少女たちの箱庭遊戯Ⅴ 宵闇の魔導士1
明日手市、柏井学園
そこは何処にでもある伝統ある中高一貫校。
その高等部の生徒である春野冬馬は放課後の喧騒の中、一人廊下を歩いていた。
今日は生徒会の活動も、文芸部の活動もない。
帰りにゲーセンにでも寄ろうか、と考えると同時に脳裏に浮かぶのはここ数週間ずっと姿を見せない理事長――ルナのことだった。
彼女が長いこと姿を見せなかったのはこれが初めてではない。ちょうど一年くらい前にも、ルナはある日忽然と姿を見せなかったことがあった。
あの時は数週間姿を見せないと思ったら、ある日当然の様に自分たちの前に現れた。彼女曰く『別世界連れ去られたのを自力で脱出した』らしい。
そして今。やはり突然ルナは姿を消した。そうとなればまた何か厄介なことに巻き込まれたと考えるのは至極当然のことだった。
ふと、気配を感じて俯いていた顔をあげると窓から外を眺めている一人の女性の姿があった。
茶髪に、それなりの身長。鋭い目つきの彼女は断じてこの学園の教師ではない。
そして何より、いるはずのないニンゲンに対して誰も気付いていないと云う状況が余計、冬馬に不信感を募らせる。
「…何してんだ」
声をかけてから冬馬は後悔した。もし彼女が人間ではない場合、自分になす術は無い。
冬馬の声掛けに、彼女はわずかに驚きながら振り返った。
「驚いた。真逆私を視認できる人間がいるとはな」
――やっぱ人間じゃ無ぇか。
冬馬は内心舌打ちしながらじっと彼女を観察する。
生憎彼は本当にただの、平凡が服を着て歩いているような男子高校生で、人と異なる点は圧倒的な記憶力と霊感のみだった。
自分に見えて他者に見えないとすれば、幽霊か、もしくは――。
「何者だよアンタ。魔女とか云わないよな」
「嗚呼その通り、私は魔女だ」
魔女と云われ、しかし彼女は眉ひとつ動かさずサラリと自身の正体を明かした。
だが冬馬も相手が魔女にだと判り幾分不安感が薄れる。彼はあまりに魔女に慣れ過ぎていた。
「まさかお前がルナを誘拐したのか?」
「ルナ? ……嗚呼、この世界を創った魔女の名前か。この世界に存在する魔女、魔導士は皆ひとつの箱庭世界に集められている。そいつも魔女ならその箱庭世界に居るだろう」
「何のために?」
「質問の多い奴だな。お前には関係無いし、知る意味も無い」
そう云い放つと、彼女は冬馬に背を向けた。
「おい待てよ!」
冬馬が慌てて彼女の腕を取ろうとしたが、寸でのところで見えないナニカに弾かれる。
僅かな痛みに顔をしかめる冬馬を横目に、彼女は顔を見せないまま口を開いた。
「人間如きが私に触れられるとでも?」
それだけ云うと、彼女は瞬きをする間に姿を消した。
放課後の喧騒の中、一人取り残された冬馬はぼうっと彼女の消えた虚空を見つめていた。
「あっトーマ、ここにいたのネ」
同じ高等部二年生のエリカ・ヒースに声をかけられ、冬馬はようやく我に返った。
「トーマ、トーマ。今日はゲーセン行くノ?」
「んー、行くけれど……先昇降口に行っててくれ。ちょっと用事できたからさ」
冬馬はエリカにそう云い残すと、足早に人気の無い方向――中央棟の裏口に向かった。
♰
花畑で美しく咲き誇る花々を散らしながら、少女は一目散に走っていた。
背後から聞こえる咆哮と足音に思わずチラリと背後を見やると、それは少女を喰らわんとする勢いで迫っていた。
頭は獅子、身体は山羊、尻尾は蛇と云う異形の怪物――キメラのレプリカに遭遇してしまった鏡の魔女、プティは小さな身体でずっと走って逃げていたが、すでに息も絶え絶え。ふと気を抜いたら足が止まってしまいそうだった。
全身汗だくなうえ、振り乱れる髪の毛が顔に張り付いて気持ち悪い。
そんな時、小石に蹴つまずき、あっ、と小さく声を上げた頃には地面と衝突。プティは受け身も取れないまま地面に擦り付けられた。
全身の鈍い痛み顔をしかめながらプティが振り返るのと、キメラが飛びかかったのは同時だった。
――あ、死ぬんだ、私。
