第16話 取り潰しの余波
第2章のエピローグです。
カノッサ公爵家の反乱が終わってからというもの、フローレンス公爵家の別邸にはたくさんの来客が詰めかけるようになった。
いずれもフィオリアとの面会を希望しており、来週以降まで予約でびっしりになっている。
「に、20年前のことは見逃してくれ! わたしもまだ若かったんだ!」
来客の多くは、アンネローゼの取り巻きだった男性貴族である。
彼らは怯えていた。
イソルテ王国の滅亡。
カノッサ公爵家の取り潰し。
つい先日には、オズワルドとケネスの絞首刑が広場で執り行われた。
フィオリアが蘇って以来、アンネローゼに味方していた者が次々に処断されているのだ。
次は自分かもしれない……。
元取り巻きの男性貴族たちはそんな恐怖心に支配され、先を争うようにしてフィオリアの元へと向かった。
20年前のことを謝罪し、可能ならば慈悲を乞うためである。
ダリオ・ディ・サフラン。
現在フィオリアと面会しているこの男性貴族も、そんな元取り巻きのひとりである。
「国や家の情報をアンネローゼに話してしまったことは反省している! 本当だ!」
「……私も、いまさら20年前のことを蒸し返すつもりはないわ」
「ほ、本当か! ありがとう! ありがとう! 君は女神のようだよ、フィオリア!」
「けれど貴方、カノッサ公爵と一緒になって、後ろ暗い取引きに手を出していたみたいね」
「な、何のことやら……」
「諦めなさい。もう調べはついてるから。貴方の領地じゃ若い女性の失踪事件が多いみたいだけど、全部、海外に『輸出』したのでしょう? とても許せることじゃないわ。……ここで罪を認めるというのなら、家の存続くらいは考えてあげてもいいけれど」
「わ、わたしは悪くない! 悪くないんだ! コンラートのやつが、アンネローゼに会いたいなら商品を提供しろって言うから……」
「すべてコンラートのせい。そう言いたいのね」
「ああ、そうだ! その通りだ! わたしは巻き込まれただけだ! 取引きに関わってた連中のことは全部話してもいい! だから死刑だけは――」
「見下げ果てた塵屑ね、貴方」
フィオリアは応接室のソファに身を沈めたまま、冷たく言い放つ。
ダリオの表情が、絶望に凍り付いた。
「自分の罪を認めないばかりか、責任を他人に押し付けようとする。我が身可愛さに、代わりの誰かを生贄にする。……貴族とは思えない」
「い、いや、今のはその、口が滑っただけで……」
「己の言葉にすら責任を持てないの? もういいわ。貴方のような下衆には、きらびやかな邸宅よりも、暗い牢獄のほうがお似合いよ」
「ぐっ……」
完全に言い負かされ、狼狽の表情を見せるダリオ。
「お、おまえには人の心と言うものがないのか! わたしは何度も誤っているだろう! しかも、貢ぎ物までしてやったというのに……!」
応接室のテーブル。
その上には、ダリオからのプレゼントが置いてある。
金細工のペンダント。
台座にはエメラルドがあしらわれ、静やかに翡翠の輝きを放っている。
「こ、これがどれだけ高価なものか分かっているのか!? 新大陸からの輸入品なんだぞ!」
「ふうん」
フィオリアはペンダントを手に取った。
エメラルドの部分を指でつまむと、力を籠める。
――ミシリと音を立てて、翡翠の鉱石は砕けた。
「随分と脆弱なエメラルドだこと。……ダリオ、これは偽物よ。錬金術でエメラルドっぽく見せかけたくず石ね。金細工もメッキだし、端したお金にもならないわ」
「そんな……借金をしてまで買ったというのに……」
「貴方にこのペンダントを売った商人はきちんと捕まえてあげる。だから安心して牢屋に行きなさい」
「い、嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ! やめてくれ!」
「……レクス、この男を静かにさせてちょうだい」
「承知しました」
それまでフィオリアの背後で沈黙を保っていた青年が動く。
流麗に、かつ、迅速に。
ダリオの背後に回ると、一撃でその意識を刈り取った。
「この男、いかがなさいますか」
「いつもどおり、モフモフたちに渡しておいて」
フィオリアの来客に対する対応は、おおむね2つに分けられる。
元取り巻きであろうと、現在はまっとうに貴族をやっている者には普通の応対。
しかしながら貴族の風上にも置けぬような罪を犯しているのであれば、ここで気絶させ、証拠とともに王国騎士団へと引き渡す。
ちなみにこの時の護送は、第4騎士団とモフモフ一家の合同である。
第4騎士団の女性陣からはかなりの好評で、この任務の担当をめぐって日々暗闘が繰り広げられているのだとか。
「フェンリル喫茶でも開こうかしら」
冗談交じりにつぶやくフィオリア。
ちなみにこの思い付きは、後に現実のものとなる。
* *
「このたび、宰相に復帰することとなった」
数日後のことである。
