第14話 フィオリアの本気
その日――
フィオリアはヴィンセント国王からの呼び出しを受け、王宮へと向かった。
指定された場所は、離宮の庭園。
人払いはなされていた。
前回、ヴィンセントと謁見したのは春先のことだった。
あれから少しだけ日々が過ぎ、季節は梅雨に差し掛かっている。
吹き抜ける風は爽やかだが、ほのかに雨の気配を孕んでいた。
「カノッサ公爵家の討伐は、俺が直々に行う」
ヴィンセントは平坦な声で告げる。
青色の瞳はまるで宝石のような光を湛えており……しかし、宝石のように冷たい。
凛々しく整った顔立ちに、シャープな顎のライン。
引き締まった長身。
容姿そのものは以前とさほど変わらない。
しかし、感情を殺し尽くしたかのような鋭い眼光が、ヴィンセントの印象を一変させていた。
初恋を諦め、王としての道を歩み始めた青年の姿――。
身に纏う威圧感はもはや凄絶とも言える域に達しており、かつて彼を侮っていた貴族すら平伏せずにいられないほだった。
例外といえば、せいぜい、1人だけであろう。
フィオリア・ディ・フローレンス。
神をも恐れぬ、否、己こそが神だと言い出しかねない気配を漂わせた、唯我独尊の公爵令嬢である。
「カノッサ公爵たちを逃がしたのは貴方かしら、陛下」
歯に衣着せぬ、いきなりの物言い。
本来なら不敬を咎められてもおかしくないが、しかし、ヴィンセントは愉快そうに口の端を釣り上げた。
「よく分かっているな、フローレンス公爵令嬢。さすがの慧眼だ」
ヴィンセントは、もう二度と彼女のことをフィオリアと呼ばない。
それが彼なりの失恋に対するけじめだった。
「のろのろと裁判をやる手間も惜しい。とくにカノッサ公爵……コンラートは最悪の寄生虫だ。かつてはアンネローゼに誑かされて国を売り、いまは金欲しさに国を売っている。早急に駆除せねばならん。裁判の手間すら惜しい」
「だから敢えて反乱を起こさせた。……国王が兵を率いて討伐に向かえば、多少なりとも人々の支持は得られる。悪くない方法ね。それにしても可哀そうなのはカノッサ公爵よ。せっかく脱獄できたのに、噛ませ犬として使い捨てられるだなんて」
「貴女は、俺を軽蔑するか?」
「いいえ、陛下はこの国を変えるつもりなのでしょう? 胸に抱いた決意のために死力を尽くす。素晴らしいことじゃない」
フィオリアは微笑む。
優しく、柔らかく。
ヴィンセントは不覚にも数秒ほど見惚れてしまい……すぐ、我に返る。
胸の古傷が疼く。
それを抑え込んで、言葉を発した。
「フローレンス公爵家にも参戦を命じる。いいな」
「承知したわ、陛下。フローレンス公爵家からは総勢1名、必ず馳せ参じましょう」
総勢1名。
もしも他の貴族がそう答えたなら、不忠・不敬を疑われるところだろう。
しかしフィオリアであれば話は別だ。
彼女ひとりに比べれば、生半可な兵士の群れなど誤差になってしまうのだから。
* *
数日後、ヴィンセント王はカノッサ公爵の討伐を宣言。
王国軍一〇〇〇〇を率いて出陣した。
他方、カノッサ公爵は八〇〇〇もの私兵とともに王都へ迫りつつあった。
「それだけの数、よく集めたものね。賞賛に値するわ」
フィオリアとしても、その一点だけは評価していた。
カノッサ公爵が反乱を起こしたのは、重税に苦しんでいるからでも、国政を正すためでもない。
このままでは死刑になる。
それが嫌だから、破れかぶれで立ち向かってきただけのこと。
ここまで大義に乏しい戦いは、トリスタン王国の歴史でも初めてである。
まさに私戦。
カノッサ公爵家の、カノッサ公爵家による、カノッサ公爵家のための戦い。
そんなものに誰が手を貸すというのだろう?