そんな考えが過った刹那、凛とした声が彼女の鼓膜を震わせた。
「海神流剣術 壱ノ型『零華』ッ」
瞬間、水の刃が走り、キメラの頭部と身体を切断。キメラの悲鳴が不快に響き渡る。
「だあああもおおおおっうるさーいっ!」
その声とともに、純白のマフラーを靡かせた銀髪の少女がキメラのライオン頭に思いっきり蹴りを入れる。
なにがなんだかわからず呆然としているプティの腕を誰かの優しい手が掴み、引き寄せられる。
「もう大丈夫ですよ」
陽だまりのような暖かい声に、顔を上げると、真っ黒なフードを被った少女が優しく微笑んでいた。
何か云おうとプティが口を開いたが、銀髪少女の声が先に響く。
「ええええええっこいつら増殖するんだけれどっ!」
よく見ると、少女に真っ二つにされたキメラの胴体から頭が、頭からは身体が生え、キメラは二体に増えていた。
そのうちの一体が、プティとフードの少女目掛けて突進してくる。
「ヤバっ……ファヴォリごめん、そっちお願い!」
ファヴォリと呼ばれたフードの少女は一瞬困ったような顔になったが、キッとキメラを睨み、右手をそれに突き出すと右手の先に魔法陣が展開される。
「『フューネラル・ポイズン』」
先ほどの優しい声とは打って変わって、冬の夜よりもさらに冷たい声でボソッとファヴォリが呟くと、それに反応して魔法陣が光を放ち、弾幕が放たれる。
弾幕は全て標的を違えることなくキメラ貫通。貫通した穴からジュワッと焼けるような音がし、瞬く間に腐敗していく。
壊死した部分からは再生が効かないのか、キメラはその場に崩れ落ちて絶命した。
一方、もう一体のキメラを相手している銀髪の少女は、気付けば多数のキメラを相手していた。
切っては増殖するキメラを、少女はさらに切りつける。
「切ったら増えるだけですよ、紡!」
「そんな事云ったってー!」
口を動かしている間にも紡は迫り来るキメラたちを問答無用で斬りつける。
「もう、なにをやっているのかしら」
そこへ、また別の声が聞こえた。
二人よりも遥かに幼い。それでいて誰よりも落ち着いた声の主は、美しい金髪を靡かせて、まるで散歩でもしているような足取りで戦場に姿を見せた。
「ねールナ助けてー!」
紡が、少女が登場するやいな泣き言を云うので、ルナと呼ばれた金髪の少女はため息をついた。
「全く、原型を残したら再生するのでしょう? 少しは考えなさい。このツケは大きいわよ」
「うーん元の世界に戻って覚えてたら!」
そんな無責任なことを口走って、紡は大きく跳躍すると宙返りをしてルナの横に立つ。
それと同時にルナが口を開く。
「貴方達に振る舞うお茶はこれで十分ね、『永遠に続くお茶会』――纏めて消え去りなさい」
キメラが群がる地帯に紅い液体が広がり、次々にそれにキメラが飲み込まれる。
あっという間に、もがきも虚しく無情に。
最後の一匹が姿を消すと、彼女の陣地もふっと何事もなかったようにただの地面へと戻っていた。
「あ、あの……ありがとう」
プティがようやくファヴォリに御礼を云うと、ファヴォリはまた優しく微笑んで彼女の腕から手を離した。
「貴女が無事で良かったです。どうか、これからも、元の世界に戻るまで無事でありますように」
そう云ってファヴォリはルナたちの元へと戻っていった。
「また逢う時に逢いましょ」
踵を返してプティに背中を向けたルナが、振り向き際に別れの言葉を口にし、三人は花畑を後にした。
ルナたちの背中が見えなくなっても、彼女たちが消えた先を見つめていたプティは少しだけ希望を見出したような気がした。
――あの子たちなら、本当にアリスを見つけてくれるかもしれない。
「ただいまー!」
木苺摘みに出かけていた紡、ファヴォリ、ルナは、創造の魔女・ティアの邸宅に帰還した。
薔薇庭園で花の世話をしていたノワールとリュミが三人に気づき、出迎える。
「お姉様、おかえりなさいですの」
「ただいま、リュミ。薔薇たちはどう?」
「あのね、あのね、ノワールお兄様がお花育てるの上手だから、薔薇さんたちとっても綺麗なの」
