第15話 反乱の終焉
カノッサ公爵軍は、もはや戦える状況ではなかった。
泥人形やゴーレムは壊滅。
傭兵や魔導士たちもすっかり戦意を失っており、その大半が降伏を選んだ。
カノッサ家の男たちは捕縛され、フィオリアとヴィンセント王の前に引きずり出された。
「た、た、頼む、助けてくれ! ワタシはただ、少し魔が差しただけなんだ!」
カノッサ公爵――コンラートは手足を縛られてなおジタバタと暴れ回り、必死に命乞いを繰り返していた。
先程までの威勢はどこへやら。
化けの皮を剥いでみれば、結局のところ、誇りも何もないみじめな中年男が転がっているだけだった。
「フィオリア! ワタシは反省している、深く深く反省している! もう二度とこんなことはしない! だからお願いだ、見逃してくれ……! お互い、同級生だろう……?」
「同級生としての慈悲は、前にかけてあげたじゃない。罪を認めればカノッサ家の存続に配慮する、って。それを振り払ったのは、他ならぬ貴方でしょう」
「み、認める! 何もかも認める! それだけじゃない! 20年前のことも、アンネローゼがいまどこで何をしているかもすべて話す! あの女は新大陸で――」
「それ、偽情報よ」
「なっ…………?」
「貴方、アンネローゼに信用されてなかったみたいね。あまりに無能だから切り捨てる予定だったんじゃない? 彼女の行方については我が家でも追っているけれど、新大陸にはいないみたい」
「そん、な……」
ガクリと項垂れるコンラート。
「ワタシはいまとても後悔している。心を入れ替えてトリスタン王国のために働くつもりだ。頼む、どうかもう一度だけチャンスを……!」
「ねえ、コンラート。貴方は勘違いしていないかしら?」
フィオリアは首を傾げた。
理解できない点が、ひとつだけあったのだ。
「貴方が戦っていたのは、トリスタン王国軍でしょう? その最高司令官はだれ? 私はあくまで傘下の将兵に過ぎないわ。……そうでしょう、陛下」
「フローレンス公爵令嬢の言う通りだ」
無機質な声とともに、ヴィンセントが一歩前に出る。
その手は、腰の軍刀に添えられている。
「貴様が慈悲を乞うべきだったのは、彼女ではない。この俺だろう。……いずれにせよ、斬首には変わらんがな」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ! く、くそっ! 呪ってやる! 呪ってやるからな!」
「好きにしろ。……もはや俺は、立ち止まらないと決めた」
軍刀が振るわれた。
そしてコンラート・ディ・カノッサは二度と何も言わなくなった。
長男ブルーノ、次男ハインリヒも同様にこの場で処された。
いずれもヴィンセントが直々に手を下している。
「息子2人は捕虜にしてもよかったんじゃない? 首謀者はあくまでコンラートなのだし」
フィオリアは問いかけた。
とはいえヴィンセントを咎めているわけではなく、純粋な疑問である。
今回の戦いはある種のデモンストレーションだった。
国民に対して改革の始まりをアピールするための生贄――。
それがカノッサ公爵家に与えられた役割である。
ならば「戦利品」として息子2人を王都に連れて帰り、市中引き回しの上で絞首台に吊るす……という選択肢もあったはずだ。
インパクトは絶大だし、民衆は競ってその様子を見に来るだろう。
ヴィンセント王の支持者も増えるはずだ。
なのになぜ、ここで息子たちを処したのか。
ヴィンセントは何も答えないまま、己の陣幕へと戻っていった。
* *
「……奴らは、貴女に手をあげたからだ」
陣幕の中。
簡易ベッドに寝転がって、ヴィンセントはひとり呟く。
カノッサ家の長男ブルーノは、《聖杯》の破片を使って大天使を呼び出した。
直接的ではないが、フィオリアに危害を加えている。
許せるものではない。
次男ハインリヒに至っては問題外だ。
数週間ほど前、騎士団の訓練所で起こった事件――。
訓練用の模擬剣とはいえ、ハインリヒは彼女に斬りかかっている。
さらには「囲ってやろうか」などと発言したらしい。
なおさらに許しがたい。
もしも蘇生魔法が使えるのなら、少なくとも100回は殺している。