「あの家、お金だけは有り余ってるからねえ」
隣で、第4騎士団団長のカティヤが肩を竦める。
すでに王国軍は布陣を完了していた。
カノッサ公爵領との境にある、グレゴリ砦。
ここを拠点として、カノッサ公爵軍……反乱軍を迎撃する構えだった。
「あっちこっちから命知らずの傭兵を掻き集めたみたいだよ。それにほら、カノッサ公爵領って土属性の魔法使いが多いしね。たぶん、泥人形やらゴーレムやらで水増ししてるんじゃないかね」
「だったら好都合ね」
ふふ、と小さく笑うフィオリア。
彼女はいま、モフモフの背に腰掛けていた。
その身体はしなやかで、まるで極上のソファのよう。
さらさらの体毛がくすぐったくも気持ちいい。
「モフモフ、子供たちの参戦を許可するわ。第4騎士団と協力して事にあたりなさい」
「承知した。我がロムルス家の実力をお目にかけよう」
モフモフ・ロムルス。
それがモフモフのフルネームである。
ロムルスというのは、魔族の古語で“最も勇ましき狼の王”という意味合いなのだとか。
レムリスと番になった際、他のフェンリルたちからロムルスの姓を贈られたという。
モフモフが遠吠えを放つ。
ほどなくして別の遠吠えが返ってきた。
彼の家族が集まってくる。
妻のレムリスと、99匹の仔フェンリル――。
ところで第4騎士団は女性ばかりである。
男たちに舐められぬよう肩肘を張っているものの、実は可愛いものが大好き。
日々の激務で心はすさみ、いつも癒しを求めている。
そんな彼女らにとって、ふわふわもこもこの仔フェンリルたちはクリティカルヒットだった。
撫でたり抱きしめたりすりすりしたり、中には自分の食事を分け与える者さえいた。
「……やけに馴染んでるわね」
さすがにフィオリアもこの現状には驚いた。
幼いといえどフェンリル、街一つくらいは余裕で滅ぼせる存在なのだ。
女騎士たちはもっと及び腰の態度になると予想していたのだが……むしろ逆だった。
グイグイ行ってる。
行軍の疲れなど忘れたかのようにはしゃぐ女騎士たち。
仔フェンリルたちも、遊んでもらえて楽しそうだ。
「パウ! パウ!」
ちなみに99匹兄弟の末っ子、ポフポフはフィオリアの足元にじゃれついている。
しゃがみこんで頭を撫でてあげると、嬉しそうに擦り寄ってきた。どうやらすっかり懐かれてしまったらしい。
やがて、カノッサ公爵軍が姿を現した。
八〇〇〇という数もさることながら、その陣容もなかなかのものだ。
歴戦の古強者と思われる傭兵。
怪しげな魔術師と、その背後に付き従う骸骨の兵士。
成人男性の二倍はあろうかという泥人形の一団。
さらには、砦よりも大きなストーンゴーレムまでもが何百体と揃っている。
「へえ」
フィオリアの声は、ほんの少しだが、弾んでいた。
「追いつめられての自暴自棄かと思ったけど、やるじゃない」
カノッサ公爵。
いいえ、コンラート・ディ・カノッサ。
「貴方、この戦いに勝つつもりなのね」
ヴィンセントを打ち破って国王になってやる。
ギラついた野心と気概が、全軍から漂っていた。
素晴らしいわコンラート。
どうやら私と戦うことも覚悟して、この場にやってきたようね。
その気概、心から祝福してあげましょう。
「フィオリア……この前のように勝てるとは思わんことだな!」
カノッサ公爵は、最前線に立っていた。
牢獄の中はどれだけ厳しい生活だったのだろうか、贅肉という贅肉は削げ落ち、精悍な顔立ちの男性へと変貌を遂げていた。
「へへっ、女ごときが調子に乗るなよ。どうあがいたって男に勝てねえことを教えてやるぜ」
コンラートの隣では、次男ハインリヒが下卑た視線をフィオリアに投げかけている。
「……それでは見せつけるとしましょうか。カノッサ家の秘宝、《聖杯》の力というものを」
長男ブルーノは、両腕に大きなものを抱えていた。
それは四角形で、赤い布によって十重二十重に封印されている。
瞬間――
ゆるやかに吹いていた風が、止まった。
ブルーノは、布ごと四角い物体を掲げて、叫ぶ。
「《聖杯》の欠片よ、我が願いを叶えたまえ。――《大天使の召喚》」
《聖杯》。
神話に曰く、それは神が地上に齎した奇跡のひとつである。
その持ち主は大天使を従え、思いのままに操れるという。
とはいえ神話はあくまで神話。
《聖杯》の存在は疑われ、実在はしないと考えられていた。
では、ブルーノが持っていたのは何か?
秘宝とは名ばかりのガラクタなのだろうか?