リュミが、ルナがいないごく短い間の出来事をあれこれ話しているのを、ルナは時々相槌を打ちながら微笑ましそうに聞いていた。
「ルナって案外面倒見良いよね」
「はい、とても素敵なお姉さんだと思います」
リュミの話を聞いているルナを、ファヴォリが微笑ましそうに見守っている。
「あとね、あとね、お姉様にお客様が来ているの」
「お客様? 誰かしら」
ルナが尋ねるが、リュミは名前が思い出せないのか、あうあうと目を泳がせながら、背後にいるノワールに助けを求める。
リュミの視線に気付いたノワールが、腰を上げてリュミの横に立った。
「嗚呼、悪魔の郵便屋兄弟が姉さんに手紙だって。今は客間で待ってもらっている」
悪魔の郵便屋兄弟――セアルのフォーツとレフィのことだろう。
自分に手紙を当てる人物もおおよそ見当もつく。
「そう、なら逢いに行くわ」
そう云ってルナは、ノワールにエスコートされ屋敷の中に足を踏み入れた。
客間は入ってすぐの部屋だった。
部屋のなかでは来賓用のソファに腰掛けた顔見知りの郵便屋兄弟が、紅茶とお菓子を片手に寛いでいる姿があった。
「待たせてごめんなさい」
ルナが二人に謝辞を述べてから向かいのソファに座った。後ろから付いてきていたファヴォリはルナの後ろに立ち、紡とリュミはそれぞれルナを挟むように座った。
丁度その時、追加の紅茶を運んできたリーヴルとクレールが姿を見せた。
「ルナ、おかえりなさい。今紅茶を淹れますね」
「えぇ、お願いするわ」
リーヴルがルナたちの紅茶を淹れるのを片目に、ルナは郵便屋兄弟に向き直った。
普段閉じられているカーテンは、客がいるから全て開けられており、窓からは自慢の庭園が一望できる。
「それで、貴方達が来たということは私宛の手紙かしら」
「うん、ルナねえ宛にお手紙でーす」
そう云って弟のレフィは横に置いていたショルダーバッグの中から手紙――と呼ぶには些か苦しい、封筒にすら入っていないルーズリーフの切れ端を取り出した。
ルナは訝しげにそれを受け取り、書かれていた文章に目を走らせる。
『学園に魔女が来た。今のところみんな無事。今どこにいる』
差出人は相当焦っているのだろう、差出人の名前が平仮名で『とうま』と走り書きされている。
「わっ、汚い字だね」
横からのぞき見していた紡が素直な感想を述べるが、ルナの耳には入っていない。
――学園に、魔女? 全ての魔女は今、この世界にいるはず。と云うことは冬馬の見間違いか、もしくは。
「……この世界の構築に関わった奴なら…」
重い口でルナはもう一つの可能性を口にする。
「そうですね。仮に彼の見間違いで無いのなら、の話ですが」
全員の紅茶を淹れたリーヴルも苦い顔で同意する。
「……可能性の話だけれど…一応確かめたいわ、あいつに頼るのは癪だけれど。誰でもいいわ、クランを呼んできて頂戴。テラスにいると思うから」
「あっじゃあ私呼んでくるー!」
そう元気に手を挙げた紡が部屋を後にする。
「それともう一つ、俺たちも君に確かめたいことがあるんだ」
紡が出た後、僅かに深刻な面持ちで兄のフォーツが話を切り出した。
「君は、この箱庭世界にあの学園を作っていないか?」
「……何を云っているの?」
フォーツの問いに、ルナは眉間にシワを寄せて尋ね返した。
彼の云う学園とは、彼女の造り出した明日手市にある柏井学園のことだろう。
だが、ルナはこの世界に閉じ込められてから一度も学園を出現させたことは無い。
「やっぱりな」
「ちょっと待って頂戴、話が見えないわ。柏井学園があるって一体どういうことなの?」
珍しくルナが早口でまくしたてる。黙ってはいるが、ルナと同じく柏井学園で生活をしていたリーヴルも思うものはあるらしく、いつもの柔らかい表情は鳴りを潜めていた。
「嗚呼、最初から話そう。とは云っても、俺たちが君に手紙を届けるためにこの世界に来たら、道中で柏井学園を見つけてね、だから聞いてみたんだ」
「それ、本当に柏井学園なの?」
