第9話 騎士団のトラブルと、モフモフの帰還
章のはじめはボリューム増大の方針
オズワルドと最後の面会を終えてから数日後。
フィオリアは、王国騎士団の兵舎を訪れていた。
「それにしてもフィア、あんたホントに20年前のまんまなんだねえ。ああもう、羨ましい! こいつめ! こいつめ!」
「ふふ、貴女もあいかわらず元気ね、カティヤ。安心したわ」
案内役を買って出たのは、王国軍第4騎士団の団長、カティヤ・ディ・オルレシア。
フィオリアの元同級生で、今年で37歳になる。
20年ぶりの再会ではあるが、二人のあいだには昔日のように暖かな空気が流れていた。
「まあ、このカティヤさんは元気だけが取り柄ですし? おかげで旦那も捕まえられたわけだしねー」
「ジェイクと結婚したのよね。……カティヤとは正反対のタイプだけど、それが逆によかったのかしら」
カティヤの夫、ジェイク・ディ・オルレシアもフィオリアと同い年である。
いわゆる物静かな秀才タイプで、明朗快活なカティヤとは正反対の性格だった。
ちなみにジェイクは『深き眠りのアムネジア』の攻略対象であり、彼のルートを選んだ場合、カティヤがライバルとして登場する。
もともと2人は幼馴染で、お互いに憎からず想い合っていた。
友達以上恋人未満。
何ともじれったい関係だ。
そこにアンネローゼが登場してジェイクを掻っ攫っていくわけだが、この世界ではそうならなかった。
彼女が編入する以前、フィオリアがカティヤを焚きつけたのだ。
欲しいものがあるなら手に入れなさい、貴女にはそれができるはずだから……と。
結果、カティヤの情熱的(かつ物理的)なアプローチの前にジェイクは陥落。
周囲がドン引きするほどのラブラブっぷりを見せつけながら貴族学校を卒業し、すぐに結婚したという。
ちなみにカティヤが嫁いだ先、オルレシア侯爵家は古くから続く武門の家柄である。
彼女は貴族学校のころから冴えた剣技で知られていたから、オルレシア侯爵家の人々は万歳三唱で迎えたという。姑からは実の娘のように可愛がられ、里帰りするたびに木刀でボコスカ叩き合う仲らしい。おまえら男子中学生か。
「結婚生活はどう? うまく行ってる?」
「もっちろん! 今もラブラブだよ。息子も可愛いし」
「息子?」
結婚したとは聞いていたが、まさか子供まで生んでいたとは。
そのわりに体型は全く崩れていないが、普段から身体を動かしているおかげだろうか。
「今年から貴族学校に入ったんだけど、まー、よくモテてるみたい。ジェイク似だから当たり前なんだけど」
「ああ、なるほど」
当時のジェイクは知的な雰囲気の漂う青年で、大人びた雰囲気を醸し出していた。
彼そっくりというのなら、さぞかし令嬢たちからは人気だろう。
「けどあの子、ちょっと困ったところがあるんだよねえ」
「どうしたの? 私でよければ相談に乗るけれど」
と、フィオリアがいつものようにお人好しさを発揮しかけた矢先のこと。
「団長、大変です!」
一人の若い女性騎士が大慌てで駆け寄ってきた。
どうやらカティヤの部下、第四騎士団の団員のようだ。
「ん? どうしたの、リズリズ」
「リズリズではありません、リズです。実はその、大訓練場の使用予定で第一騎士団とトラブルになりまして……」
「今日は第四騎士団の予定でしょ? 今朝、あたしも確認したんだけど」
「わたしもチェックしました。けれど、もうすぐ御前試合があるから練習に使わせろ、と……」
「だったら第4騎士団総出で叩きのめしちゃいなさいな」
向こうにとってもいい訓練になるでしょ。
恐ろしいことをサラリと言ってのけるカティヤ。
その隣ではフィオリアが、うんうんその通りよナイスアイディア、とばかりに深く頷いていた。似たもの同士の友人である。
「ですがその、向こうにはカノッサ公爵家の次男がいるんです」
「あー」
困ったように頬を掻くカティヤ。
カノッサ公爵家といえば、フローレンス公爵家ほどではないが大貴族のひとつである。逆らうのはなかなか難しいところだ。
「そういや最近、あそこのドラ息子が第一騎士団に入ったんだっけ。面倒くさいねえ。こりゃ、あんたたちには荷が重いかな。……フィア、悪いけどちょっと待っててくれる? 後でまたゆっくり案内するわ」
「いいえ、折角だから見学させてもらおうかしら。……なんだか面白そうな予感もするし」
「……げっ」
カティヤの表情が凍り付いた。
「あんたが『面白そう』なんて言い出すときは、大抵とんでもないことになるのよね……」
「心配しないで。大人しくしてるから」
