死ぬほどうれしい
ゲイの恋はたいてい始まりと終わりが同時だ。落ちた瞬間に実らないことが確定する。数直線上の点みたいなもので、長さも広がりもない。だからいつまでもダラダラと引きずる。始まりと終わりの境目がないから、いつまでも終わっていない気がしてしまう。長さ0の点なんて数学のグラフ上でしか存在できないのに、実際にはどこを探しても見つからないのに、白いカラスは存在しないということを証明するためにすべてのカラスをちまちま調べる人みたいに、いつまでもいつまでも進展の糸口を探し続ける。頭ではとっくの昔に終わっていることがわかっていても、心はどこかで可能性を感じてしまう。
でもやっぱりいつかは探すことに疲れて、グラフ用紙ごと投げ捨てる。はじめから全てなかったことにする。つちのこのブームが来てみんな一斉にそこら中を探し回ったときも、初めはみんな目をぎらつかせてあたりを徘徊していたけれど、いつしかみんなそんなもの存在しないということを思い出し、次第にブームは去っていった。珍獣探しに夢中になっていたことすらバカバカしくなり、自己嫌悪に陥るものもいた。だいたいそれと一緒だ。虚しいことにダラダラとうつつを抜かしていたことに嫌気がさし、失った愛よりも失った時間を思って泣く。見たことのない色あざやかな果実が美味しそうに見えてとってくるけど、食べても大丈夫なのかわからずしばらく放っておいて、結局腐らせてしまう。腐ってからようやくこの果物には毒があったと思い出す。その繰り返し。
数学の微分の授業で、二次関数のグラフの接線をかく問題を解き終えると、僕は右斜め前方の遠く離れた席にいる良太を眺めた。南国のフルーツが似合いそうな、真っ黒に日焼けした肌が、白いポロシャツと強烈なコントラストを見せている。ポロシャツから伸びる腕は、テニス部の練習で鍛えられて立派だ。僕も中学時代は良太と同じテニス部だったけど、高校に入ってからは吹奏楽部に入ったから、あんなに黒くないし筋肉も落ちた。今良太に勝てるのは肺活量くらいだろう。良太の顔は真剣そのもので、少し太い眉毛が今は少し上に向かってまっすぐ伸びていた。良太は力を抜くということがあまりできないから、今書いている二次関数のグラフも僕のただの山とは違ってきっとそれはそれは綺麗な放物線を描いていることだろう。良太の切れ長の目がこちらを向いた気がして、あわてて僕は視線を自分のノートに落とした。
これが僕のつちのこ。僕が求めてやまない、色あざやかな果実。
授業後のロングホームルームでは、1ヶ月後に迫った学祭でうちのクラスがやる出し物を決める話し合いがあった。僕は学祭は人並みに好きだけれど、決めるのは適当にやってもらえればいいから、司会の学級代表の方をぼんやりと眺めながら話し合いの行方を追っていた。模擬店は保健所の規制が面倒という理由で早々に戦線から脱落し、最後にはリアル脱出ゲームとお化け屋敷がのこった。多数決にしても票が割れ、会議はどん詰まりになったが、「それならお化け屋敷風脱出ゲームにすればいいんじゃ」という鶴の一声でめでたくそれに決まった。僕は何でもよかったけど、ホラー映画もパズルゲームも好きだったから、今年の学祭は楽しめそうだと思った。たぶん高校生活で楽しい行事はこれでほぼ最後になるから、存分に楽しみたい。吹奏楽部の方も公演があるし、この1ヶ月は相当忙しくなりそう。
ホームルームが終わり解散になると、良太がこちらに駆け寄ってきた。
「今日タカヒロ部活ある?なかったらちょっと本屋に寄っていこうぜ。漫画の新刊出たんだ。」
「いいよ。今日は練習ないから。」
僕は良太と中学時代から一緒で、家も歩いて10分ほどの距離だから、高校に入ってからも時間があえばよく一緒に帰っていた。吹奏楽部は自主練が基本だから、合わせる練習がなければ極力良太に付き合うようにしている。その分他の部員の足を引っ張る懸念はあったけれど、それを補う練習はしてるつもりだし、なにより僕には良太との時間がとても大事だった。
電車を降り最寄駅を出ると、夕日が眩しい。北国の初夏はまだ肌寒いけれど、今日の西日は夏を感じさせる熱気を帯びていた。
「そういえば良太、学祭はどのポジションにはいるつもり?」
歩きながら問いかけた。夕日をバックにすると、良太の長いまつ毛のシルエットが綺麗に映える。
「そうだな、まだざっくりとしか決まってないから何とも言えないけど、俺は大道具とか作りたい。キャストはあんまりやりたくないな。」
「そんないかつい見た目じゃお客さんビビっちゃうだろうしね。」
身長186cmで短髪で太い眉毛で切れ長の目の大男に睨まれれば、たいていの人はまさに蛇に睨まれたカエル状態になる。ほんとは二次関数のグラフをちまちま正確に書いちゃうようなめんこい男の子だけど。
「ひどい言いよう。俺、ああいうの恥ずかしくなっちゃってできないんだよね。タカヒロはどうすんの?」
「僕もキャストは面倒だからやだな。脱出ゲームなら問題作成係とかがいい。僕、ひねくれてるし、」
「ああ、確かにお前は人を悩ませるの向いてるかもな。」
「否定してよ。」
「否定したらしたで面倒くさいやつとか言うんだろ?」
夕日を受けながら、二人並んで本屋まで歩く。たまに通る爽やかな風はまだ冷たいが心地いい。こんな会話、これまでにも散々やりつくしていたけど、僕はこれのために、毎日ロングトーンとリップスラーの練習を人の1.5倍の時間かけてやっている。実らない恋だからこそ、こういう時間を大切にしたいから。部活も恋愛も充実した、華やかな高校生活。
良太と初めて話したのは、中学のテニス部に入部してすぐのときだった。変声期真っ只中の中途半端な声をした良太は、まだ色も白く背丈も僕と同じくらいだった。ロッカーで着替えをし、テニスコートへ向かおうとすると後ろから同じく着替えを済ませた良太に声をかけられた。
「前田くん、だっけ。俺、山本良太。覚えてる?自己紹介のとき、漫画がめっちゃ好きですって言った奴だけど。」
当然覚えていた。良太は僕好みのイケメンだったから。当時僕はまだ自分がゲイだとは自覚してなくて、この気持ちがいわゆる恋愛感情だと気づいたのはずっとあとのことだったけれど、僕はこのときからすでに顔のかっこいい人が好きだった。
良太は僕に言わせると70点のイケメンだ。目はキリッとしてるし唇も厚すぎず薄すぎず上品な大きさだけど、ちょっと鼻が大きくて眉毛が立派。及第点はしっかりと超えてくるけど、他のかっこいい男の子と比べるとまだ賛否両論ある顔。僕はほかの80点や90点を優に超えるイケメンよりも、これくらいのイケメンが好きだった。何より、これくらいの顔の人はほかの女の人に取られづらい。
イケメンに話しかけられてドキドキしたけど、本能的にばれてはいけないと思い、平静を装って答えた。
「覚えてるよ。僕、前田貴弘。よろしく。僕も漫画結構好きだよ。どんなやつ読むの?」
良太は書店に着くと、新書コーナーや文芸コーナーには目もくれず、漫画コーナーへ直進した。いつものテニス漫画の場所について止まる。満足げな表情をしてその最新刊を手に取った。
「これこれ。前回すごく良いところで終わったから1秒でも早く読みたかったんだ。」
僕は5年前、良太がテニスを始めた理由を聞いて、そのあまりの分かりやすさに呆れた。某有名テニス漫画を見てかっこいいと思ったから。中学生がスポーツを始めるにはちょうど良い理由かもしれないが、当時からすでに斜に構える癖のあった僕には、漫画に影響されるという精神は理解できなかった。
この漫画は超王道スポーツ漫画で、弱小テニス部に入った主人公が、鬼コーチの訓練を受けて上達し、弱小チームを立派なテニス部に成長させるという筋書きだ。僕はこの手の漫画を読まないからよくわからないけれど、良太にはこれが、大受けだったらしい。「俺もこの誠くんみたいにかっこよく成長したい」と当時だらしないほど目を輝かせて僕に説明する良太がガキっぽくて、可愛く見えた。
「タカヒロは?何か買わないの?」
「うーん、本はいいかな。文房具の方、見てくる。」
いつも読んでる漫画の新刊は出ていない。シャープペンシルの芯が切れそうだったから、それだけ買うことにした。
文具コーナーを眺めていると、精算を済ませた良太が、ほくほくと嬉しそうな顔で本を袋から取り出しながらこちらへ近づいてきた。
「せめて店出てから開けなよ。」
僕がそう言う頃にはすでに漫画のフィルムを剥がしページをめくり始めていた。
「いや、なんか待ちきれなくて。決勝の最後の1セットなんだよ。」
「はいはい。じゃあ買ってくるから。」
店を出ると日はだいぶ暮れ、街灯が代わりにあたりを照らしていた。空気も肌寒い。
「結構寒いな。急いで帰ろう。」
ほんとは急ぎたくなんかないけれど、半袖の肌には風が少し冷たすぎて、自然と早歩きになる。
最寄駅からは僕の家の方が近い。家の前に着くと、良太は思い出したように言った。
「あ、そうだ、今度お前んちでバーベキューしようぜ。中学んときにやったの思い出したら懐かしくなってさ。ああいうのしばらくやってなかったから久々にわいわいやりたいんだよな。」
「いいね。そろそろいい季節だし。親に聞いてみるよ。」
「おう、よろしく。じゃまた明日な。」
