第8話 いくつかの末路
ここまでが第一章です。
「俺は、逃げ切ったぞ! あのフィオリアから! ははははっ、ははは、はははははははっ!」
新大陸。
そう呼ばれる土地の、プエルリコと呼ばれる港。
髭面の男は、船から降りるなり大声で笑い始めた。
顔には歓喜の表情が浮かんでいる。
彼こそがケネス・ディ・ブランブルグ。
騎士団長の息子であり、もともとは将来を約束された身分だった。
しかしながらアンネローゼに軍事機密を漏らしたことを皮切りに、転落人生を歩むことになる。
強盗、詐欺、殺人……数えきれないほどの罪を重ね、それでいてまったく反省するところのない極悪人になってしまった。
今回オズワルドを脱獄させた件がきっかけとなって尻尾を掴まれ、大慌てで新大陸行きの船に乗り込んだ。
さすがに海の向こうまではフィオリアも追って来れないだろう。
なにが暴風の女帝だ。
俺ひとりも捕まえられないくせに。
笑わせてくれるぜ、まったくよお!
周囲の目も気にせず、ゲラゲラと笑い転げるケネス。
「ご機嫌ね、何かいいことがあったのかしら」
「お嬢ちゃん、教えてほしいか? 実はしつこい女を振り切ったところで、……っ!?」
ケネスは絶句した。
自分に話しかけてきた少女。
太陽のように輝く黄金色の髪。
全世界の支配者のような、自信と自尊に満ちた翡翠の瞳。
見間違えようはずがない。
フィオリア・ディ・フローレンス!
「ごきげんよう、ケネスくん。随分と楽しい船旅だったみたいね?」
「ば、ば、馬鹿な! どうしておまえが、ここに! ふ、ふ、船には乗ってなかったはずだ!」
「ちょっと魔法で追いかけてきたのよ。さ、王国に戻りましょうか? 楽しかった船旅のぶん、洗いざらい吐いてちょうだい。世の中はすべて天秤、何かを望むなら代償が必要になる……いい言葉よね」
「や、やめろ、やめてくれ! 死にたくない、俺はまだ死にたくないんだ!」
「大丈夫、すぐには殺さないわ。まずは私が尋問して、次に王国の騎士団に引き渡す。それが終わったら裁判よ。死刑執行はかなり後になるから、悔い改める時間くらいはあるんじゃないかしら」
フィオリアが新大陸まで追いかけてきたことですっかり心が折れたのか、ケネスは背後関係を洗いざらい白状した。
オズワルドの脱獄には何人かの貴族も関わっていたらしい……が、フィオリアの欲しい情報はまったくの別物だ。
「ケネス、正直に答えなさい。20年前、アンネローゼはどこに逃げたの?」
「イソルテ男爵領を経由して、北に向かったはずだ……」
「北? いったいどこの国かしら」
「そこまでは分からねえ……。だがよ、アンネはまだ生きてるぜ。なにせオズワルドを脱獄させるように言ってきたのも、テロ用の魔法石を送ってきたのも、あいつの使い魔だったんだからな」
「……そう」
頷くフィオリア。
その表情には安堵が浮かんでいた。
ああ、よかった。
アンネローゼ、ちゃんと生きててくれたのね。
もし死んじゃってたら、20年前の借りが返せないもの。
私の手は少しずつ、貴女の背中に近づいている。
毒よりもずっと素敵な方法で、その人生に幕を引いてあげるわ。
* *
そうして今回の事件がひとまずの解決に至った後、フィオリアは、一度だけ、獄中のオズワルドと面会している。
「……オレを笑いに来たのか?」
「違うわ、貴方と話がしたいのよ」
前回の対面は、フィオリアにとって不本意な結果だった。
どうにも感情的になってしまい、冷静に話し合うことができなかった。
このままオズワルドが絞首刑になってしまうのも目覚めが悪い。
気持ちに整理をつけるためにも、あらためて言葉を交わすべきと思ったのだ。
「ああ、なるほど。おまえ、まだオレのことが好きなんだな? だから会いに来たってわけだ」
だがフィオリアの気持ちも知らず、オズワルドはやたら得意げな表情を浮かべた。
「いいんだぜ、正直に言えよ。オレに死んでほしくないんだろ? なあ?」
「……知ってる? 魅力に欠ける男ほど、別れた女がいつまでも自分を好きでいると勘違いするらしいわ」
呆れたように嘆息するフィオリア。
「まあ、そもそも私たちは政略結婚。恋愛感情なんか存在しなかったのは、百も承知でしょうに」
「ぐっ……」
「オズワルド、貴方は牢獄の中で何をしていたの? 自分に都合のいい想像を弄り回すばかりで、反省なんてひとつもしてなかったみたいね。この20年で貴方という人間がどれだけ変わったのか、改めて見定めるつもりだったけど……」
