第13話 顔に似合わずお父様は
フィオリアはテイマーの資格を手に入れた。
もはや誰はばかることなくモフモフ一家を飼うことができる!
わけではなかった。
「101匹もどうするというのだ。森に帰してきなさい」
グレアム・ディ・フローレンス。
かつて宮廷において『氷の宰相』と呼ばれた男であり、フィオリアの父。
彼は無表情のまま首を横に振った。
「面倒なら私がちゃんと見るわ」
「お前ひとりでモフモフたちの食事を用意できるのか? ……いや待て、そもそもフェンリルは何を食べるのだ」
「肉食ね。この前はワイバーンのステーキをおいしそうに頬張ってたわ」
最近、王都近辺でワイバーンが大量発生したのは記憶に新しい。
しかし蓋を開けてみれば被害はゼロ、フィオリアと三人のお供(ザール、キジィ、ヌーイ)によって見事に退治された。ちなみにワイバーンの死骸はすべてフィオリアが回収し、モフモフたちのエサにしている。
「食費なら心配しないで。私、新しい商売を始めようと思うの。――レクス、あれを持ってきて頂戴」
「承知いたしました。しばしお待ちください」
フィオリアの左斜め後ろに控えていた従者は、ひとまず部屋から姿を消した。
やがて数分すると、ティーカップを手に戻ってくる。
「お父様、まずはこれを飲んでみて? 少し苦いけど、きっとクセになるはずよ」
「ぬうううっ、これは……」
それはコーヒーである。
コーヒー豆は最近になって新大陸で発見された。
その存在を知っている者は少なく、飲み物になることすら気付いていないだろう。
だがフィオリアには前世の記憶があった。
世界規模の人気商品になると予想し、すでに新大陸で農場経営を始めていた。
「不思議だ……苦くてたまらんのに、なぜか飲みたくなってしまう」
「それがコーヒーの魅力よ。グランフォード商会を通じて、まずはトリスタン貴族に売り込むわ。そのあとは国外展開ね」
20年前、フィオリアによって設立された商会。
それがグランフォード商会である。
おもな事業は新大陸や東方との貿易で、当時からすでに莫大な利益を上げていた。
いまやトリスタン王国どころかベルトリア大陸でも一、二を争うの規模の商会となっており、いくつかの国では王家御用達の地位まで手に入れている。
「それだけじゃないわ。モフモフたちからは、シーズンごとに毛を刈る許可を得ているの。フェンリル毛皮の衣服や絨毯なんて、まだどこの国にも存在しないでしょう? うまくやれば、彼らの食費くらいは簡単に稼げるはずよ」
「……さすがだな、フィオリア」
ニヤリ、と口元に笑みを浮かべるグレアム。
本音を言えば、最初からOKを出すつもりだった。
なにせ可愛い娘のお願いだ、父親としては断れるわけがない。
だが、すぐにOKを出してしまえば、そこで会話が終わってしまう。
グレアムは娘にかまってほしくて、ついついNOと答えたのだ。
素直になれない59歳。
不愛想で不器用なツンデレアラシク元宰相。
属性の加重積載である。
「どう、お父様? モフモフたちのこと、許可してもらえるかしら?
「いいだろう。……ただし、ひとつだけ条件がある。」
いつになく険しい表情でグレアムは言う。
「モフモフを、もふらせてほしい」
* *
グレアムには密かな願望があった。
動物をもふりたい。
もふもふなでなでしたい。
その毛皮に顔を埋めながらゴロゴロすれば、きっと至福の時間が訪れるだろう。
だが、生まれてから今日までのあいだ、一度としてそれが達成されたことはない。
「私は動物たちと仲良くなりたいのだがな……向こうが、逃げてしまうのだ」
「お父様、無駄に威圧感がありますから」
「それはおまえも同じはずだ、フィオリア」
だが彼女の場合、なぜかやたらと動物に慕われている。
グレアムにはそれが不思議でならなかった。
「相手がこちらを恐れるなら、徹底的に上下関係を刻み付ければいいのですよ。そのあとに優しくしてやれば、どんな動物でもイチコロです」
要するにアメとムチ。
ただしフィオリアの場合、ムチの時点で動物のほうがショック死しかねないのが難点である。
「では、モフモフを呼ぶとしましょう。あの子の毛はとても気持ちいいので、心を強く持ってください」
「どういうことだ?」
「強烈な催眠性があります。この私をして、お昼寝しそうになりましたから」
パンパン、と手を打ち鳴らすフィオリア。
それは愛犬を呼ぶ合図である。
フィオリアとグレアムは別邸の中庭に立っていたが、数秒もしないうちに2つの影が眼前に降り立った。
「何か用事か、ご主人」
「今日もお美しいですわね、フィオリア様」
双方ともにかなりの威容を誇る魔狼である。
毛が白いほうは、モフモフ。
フィオリアの忠犬であり、20年の時を経て新種の魔物へと進化を遂げた。
最近、王立アカデミーの魔物研究部門からは『フェンリル・アルビノ』という種族名を与えられている。
毛が黒い方は、レムリス。
いわゆるフェンリル種の魔物だ。
モフモフの妻でもある。
「モフモフ、お父様の願いを叶えてくれないかしら」
