少女たちの箱庭遊戯Ⅱ 氷炎の魔導士6
これ書いたの一年前以上とか何かの冗談だと云ってほしい
ゆらりと立ち上がったファヴォリがゼロ距離で魔弾を放つ。咄嗟に紗鶴を庇って地面に倒れこむ征人。
征人と反対側に飛んでかわした祈人の顔には驚きが露わになる。
「ルナ、リーヴルは私が必ず助け出します。だから見ていてくださいね」
一人で糸の切れた人形のように立ちすくむルナをそっと抱きしめ耳元で囁く。そして紡の方を向き何時もの優しい声で語り掛ける。
「紡も、貴女のことも必ず」
誓うように静かに、しかし力強く言葉を紡ぎ、まっすぐ前を見据える。視界の先には既に戦闘態勢に入った祈人と、右手を失ってなお紗鶴を守るように立ち塞がる征人の姿があった。
「紗鶴、貴女は未来視の魔女なんかじゃないんですよね……? 未来が見えていたのなら私の攻撃だってかわせたはずです。貴女の未来視は固有魔法によるものじゃない。限りなく予知に近い、計算による予想なのではありませんか?」
静かに、しかしそれは確実に無駄なく紗鶴の心の均衡を抉る刃となる。
「これは私の憶測にすぎませんが……貴女の二つ名は」
紗鶴の握りしめた拳が掌を抉り僅かに血がにじむ。ファヴォリが答えを口にするより先に声を荒げた。
「っ! 祈人! 征人!」
それに応える様に二人が剣を再び構えファヴォリに襲い掛かる。
「貴方たちが死者であるのなら容赦はしません。『フューネラル・ポイズン』」
「なっ!」
ファヴォリの前に形成された魔法陣から毒々しい紫色の波動が続けざまに放たれる。つい先ほどまで二人が経っていた地面はじゅわっと音を立てて沸騰した水の様に泡立っていた。
「あれほどの威力……習得魔法では無いな」
普段冷静な祈人が思わず息を呑む。征人も好戦的な笑みを崩しはしないものの、その頬には冷や汗が伝う。数多の戦いを潜り抜けてきた二人は直感で悟った。目の前の少女の隠し持つ、触れてはいけない琴線に触れてしまったことを。
「貴女一体何者ですの!?」
声を荒げる紗鶴とは対照的にファヴォリは俯きがちに静かに口を開く。
「ごめんなさい、私も紗鶴同様、自分の二つ名を偽っているんです。私には陽の魔女なんて素敵な二つ名、不釣り合いなんです。私は太陽にはなれません」
一歩ずつ、ゆっくりと歩みを進めながらファヴォリはまるで独白のように呟く。おぼろげな足取りで、風に吹かれればぱたりと倒れてしまいそうな脆さを醸し出す彼女に、祈人も征人も手を出せなかった。否、手を出すことを許されなかった。
「私の持つ本当の二つ名は」
ゆらりと祈人の前で立ち止まったファヴォリは彼の胸の前に手を掲げた。その表情にいつもの温かさは無い。無機質で、祈人の氷よりも遥かに冷たく暗い瞳が僅かに揺れる。
刹那、大量の禍々しい毒素を含んだ紫色の液体が彼女の手から放たれ、一瞬で祈人を飲み込む。
あまりの激臭に紗鶴も征人も思わず鼻と口を覆い顔を背ける。次に紗鶴が顔を上げたときにはもう、祈人の姿は何処にも無かった。
「そん…な……祈人…っ」
紗鶴のみずみずしい若草色の瞳が大きく見開かれ、絶望で濁る。口を覆ったまま小刻みにカタカタと膝を肩を震わせていた。
その時、ファヴォリの背後でピシリと何かが割れる音が響いた。ルナが僅かに反応し、ゆっくりと音の方へ視線を動かす。
美しすぎるほどの蒼い氷の結晶が、先端から一筋、また一筋と連鎖的にヒビを生み出し結晶内部を乱反射させる。やがて亀裂が全体に行き渡ると同時に耐え切れずに弾け散り、中に閉じ込められていたリーヴルが解放される。
氷が陽の光を受けて輝き、ルナの宝石のような瞳に光を映す。
「りー、ゔる……」
夢遊病患者のようにふらふらと歩みより、地面に横たわるリーヴルの身体を揺さぶると、一拍遅れて彼が薄く目を開ける。
「リーヴル、リーヴル」
ルナが再度その愛しい名前を呼ぶと、リーヴルはゆっくりと上半身を起こしてまだ冷たいその手でルナの頬を包んだ。
「ご心配おかけして申し訳ありません、ルナ」
ひんやりと冷たい中にも確かに感じる生の温もりを逃がさないようにルナが両手でリーヴルの手を包み込む。
ルナのアメジストの瞳に生気が蘇り、リーヴルにしか聞こえないような掠れた声で良かった。と何度も呟いた。
一連の様子を片目で追っていたファヴォリは僅かにだが安堵に表情が緩む。しかしそれもつかの間、征人が怒りに任せて剣を振るう。
「てンめぇッ!」
