの母親も似たようなものであり……ラダーアウト侯爵家の財政は目減りするばかり。

 

 トドメとなったのは、レガリア帝国の拡大政策である。

 周辺諸国に攻め込んでの連戦連勝。

 なかなかに華々しい戦果だが、褒美を得るのは功績ある貴族家のみ。

 

 ラダーアウト侯爵家はどうにも戦下手で、手柄をあげたことは一度もない。

 戦争のたびに赤字が増え、現状、銀行からの融資によって侯爵家としての対面を保っている状態だった。


「そんな……」


 愕然とするエルザ。

 彼女はこれまで自分の家の財政状況に興味など持たなかった。

 金などというものは無限に湧き出してくるものだし、足りなければ領民から搾り取ればいい。

 その程度の認識だったのだ。


「で、でも! それがどうして、貴女がここにいるのと関係ありますの!? 国外追放されたはずでしょう!」


「ええ、そうですね」


 頷くティアラ。


「わたしはシルベリア家を勘当され、黒き森に捨てられました。……けど、とても親切な方が拾ってくださって、その家の養女にしていただいたんです。ところで、この国で一番大きな銀行の名前はご存知ですか?」


「馬鹿にしていますの? それくらいは赤ん坊でも知っていますわ! ええと……」


 大言壮語してみたものの、ハタと口が止まってしまう。

 内心の動揺のせいか、記憶の引き出しが開いてくれないのだ。


「フランツ銀行です。さすがに赤ん坊とは言いませんけど、名前だけなら子供でも知っていますよ」


「ちょ、ちょっとド忘れしていただけですわ! というか、今の貴女は平民でしょう! お父様は侯爵ですのよ! さっさとおどきなさい!」


「……この家に融資をしているのも、フランツ銀行です」


 ヒステリックに叫ぶエルザを無視して、ティアラは言葉を続ける。


「実はこのたびフランツ銀行の頭取になりまして、ラダーアウト侯爵家への融資を停止しようかと考えています。……とはいえ急な話ですし、1時間のあいだ侯爵様がわたしの椅子になってくれたら考え直すという条件でした」


 言って、腰を浮かせようとするティアラ。


「けれどエルザさんも怒ってますし、立ち上がるとしましょうか」


「ま、待ってくれ!」


 必死の形相で叫んだのは、ラダーアウト侯爵である。


「そんなことをされたら我が家はおしまいだ! 馬鹿娘の言うことなど聞かんでいい、ワシを椅子として使ってくれ!」

 

「……と、侯爵様は言ってますけど、どうします? エルザさん?」


「い、意味が分かりませんわ!」

 

 悲鳴のような声で叫ぶエルザ。


「どうして国外追放にされた罪人の分際で、銀行のトップになんか……! お父様、これは詐欺です! ティアラは嘘をついているに違いありませんわ!」


「……ここに書類もありますけれど」


 ティアラが広げたのは、一枚の紙片。

 そこに書いてあった文面を、エルザは驚愕とともに読み上げていた。


「『ティアラ・()()()()()()()()を、フランツ銀行の頭取に命じる』? フローレンス、って、まさか……?」


「さすがにティアラさんもご存知ですよね。わたし、フローレンス公爵家の養女になったんです」


 これまで厳重に秘匿されてきたが、フランツ銀行は、グランフォード商会……20年前にフィオリアが設立した商会の傘下にある。

 彼女がひと声かければ、フランツ銀行のトップなどすぐに変わってしまうし、それが(養女であろうと)フローレンス公爵家の人間であれば断れるはずもない。


「で、でも、どうして急に取り立てなんか……」


「そこは銀行運営上の機密です。他にもいくつかの貴族家にお伺いする予定ですけど、まずはラダーアウト侯爵家にお邪魔させてもらいました。まあ、完全にわたしの私情ですけど。……心当たりがないとは言わせませんよ。アンネローゼさんに嫌がらせをしてたのって、エルザさんの取り巻きですよね」


「…………っ!」


 出し抜けに真実を指摘され、エルザは言葉に詰まる。

 驚きのあまり呼吸まで止まりかけた。


「エルザさんが裏で糸を引いていたのも把握しています。とあるお茶会で『ティアラを陥れたのは自分』『逆らった人間はみんな国外追放にしてみせる』『わたくしほど頭の切れる令嬢はいない』だなんて自慢ていたそうじゃないですか」