中学生のとき、テニス部の仲のいい男女グループ4人を家に呼んで、バーベキューをしたことがあった。僕の家は狭いけれど、庭はそれなりに広いから、4人程度を集めてパーティーをするのにはちょうど良かった。
あれはあれでいい思い出だけど、思い出すとまだきゅんと少し胸が痛む。
中学2年の夏、良太はすでに僕の身長よりも10cmは大きかった。声変わりも完了し、太くてよく通る声が耳に心地いい。僕は今でもあまり声が低くないから、男らしい良太の声は憧れだった。
僕を含めて男3人女2人のグループは、部活の内外で仲が良かった。僕は良太とはクラスが違ったけれど、もう一人の男子の宮澤と女子の田中とは同じクラスで、よく一緒に行動していた。良太と同じクラスの女子の大島は良太と小学校からの同級生で、この5人でよく遊びに行ったりしていた。
あの日はよく晴れた日曜日で、まさにバーベキュー日和だった。みんなでスーパーに買い出しに行き、火もうちの親に見守られつつみんなで協力して起こした。協力といっても活躍してたのはほとんど宮澤と良太だったけれど、みんなで火を見ながら試行錯誤をするのは楽しかった。肉を食べジュースを飲みながら大声でわいわい話す様子はまるで飲み会で、お酒は飲まなかったけど少し大人になった気分だった。
中学生の男女が休日集まって話す内容と言えば、もちろん恋バナだ。
「宮澤くんはどうなの最近彼女さんと。」
人一倍ゴシップが好きな大島が聞く。
「どうって別にいつも通りだよ。」
この5人のうち誰よりも早く恋人を見つけてきたのは宮澤だった。同じクラスのなかなかかわいい女の子と付き合っていて、クラスの公認カップルでもあった。
「じゃあそのいつも通りを聞かせてよ。」
「いいじゃねーかよ俺の話なんか。」
「もうキスした?」
田中がさらにちゃちゃをいれた。
「…した。」
わー!っと残り4人がひとしきり歓声を上げる。
「どうだった?うまくできた?」
大島がぐいぐい攻める。良太も興味津々の目つきだ。
「よくわかんないけど、難しかった。どこ見てればいいかわかんないし。」
「どこ見るって、目を瞑るんだよキスしてるときは。」
ませてるくせに恥ずかしがり屋の宮澤は、一気に顔を赤らめた。
「な、なんだよ、お前はキスしたことないくせに。」
「失礼ね、まあその通りなんだけど。あーあたしも早く彼氏ほしいなー。」
「私もー。まあその前に好きな人が見つからないんだけどね。」
田中がそういうと、良太が口を挟んだ。
「あれ、この前田中、堀口がかっこいい、って言ってなかったっけ?」
「ちーがうちがうあれはただ見た目がカッコいいだけで好きになんてならないよ。なんかナルシストっぽいじゃんあの人。」
「そうそう、どんなに見た目が好きでもやっぱ性格が良くないとね。」
大島が相槌を打つと、矛先が自分から離れた宮澤がすかさず攻めに入った。
「え、お前この間すごいイケメンだったら多少なら性格悪くてもいいって言わなかったっけ?」
「えー、あたしそんなこといったー?聞き間違いじゃないのー?」
「言ってたよ。高橋がかっこいいからちょっと殴られるくらいなら我慢するって」
「言ってないよそんなことー!」
みんなの会話が遠い。僕は、この会話を少し冷めた気持ちで聞いていた。このころはもう自分がゲイだと自覚していて、良太が好きなことも気づいていた。だから、自分に話を振られるとすごく困るし、恋バナになったときはできるだけ大人しくするようにしていた。しかし、中学生の段階でそんな雰囲気を察することができる人はそう滅多にいない。
「さっきからタカヒロ大人しいけどもしかしてすでに彼女いるとか?バレないようにしてるんじゃないでしょうね?」
大島がいたずらっぽく笑ってこちらに矛先を向けた。こうなったら、やり過ごすしかない。
「いないよー。好きな人もいないし話すことないだけだから。」
「ほんとかなー。タカヒロは細いけど顔はまあまあだし頑張ればすぐ彼女できると思うけどね。」
「なにその上から目線。」
僕は笑って答える。嘘をついてるのがバレないように、できるだけ明るい表情を繕った。僕はみんなが好きだしみんなに罪はないけれど、正直この瞬間は面倒。
「良太は?好きな人いないの?」
宮澤が無自覚に助け舟を出してくれた。ホッとしたけど、良太の話題になっていることに気づいて今度は別の理由で嫌な気分になる。
「うーん、いない、かな。うん、いない。」
「うわ、あやしー。抜け駆けしてたら承知しないからね。」
「ほんとにいないよ。あー俺も彼女ほしい。」
嘘が下手すぎる。みんなはかろうじて騙されたかもしれないけど、ずっと良太のことを見ている僕の目はごまかせない。良太は普段嘘をつかないけど、ちょっと後ろめたいことがあるときは切れ長の目が少し大きく開く。つぶらになった目も可愛いけれど、この顔になった良太は大抵何か隠している。
いつかこのときが来るのはわかっていたけれど、やっぱり可能性が現実味を帯びてくるとつらい。誰のことが好きなんだろう。いつか良太も女の子と付き合うのかな。それとも万が一僕のことが好きだったらどうしよう。そしたら僕どうにかなっちゃいそう。とか、思っていつもむなしくなる。
肉も食べ尽くし、日も暮れるとみんな名残り惜しみながらも帰って行った。しかし良太だけは家も近いし僕の部屋で引き続きダラダラしたいと言い出したので、うちにあげた。2人で狭い部屋に入ると汗と煙の匂いが充満したから、窓を開けた。夜風がすっと入ってきて部屋が冷える。僕は勉強机の椅子に座ったが、良太は絨毯の上に大の字になり、ぼうっと天井を見つめていた。さっきのことを引きずって、僕は良太と2人きりになるのが勝手に気まずかったが、気のせいか良太もソワソワして見える。
「なあタカヒロ。」
「なに?」
なんとなくその先が読めて体がこわばる。
「俺さっき話してて気づいちゃったんだけどさ。」
「うん。」
「俺、田中のこと好きだわ。」
「マジで。」
あー、田中さんね。確かにかわいいし、大島ほどグイグイ来ないし、男の趣味も良さそうだしいい子かもしれませんね。でもその先はもういいですよ言わなくて。
「どういうところが好きなの。」
「見た目はもちろん好きなんだけど、どんなにかっこよくても性格よくないと、って言ってたじゃん?そういうところかな。ちゃんと中身も見て選んでくれそう。」
「そういう子、意外と少ないしね。」
すると良太は上半身を乗り出して、僕に詰め寄った。良太の顔が近づいて、どきどきする。
「なあ俺、行けるかなあ。俺じゃ顔も性格もダメかなあ。」
「なに言ってんの、良太はイケメンだし性格も最高だよ。そりゃ高橋とか堀口とかと比べたら見た目はちょっと見劣りするけど良太もすごくかっこいいよ。性格も真面目だしノートは綺麗だし優しいしテニスもうまいしなにも言うことない。自信持ちなよ。」
しまった。良太は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに嬉しそうな顔になった。
「ほんと?俺、いける?」
「うん、田中、好きな人いないって言ってたし行けるよ。僕、応援する。」
「ありがとう。やっぱ俺ここに残ってよかった。あのときからずっと落ち着かなかったんだ。でも、お前のおかげで勇気出た。今度告白してみる。お前もなんかあったら俺に相談してな。」
翌日、良太は田中に告白してあっさり付き合い始めた。田中も好きではないにしてもなんとなく気になってはいたらしい。思い立ったらすぐ実行の良太にはさすがに苦笑いだったが、嬉しそうに報告する良太を見て、自分が良太の力になれたことは嬉しかった。でもやっぱり寂しくて、うちに帰ってからちょっぴり泣いた。もし昨日良太のことを褒めちぎったのが女だったら彼はどんな気持ちになっただろう。なんとなく気になってた程度の女よりもよっぽど良太のことを理解している僕は男だからという理由だけで田中に負けたわけで、悔しくて泣けた。
不幸中の幸いだったのは、2人がたった半年ほどで別れたことだ。ちょっとまっすぐすぎる良太は、いいやつだけど女の子との駆け引きには全然向かない。田中も、かっこいいんだけど話しててもあまりときめかなかったと後でそっと僕に打ち明けた。僕はそのことにもなんとなく気づいていたから、良太がいまにも死にそうな顔をして僕を頼ってきたときもそんなに驚きはしなかった。そしてそんなにつらいときに頼るのが僕であることが嬉しくて、密かにほくそ笑んだ。
あの初めての失恋から4年。身長はもう15cmくらい違うけど、僕の気持ちは少しも変わらない。良太にもあれ以降彼女ができることはなかった。あのことが小さなトラウマになってどうしても今一歩踏み出せないらしい。トラウマを作ったのは僕のせいだろうか。だとしたら申し訳ないけれど、そのおかげで僕には良太を独り占めできる時間が増えているわけで、思いは複雑だ。
正直に言ってあんな思いはできればもうしたくない。だから、今度のバーベキューは男だけにしよう。玄関の前でそう決めて、僕は家に入った。
6月も半ばになり、日射しも強く少しずつ暖かくなってきた。北国の夏はまだまだ先だが、次第に夏服も体に馴染んでくる。学祭も再来週に控え、長袖の制服から解放された生徒たちはみんなどこか浮き足立っていた。
放課後、僕たちは班ごとに分かれ、学祭の準備を進めていた。僕は希望どおり謎解き作りの班にまわり、たくさんアイディアを出し合った。