「頼むよ、ほんとに。死人だけはやめておくれよ」
懇願するカティヤ。
それを見て、女騎士のリズが首を傾げた。
「えっと、団長、こちらの方は……?」
「ああ、紹介しておこうかね。あたしの元同級生の、フローレンス公爵令嬢。あんたらの大好きな“フィオリア姉様”だよ」
「初めまして。フィオリア・ディ・フローレンスよ。……ねえカティヤ、いまの紹介はなに?」
フィオリアお姉様とはどういうことだろう。
頭の中にハテナマークが浮かぶ、より先に、
「えっ、えっ……ええええええええええええええええええええええっ!」
リズが素っ頓狂な大声を上げた。
「こ、こ、この人が、あの……!」
「私、驚かれるほどの存在かしら」
「当たり前じゃないですか! フィオリア姉様って、あのフィオリア姉様ですよね! 小説のモデルにもなった……あ、あとでサインください!」
「……まあ、私のサインでいいのなら」
そういうのは普通、作者にねだるべきものではないだろうか。
「あ、ありがとうございます! 後でちゃんと本を持って来ますから、お願いします!」
「分かったわ。けど、まずは練兵所の件を解決しましょうか。案内してくれる?」
「はい、ただいま!」
ピシ、と背筋を伸ばした敬礼で答えるリズ。
隣でカティヤが「あたしよりも団長に向いてるんじゃないかい?」と冗談めかしてクスリと笑った。
* *
フィオリアが面白そうと言い出すと、大抵とんでもないことになる――。
カティヤの予感は的中した。
第1騎士団は半数以上が貴族家の子息で占められており、いわば「経歴の拍付け」として入団するものが多い。
たいてい3年ほど籍を置いて、魔物退治の実績を積んでから実家に戻る。
一方、第4騎士団は女性のみで占められ、メンバーの多くは平民育ちである。
このため第1騎士団には、第4騎士団を見下している者が多く……なかでもカノッサ公爵家の次男、ハインリヒの態度は極めつけのものだった。
「はっ、女のくせに騎士ごっこなんて生意気なんだよ。どうせおまえら、玉の輿狙いで騎士団に入ったんだろ? 気が向いたら妾くらいにはしてやるから、部屋でお人形遊びでもしてやがれ」
その言葉に対して、第4騎士団の女性たちから向けられたのは冷たい蔑視の視線。
ハインリヒは一瞬「うっ」とたじろいだものの、それを塗り隠すように大声を張り上げた。
「さっさと出ていけ! 言っとくが、俺は女でも殴れる男だからな! 嫁にいけない顔になっても知らねえぞ!」
脅しつけるように木刀を掲げるハインリヒ。
「あのドラ息子……!」
カティヤが大練兵所に到着したのはこのタイミングだった。
さすがにここまで馬鹿にされて、女として黙っていられない。
ハインリヒの根性を叩き直してやろうと木刀を手に飛び出そうとした。
だが、それよりも早く……
「あら奇遇ね。私、男でも殴れる女なのよ」
フィオリア・ディ・フローレンスが、ハインリヒの前に立ちはだかっていた。
木刀片手に、しかし、翡翠色のドレス姿のまま。
とてもではないが、戦える恰好には見えない。
「団長、フィオリア姉様が……」
不安げな表情を浮かべたのは、女騎士のリズ。
しかしカティヤは、やれやれ、といったように肩をすくめた。
「それには及ばないよ、リズ。よーく見ときな。あたしたちじゃ絶対に届かない領域ってのを拝めるチャンスなんだから」
「えっ……?」
リズは少なからず驚いた。
小説におけるフィオリアは剣の腕も達人級だった。
けれどあれは物語での話、誇張が入っているとばかり思っていたのだ。
否である。
時として、リアルはリアリティを凌駕する――。
「可愛い顔してるじゃねえか。何なら囲ってやろうか? 喜べよ、俺はカノッサ公爵家の次男だぜ」
傲慢そのものの表情を浮かべ、ハインリヒは話しかけた。
彼はまだ気づいていない。
眼前の少女が、いったい何者であるかなど。
「どうでもいいわ。さっさと殴ってきなさい。もちろん、殴り返すけど。……まあ、キャンキャンうるさいだけの駄犬には、そんな度胸もないかしらね?」
「手前ェッ!」
ハインリヒはいとも簡単に激高した。
幼いころから何不自由なく育ったため、少しでも気に食わないことがあると、容易にその感情は沸点を越えてしまう。
彼の父親、コンラート・ディ・カノッサはハインリヒの性格を矯正するために騎士団へ入れたのだが、いまのところ、まったく改善はなされていなかった。
「女のくせに生意気言ってるんじゃねえぞ!」
木刀を振り下ろす。
それはフィオリアの右肩を強打し、骨をも砕く……はずだった。
「遅いわ」
カァァァン!