「俺も大概、どうかしているな」
この狂おしい感情は、もはや、未練や執着という言葉すらなまぬるい。
彼女のことは諦めたというのに。
諦めたからこそ、いっそ怪物的なほどに恋い焦がれているのだろうか。
「オズワルド兄さん。俺は、死ぬまで貴方を恨み続けるよ」
あの男がアンネローゼに誑かされなければ、別の未来もありえた。
もしもの可能性を想像しながら、ヴィンセントは眠りに落ちていった……。
* *
フィオリアにはひとつ、疑問があった。
「カノッサ公爵家の動きが早すぎるのよ」
コンラートたちの脱獄から挙兵まで、ひと月ほどもかかっていない。
一万の兵を動かすのに、準備期間としては短すぎる。
「事前に、誰かが裏で動いていたのかしら……?」
その答えは、ほどなくして明らかになった。
「すべて、わたくしがやりました」
名乗り出たのは、カノッサ公爵夫人。
ハンナ・ディ・カノッサ。旧姓シラクサ。
ゆるくウェーブのかかったキャラメル色の髪に、おっとりとした笑顔を浮かべている。
今年で36歳になるこの貴婦人は、フィオリアにとってひとつ下の後輩だった。
実は『深き眠りのアムネジア』の登場人物でも、主人公アンネローゼのクラスメートだ。
いわゆる親友ポジション。
アンネローゼが落ち込んでいると励ましてくれ、場合によっては攻略対象との仲を取り持ってくれる。
心優しく気配りのできる少女だった。
こちらの世界でも、ハンナとアンネローゼは友人だった。
……ただし、アンネローゼが逆ハーレムを形成し始めたあたりから疎遠になっていったようだが。
「お久しぶりですわ、フィオリア様。お元気にしておられて?」
「とてもピンピンしているわ。……ねえハンナさん。貴方の髪って、銀色じゃなかったかしら?」
「ふふ、やっぱり気付きますわよね。主人から――コンラートから染めるように言われましたの。アンネローゼと同じ色にしろ、と」
どこか現実感のない、ふわふわとした調子で答えるハンナ。
「髪型も揃えてありますわ。そっくりでしょう? ……それがどういう意味か、お分かりになりますか」
「コンラートは、アンネローゼに未練たっぷり、ってことね」
フィオリアの答えに、ハンナは茫洋とした眼差しのまま頷いた。
「主人の心はずっとアンネローゼに囚われていましたの。……褥でも、私ではなく彼女の名を呼んでばかりでしたから」
「……ひどい話だわ」
痛ましげに目を伏せるフィオリア。
もしも蘇生魔法が使えるのなら、コンラートをあと100回は殺しているだろう。
あの男は、ハンナという女性の人格も尊厳も、何もかもを踏み躙るようなことをしていたのだから。
「離婚を考えたりは、しなかったの」
「考えるだけなら、いくらでも。けれど、わたくしの実家……シラクサ伯爵家は、祖父の代で事業に失敗しております。財政は逼迫し、家財道具を売るところまで追いつめられていました。もはやカノッサ公爵家との婚姻を受け入れる他なかったのです」
力なく、自嘲めいた表情を浮かべるハンナ。
「少し、泣き言を申してもよろしいですか?」
フィオリアは頷いた。
それが少しでも彼女の救いに繋がるなら、自分はいくらでも耳を傾けよう。
わたくし、幼いころからコンラート様をお慕いしていました。
あの静謐な瞳に見つめられると胸がぎゅっと高鳴って……ええ、思い出すだけで甘い気持ちになります。
ですから政略結婚といえど、わたくしとしては喜んでいましたの。コンラート様の妻になれる、と。
けれど20年前、すべてが滅茶苦茶になってしまいました。
アンネローゼ・ディ・イソルテ。
コンラート様は彼女に誑かされて、すっかり別人のようになってしまいました。
領民たちからは重税を絞り上げ、使用人たちには何の容赦もなく暴力を振るう……物語に出てくる悪徳貴族そのままの姿ですわ。
そのくせコンラート様は自分自身をいつも哀れんでいました。
ああ愛するアンネローゼ、どうして僕たちは引き裂かれてしまったんだろう。こんなに可愛そうな男は他にいない。たくさんの罪を犯しているけど、それはすべて君に会えないせいなんだ、って。