謎解きは、解くと作るでは全然勝手が違って難しい。問題の難易度も、学祭ということも考えて誰もが解けて、かつそれなりにやりごたえのあるものにしなくてはならない。僕たちの会議はあっという間に紛糾した。
「おいおい、フィボナッチ数列なんて高校2年生しか知らないだろ。俺たちだってもうみんな忘れちゃってんだから誰も解けないよ。」
「えー、そう?悪くないと思ったんだけどな。」
「タカヒロが数学好きすぎるだけ。なんかほかにない?」
「じゃあ素数をならべて穴の開いたところの数字を答えさせるとか。」
「お前は一旦数学から離れろ。」
「そもそもホラー系の謎解きなんだから、もっとわかると怖いみたいなのがあったら面白いよね。」
窓から風が吹いてきて、そこらに散乱していた大道具の設計図が宙に舞った。良太とペアで作業していた女子が二人してそれを追いかけるのを見て、ふとこの間交わしたバーベキューの約束を思い出した。ここにいるのはみんないつも一緒にいる男子だから、ちょうどいい。
「そういえばさ、今度良太と一緒にうちでバーベキューやるんだけど来ない?」
「お、いいね、行く行く!いつ?」
他のものも口々に賛成する。
「学祭前がいいから、今週か来週の日曜日にしようかっていってる。僕も良太も土曜日は部活があるから。」
「あ、ごめん、日曜は無理だ。俺部活。」
「ごめん俺も。」
「俺日曜は彼女とデートだわ。」
「むかつく。」
「なんだみんな来れないの?残念。じゃあ夏休みまで延期かな。また企画したら誘うね。」
ベルが鳴り、学祭準備の時間が終わった。今日は特に進展なし。また今日じっくり考えて明日みんなで話し合おう。昨日も同じこと言ってたけど。
謎解き班は片付けるものが何もないから、みんな他の班の片付けを手伝いに散らばる。僕はすかさず大道具班の良太を手伝いに行った。
「お疲れ。」
「おうお疲れ。なんか決まった?」
「とりあえずフィボナッチ数列はナシ。」
「おいおい急いでくれよ、あと二週間ちょっとしかないんだから。」
「それよりさ、今度のバーベキュー、さっき誘ったんだけどみんな来れないって。日曜もみんな部活あるみたい。」
「なんだそうなのか。じゃあ寂しいけど、俺ら2人でやる?」
「え、2人?」
それは想定してなかった。みんなでわいわいしたいって言ってたから、また改めてやろうと思ってたのに。
「大人数の方がいいなら別にまたの機会でもいいけど。」良太はさらっと付け加えた。
思えば、良太と2人きりで長時間一緒なんて、中学以来一度もない。中学のときは部活でしか顔をあわせていないし、高校に入ってからも良太と同じクラスになったのは今年が初めてだったから、お昼を一緒にということもそんなに多くなかった。盲点だったけど、こんなチャンス、滅多にこない。
「いいよ、じゃあ次の日曜日2人でやろう。」
その日はそのあとすぐに部活の練習があった。今日は金管セクションの合わせ。僕がホルンパートのソロを吹く曲だった。
練習後、金管セクションのリーダーの美紗が楽器を置くなり小走りで近づいてきた。
「お疲れ。今日随分調子いいんじゃない?なんかいいことあった?」
「別に、何もないけど。」
「あんた、顔はいつも無表情だけど気分いいとモロに音に出るよ。機嫌悪いときはすぐ音がスカスカになるけど、今日はすごくツヤツヤのいい音してた。後輩もみんな言ってるよ。タカヒロ先輩の音がスカスカになってきたら機嫌悪いから気をつけろって。」
「いやだな、そうなの?全然気がつかなかった。」
僕はいつも全力のつもりだったけれど、どうやら相当ムラがあったらしい。僕の2倍歴のある美紗のいうことだから、たぶん間違ってないんだろう。反省。
美紗は中学校の頃からトランペットを吹いていて、とてもうまい。先生が指揮を振れないときは美紗が金管セクションのリーダーとしていつも指揮をしているから音感も良くて、憧れだ。僕がホルン吹きとしてここまで成長できたのは、ホルンの先輩よりむしろ美紗のアドバイスのおかげ。だから僕は美紗に頭が上がらない。鋭すぎるのはちょっと鬱陶しいけど。
「もしかして、例の好きな人となんか進展あった?」
「バーベキュー、することになった。二人で。」
「バーベキュー?2人で?それって脈あるんじゃないの?普通バーベキューって大人数でやるものでしょ?」
「僕もそう思ったけどあっちがそういうから。っていうか脈なんかないよ。あっちは100%ノンケなの。仲が良いだけ。」
美紗は、唯一僕がカミングアウトしている友達だ。ある日の練習後、楽器を片付けていると、美紗はなぜか神妙な面持ちで僕に「タカヒロってゲイ?」と耳打ちしてきた。全くそんな素振りをみせていないつもりだったから、腰が抜けるほど驚いた。これで冗談半分に聞いてきたんだったら適当に繕って流すところだったけど、あまりに真面目な顔で聞いてくるものだからすぐに肯定してしまった。そしたらお互い聞きたいことが山ほど出てきて、何も言わずに2人で学校近くのマックまでダッシュしたのを覚えている。聞くと、どうやら美紗は感覚でなんとなくゲイの人が分かるらしい。ゲイ当事者の僕にもわからないのに、どうしてそんな嗅覚が働くんだろう。美紗が羨ましくてしょうがなかった。僕はそこで洗いざらい吐かされ、名前は伏せたがずっと好きな人がいることを打ち明けた。
「なんでノンケってわかるの?まだ本人も気づいてないだけかもしれないじゃん。」
「だって昔彼女いたし。」
「じゃあバイって可能性だって。」
「ねえ、いつも思うんだけど、美紗はなんでそんなに僕とあいつをくっつけたがるの?」
「そりゃ、あんたが機嫌良いほうが、音が良くなるから…っていうのはまあ冗談で、やっぱあたしはあんたに幸せになってもらいたいのよ。」
「またまた。」
「ほんとだよ。あたしは何人かゲイとかレズビアンの人見てきたけど、みんなやっぱりどこか影があるの。毎日楽しそうにしていても、満たされない思いがどっかにありますって顔してるのよ。こういう言い方って失礼になるのかもしれないけど、あたしはそれがかわいそう。できればみんな幸せな恋愛して欲しい。それにあんたはうちの部のエースなんだから、なおさら。」
ホルンは難しい楽器だ。世界一難しいといわれることもある。音を出すだけでも一苦労なのに、音域が広く、多彩な音色を使い分けることを初歩の段階から要求される。僕は、そんな気難しい楽器を自分の手で操ってみたかった。僕がこれまで人よりも余計に世知辛い世間を渡ってきたようにこの楽器も手なずけてみたくて、普段はあまり目立たないけれど、美味しいところはしっかりと持っていくこの楽器に自分を重ねた。音が出るようになるまで苦労したけれど、出るようになってみれば思った通り僕の好きな音色だった。小さい頃にピアノを習っていたから楽譜は読めたし、ピアノ譜とは読み方の違うホルンの楽譜にもすぐ慣れた。練習すればするほど上達するのが楽しくて、3年には初心者ながらにパートリーダーを任せてもらえるようにまでなった。そしてその陰には美紗の叱咤激励があったわけで、その美紗にこんなことをいわれると、柄にもなく涙腺が緩みそうになる。
「そっか、ありがと。」
「でもあんまりその子にうつつ抜かして学祭でこけたら怒るからね。あんたのソロ、大事なんだから。」
「わかってる。」
「じゃ、あたしはもうちょっと吹いてから帰るから。お疲れ。」
そういって、美紗は楽器を持って個室まで歩いて行った。人にも厳しいけど自分にも厳しい美紗。僕も、負けてられない。
僕も少しだけ残って気になったところを練習した。楽器を吹いている間、美紗の言った「ゲイの幸せな恋愛」について考えていたら、音のことも恋愛のことも全然わからなくなって、どちらも諦めて楽器を片づけた。
次の日曜日、良太がうちに来た。良太は私服もシンプルだけどかっこいい。今日は色の薄いダメージジーンズに白地に青のポケットのついたTシャツをあわせていて、夏の日差しによく似合う。久々に見る私服に胸が高鳴った。僕は思いっきり部屋着の短パンとよれよれのTシャツだったから、2人並ぶともっとイケてなくて恥ずかしい。その日はたまたま両親が外出していたから、コンロや炭の準備は良太が来る前に僕がなんとかやっておいた。あとは良太に火をつけてもらって肉を焼くだけ。「やっぱり俺の仕事なのね」といいつつまんざらでもなさそうな顔をして作業してくれるから、たまの休みに家族サービスしてくれる素敵な旦那さんをもったみたいでなんだか照れくさかった。
火も落ち着き、用意したアウトドア用の椅子に腰掛けると、良太は感慨深げに言った。
「久しぶりだな、こうやってタカヒロと昼からだらだら話すのなんて。」
「そうだね。同じクラスになったのも、初めてだし。」
「俺さ、バーベキュー他に誰も来れないって聞いた時、ちょっと嬉しかったんだ。」
「え、なんで?」
美紗の言ったことが当たったかと思って少し期待する。
「タカヒロとまたじっくりしゃべれるなって思って。俺、前からタカヒロと喋ってるのが一番楽しかったから。」
鼻血が出るかと思って、思わず上を向いた。
「大丈夫?」
「ごめん、大丈夫。それで?」
「しばらくタカヒロとはたまに学校帰りに一緒になるくらいでさ、時々寂しくなったんだよな。長い付き合いだから、お前にしか話せないこと、いっぱいあるし。」