真偽のほどは分からないが、恐るべき事態が起こった。
大地が鳴動した。
虚空に灰色の魔法陣が浮かび、眩いばかりの光が広がった。
そして。
「――――――――――――――――――――――――――――――――!」
人間の可聴域をはるかに外れた、超音波めいた咆哮。
たったそれだけのことで、王国軍、カノッサ公爵軍、どちらも相当数の兵士が意識を失った。
大天使。
そのサイズは、成人男性とさほど変わらない。
しかし、身体中が燃えるような光に包まれており、その輪郭ははっきりしない。
背中からは、巨大な翼が伸びている。
左右6対。
全部で12枚。
天を覆うほどの大きさだった。
「クククククククククッ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
カノッサ公爵は、背を反り返らせて哄笑をあげた。
すでに勝利を確信したかのような表情である。
「フィオリア! いくら貴様といえど、大天使には勝てるまい! だがまあ、見た目だけはいいからなぁ。もし降伏するというのなら、同級生の誼だ、妾くらいにはしてやるぞ?」
「お断りよ。私が欲しいなら、きっちり捻じ伏せてからにしてちょうだい」
短くそう言い捨てて、風魔法を発動させた。
大天使と同じ高さまで飛翔すると、右手を高く掲げる。
「敵が何者であろうと、私のやることは変わらないわ。――《神罰の杖》!」
天が割れ、黄金の破壊光が落ちる。
神威の鉄槌が、地上に降りた大天使に直撃する。
この一撃で葬り去れない敵はいなかった。
ジャイアントスライムであろうと、ワイバーンであろうと、あるいは、千年ぶりに目覚めた古龍であろうと。
「――――――――――――――――――――――――――…………?」
しかし、大天使は健在だった。
天使とは光の象徴。
ゆえに光魔法は効果が薄いのだろうか。
「耐えた! 耐えたぞ! 見ろ、皆のもの! あのフィオリアの魔法に、大天使が打ち勝ったぞ!」
歓喜を顔に浮かべ、声を張り上げるカノッサ公爵。
それに呼応するように、彼の兵士たちが気勢をあげた。
一方、王国軍には動揺が走っていた。
彼らは心のどこかで油断していた。
フィオリアがいれば負けるはずはない、と。
だがその前提は、いま、覆されつつあった。
「フィオリアお姉様……」
女騎士のリズは、不安げな表情で空を見上げた。
「パウ! ワウ!」
そんな彼女の足元で、仔フェンリルのポフポフが力強い鳴き声をあげる。
まるで「フィオリアを信じろ」と呼びかけるように。
「うん、そうだよね。あの人は負けない。……もし負けたとしても、私たちが頑張ればいいんだから」
深呼吸。
それから改めて、剣を握り直した。
「…………――――――――――――――――――……―――――――」
大天使が、反撃に移る。
果たしてどのような攻撃なのか。
天が割れた。
光が満ちる。
雪崩のように落ちてくるのは、黄金色の奔流。
フィオリアはその中に飲み込まれた。
意識を失っていない者は、敵味方問わず、眼前のできごとに釘付けとなった。
大天使が使ったのは、ある意味、とても有名な魔法。
フィオリアの代名詞ともいえる《神罰の杖》。
光の最上位魔法であり、ありとあらゆるものを消滅させる無慈悲の鉄槌。
いくらフィオリアと言えど無事ではいられないだろう。
誰もがそう考えた。
「――――――いいえ、まだよ」
ありえないことが、起こっていた。
フィオリアは健在だった。
傷ひとつなく、悠々と空に浮かんでいる。
「たかだか天使ごときで勝てるとは思わないことね。私を殺したいのなら、神様でも連れてきなさい」
絶対的な自尊と自負のもと、迷いもなく宣言した。
「遊びの時間は終わりよ。ここからは本気。……大天使様、せいぜい華麗に踊ってちょうだい」
ふわり、と。
フィオリアは長い金色の髪をかきあげる。
天空に、孔が穿たれた。
ひとつではない。
ふたつ、みっつ、よっつ――数えきれないほど。
「ば、馬鹿なっ!」
口角の泡を飛ばして、カノッサ公爵が叫ぶ。
恐怖、驚愕、そして狼狽。
三種の感情がないまぜになった表情を浮かべていた。
「《神罰の杖》だと! あれは日に一度しか使えんはずだ!」
「たしかに、以前の使い手たちはそうだったみたいね」
肩を竦めて答えるフィオリア。
「私は違うわ」
「だが、おまえも2回以上《神罰の杖》を使ったことはないはずだ!」
「その通りよ、カノッサ公爵。……だってみんな、1度で十分だったんだもの」
フィオリアは《神罰の杖》を1回しか使えない、わけではない。
ただ単に、2回も使う機会がなかっただけである。
「だから今日は特別サービス。全身全霊で貴方達の奮闘を祝福してあげる」
《神罰の杖》が放たれる。
大天使は12回まで耐えたが、13回目で姿を消した。
次いで矛先はカノッサ公爵軍に向かった。
黄金の光が、大地を抉る。
何度も、何度も。
それはさながら流星群が地上に直撃したかのような光景であり――
世紀を越えて芸術家たちを魅了し続けるモチーフとなった。
このときのフィオリアを描いた作品は、枚挙に暇がない。
破壊と慈悲を司る、黄金の女神。
カノッサ公爵軍との戦いがきっかけとなり、彼女は後の世までそう語られることとなる。
慈悲。
フィオリアのどこに慈悲があるのか。
実のところ、この戦いにおいてフィオリアは誰一人殺していない。
《神罰の杖》はゴーレムや泥人形たちを消滅させるばかり、あとはひたすら恫喝である。
当たるか当たらないか、ギリギリのところを掠めるばかり。
だがそれでもカノッサ公爵軍の戦意を奪うには十分だった。
ここに勝敗は決したのである。
魔王(登場未定)「邪神様、ご指名ですよ」
邪神(登場未定)「ぼくにだって復活する時期をえらぶ権利があると思うの」
次回はお待ちかねの尋問ターンです