「外見はね。綺麗なシンメトリーと中央棟、そしてご丁寧に中央棟の裏口のポストまで再現されている。無いのは人間だけだ」
「何処で見たの?」
「あの森を超えた先の原っぱだよ。他に建物は無いからすぐわかるさ」
重い沈黙が部屋を支配する。
そんな中、連れてきたよー! と陽気な声と共に紡が勢いよく扉を開けて入ってきた。その後ろからは白い軍服に身を包んだクランの姿もあった。
「なんじゃ、お前さんが儂に話があると聞いたが、明日は雪でも降るのかのう」
「私だって可能なら貴方なんかの知恵を借りたくなかったわ」
ティアよりマシなだけ、と付け加えて、ルナは早速本題に入った。
「ねぇ、この世界を造るのに加担した魔女なら自由に世界を出入り出来るかしら」
「ふむ……まぁ不可能では無いじゃろうのう。世界の構造を知った上で其処にバレ無いよう細工するほどの能力を持つ者がいれば、の話じゃが」
「その云い方だとほぼ不可能だけれど、完全に不可能では無いってことね。心当たりでもあるのかしら」
「黒影の魔女」
ルナの問いに、クランは魔女の二つ名だけで答えた。
「黒影の魔女って……深理の云っていた、この世界を構築するのに加担した一人で、さらに化物を操る…」
ファヴォリの回答にクランは頷いた。
「あやつならその程度、造作もなかろう」
それを聞いたルナの中で全ての話が合致した。
冬馬が教えてくれた学園に侵入した魔女。
フォーツが云っていたこの箱庭世界に存在する柏井学園。
この二つのどちらにも黒影の魔女が絡んでいるのは間違いなかった。
ならばやることは決まっている。
ルナがソファから立ち上がる。
「何処へ行くの? お姉様」
「決まっているわ。この世界にある柏井学園よ」
「え? 柏井学園?」
フォーツが話をしている間席を外していた紡のために、ファヴォリが極簡潔に経緯を説明する。
「ふーん、じゃあルナはその黒影の魔女を懲らしめに行くんだね」
「貴女にしては話が早いじゃない。そうよ、私の世界に無断で入った上に柏井学園を真似るなんて馬鹿をする奴がまだいるなんてね。まぁそんなの等しく懲らしめる以外選択肢は無いわ。時間をとって悪かったわね、郵便屋兄弟」
「またお手紙あったら持ってくるねー」
そう云って姿を消した郵便屋兄弟を見届けたルナは、客間を後にした。そんなルナをその場にいた全員が後を追う。
「あら、貴方まで付いてくるなんて」
外に出たルナが振り返ってクランに声をかける。
「なぁに、ただの暇つぶしじゃよ」
ルナたちの後ろから付いて来ていたクランは薄く笑ってそう云った。
「でもどうするの、姉さん。あの森を歩いて抜けるだけで日が沈んじゃうよ?」
クレールが首を傾げて尋ねると、ファヴォリがおずおずと右手を挙げた。
「私の使い魔の子なら……これくらいなら運べると思います」
「これくらいって……八人ものニンゲンを?」
ルナが問い詰めるが、ファヴォリはなおもこくんと首を縦に振った。
と、其処へ鼻に掛かった甘ったるい声が聞こえた。
「あっらぁ? お出掛けかしらぁ」
振り向けば、屋敷の主、ティアが珍しく外に顔を出していた。
「あら、生きていたの」
「相変わらず減らず口ねぇ、親の顔が見たいわぁ」
「鏡の中に私の親がいるわよ」
売り言葉に買い言葉な二人だが、ティアは楽しそうにふんふんと状況を確認している。
「クレールとノワールはお留守番よぉ。リュミは行ってらっしゃいな」
「わかった」
「はぁい」
「わっ、わかりましたの」
ティアの云い付けに兄妹は揃って良い返事をした。
其れに満足したのか、ティアはさっさと踵を返してまた屋敷の中に篭ってしまった。
「なんだったのかしら、彼奴」
ルナはティアが消えた先を見つめながら愚痴る。
その間にファヴォリは普段の肩に留まる程度の大きさから、数十倍近く大きい遣い魔の鳥を召喚していた。
「すごーい! おっきいー!」
紡が大型の車を目の前にはしゃぐ子どもよろしく鳥の周りをぐるぐる回っている。
「これならみんな乗れると思います」
「有難う、ファヴォリ。さ、早速行きましょ」