僕はいつも寂しかったけど、そう思ってもらえてるだけでも僕は飛び上がりそうなくらい嬉しかった。
「だから今日はたくさん喋ろう。」
笑ったときに見せる白い歯があまりに眩しくて、思わず視線をそらせた。空は4年前と同じように晴れて澄み渡り、たまに涼しい風が吹いて庭の木をそよそよと揺らす。しばらくよそ見をしていたら道行く人と目が合ってしまい、慌てて良太の方へ視線を戻した。
「テニス部は学祭でなんかやるの?」
「ああ、うちは普通にカフェ。大して面白いこともやらないし俺もあんまりいないから別にこなくてもいいぞ。」
「なんだそうなの。じゃあよっぽど暇になったら行く。」
「タカヒロは公演あるんだろ?」
「そう。土曜日の午後から。結構大きいソロあるから絶対来て。」
「ソロって言われても俺多分わかんないけど、行けたら行く。」
良太の「行けたら行く」は信用できる。他の人がこういうときは大体こないけど、良太は時間を作ってきてくれる。来れなかったときは本当に忙しかったときだから、あとでちゃんと謝りに来てくれる。今どき珍しいくらい律儀。
「その行けたら行く、っていうの、他の人にはあんまり使わないほうがいいよ。」
「え、なんで?俺は行けるときはちゃんと行くぞ。」
「それはわかってるけど、良太のことを知らない人が聞いたら、あんまり興味ないのかもって思っちゃうから。」
「じゃあなんて言えばいいんだよ。」
「行けるけど、もし用事入ったらごめん、とか。」
「あんまり変わってなくない?」
「行けたら行くよりはマシだよ。興味ない人が使う常套句なんだから。」
「そうなのか。」
「良太は思ったことそのまま口に出しちゃうから、ちょっと回りくどい言い方を勉強した方がいいね。」
「それ、この間晶子にも言われた。っていうかいろんな人によく言われる。」
「正直なのはいいことだけど、それで傷ついたり逆に勘違いしちゃう人もいるから、気をつけなきゃ。」
「そんなこと言われても難しいよ。嘘ついてるみたいで。」
「ほんとのことをややこしく言えばいい。」
「そんなのもっと難しい。」
良太は本気で考え込みながら、肉を網に並べ始めた。些細なことに真剣になる良太が可愛い。
「あと、他人の言葉を間に受けすぎるのも良くない。」
「なんだよ注文ばっかり。」
「言葉遣いなんて良太がしたいようにすればいいんだから、僕の言うことなんて気にしなくていいの。」
「なんだよ、からかってんの?」
「うん。」
良太は呆れたような笑顔を作ってから、今度は野菜を並べ始めた。良太をいじめるのは、楽しい。
「部活の方はどう?大会、そろそろだよね。」
「ああ、8月の大会で引退。調子はいいけど俺緊張に弱いから、どちらかというとメンタル面を鍛えてるとこ。」
「緊張っていやだよね。いつもできてることが出来なくなる。」
「そう。俺いっつもやったことのないようなミスで負けたりするから、今回だけはそうならないようにしたいんだ。」
中学最後の大会のとき、全市大会の決勝で良太は敗れ、全道大会への出場を逃していた。凡ミスを繰り返す良太は正直言って悲惨で、試合後もなんと声をかけていいかわからなかった。良太は涙こそ流さなかったけど、一週間はろくに口のきけない状態だったから、元の状態に戻すのに相当苦労した。あんな良太はもう見たくない。
「頑張ってね。試合はたぶん練習で見に行けないけど、応援してる。」
「ありがとう。頑張る。」
「大学行ってもテニスは続けるの?」
「続けたいな。俺はもうテニスくらいしか趣味ないし。」
「漫画好きじゃん。」
「サークルに入ってまで読みたいとは思わない。タカヒロは?ホルン続けるの?」
「続けるよ。もっと練習して、うまくなりたいから。」
「もったいないなあ。タカヒロもテニス続けてたら俺より上手くなってたかもしれないのに。」
「体動かすより音を鳴らす方が好きって気づいちゃったから、もう戻れないな。」
中学のときテニス部に入ったのは、親が「中学のときは運動をやっておいた方がいい」と言ったのが半分、たまたま隣の席だった友達がテニス部に入ると言っていたのがもう半分だ。テニスは嫌いじゃなかったけど大好きでもなかったから部活でも中堅どころで、良太みたいに特に目立った活躍もなく僕のテニス人生はあっさりと幕を下ろした。高校ではたまたまテレビのオーケストラの番組で流れていた金管楽器の音に惹かれ、吹奏楽部の門を叩いた。楽器の音を出すのに慣れると、一瞬のせめぎ合いで勝ち負けを決めるスポーツよりも、じっくりと音と向き合って自分を高める音楽の方が向いていると気づいたのだった。
「今度はオーケストラやってみたい。やるのは古い曲ばっかりだけど、ホルンの歴史も古いから古い曲の方が合ってる気がするんだ。」
「オーケストラか。俺とは全く無縁の世界。オーケストラってそんなにどこにでもあるもんなの?」
「大学にオーケストラ部があるところは結構あるよ。だから出来ればオーケストラが上手い大学に入りたい。」
「大学ね。受験勉強もそろそろしないとな。」
「良太は勉強しなくたってだいたいどこでも入れるでしょ。」
「そんなわけないだろ。俺だっていっぱいいっぱいだよ。」
「志望校は?もう決めてる?」
「うん、とりあえず第一志望は北大。」
道外の大学ではないと知り、ひっそりと安堵した。同じ大学は無理でも、せめて同じ陸地にいないと落ち着かない。
「いいなあ北大。僕にはたぶん無理。」
「おいおいそう簡単にあきらめるなよ。まだ時間あるんだし目標は高く持った方があとあと楽だぜ。」
「生まれつき頭のいい良太に言われても説得力ない。」
「そんな顔するなよ。俺だって北大は行けるか行けないか微妙なところだし、一緒に頑張ろう。」
「まあそんなに言うなら目指してもいいかな。僕が落ちたら良太のせいだから。」
「それはお前が責任持て。」
良太は大学も僕と同じところがいいのかな。もしかして本当に僕のことが好きなんだろうか。
「ねえ、良太って今好きな人いる?」
「なんだよ急に。いないよ。っていうか今は部活と学祭で忙しいしそれどころじゃない。」
「部活も学祭も恋愛にはうってつけのシチュエーションだと思うけど。僕らいま17歳だよ?青春真っ盛りだよ?」
「だとしても相手がいないことにはどうしようもないじゃん。」
この感じはほんとにいないな。つまり僕のこともほんとに好きじゃない。当たり前の話。
「そういえばタカヒロって浮いた話全然ないよな。好きな人とかいないの?」
いるっていいたかった。でもいったら全力で応援されるから、そんなの絶対いやだ。
「いない。」
「いままで好きな人いたことは?」
「ない。」
「じゃあ告白されたことは?」
「な……ある。」
「え、マジかよ。なんで教えてくれなかったの?」
「なんか全然興味もてなくて、なんなら今まで忘れてた。」
「ひっでえな。で、いつ?誰に?」
「この前のバレンタインデーの日、後輩に。」
「へえ。好きな人もいないなら付き合ってみればよかったのに。」
「大して仲も良くない人だったから無理だよ。」
「それから仲良くなればいいじゃん。」
「好きになる見込みもなかったし。」
「全然タイプじゃなかったってこと?」
「まあ、そんな感じ。」
「ふーん。いいなあ。俺も告白とかされてみたい。」
「良太はちょっと告白のハードルが高いんだよね。見た目いかついし恋愛とか興味なさそうに見えるから。」
「そんなつもりはないんだけどな。確かに、ちょっとあのときを思い出すと怖いけど。」
良太が遠い目になって視線をそらした。田中の機嫌を取ろうとしてどんどん空回りし、日に日に意気消沈していく良太を思い出す。不器用な良太は可愛いけど、辛そうな顔をする良太は見たくない。この遠い目を幸せの明かりで満たしてあげたいけれど、それは残念ながら僕の役目じゃないから、その目がもっと辛い。せめて前向きになって欲しくて、言った。
「良太はね、たぶんサバサバ系の女子と上手くいくと思う。」
「サバサバ系?例えば?」
「美紗とか。」
「ああ木村か。なんで?」
「良太は駆け引きとか苦手でしょ?女子は建前でも褒めて欲しかったり、本当のことでも言わないで欲しかったりするのに、良太はその辺にぶいから、思ったこと全部言っちゃう。サバサバ系の美紗はそういうの気にしないタイプだから、うまくいきそう。」
むしろ美紗にズバズバと文句を言われて凹む良太を想像して、吹き出しそうになった。
「なるほどなあ。でも俺は木村と喋ってても男と喋ってるみたいな気持ちになるんだよな。」
「じゃあやっぱり回りくどい言い方を練習するしかないね。」
「結局それかよ。」
良太はふてくされて一気に肉を掻き込んだ。
「でもさあ。」
良太はもごもごといってから、肉をごくりと飲み込む。
「タカヒロはなんでそんなに俺のことわかるの?」
ずっと見てるから。
「だって付き合い長いし。っていうか良太はむしろわかりやすすぎるよ。」
「宮澤とか、今もよく会うけどそんなこと俺には言ってくれないじゃん。」
「宮澤は自分が良ければそれでいいタイプだから。あんまり人のこと見てないよ。」
「そんなもんかね。」
「うん。」