毎晩毎晩、わたくしをアンネローゼに見立てて話しかけてくるんです。気味が悪い。
もう、わたくしが愛したコンラート様はどこにもいません。
後に残ったのは、コンラート様の形をした別人。
アンネローゼのお下がり男。
結婚生活には不満しかありませんでした。
自殺だって、何度となく考えました。
そんな時ですわ、わたくし、窓から素敵なものを見てしまいましたの。
黄金の輝き。
フィオリア様の魔法――《神罰の杖》ですわ。
おそらくはイソルテ王国に落としたものでしょうね。
わたくし、勝手ながらとても勇気づけられましたの。
だってフィオリア様は、ある意味、アンネローゼに打ち勝ったのですから。
死の運命を覆し、そればかりか彼女の実家を滅ぼし、元婚約者のオズワルド様にも報いを与えた。
さすがにフィオリア様には及びませんが、わたくしも何かしようと思いました。
ええ。
だからこそ、主人を脱獄させ、反乱を唆したのです。
ご存じないでしょうけれど、わたくし、ふたつほど特技がありますの。
若作りの化粧と、ものまねですわ。
アンネローゼそっくりに着飾って、アンネローゼそっくりの声でコンラート様に囁きかけました。
できる、できる、貴方ならきっと王様になれる。
カノッサ家の秘宝、ここで使わなければいつ使うんですか。
さあ頑張ってコンラート、ヴィンセント王にもフィオリア様にもきっと勝てるから。
そうしたら、ふふ、コンラート様は見事に踊ってくれました。
これでカノッサ公爵家は断絶、その悪名は未来永劫残り続けるはず。
汚職程度では歴史書に載りませんが、反乱を起こしたとなれば、話は別ですもの。
きっと夫たちは、あの世で屈辱を覚えているでしょうね。
わたくしの手に踊らされて、カノッサの名を地に落としてしまったのですから。
ふふ。
いい気分ですわ。
こんなにも晴れ晴れとした気持ちになったのは、何年ぶりでしょう?
ね、フィオリア様。
アンネローゼに人生を狂わされた女は、わたくしだけではありません。
弱者の泣き言というのは重々承知しています。
けれど、どうか、どうか。
今も地上のどこかでのうのうと生きているアンネローゼに、裁きと報いを下してください。
それがわたくしの、命を賭した願いですわ。
すべてを語り終えると、まるで糸が切れたようにハンナは倒れた。
彼女はあらかじめ毒を呑んでいた。
かつてフィオリアを昏睡状態に追いやった薬である。
奇跡の復活は、フィオリア・ディ・フローレンスだったからできたこと。
一般人でしかないハンナに待ち受けているのは、ただひたすら、死の運命のみ。
「……認めないわ」
フィオリアは、崩れ落ちるハンナを抱きとめた。
「……こんな終わり方、私は認めない」
ハンナという女性の誇りは、いまだ失われたままだ。
踏みにじられた彼女の時間は返ってこない。
人生の天秤はマイナスに傾いている。
何かを求めるなら対価を差し出さねばならないが、何かを奪われたのならば同等のものを掴み取るべきだ。
それは、フィオリアという人間を規定するひとつのルール。
だから……
「貴女のことは絶対に助けてみせるわ。ハンナ」
意識を集中させる。
前世の記憶を取り戻して以来、魔法の幅はどんどん広がっている。
しかし解毒や回復はいまだに不得手で――
「馬鹿馬鹿しい。それがどうしたの、知ったことじゃないわ」
奇跡のひとつやふたつ、起こしたって構わないでしょう?
だって私はフィオリア・ディ・フローレンスなんだから。
それはまったく理屈になっていない。
ただの自尊。
ただの自負。
……しかし、それを実現させてしまうのが、彼女という存在である。
「うまくいった、みたい、ね」
フィオリアの腕の中。
ハンナは穏やかな寝息を立てている。
ひとまずの解毒には成功したようだ。
「いつ目覚めるかは分からないけど、うん、たぶん大丈夫よ」
だって私が助けたんだもの……と呟きながら、フィオリアの意識は遠のいてゆく。
先程の戦いで《神罰の杖》を連発し、ここでさらに奇跡を起こした。
さすがのフィオリアと言えど魔法力の消耗は甚大であり、大きな満足感とともに、深い眠りへと落ちていった――。
これにて(ほぼ)第2章は終わり。