「いいだろう。御父上はたしか宮廷の元宰相だったな。かつての政敵を八つ裂きにすればいいのか? あるいは、そやつの領地を地図から消すのか? どちらであろうと、すぐに成し遂げてみせよう」
「違うわ。とりあえず、そこでじっとしてなさい。何があっても動かないように。いいわね」
「あ、ああ。わ、かった……?」
首を傾げるモフモフ。
レムリスのほうは事情を察したのか、パチリとフィオリアにウインクを飛ばした。
狼のわりにやたら色っぽい仕草である。
「ではお父様、どうぞ」
「う、うむ」
コホンと咳払いするグレアム。
なぜか服装を確かめ、コートとズボンの裾をピンと伸ばし直す。
その目つきが、にわかに鋭くなった。
グレアムの纏う空気が、重たく、冷たさを増してゆく。
本人としては念願のもふもふタイムを前に昂揚しているだけだが、第三者からすると、魔物に戦いを挑んでいるようにしか見えない。
「……!」
「……!」
グレアムとモフモフの視線がぶつかった。
両者のあいだで緊張が高まっていく。
先に動いたのは、グレアムだった。
おずおずと手を伸ばして、モフモフの背中に触れた。
ふわ、ふわ。
「お、おおお……」
驚愕の表情を浮かべるグレアム。
「う、お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
もふもふ。
「なんという触り心地! なんという温かさ! これが天国というものか……!」
もふもふもふもふ。
「素晴らしい、素晴らしい。ああ、フローラ、私を迎えに来たのだな……!」
「落ち着いてください、父上」
あまりの気持ちよさに昇天しかけたグレアムの頭を、がしっ、と鷲掴みにするフィオリア。
「フローレンス家の名に泥を塗るつもりですか。『死因:もふもふ』などと記録に残れば、後世までの笑いものになるでしょう。それくらいなら、いまここで私が介錯いたしますが」
「す、すまん。……だがこれはいい。とてもいい。ふふ、はははははっ、ふはははははははははははははははっ!」
まるでアニメがゲームの悪役のような高笑いをあげるグレアム。
どうやらかなり興奮しているようだ。
「……ご主人、何がどうなっているんだ」
困ったように眉を寄せるモフモフ。
「御父上はもう少し、こう、クールな人間だと思っていたが」
「許してあげて。一生の願いが叶ったんだから」
フィオリアは、今までにないほど優しく、生暖かい目つきで父親のことを眺めていた。
「ふう、堪能したぞ……」
すっかり満足げな表情でモフモフから離れるグレアム。
「ありがとうモフモフ、私は幸福だよ」
「……御父上に喜んでもらえたなら何よりだ」
「もしよければ、もう一匹のほう――レムリスも触らせてほしいのだが……」
「それは断らせてもらおう」
普段よりもやや低く、唸るような声で答えるモフモフ。
さらにはレムリスを庇うように、グレアムの前に立ちはだかった。
「レムリスに触れていい雄は、世界でただ一匹、この俺だけだ」
「……ふむ」
頷くグレアム。
「これは申し訳ないことを言ってしまった。確かにそうだ。私も、他の男がフローラの髪に触れようとすれば、おまえと同じことをするだろう。許してほしい」
「謝罪を受け入れよう。こちらこそ、無礼な態度を取ってしまった。申し訳ない」
「いやいや、私こそ」
「いや、俺こそ」
なぜかそのまま謝罪合戦に発展するモフモフとグレアム。
と、そこに、
「クゥン! クゥン!」
99匹兄弟の末っ子、見た目はかなり仔犬に近いポフポフが駆け寄ってきた。
ポフポフは、くいくい、とグレアムのズボンを咥えて引っ張る。
まるで「遊んで! 遊んで!」とでも言いたげに。
「なんだと……!」
グレアムは衝撃を受ける。
なぜなら彼の生涯において、自発的に動物が寄ってきたのは初めてのことだったからだ。
「御父上、ポフポフは貴方に懐いているようだ。かまってやってほしい」
穏やかな声で告げるモフモフ。
「わ、わかった……!」
宰相として働いていた時も、ここまで緊張した面持ちになったことはないだろう。
グレアムは慎重な手つきでポフポフを抱え上げた。
「ワン! ワン! クゥーン!」
「ふっ、ははっ! こら、くすぐったいぞ! ははははっ!」
ポフポフに頬を舐められながら、童心に帰ったような表情を浮かべるグレアム。
そのあまりの無邪気さに、フィオリアはクスリと微笑まずにいられなかった。
ただ。
穏やかな時間はいつまでも続かない。
フィオリアのもとへ急報が入る。
騎士団予算の着服で投獄されていたはずの、カノッサ家の男たち。
当主コンラート、長男ブルーノ、次男ハインリヒ。
三人揃って牢を抜け出し、カノッサ公爵領で挙兵したのだ。
「……まさかとは思うけれど、わざと逃がしたのかしら」
相手は公爵家の人間であり、さまざまなコネクションを持っていた。
そのために背後関係の調査は難航し、また、裁判も延び延びになっていた。
すべてを短期間で解決するためには、あと一押しが必要で……もしかするとヴィンセント王が一計を案じたのかもしれない。
「だとすれば、ええ。本当に好みよ、ヴィー。思わず手を貸したくなるくらい」
嬉しそうに口元を綻ばせつつ、フィオリアはカノッサ公爵領に攻め入る算段を立て始めた。