中学の頃からずっと良太を観察してたんだから、僕が良太より良太のことをわかってるのは当たり前だ。良太が鏡を覗き込んでいる時間より、僕が良太を眺めてる時間の方がずっと長い。ストーカーみたいで気持ち悪くて嫌になるけど、これが僕のライフワーク。
「良太?」
肉も食べ尽くし、コンロを片付けたらさすがに疲れて、2人でまた僕の部屋で休むことにした。良太は久々の僕の部屋に最初は懐かしそうに興奮してたけど、ベッドに倒れこんだらあっという間に寝てしまった。火を起こさせて今までずっと外でしゃべりっぱなしだったんだから無理もない。
うちの前の通りを車が通り過ぎる音がしたら、静寂が訪れた。夏至を過ぎたばかりだから、7時前だけど外はまだ少し明るい。辛うじて残る夕日が、うっすらと良太の寝顔を照らしていた。今、好きな人が、僕の部屋で無防備に寝ている。寝顔は穏やかで、子供みたいに寝息を立てていた。いくら草食系の僕でも、さすがにこの状況には緊張せざるをえない。今なら良太にキスもできるし、Tシャツをめくって体を眺めることもできるし、やろうと思えば股間をまさぐることだってできる。しかしそのどれも、やる気にはならなかった。良太のことを最悪の形で裏切ることになるから。それでもどうしてもこれだけは我慢できなくて、僕は良太に近寄り、投げ出された右腕をそっと撫でた。
テニスラケットを年中振り回してるおかげで、腕は均整のとれた筋肉がついていて厚みがある。僕の腕と比べてみた。中学時代に同じ部活を3年間やっていたとは思えないくらい、その差は歴然だ。僕の腕は部活を引退してから半年くらいであっという間にしぼんで色も白くなったから、並べてみると親子みたい。そんな良太のたくましい腕がかっこよくて、愛おしくて、僕は良太の右手を僕の両手で包み込んでみた。分厚い手のひらから良太の体温が僕の両手に流れ込んできて、うっとりする。
そしたらその暖かさが無性に切なくて、だんだん自分の気持ちが抑えられなくなってきた。胸の鼓動はどんどん速くなる。体が熱い。この気持ち、誰かに伝えたい。僕の気持ちを聞いて欲しい。今心がパンパンではちきれそうなくらい、良太が愛おしい。このままじゃ心が破裂して間違いが起きるかもしれない。僕は四年前のあの日この部屋で見た、思い立ったらすぐ実行のあのまっすぐさを思い出した。
「良太、起きて。良太。」
肩を掴んで軽く揺さぶる。良太は寝ぼけ眼でこちらを見上げたが、すぐに目に生気が戻って、体を起こした。
「あ、ごめん、俺寝ちゃってた。今何時?」
「今7時。でも今そんなことどうでもよくて。」
「はい?」
「あのね、僕、良太が好き。」
「え」
「だから、僕、良太のことが好き。」
「好きって、俺も、好きだけど。」
「そうじゃなくて、良太のことが、恋愛対象として、好き。」
「ん、それってつまり」
「うん、僕、ゲイなんだ。で、良太のことが好きなの。」
ようやく事態を飲み込んだ良太は、一拍置いた後、突然慌てだした。
「そ、そうなんだ。さっきお前好きな人いないって言ってなかったっけ。ごめん俺全然気づかなかったよ。お、俺はお前のこと好きにはなれない、っていうか友達としては好きだけど恋愛対象としては見れないっていうか、あ、でも俺別に偏見とかないつもりだからそこは気にしないで欲しいっていうか、その」
清々しいほど慌てる良太に、思わず苦笑いした。
「ごめん、動揺させちゃったね。とりあえず落ち着いて。はい、深呼吸。」
素直に深呼吸する良太が可愛い。二、三回息を大きく吐いたら、とりあえず落ち着いたようだ。
「ごめん、ほんとはこんなこと言うつもりはなかったんだけど、寝顔みてたら我慢できなくなった。僕、別に良太と付き合いたいわけじゃないんだ。ただ、僕の気持ちを、知って欲しくなって。迷惑だったら謝る。」
「め、迷惑なんかじゃないよ、俺はちゃんと受け止めるから。だから謝るなよ。ただちょっと、びっくりしちゃって。ごめん。」
しばしの沈黙が訪れた。良太は床に座りなおし、体を僕の方に向けたまま、目をそこらじゅうに泳がせていた。時計が時を刻む音だけが聞こえる。良太が息をしているか心配になった。一応息はしているみたいだけど、心ここに在らず状態で、隕石が落ちてきても気づかなさそう。しばらく話しかけないほうがよさそうだ。僕は静寂が苦しくなって、「飲み物持ってくるね」とだけ言って部屋を後にした。
告白した実感があまりない。僕としてはすごく自然な流れだったから、後悔もあまりない。けど良太にとっては青天の霹靂で、コペルニクス的転回だったに違いない。悪いことをしただろうか。受け止める、とは言ってくれたけど、あの様子じゃたぶんそう簡単にはいかないだろうなとぼんやり思った。冷蔵庫からさっき戻したジュースをまた取り出して、コップと一緒に自室へ持って行った。
部屋に戻ると良太は幾分生気を取り戻した顔で、僕のコップを受け取った。
「ありがとう。」
コップに注いだジュースをあっという間に飲み干し、良太は言った。
「あのさ、俺、これからどうしたらいい?俺、告白されるの初めてだから、どうしたらいいかわからない。」
そうだった。図らずも、彼の一つの初めてを奪ってしまった。ちょっと申し訳ない。
「いつも通りでいいよ。普通でいて。僕は飾らない良太が好きだから、いつもの良太でいて欲しい。」
さりげなく恥ずかしいことを言ってしまって、言ってから赤面した。でも良太はそんなこと気づいていないようで、真剣な顔をして頷く。
「わかった。難しいけど、やってみる。」
正直僕にもいつも通りなんてできるかわからない。僕だって初めての告白だったんだから。けど良太が素直に頷くのを見て、一緒に頑張ろう、という気持ちになった。これから2人の関係がどう転ぶのかわからないけれど、手探りでやって行くしかない。
ハイペースでジュースのペットボトルを空にした後、良太は自宅へ帰って行った。帰り際に見せる笑顔はいつもの良太で、ちょっと安心した。
良太を送り出し、自分1人だけになった部屋に戻ると、ようやく告白した実感が湧いてきた。ついに彼は、僕の根幹の部分を知ってしまった。好きな人であったとはいえ、親友の1人だったとはいえ、彼は僕のいわゆる弱みを知ったことになる。良太がそれを悪用する人ではないというのはわかっているのに、自分の心臓をむきだしのまま持って行かれたような不安に駆られた。自分から自分をさらけ出すのが初めてだったから、どこまで言っても自分が維持できるのか、どこまで言ったら自分が潰れてしまうのかがわからない。自分が望んで言ったことのはずなのに、段々自分に自信が持てなくなってきた。自分自分と頭の中で繰り返していたら、自分って言葉がなんだったかわからなくなって、僕はわけもなく部屋をぐるぐると歩き回った。段々目が回ってきて、ベッドに腰掛けたらどっと疲れてそのまま後ろに伸びた。
考えれば考えるほどどつぼにはまっているのがわかるから、とりあえず良太の「ちゃんと受け止める」の言葉を頭の中で反芻して、無理やり寝ることにした。さっきまで良太が寝そべっていたベッドに入ると、あのときの温もりが思い出されて少しだけ気持ちがほどけた。
良太に自分の気持ちを知ってもらえたのは嬉しいことのはず。
翌日、昨日ほど悶々とはしていないけれど、僕はなんだかそわそわしながら学校へ向かっていた。教室に行けば良太がいる。あれから一夜明けた今、彼は何を思うんだろう。昨日はあっけにとられてなんとなく流していたけれど、今日は正気に戻って僕のことを拒絶し始めるかもしれない。男に告白されたら普通動揺するのに、良太は告白されること自体が初めてだ。避けられてもなんの不思議もないい。というかそもそも僕が良太とどんな顔をして話せばいいかわからない。昨日は普通でいようって言ったけど、この状況がそもそも普通じゃない。普通を繕うなんて今の僕には無理だ。
教室に着いたけれど、良太と顔をあわせるのが気まずくて、僕は良太の席から遠い、後ろ側の扉から中に入った。するとあろうことか良太は僕の席に座って、後ろの男子と話していた。
「おはよう、タカヒロ。ごめん、席借りてたわ。」
「おはよう。」
良太、満面の笑み。急いで立ち上がって僕に席を譲った。変だ。良太は普段こんなテンションの人ではない。
「謎解きの案、俺も思いついたから話してたんだ。星座に関することなんだけどさ。」
「そうなんだ。」
「タカヒロはどう思う?シナリオはゴシックホラーだしちょうどいいと思うんだ。」
「あー、うん、いいんじゃない?ありがとう。」
「ほんと?じゃあ検討してみてな。」
良太は不自然なほどニコニコしながら自分の席に戻っていった。
後ろの男子が愉快そうな顔をして声をかけてくる。
「なんか良太今日テンション高くない?いいことあったのかな。」
「さあ。」
あれはテンションが高いことの表れではないし昨日あったことは別に良太にとっていいことではない。自分のしでかしたことの大きさをひしひしと感じ始めた。
その日は授業が終わるたびに良太に話しかけられ、昼はなぜか卵焼きを2つもご馳走された。放課後は2人とも部活があったけれど、教室から出て行く途中にわざわざ呼び止められて、今度またお前んち行くわ、と声をかけられた。放っておいてくれればいいのに、なんなんだろう。心の皮が剥けたばかりで敏感だから良太の笑顔がいちいちヒリヒリと痛い。部室の休憩所にたどり着いたときはようやく解放されたという思いでぐったりした。