だが、それすらもファヴォリに触れることなく蒸発し、姿を消してしまう。
「陽の魔女はあの人がくれた二つ名。私が初めてヒトから貰った贈りものです。私は――『毒薬の魔女』ファヴォリューム。毒を操りすべてを傷つけ腐敗させ、消し去る魔女です」
再び努めて冷静に、自らの心までも腐敗させ、無感情に、自分のハラワタを刃物で抉るようにファヴォリは自分自身に云い聞かせるように告げる。そうでもしなければ今この場で自分自身を殺してしまいそうなほどに、彼女は自分自身が嫌いだった。自分の持つ力が嫌いだった。
「こんな戦い、もう終わらせましょう。さようなら征人。貴方も居るべきところへ還しますね」
くるりと身体の向きを征人の方へと向ける。その反動でファヴォリの頭を覆っていた真っ黒なフードがはらりとまくれ落ちる。標準を征人に合わせ、再び魔法陣を展開。
その様子を背後から見ていた紗鶴がゆるゆると否定するように首を振る。
「いや、やめて……」
「神様、どうか彼の旅路に御加護を」
祈るように、ファヴォリが言葉を続ける。
「死者は死者の還るべきところへ」
「やめて……嫌よ…」
紗鶴がぎゅうっと征人の服を繋ぎとめるように握りしめる。
「どいてください、紗鶴。貴女まで巻き込みたくないんです」
言葉とは裏腹に低く唸るような音が発せられ、魔法発動のために必要な魔力を収束させる。
「くそっ『クリムゾン・ジャッジメント』ッ! うらあああああっ」
最期の悪あがきとでも云わんばかりの火力がファヴォリに襲い掛かるが、断罪の劫火さえ、今のファヴォリの前では無力だった。
ファヴォリが心を殺せば殺すほどに、その毒素は強まる。彼女の感情を糧に、毒はその猛威を発揮させてゆく。これこそが毒薬の魔女の二つ名を持つファヴォリの固有魔法であり、生まれながらにその身に宿していた力だった。
魔力密度が頂点に達し、魔法が放たれようとしたその瞬間、ファヴォリの腰に幼い身体が抱き付いてきた。何事かと視線を移すと、ぎゅうっと、普段なら考えられない行動に出ているルナの姿があった。
「もういい、もういいわ、ファヴォリ。ありがとう、リーヴルを救ってくれて」
ルナの柔らかな声が少しずつファヴォリの感情を蘇らせる。琥珀を閉じ込めた瞳は揺らぎ、陽だまりのような暖かな光を宿す。ゆっくりと掲げられていた腕が力なく重力に従って下降する。
「もう貴女の手を煩わせない。こんな馬鹿げた茶番は私が終わらせるわ。だから貴女はもう休んでいていいの。貴女は戦うには優しすぎた。相手に向けるべき刃を自分に向けてしまう程に、他人に優しすぎる」
その言葉が引き金になったかのようにファヴォリはふらりと膝から崩れ落ちるが、それをリーヴルが受け止める。急激に膨大な量の魔力を消費したファヴォリは自分でも気づかないほどに疲弊しきっていたようだった。
「リーヴル、ファヴォリをお願いね。こいつらの後始末は私がやるわ」
最早満身創痍の征人と紗鶴の方をチラリと一瞥する。
「『永久に続くお茶会』――さようなら、征人」
征人の足元に黒よりも暗い闇が開かれ、征人をゆっくり足元から飲み込む。征人が最後の力を振り絞って自分の服の裾を握りしめる紗鶴の手を払う。
「やだっ、征人、行っちゃ嫌!」
紗鶴が飲み込まれる征人を救い出そうと手を伸ばす。
「紗鶴、ごめんな、二度もお前を置いて行っちまって。でも、俺も祈人もお前といられて……っ」
最期の言葉もろとも征人を飲み込み、地面は何事も無かったように広がっていた。
紗鶴はさっきまで征人がいた其処を、征人が飲み込まれた地面を何度も何度も拳で叩きながら征人の名前を呼ぶ。
そんな彼女の前にルナが立ち塞がり、軽蔑の視線を送った。
「貴女の素性は『死霊遣いの魔女』。死者を操る力を持つようね。そして彼らは貴女の能力によって再びこの世に具現した死者と云ったところかしら」
「ちが、う、二人は、死んでなんか……」
爪の隙間に砂が食い込むのもお構いなしに紗鶴は拳をにぎり、力なく呟いた。ぽたぽたと大粒の涙が地面に吸い込まれるように落ちては暗い跡を残す。
ルナが右手に一冊の本を具現させ、言葉を紡ごうと息を吸った時、風が吹き荒れ、ルナの髪を荒ぶらせる。思わず瞑った瞳を開くと、郵便屋兄弟がルナの目の前に現れた。
「ルナねえ! ちょっとだけ待って」
「レフィ、こんなところに現れてなんの用かしら? 生憎こっちは立て込んでいるのだけれど」