「どうして、それを……!」


「実家への融資と引き換えに、エルザさんの取り巻きが教えてくれたんですよ。……とっても素敵な友情ですね?」


「ぅぅっ……ぁぁぁぁぁぁっ…………!」


 ぽろぽろと涙を零し、その場に崩れ落ちるエルザ。

 だが、ティアラは表情ひとつ変えず、むしろ視線を冷たくしていく。


「泣かないでください、エルザさん。わたしだって鬼じゃありません、ちゃーんとこの家を建て直す方法も考えてます。……さ、入ってきてください」


 パン、パン。

 手を打ち鳴らすティアラ。

 すると隣の部屋に繋がっているドアから、まるでオークのようにでっぷりと太った中年男が現れた。

 顔はいかにもな悪人顔で、むっつりと黙っている。


「悪徳商人のアルフレッドさんです。若いころに奥さんを失くしてるんですけど、このごろ、再婚を考えているみたいで……エルザさんが結婚に同意するなら、いくらでも融資してくださるそうです。オススメですよ? もちろん無理にとはいいません。ま、そのときは破産するだけでしょうけど」


「…………」


 およそ感情というものが感じられない瞳で、アルフレッドはエルザを見詰めた。


「ひっ……!」


 魂まで底冷えするような感覚に捕らわれ、エルザは身を竦ませる。


「た、頼む! エルザ! このままでは我が家はお終いなんだ!」


 ティアラの椅子を務めながら、ラダーアウト侯爵は叫ぶ。


「アルフレッド氏に嫁ぐんだ! これまでどおり贅沢だってできる! だから、な? な?」


「そ、んな……お父様……」


 絶望の表情を浮かべるエルザ。

 彼女はひたすらに泣き続けるだけだった。

 結婚を受け入れるわけでも、拒絶するわけでもなく、ただ涙を流すだけ。


「仕方ないですね。じゃ、結婚はしなくていいです」


 ヒョイ、と立ち上がるティアラ。


「実はこれ、ニセモノなんです」

 

 ポン、と。

 アルフレッドの身体が煙に包まれる。

 そのあとには影も形も残っていなかった。

 ティアラが魔法で作り出した幻覚であった。


「嘘でも結婚すると言っていれば、その覚悟に免じて猶予を与えるつもりでした。まあ、もう手遅れですけど」


 無情な死刑宣告。

 ティアラは淡々と言葉の刃を突き付ける。


「ちなみに侯爵様が椅子になっていたのは55分。わたしはもう立ち上がっちゃいましたし、アウトですね。いちおう銀行は他にもあるから頑張ってください」


 とはいえ最大手のフランツ銀行が手を引いた時点で、もはやラダーアウト侯爵家は「沈む船」も同然。

 他の銀行が融資することもないだろうし、あとは破産まで一直線。

 皇帝に助けを求めるのは……最悪の選択肢だ。

 レガリア帝国は実力主義の傾向が強い。

 もしも皇帝に縋りつけば、貴族の資格なしとしてラダーアウト侯爵家は取り潰しとなるだろう。

 まあ、現状でも破産からの取り潰しは確実なのだが。


「待て! 待ってくれ! そんなことをされたら、我が家は……!」


 悲痛な声で叫ぶラダーアウト侯爵。


「どうか、どうか見捨てないでくれ! ほらエルザ、お前も頭を下げろ! 役立たずの金食い虫めが!」


「ご、ごめんなさいティアラ! いえ、ティアラ様! だからどうかご慈悲を……!」


 床に頭を擦り付け、みっともなく這いつくばる2人。

 ティアラはその光景を冷ややかに睥睨して、


「お断りします。そもそも、わたしが国外追放になったのは誰のせいか理解してますか?」


 ギロチンを落とすように、言い捨てた。

 

 




 * *




 


 その夜。

 ラダーアウト侯爵は現実に耐えかね、自ら命を断とうとした。


 手にはナイフ。

 娘のエルザを刺殺し、その後を追うつもりだった。


「うぅ……あぁ…………」


 死者の呻きじみた声を漏らしつつ、廊下を歩く。

 エルザの寝室まで辿り着いた。

 息を殺してドアを開けようとして、


「待ちなさい」


 いつのまにか、隣に誰かが立っていた。

 侯爵の腕を掴んで押しとどめる。


「早まる必要はないわ。……昼間は、私の義妹(いもうと)が迷惑をかけたみたいね」


 窓から月明かりが差し込んでいた。

 黄金色の輝き――。


 ラダーアウト侯爵は息を呑んだ。

 言葉を発することができない。

 

 夜中である。

 見知らぬ者が屋敷にいれば、何よりもまず不審者として捕まえるべきだろう。

 だが彼にはそんな発想など浮かばなかった。

 

 目の前の女性……フィオリアに、見惚れていた。

 知らず、その場に跪いて首を垂れていた。

 何故だか分からないが、そうすべきだと感じたのだ。


「ラダーアウト侯爵。この家を守りたいなら、私に従いなさい。

 少なくとも、貴方()()は、悪い目に遭わせないわ」


  





 そうしてフィオリアは、レガリア帝国の侯爵家をひとつ、その手中に収めたのである。


 





次回はアンネローゼの秘密について

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