「なんか疲れてる?」
「うーん、ちょっとね。学祭準備、頭使うから。」
先に部室についていた美紗に聞かれて一瞬また全て話してしまいそうになったけど、まだ自分の気持ちの整理がついていないから、迫真の演技ではぐらかす。
「あーあれね、ようやく形になってきて安心したよ。あんたたちいっつも関係ない話してるから。」
「やる時はやるってこと。」
「小道具の方はもうほとんどやることないから、今度手伝いに行ってあげる。」
「えー、いいよ美紗がいると全部美紗の思い通りになっちゃうから。」
「失礼な。あたしだって真面目な話し合いのときはちゃんとおとなしく意見できるよ。」
「僕ら、真面目な話し合いしてないし。」
「そこは威張るとこじゃないでしょ。」
シナリオやアトラクションの構図はほぼ固まり、あとはだいたい僕らの班が謎解きの内容を詰めていくだけ。謎自体はほぼ決まっているけど、このままじゃ世界観にそぐわないと言われたから、少しずつ変更を加えていかなければならない。
「もうあたしも部活と学祭準備でさすがに疲れたわ。早く学祭終わって欲しい。」
「学祭終わってもすぐテストあるし、そのあとはコンクールだよ。」
「あたし二つ以上のことが同時に出来ないんだよね。どれかに集中したいの。テスト期間はテストに集中できるし夏休みはコンクールに集中できるでしょ。」
「なるほどね。」
そしてそれが終わればあとは受験に向けてまっしぐら。楽しい高校生活も、夏が過ぎればその暑さと一緒に一気に終わりに近づく。高校の3年間はもう二度と来ないから、悔いは残したくない。
「あのさあ美紗。」
「なに?」
「なんか今後悔してることってある?」
「後悔?そうだなあ、1年の頃の同期のトランペットの早希ちゃんっていたじゃない?半年で辞めちゃった。あの子のことは今でも悔しいな。」
「ああ、早希ちゃんも上手だったもんね。」
「うん、それもあるんだけど、あたしあのとき、辞めないで辞めないでってすごくしつこく言っちゃったんだよね。あとで知ったんだけどあれが早希ちゃんすごく辛かったみたい。もっと放っておけば考え直してくれてたかもしれないのに、あたしがどんどん重荷になって、逃げ出しちゃったみたい。それがすごく悔しい。」
早希ちゃんは上手だけど少し引っ込み思案な子で、僕が仲良くなる前に辞めてしまった。話はなんとなく聞いていたけど、根性がないんだなあという感想しか湧かなかった。でも、今なら早希ちゃんの気持ちがわかる気がする。たった1日良太に付きまとわれただけで、いつもなら嬉しいことのはずなのに僕はもうくたくただった。良太から逃げ出す、という選択肢が頭に浮かんだら、なぜかすごく魅力的に思えてぞっとした。
「あんたは辞めたいと思ったことないの?」
「ない。」
「即答か。頼もしいね。」
良太との関係を辞めたい?と聞かれたら即答出来ないかもしれないと思った。
次の日もその次の日も良太の様子は相変わらずで、僕はあっという間に疲弊した。僕もさすがに無防備過ぎたかもしれない。良太の不器用さがこんなところで仇になるとは想定していなかった。好きな人に付きまとわれるなんて、普通ご褒美なのに、今は擦りむいた傷口に消毒液を無理やり練りこまれているような気分で正直不快だ。やめてって言いたいけれど、それを聞いて良太がショックを受ける表情が容易に想像できて、言えなかった。
木曜日の1時間目の授業後、僕は、いつものようにニコニコしてこちらに近づいてくる良太と目があうと、たまらなくなって廊下へ逃げ出した。そのときの良太の表情は視界の隅で見えなかった。やることもないので廊下をあてもなく歩いていると、驚くほど気持ちが楽になっていることに気づいた。これだ、と思い、次の休み時間からは、毎回廊下に出ることにした。昼休みは、気遣わしげにあたりを見回す良太を尻目にお弁当を持って教室を出て、屋上で一人で食べた。部活帰り、たまたま良太を見かけたけれど、一緒になりたくなくて、気づかないふりをして近くのコンビニへ駆け込んだ。後ろから誰かに呼ばれた気がしたけれど、誰の声かはわからなかった。
コンビニで適当に漫画雑誌を物色していたら、辛い気持ちは和らいだけど今度は虚しくなって、特大のため息が出た。傷口がかさぶたになっていたくなくなったかわりに、痒くてしょうがなくなるのと似ている気がした。かきむしったらまた剥がれて痛くなるから、ひたすら虚しさと向き合う。これが失恋なのかもしれない。四年前とは違う、当たった結果砕けた失恋。
同じことを続けた翌日の金曜日、部活を終えて帰ろうとすると、スマートフォンに良太からLINEが飛んでいた。いつもはわざわざLINEを使わなくたって会って話せていたから、最後に交わしたメッセージは、この前の1月のものだった。これは重症だ。
《俺ってうざい?》
既読、つけなければよかった。つけたからには返信しないと体裁が悪い。メールを使ってた頃はこんなこと考えなかったのに、余計な機能だ。
《別に、うざくないけど》
すぐに既読がついて返事が来た。
《俺のこと避けてるよね?》
にぶい良太の割には気付くのが早い。面倒な気持ちと申し訳ない気持ちがせめぎ合う。なんと返信しようか迷っていると、続けてもう一通きた。
《ちゃんと話したい。明日の部活後、暇?暇だったら学校の屋上来て。》
はあっ、っと大きくため息をついた。まだあまり会いたくないけど、断る理由も見つからないし、もういいや。
《わかった。》
全部僕が引き起こしたことだけど、全部なかったことにして逃げ出したい。会って何を話せばいいのかわからない。失恋したのは僕なのに、追いかけ回され、相手を悩ませているこの状況にますます混乱して、今日は全然眠れない。
休日の校舎はいつもより広い。校舎がほとんど空っぽで自分のものになったみたいで、自分の声が反響してお化けみたいな声になってかえってくるのが面白いから、僕は土曜日の部活が好きだった。だけど今日はそれも嬉しくない。
練習を終えて、さっさと楽器を片付けて音楽室を出てきた。脚が重いけど、行かないわけにもいかないし、嫌なことは早めに終わらせたい。ため息をまた一つついたら声が混じって、四方八方から陰気な声が帰ってきて嫌な気持ちになった。
屋上に出るとまだ良太は来ていなかった。時刻は午後4時。日は暮れ始めているがまだまだ高い。暑いけれど日陰が全然ないから仕方なく落下防止のフェンスごしに校舎を眺めた。テニス部はここからじゃ見えないけど、球を打ち返す音がまだしてるから、良太が来るのはまだ時間がかかりそうだ。
しばらくそうしていると、屋上の扉がガチャリと開き、テニスのユニフォームを着て汗だくのままの良太がこちらへ近づいてきた。表情からは感情が読み取れない。心臓が一回不自然に大きく脈を打った。
「ごめん、遅くなった。」
「いいよ、どうせ暇だったし。」
「結構待った?」
「30分くらい。」
「そっか。」
良太も僕と並んで校舎を見渡した。しばしの沈黙。先に口を開いたのはやはり良太だった。
「俺、やっぱり変だった?最近。」
「…うん。」
「…そうだよな。ごめん。俺、普通ってわかんなくなっちゃって。」
「良太は気にしすぎなんだよ。何も考えなくていいのに。」
「俺、にぶいから、考えろとか考えるなとか、使い分けできないんだ。」
「そうだったね。」
良太が嫌いじゃないはずなのに、言葉に棘が生まれてしまう。それを知ってか知らずか、良太はまた黙った。
野球部が元気よく挨拶する声が聞こえる。次第にグラウンドから人気が消えていって、足跡だけが亡霊みたいに残った。
良太はめげずにまた口を開く。
「俺さ、中学の頃からあんま友達付き合いとか苦手でさ、広く浅く付き合うだけならいいんだけど、深い付き合いになりそうになると構えちゃうんだ。」
「うん。」
「でも、お前とだけは、なんか違う。なんでだろう、深い付き合いできてると思ってるし、これからもっと仲良くなりたいと思ってるんだ。
告白されたのは驚いたけど、俺はそのことでお前が傷ついたら嫌だと思って、できるだけ仲良く明るくしようとしてただけなんだ。俺、お前の気持ちには答えられないけど、友達としてはお前が一番好き。俺はこの友情、失いたくないんだよ。あのままじゃ、お前がどこかいっちゃうみたいで。」
そういってくれるのは、嬉しい。そんなこと言ってくれる友人なんて、めったにいないから。「友情」なんて恥ずかしい言葉、平気で言ってのけてしまうのが良太らしくて吹き出しそうになる。でも、確かにそれも大事だけど、僕がいま求めてるのは友情じゃない。
「それは僕もだよ。」感情を乗せずにいった。
そっけない返事に肩透かしを食らって、良太はかなり怯んだようだった。
「だから、よそよそしくされると、悲しい。」
良太は消え入りそうな声でそう呟いた。僕だって悲しいのに。仕方のないことなのに。なんでわからないんだろう。どうしてほっといてくれないんだろう。良太はそうやっていつもにぶいから、かっこいいのに女の子にもてないんだ。
「だめかな、俺。此の期に及んで友情を続けるのって、わがまま?」
瞬間、良太との思い出がフラッシュバックする。一緒に学校に通ったこと、一緒にテニスしたこと、一緒にバーベキューしたこと、一緒に学祭の準備を頑張ってること、この間頑張って告白したこと。全部が過去のものになる?