夕食の前に、父、グレアム・ディ・フローレンスはそう告げた。
カノッサ公爵家の悪事が明るみになったことで、最近、芋蔓のようにあちこちの貴族が投獄されている。
おかげで若手が活躍できる場が増えたものの、彼らの経験不足だけはどうしようもない。
そこをフォローできる人材として、グレアムに白羽の矢が立てられたのだ。
「……有望な若手だからといって、あまり無理難題を押し付けないようにしてください。お父様はすぐ調子に乗ってしまうのですから」
「それをお前が言うのか、フィオリア。……カノッサ公爵軍との戦いについては、私も聞き及んでいる」
グレゴリ平原。
王国軍とカノッサ公爵軍が衝突し地域は、現在、草の一本も生えない荒野と化している。
大天使という強敵を前にしてテンションの上がったフィオリアが《神罰の杖》を連発した結果、さながら世紀末のような風景に変わってしまったのである。……もっとも、光の魔力が高濃度に残留しているせいか魔物は出現せず、むしろ健康スポットとして人気が出始めているらしいが。
「やはりフローラに似ているな、おまえは」
「また捏造の思い出話ですか」
「今回は事実だ。我が国の北端に、フィレンティア渓谷があるだろう」
「ヴァロア王国との国境ですね」
「あの渓谷を作ったのが、フローラだ」
それはフローラが情熱的なアプローチでグレアムの心を射止めた直後のことである。
かねてからトリスタン王国を狙っていたヴァロア王国は、フィンティア山地(当時)を越えて奇襲を仕掛けてきた。
「フローラは喜び勇んで飛び出していったよ。私に格好いいところを見せたかったのだろうな」
自分への結婚祝いとばかりに大規模破壊魔法を連発し、フィレンティア山地を渓谷に変えてしまった。
この母にしてこの娘。
自然にやさしくない親子である。
「……胸が震えたよ。山を砕くほどの愛情を見せられた以上、こちらも生半可な男ではいられない」
当時のグレアムは、野心らしい野心を持っていなかった。
フローレンス公爵家を継いだあとは、もふもふの動物たちに囲まれながら領地でスローライフを送るつもりだったのだ。
しかし、フローラとの出会いがすべてを変えた。
グレアムはまるで別人のように豹変し、たった数年で宰相職にまで上り詰めた。
「やっぱり、お父様もお母様もあたまおかしいですね」
「その娘がおまえだろうに」
苦笑するグレアム。
宮廷では「氷の宰相」として恐れられている彼だが、最近、娘の前では柔和な表情を見せるようになった。
グレアムはときどき仔フェンリルらと遊んでいるようだが、それがアニマルセラピー的な効果を発揮しているのかもしれない。
「ところでだ、フィオリア」
「何かしら、お父様」
「宰相職へ復帰するにあたって、陛下からひとつの許可を貰っている。1匹だけだが、仔フェンリルを同伴しても構わないとのことだ」
「お父様、どれだけフェンリルが好きなんですか……」
このあとグレアムは、99匹兄弟の49番目、チョコチョコをお供として宮廷に出仕することになる。
チョコチョコは名前の通りすばしっこく、宮廷内の書類運びに大活躍だった。
後に宮廷の使用人たちの間でアイドルのように慕われるのだが、それはまた別の話である。
そして夕食を終えた後。
フィオリアは部屋で紅茶を飲んでいた。
隣にはいつもどおりレクスが控えている。
「今日の味はいかがですか、お嬢様」
「……正直に答えていいかしら」
「ええ、どうぞ」
「ごめんなさい。こんなに渋いオレンジペコは初めてよ。逆に喉が渇いてきたわ」
「貴重な意見、ありがとうございます。次回からは改めましょう」
「そう簡単に直せるものなの?」
「ご期待ください。……そうそう」
レクスはそのポケットから、何やら紙片を取り出した。
「これはまだ表に出ていない情報ですが、近日中にレガリア帝国の皇太子が我が国を訪問するようです」
「あら、遠いところから随分とご苦労様なことね」
レガリア帝国は大陸北部に位置し、近年、急激な勢いでその版図を広げつつある。
一方でトリスタン王国は大陸の南端に位置しており、両者の間には気が遠くなるほどの距離が横たわっていた。
「皇太子には婚約者がいるようですが、どうやら彼女が強く希望したようです。トリスタン王国に行ってみたい、と。……どうやらお嬢様に興味を持っているようです」
「ずいぶん物好きなお姫様ね。どんな子なの?」
「もともとは平民育ちとのことです。ある日、男爵家の落胤であることが明らかになり、その家に引き取られた、と」
「……はい?」
フィオリアは首を傾げる。
ちょっと待って。
それ、どこかで聞いたことがあるのだけど。
具体的には20年前。
「もともと皇太子には許嫁がいたようですが、少し前に婚約破棄しています。その後、すぐに彼女と婚約したようですね。名前は――」
アンネローゼ、だそうです。
幕間を挟んだ後、第3章、アンネローゼ編となります。