カン高い打撃音とともに、木刀が弾き飛ばされる。
フィオリアの斬撃はあまりに早く、そして、鋭かった。
ハインリヒの木刀は地面に落ち、しかも、真ん中から二つに折れていた。
「……くそっ! 今のは手加減してやっただけだ! 代わりの木刀をよこせ!」
ハインリヒは近くにいた騎士から木刀を奪い取ると、再び、フィオリアへと向かっていく。
今度は突き。
明らかに心臓を狙ったもので、直撃すれば命の危険すらありえる。
「何としても勝とうとする執念……ではないわね。単なる猪突猛進。つまらないわ」
同じ光景が繰り返される。
二本目の木刀も弾き飛ばされ、真ん中で叩き折られていた。
「まるで猪ね。いいえ、その無様さは猪に失礼ね。――身の程を知りなさい、豚」
フィオリアは自分の木刀の、中ほどを握った。
力を籠める。
ぐしゃり、と。
その手の中で木刀がひしゃげる。
「これ以上続けるというのなら、10秒ごとに貴方の手足を砕いていくわ。どうする?」
「お、俺はカノッサ公爵家の次男だぞ! ただで済むと思うなよ!」
「あら奇遇ね。私はフローレンス公爵家の娘なのだけど」
「なっ……!?」
「初めまして、フィオリア・ディ・フローレンスよ」
その名乗りに、第一騎士団の面々をにわかに動揺させた。
彼らの多くは貴族家の子弟であり、その親世代から何度となく聞かされていたのだ。
フィオリアという少女の成し遂げてきた功績と、毒による悲劇的な最期。(もっとも、実際は死んでいなかったのだが)
さらに最近では単騎でイソルテ王国を滅亡させ、大悪人ケネスを見事に捕まえている。
そんな相手を敵に回してしまったとなれば、真っ青になるのも仕方ないだろう。
「フィ、フィ、フィオリア、だと……う、う、嘘だっ、ありえないっ…………!」
怯えたように首をブンブンと振るハインリヒ。
「ありえないことばかりが人生よ。楽しいでしょう?」
微笑みを浮かべるフィオリア。
とくに害意は込めてなかったはずだが、どうやらそれがトドメになったらしく、ハインリヒはくたりと気を失った。
「さて」
フィオリアは顔を上げた。
第一騎士団の男たちに目を向けると、全員、さっと目を逸らした。
「御前試合の練習がしたいのでしょう? 私に一太刀入れられるなら、優勝は間違いないわよ。どうかしら」
しかし男性陣は何も言わない。
まるで嵐が通り過ぎるのを待つ小動物のように、じっと息をひそめていた。
彼らは親たちの言葉を実感していた。
暴風の女帝。
フィオリアがそう呼ばれるのも納得だ、と。
「すみません! お願いしてもいいですか!」
沈黙が流れるなか、爽やかな声が響き渡った。
振り返ると、こちらを見守るカティヤのそばに、一人の青年が立っていた。
こげ茶色の短髪で、いかにも明るい雰囲気だ。
「ジョシュア・ディ・オルレシアです! よろしくお願いします!」
オルテシア姓ということは、彼がカティヤの息子なのだろうか。
ジェイクそっくりと聞いていたが、似ているのはせいぜい目元くらい。
外見も性格も、カティヤのほうがずっと近いような。
ジョシュアはたたっと駆け寄ってくると、フィオリアの前であらためて一礼した。
「元気ね。それに度胸もある。……貴方みたいな子は、嫌いじゃないわ」
「ありがとうございます! いまのすっげえかっこよかったです! 惚れました! 俺が勝ったら付き合ってください!」
「そうね、考えてあげないこともないわ」
「やった!」
心の底から嬉しそうな表情を浮かべるジョシュア。
まるで子犬のようね……とフィオリアは苦笑する。
ジョシュアは木刀を構えた。
フィオリアは先程と変わらず、泰然とした様子で向かい合う。
お互いが動き出そうとした、その寸前。
「緊急事態です! 王都のすぐそばで大型魔獣の目撃情報がありました! 全騎士団はすぐに警備を固めてください!」
伝令の兵士が、汗だくになって転がり込んできた。
“竜殺しの白狼”。
“四つ足の魔王”。
目撃された魔獣は多くの二つ名を持ち、魔物の生息地、黒き森のなかでもひときわ強大な存在という。