「わがままだよ。」
つい口をついて出て、だめだ、もう止められない。
「わがままだよ。僕がどんな思いで告白したか、察してよ。なんで避けてるのか考えてよ。もう関係が全部たち切れる覚悟だったのに。そういう能天気なのが一番辛いんだよ。中途半端に可能性をちらつかされるのが一番辛いの。僕はもう何年も前からずっと我慢して、友達のままでいようって、気持ちをずっと隠してたんだよ。だから良太もちょっとは我慢してよ。結局友情は恋愛なんかに勝てないの。恋愛で失われる友情もあるんだよ。わかってよ。」
目を見て言えず、良太の胸のあたりを見つめながら一気にまくし立てた。感情が高ぶって息が切れる。体が少し震えた。
沈黙が訪れた。カラスが間抜けに鳴く声がする。もう帰る時間か。僕も早く帰りたい。気まずくてしょうがない。今まで押し殺してた気持ちを全部吐き出したのに、少しも気持ち良くない。
気持ちが少し落ち着くのを待ってから、ずっと伏せていた目をあげ良太を見ると、なんと泣いていた。それも涙目になるどころではなく、顔をくしゃくしゃにして涙をだらしなく垂らしながら声もなくすすり泣いていた。
さすがに僕も怯む。言いすぎた。良太は、僕がごめんと声をかけるかかけないかというところで「ごめん、俺」と声を絞り出し、涙を拭いながら階下へつながる建物へと駆け出していってしまった。
僕は動揺を隠せないまましばらく呆然と立ち尽くした。
あのたくましい体と精悍な顔つきをした男の子が、恥ずかしげもなくぼろぼろ泣いていた。人があんなに泣くところ、久しぶりに見た。ましてや良太の泣き顔なんて、初めてだ。好きな人の初めて見る表情なのに、全然嬉しくなかった。正直人の泣いてるところなんて、好きな人のでも見るものじゃない。人の心を生のままで引っ張りだしてそのまま目の前に叩きつけられたみたいでグロテスクだ。まあ今回は泣かしたのは僕だけど。僕、なんて言ったんだっけ。昂ぶっていたからよく思い出せない。失恋したのは僕の方なのに、僕は告白してから一滴も涙が出ない。この差はなんなのだろう。良太にとって僕との友情は泣くほど大切なのに、僕は良太への気持ちを友情もろとも失いたいと思っている。
良太には確かにひどいことを言ったかもしれないが、なぜか罪悪感はあまり感じていなかった。互いの今後のためには、多少の悪は必要だと薄々感じていたからかもしれない。ゲイがストレートの人を好きになるのには、それなりの覚悟と代償が必要だ。常日頃からそう思って暮らしてるから、きっと感覚が鈍っているんだ。良太には悪いけど、今回の代償はクシャクシャの泣き顔と友情が一つ。友情なんかにずるずると縛られ続けていたら、きっと今後もっとお互いを傷つけていただろう。僕が良太を好きになった瞬間から、きっとこうなることは決まっていた。運命だったんだ。
そう割り切っているはずなのに、切ない。どうしようもなく切ない。やっぱり涙は出ないけど切なくて切なくて、呆然状態から我に帰ると僕はフェンス越しに沈む夕日をただひたすら眺めた。夕日が沈んだ後も明かりが灯る町並みを、守衛さんに見つかって追い出されるまで眺め続けた。
「タ カ ヒ ロ くん?」
月曜日の練習が終わると、美紗が恐ろしい顔で僕に近づいてきた。
「分かってる分かってる。言わないで。」
「分かってるならいいけど。次の土曜日なんだからね本番。」
「ごめんってば。ねえ、おねがい、このあとマック付き合って。」
今日の練習は自分でもわかるほど悲惨だった。音がスカスカってこういうことね、と冷静な自分は大いに納得した。今日は音がスカスカなだけでなく、音程も外すしリズムも甘いし、集中できてないことがバレバレだった。みんなに怒られるかと思ったのに周りはすごくおっかなびっくりな目で僕を見るから、あの噂も本当だったことが証明された。
いつかに初めて自分の心を丸裸にしたこのマックの店舗は、あのときと同じように冷房が効きすぎて寒い。僕はアップルパイとホットコーヒーを買って席へ着いた。
「で、なんかあったわけ?」
「告白した。」
チョコレートパイをかじっていた美紗が途端にむせかえった。気管にパイ生地が入ったらしく、2分ほど話が出来なくなった。
「はあ、はあ、ごめん。ちょっと急展開すぎて。それ、いつの話?」
「バーベキューのとき。この間話したやつ。」
「ああ、あれ。先週だっけ。それで?まさかOKだったとか?」
「だとしたらあんなひどい演奏しないよ。」
「それもそうか。」
僕はこれまでのことをすべて話した。すると美紗は何故か急に合点がいった顔をした。
「どうかしたの?」
「あ、いや、別に。ちょっと思い出しただけ。」
「そう。で、今日冷静になって考えてみたんだけど、やっぱりどう考えても僕が悪いよね。わがままだよね。」
「ちゃんとわかってて安心した。まああんたの気持ちもわかるけどね。告白のハードルが高いのはかわいそうだと思うし、あんたの気持ちが落ち着かないのもわかる。けどやっぱりタカヒロの場合は悲しいけど特殊な分告白するのにそれなりの責任が伴うわけだから、あいつの気持ちを思いやる努力は必要よね。」
「うん、今日になってやっと気づいた。あいつも悩んでたんだなって。」
今日の良太は見てられなかった。付きまとわれることはぱったりなくなったけど後ろ姿にまるで覇気がなく、顔も心なしかやつれて、眉尻が重力に耐え切れず下に向かって垂れていた。分かりやすすぎるところだけは相変わらずで、自分のせいなのにすごく不憫に見えた。
「いつもにぶいから言ってあげないとわからないと思ったんだけど、言い始めたら止まらなくなっちゃって、余計なことまで言っちゃった。」
「あんたもひねくれてるしね。で、どうしたいの、これから。」
「謝りたい。仲直りはできないかもしれないけど。」
「そう。じゃ、頑張んな。」
「え、ちょっとそれだけ?なんかアドバイスちょうだいよ。」
「だって謝るのはあたしじゃないもん。でもあっちも子供じゃないしちゃんと謝れば許してくれると思うよ。難しいかもしれないけど2人とも素直になれないだけなんだから言っちゃえばすぐ仲直りできるよ。」
「それができないから困ってるんじゃん。」
「できないと一生このままだよ。それにあんたはもう少し愛想良くなった方がいい。」
「人間そう簡単に変われないよ。」
「あいつはきっと変わろうとしてるよ。」
「ねえ、さっきからなんであいつのこと知ってる風にいうの?」
「え、だって良太くんでしょ?あたしこの前の金曜日に相談されたの。告白されて振ったけどその人のことずっと大事にしたいって。最初は意味わかんなかったけど、さっきやっとわかった。あんたも幸せ者だね。」
その週末、ついに学校祭が始まった。僕たちのクラスの出し物もなんとかギリギリで完成し、あとは運営をするだけだ。僕は土曜日は公演があって1日忙しいから、日曜のシフトに入って受付を担当することになった。
土曜日の午前、僕らは体育館を借りて設営をし、最後のリハーサルをした。金管楽器は自分の唇が楽器だから、本番のためにセーブしてリハはあまり本気で吹かない。だから、本番でどんな音が出るかはこれまでの練習によるところも大きいけれど、結局はそのときの自分の気持ち次第だ。
僕は昼休憩の間、バーベキューのとき良太に絶対来て、といったことを思い出していた。何事もなければ良太はきっと来るだろう。でも、今は状況が状況だ。律儀な良太でも今日は来ないかもしれない。
僕らの距離はあれから少しも縮まっていなかった。むしろ僕は仲直りしようとして失敗したら今日の公演に響きそうで、解決を先送りにしていたし、良太も月曜日に比べればだいぶ持ち直したようだっけれど、僕に近寄ってくることはなかった。一度だけ僕が教室に入ったときに亮太と鉢合わせしたけれど、なぜか探るような目つきで見つめられただけで特に言葉も交わさなかった。
今日の公演はコンクールじゃないし、吹奏楽にあまり興味のない層がいつもより多いから多少間違えても誰も気づかないだろう。良太には来て欲しいけど、もし良太が聞きに来たら背が高くてすぐわかるから、あの巨体を見たら胃袋が揺れて失敗するかもしれない。なら聞きに来なくてもいい。ほんとはこれまでの成果、聞いてもらいたいけれど、どうせならお互い心にしこりがないときに聞かせたい。良太は音楽に興味がないからベストの音を聞かせたところでトンチンカンな褒め方しかできないと思うけど、それでも心のモヤモヤののった音を聴かせるよりはずっとマシだ。