……時間の無駄だったわ。
冷たい一言。
それは、フィオリアからの死刑宣告だった。
「ま、待ってくれ!」
慌てたように叫ぶオズワルド。
「さ、さっきのは冗談だ! ほら、いわゆる軽口ってやつだよ! ちゃんと反省してる。悪いと思ってる。だからオレの話を聞いてくれ」
「何について反省してるの?」
「そ、それは……えっと、アンネローゼに浮気したことだよ! おまえ、要するに嫉妬してるんだろ? 分かってる、分かってるさ」
「もういい」
これ以上は聞くに堪えない。
オズワルドは、自分がフィオリアに愛されていると思い込まずにいられないらしい。
都合の悪い話はすべて聞き流し、口からは妄想ばかりを垂れ流す。
害悪だ。
害悪でしかない。
「勘違いを抱えたまま絞首台に登りなさい。さようなら、オズワルド」
* *
「疲れたわ……」
屋敷に戻った後、フィオリアは目を閉じて安楽椅子に身を沈めた。
このごろケネスやオズワルドのようなロクデナシにばかり関わっていたせいだろうか、どうにも気持ちがささくれている。
癒しが欲しい。
前世の自分はこういう時、猫カフェでもふもふすることで心に潤いを取り戻していたようだ。
「モフモフはどうしているのかしら……」
呟いたのは、は飼い犬の名前。
毛並みの良い、ちょっと臆病だけど可愛い白犬だった。
フィオリアが昏睡状態に陥ってすぐ、屋敷から姿を消したらしい。
今はどこにいるのだろう? というか、そもそも生きているかどうかすら怪しい。
暇ができたら消息を追ってみようかしら……と考えていると、
「お嬢様は責任を感じてらっしゃるのですか?」
普段はまるで置物のような静かさでフィオリアの傍に控えている執事、レクス。
彼がめずらしく自分から話しかけてきたのだ。
「責任? 何について、かしら」
「オズワルド様がああなってしまったことについて、です」
アンネローゼに惑わされた挙句、フィオリアの毒殺に手を貸し。
時計塔に幽閉された後も、反省することなく妄想を重ねるばかり。
そんな彼にとって脱獄事件はとどめになった。もはや絞首刑は避けられないだろう。
三ヶ月以内に絞首台へ送られるだろう。
「そう、ね」
すこし遠い目をしながら頷くフィオリア。
「小さいころのオズワルド様は、とても素直でいい子だったの。私のことを姉みたいに慕ってくれて、婚約が決まるまでは仲良しだったの」
「"姉"として"弟"にしてやれることがあったんじゃないか。お嬢様はそう思ってらっしゃるのですね」
「後悔しても今更だけど、ね」
フィオリアだっていちおう人間である。
オズワルドの死刑が近づいてくると、もはや愛想がつきた相手といえど、多少は心が痛む。
あるいは、彼女らしいお人好しさが発揮されているのかもしれない。
「貴女は悪くありません」
ポツリと、しかし、耳に届く確かな声でレクスは呟いた。
「オズワルドがどうしようもないところに堕ちたのは、あくまで本人の責任でしょう。決して、お嬢様が咎を覚える必要はない。……もしも罪と思わずにいられないのなら、俺が許します。貴女は悪くない」
「ふふ」
小さく微笑むフィオリア。
「貴方もずいぶんと偉くなったのね、レクス。私に対して『許す』だなんて」
「お気に召しませんでしたか?」
「ううん、新鮮だったわ」
正直なところ、フィオリアにとってのレクスは「20年前に拾った孤児」で「忠実な執事」程度のイメージだった。どうやら自分の観察眼もまだまだらしい。
さすがだ。
これだから人間は面白い。
「誰だって意外な一面のひとつやふたつ持ってるものです。もしかしたら俺はお嬢様に対して下剋上を狙ってるかもしれませんよ?」
「素敵な野心ね。そんなことをされたら、好きになってしまうかも」
「着々と準備を進めてるので楽しみにしていてください。お嬢様の執事を続けているのもその布石です。……まあ、冗談ですが」
「冗談なの?」
「ところでレモンティーでもいかがですか? さっぱりした気分になれますよ」
「じゃあ、お願い」
レクスの淹れたレモンティーはほんのりと温かく……とんでもなくまずかった。
まるでポン酢のような味。
フィオリアは顔をしかめながら、それでも自分のために用意してくれたのだからと、飲み干した。
おかわりはいらないわ。
次話、幕間を挟んでもふもふします。