ルナが苛立ちをあらわにした声色でレフィを急かす。レフィはポストマンショルダーからに一通の手紙を取り出して、へたり込む紗鶴と目線の高さを合わせるようにしゃがみ込んでそっと手紙を差し出した。
「紗鶴さん郵便でーす。差出人は征人さんと祈人さんだよ」
その名が鼓膜を震わせ、紗鶴ははっと顔を上げる。恐る恐る拳を開き、差し出された封筒を取る手は僅かに震えていた。
おぼつかない手つきで封を切り、中から二通の便箋を取り出す。一枚は祈人から、もう一枚は征人からだった。
『紗鶴へ お前を独り置いてお前のもとを去る俺たちをどうか許してほしい。怪物に襲われたあの時、俺一人が犠牲になれば征人がお前の傍にいてやれると考えたのだが、どうやらあいつも同じことを考えていたらしい。そこは流石双子といったところか。あいつを倒せた今、俺たちの世界は平和を迎えた。平和な世界で、お前は俺たちを忘れて新しい一歩を踏み出してほしい。俺たちは、いつまでもお前のことを見守っていたい 祈人』
『紗鶴、泣き虫なお前のことだから俺らが居なくてずっと泣いてるんじゃねぇの? あん時はまさか祈人まで同じこと考えてるなんて思ってなかったけれどまぁ双子だししゃーないのか? いや、お前を独りにしちまったし、しゃーないじゃ片付かねぇか。んでも、お前は新しい世界で新しい未来が待ってる。俺らには無いけれどな。だからお前には俺らの分まで生きてほしいんだ。紗鶴がこの先どんな風に綺麗になるのか楽しみにしてるって祈人も云ってたぜ! だから、頼むから俺らを|死霊降臨(紗鶴の魔法)で蘇らせようなんて考えないでほしい。本当は死んだらもう逢えないからな。だからせめて俺らと一緒にいた時間を忘れないでほしい。祈人はああ云ってるけれど、あいつも同じこと考えてるからさ。紗鶴にはたくさん迷惑かけちまったけれど俺らからの、最後のお願いだ。 征人』
読み終えた紗鶴が、手紙を抱きしめて再び泣き崩れる。嗚咽交じりに何度も何度ももうこの世には存在しない二人に謝罪の言葉を繰り返す。
「二人がこの世から解放されたことで、俺たちに届いたんだ。彼らが死んだあの時に遺した思いがね」
フォーツがそっと、紗鶴に経緯を説明する。手紙も物も、果ては思いさえも届ける郵便屋兄弟はこの手紙を受け取った瞬間、最優先で届けに来たという。
その様子をリーヴルの腕の中で見ていたファヴォリがよろよろと立ち上がって、リーヴルの手を借りながら紗鶴に歩み寄る。
「紗鶴、貴女は彼らの思いを踏みにじってまで貴女の願いを叶えてしまったんですね」
「ずっと一緒にいるって、約束したんです……なのに、なのに、どうして、私なんかを庇って……二人のいない世界で幸せになんて…無理ですわ……」
肩を震わせ嗚咽を漏らす紗鶴の前に立ったファヴォリは膝を着いて、優しく紗鶴を包み込んだ。
「お二人の居ない世界なんて、それこそありませんよ。紗鶴がお二人を忘れない限り。それに、お二人は紗鶴の持っている思い出の中に生きています。大丈夫です、きっと、お二人はいつまでも紗鶴のことを待って居てくれます。ですから貴女は、次にお二人にお逢いしたときに沢山素敵なお話ができるように、その目で新しい世界を見届けてください。貴女のしたことはきっと許されないことです。でも、この場にいる誰もが許さなくても、世界中の誰もが許さなくても、私は赦します」
赦す、と云ったファヴォリは一際強く、優しく腕の中で静かに涙を流す紗鶴を抱きしめた。その様子を眺めていたルナはくるりと踵を返し、紗鶴に背を向ける。ファヴォリは顔を上げ、ルナの背中に懇願した。
「ルナ、どうか彼女を一つの運命に閉じ込めるのを見逃してくれませんか」
「……私はそいつのことなんか知らないし、何をしたかも知らないわ。見ず知らずのニンゲンに手を出すほど、私も野蛮じゃないの」
ルナは自分自身が紗鶴を責める権利など持っていないと胸中で呟き、歩みを進める。
「ファヴォリ、行くわよ。紡を助けるんでしょ」
ルナの指摘にファヴォリははっとする。
「紡は、助かるんですか? だってあの子、もう心臓が……」
「大丈夫よ、いいからついてきなさい。リーヴル、紡を連れてきて頂戴。私は先に家に戻っているわ」
ルナは一人、紗鶴を置いて歩き出した。フォーツとすれ違い際、小声で礼を述べた。
「ありがとうね、郵便屋兄弟」
「また何かあればなんなりと」