狼型の最上位魔物としてはフェンリルが知られているが、あちらの体毛は黒に近い紫。
とすると白狼はフェンリルの突然変異か、あるいはまったくの新種だろう。
その性格は、つまるところ戦闘狂。
脆弱な人間にはまったく興味を示さず、格上の魔物ばかりを殺して回っていたのだとか。
「なかなか見所のあるイヌじゃない。その挑戦心は評価に値するわ。けれど、どうしてトリスタン王国なんかに来たのかしら? ここにはさほど大した魔物はいないでしょうに」
「……あたしの隣には、古龍よりも危ないヤツがいるんだけど」
カティヤは嘆息した。
“白狼”はたぶんフィオリアが目当てだろう。
そのことを話すと、
「なら、私が出ましょうか。念のために、後方は騎士団で固めておいて頂戴」
「あんたは騎士団の人間と違うだろう? 戦わせるわけにはいかないよ」
「大丈夫。ちょっと王都の外へ散歩に出て、たまたま躾けの悪いイヌに出くわすだけだから。ちょっとお仕置きしたら帰ってくるわ」
「……まったく」
二度目の嘆息。
フィオリアは本質的に、人の話を聞かない。
どれだけ説得しようとも、最後はすべて蹴っ飛ばしてしまう。
とはいえただのワガママ令嬢というわけではなく、フィオリアなりに騎士団の被害を考えてのことだろう。
「あんたは変わらないね、フィア」
「20年間眠っていたんだもの。当たり前じゃない」
「ま、そりゃそーだね」
苦笑するカティヤ。
フィオリアは暴風だ。逆らったところで吹き飛ばされるだけ。だったら上手に乗る方策を考えるべきだ。
「バックアップはあたしたちが引き受けた。せっかくだから騎士団の子たちに、魔獣との戦いを見せてやってくれよ」
「任せておいてちょうだい、カティヤ」
かくしてフィオリアによる魔獣討伐が行われることになった。
……のだが。
「ガウ! ガウガウ! クゥゥゥン!」
戦いは一秒で終わった。
白狼はフィオリアを見つけるなり、ものすごい勢いで駆け寄って、彼女の頬を舐め挙げた。
「……貴女、もしかして、モフモフ?」
「ガウッ!」
モフモフとは、20年前にフィオリアが飼っていた犬の名前である。
彼は毒に倒れたフィオリアを救う手段を探し、単身、黒き森に足を踏み入れた。
そこで幾多の戦いを経るうち、新種の魔獣へと進化を果たしていた。
「随分と大きくなったのね。元気にしてたかしら?」
「ガウガウ! オーン!」
元気よく答えると、遠吠えを放つ白狼……モフモフ。
すると。
――オーン!
モフモフとは異なる、狼の遠吠えが聞こえた。
すぐ近くの森から、もう一匹、今度は黒色の狼が飛び出した。
カティヤを始めとした騎士団の面々に戦慄が走る。
なぜならそれは、人里に現れれば街どころか国すらも滅びかねないと伝えられる存在。
冒険者ギルドにおいては「魔物」ではなく「災害」にカテゴライズされる、魔物ならぬ魔物。
正真正銘のフェンリルである。
「ガゥゥ!」
フェンリルはモフモフのそばに寄り添うと、ペコリ、とフィオリアに頭を下げた。
まるで挨拶するかのように。
「モフモフ、貴方、もしかして……」
フィオリアの声が珍しく震えていた。
何度も目をパチクリさせて、問う。
「もしかして、奥さん、できたの?」
「ガウッ!」
「ガゥッ!」
今度は二匹揃って頭を下げる。
モフモフに、フィオリアと戦うつもりはなさそうだ。
「彼女を紹介するために、私のところに来たのかしら」
「ガウガウ」
頷くモフモフ。
予想外の展開を前にして、フィオリアは、ゆっくりとカティヤのほうを振り返った。
「ねえカティヤ、時間の流れってすごいわね」
「あたしが結婚して子供を産むくらいだしねえ。……とりあえず、飼い主として散歩と餌やりは忘れないようにしなよ」
軽く茶化しながら、内心でカティヤはフィオリアを賞賛していた。
昔からタダモノじゃないと思っていたけど、本当に、いつも驚かせてくれる。
相変わらずあんたはとんでもない女だよ、フィア。
モフモフ「森で奥さんつかまえたよ! かわいいでしょ!」
フィオリア「同級生も飼い犬も結婚してるのに、私だけ独身の件について……」
次回、フィオリアをさらなる絶望(?)が襲います。