そしてその日の公演は良太が来なかったから、ホルンソロは大成功で終わった。
閉祭式では、我がクラスはアトラクション部門で3位の賞を獲得した。背景や大道具などのビジュアルのポイントが高かったらしい。謎解きのことに関しては特に何も言及されなかった。謎解きあってのアトラクションだったのに採点者は僕らに失礼だと思った。その翌日、僕らのクラスは教室の片付けを終えるとそのまま打ち上げ会場に向かった。焼肉バイキングのお店で、2時間の食べ放題。もちろんお酒なし。料理を食べ始めると、酔っ払っているわけでもないのにみんないつもより興奮して声が大きくなった。僕は謎解き班のみんなと誰も褒めてくれなかった問題をひとしきり褒め称えた後、会話の狭間で手持ち無沙汰をしていた美紗のところへ行った。
「お疲れ美紗。」
「お疲れー。改めて言うけどこないだのソロ、ほんとよかったよ。1番が出たね。」
「ほんと?ありがとう。美紗のソロも、かっこよかったよ。」
「でしょ?ありがとう。
あーあ、お互いのソロ褒めあうのももうすぐ終わりだねー。」
「何言ってんの、まだ1ヶ月以上あるじゃん。」
「1ヶ月なんてあっという間だよ。今のうちに惜しんでおかないと。」
「まあ確かに。この1ヶ月もあっという間だったしな。」
環境があまりにもめまぐるしく変わった1ヶ月だった。そしてまだその終点は見えない。
目をそらして店中を見回していると、すかさず美紗が口を挟む。
「良太くんのこと、気になる?」
「ん、まあね。でもほら、前よりはずいぶんマシだよ。ちゃんと笑ってる。」
良太は大道具班の男子と肩を組んで冗談を言い合っていた。しぼんでいた体がまた大きさを取り戻したみたいで少し安心するのに、ちょっぴり寂しい。
「そうじゃないでしょ。このまま風化させていいの?時間が経てば経つほど仲直りしにくくなるよ。もうあたしが良太くんここに連れてこようか?」
「やめてよ恥ずかしい。それに今そんなつらいこと考えたくないよ。楽しい場なんだから。」
「うーんまあそうだけど。でも私は夏休までにはちゃんと決めた方がいいと思うけどね。」
「はいはい。」
それから僕たちは、1ヶ月後に控える吹奏楽コンクールの話題で盛り上がった。
開始から1時間ほど経ち会場が十分温まった頃、1人の女子が景気付けに王様ゲームをやろうと言い出した。どうやら全員強制参加らしい。王様ゲームなんて高校生がやるものだっただろうか。キャバクラで酔っ払いがやるゲームではなかったか。やれやれめんどくさいことになったとしぶしぶ参加することにした。ここでやりたくないと頑なな態度をとれば、余計に面倒になることは目に見えている。
その女子はわざわざ割り箸を20膳用意してもらい、二つに割って数字を一つずつ書きづらそうに書いていた。乗り気な人とどちらでも良さそうな人と半分半分で、やりたい人だけでやれば割り箸も半分で済んだのにと思った。
数字を書き終えると、それらを束ねて数字が見えないように握り、1人ずつに引かせていく。全員に行き渡ると、王様だーれだ、の掛け声ののちに王様くじを引いた者が手を挙げた。まだ最初のお題だからということで、軽めに7番と30番の人がハグすることになった。手を挙げたのは野球部とバスケ部のガタイのいい男子2人で、一部にはそこそこうけていた。
あるものはポッキーゲームをし、あるものは互いに愛してると言い合い、あるものはなぜかコンビ芸人のモノマネをさせられたりしながら、ゲームは進んでいく。
6巡目のゲームのとき、悪乗りした王様が、「そろそろチューいっちゃいます?」などと言い出した。この頃になるとどちらでも良さそうだった人たちもそこそこ楽しんでいる様子で、王様の一言にみんな盛り上がっていた。
「じゃあ、21番と30番の人、キス、お願いしまーす!」
自分の番号を見ると、げ、30番。21番の方はとあたりを見回すと、恥ずかしそうにおずおずと手を挙げる良太だった。
あちゃー男同士かー、いや男女よりかえってマシっしょ、あの2人仲いいし大丈夫、そういえば最近あの2人喋ってるとこ見てなくね?あ、ふたりってもしかしてこれ初チュー?いいよいいよ、やれやれー!
あまりにできすぎたシチュエーションに誰かの陰謀すら感じた。ちらりと美紗の方を見ると、他の人の盛り上がった顔に混じって、少し驚きと緊張の表情をのぞかせていた。どうやら美紗の陰謀ではないらしい。
今度は良太の方を見る。こちらの方は見ず、照れくさそうに笑っていた。嫌そうではない。みんなに背中を叩かれ、こちらへ近づこうとしていた。
瞬間、この部屋の喧騒がとても遠くに感じた。良太は僕のためではなく、みんなのために僕にキスをしようとしている。そういうゲームだから仕方ないにしても、いつもなら良太は先に僕を気遣うだろう。でも今日は、ヤジを飛ばすほかのクラスメイトと同じ顔をしている。おもちゃでじゃれ合う子供の顔をしている。僕はこのたった一週間の間に良太の友人から単なる盛り上がりの道具に成り下がったんだろうか。良太が、どこか遠くに住む知らない若者みたいに見えた。
誰にも気持ちを見透かされないように無理やり照れ笑いを作りながら、僕も良太に近づいていった。みんなが見やすいところに二人で立つと、みんな歓声を上げた。僕が良太の方を見ると、良太は一瞬だけ真面目な顔になって、僕の唇に唇を重ねた。
2、3秒、そうしていたと思う。まわりには悲鳴とも歓声ともつかぬ叫び声がこだましていたが、なんといっていたかは全くわからなかった。フラッシュの光も浴びた気がする。色気のないキス。うっとりもしなかった。唇はこわばっててできの悪いグミみたい。僕のファーストキスは、憧れの人との、その辺に落ちてる飴玉の包み紙みたいなキスだった。
唇を離すと、また良太は一瞬真面目な表情を僕に見せた後、また照れ笑いを浮かべて自分の席に戻った。
帰り道、僕は必然的に良太と一緒に帰ることになった。最寄り駅までは他のクラスメイトもいたから良かったけれど、二人で駅を降りると、見ないふりをしていた気まずさがよみがえって二人の間に横たわる。
先に口を開くのは、いつも良太。
「ごめん、土曜日の公演だけどさ、テニス部のシフト入って行けなくなっちゃったんだ。ごめんな。」
久々に良太の声を聞いた気がした。いつも通りに太くて暖かい声が耳から入って首を通り、心を清らかな水で満たす。それでも満杯にはまだ遠くて、もっと欲しいのに、口から出る言葉はそっけなかった。
「そっか。残念。」
「どうだった?うまくいった?」
「絶好調だった。」
「そっか。よかったな。聞きに行きたかったよ。」
会話はそこであっさり途切れた。
駅のホームを出て僕のうちを目指す。良太のうちは、僕のうちを経由すると少し遠回りになる。でも僕と一緒に帰るときは、良太はいつも律儀に僕のうちまでついてきた。
住宅街に入ると、ふたりの足音が不規則に響いて近くの家にこだました。良太の足は僕よりずっと長いから、僕は良太より余計に歩数がかかる。良太はそれをちゃんとわかってて、僕と歩くときはいつも少しゆっくりめに歩いてくれる。
いつもはにぶいけど、そういう小さな気遣いはしてくれる、優しい良太。
話を切り出すタイミングを何度もうかがっていると、良太がまたおもむろに口を開いた。
「あのさ、さっきのチュー、やっぱいやだった?」
結局先を越された。呼吸が一瞬止まる。あれから、ずっと考えてたこと。
「まあ、いやだったけど、仕方ないよあの状況じゃ。やらない方が不自然だったし。」
「ごめん。やっぱり俺がやめようって言うべきだったよな。
あのときほんとはかなり迷ってたんだ。お前は俺と顔合わせたくなかったろうし、かといって拒絶するのもお前に申し訳なかったし。でも、正直俺はお前とキスすることでどんな気持ちになるか確かめたかった。お前もあのときはそんなに嫌そうな顔してなかったからいいかなって。」
嫌そうな顔してなかったのは場の空気が悪くなるのが嫌だったからだけど、僕もあの場でそこまで良太の顔から感情を読み取ることはできなかった。
良太は一呼吸おいてから、吹っ切れたように続ける。
「それでさ、俺、さっきのチューでわかった。やっぱり俺はお前を恋愛対象としては見れない。」
「そりゃそうでしょ。それは最初から期待してないよ。」
「いや、そうじゃなくてさ、俺、やっぱりお前が辛いんなら、お前から離れるよ。実は最近まで思ってたんだ、もしこのまま関係が続けられるならお前と恋人になっても、って。でもやっぱりそれが無理なのはさっきのでわかった。だから、もう、俺もうじうじ言わないことにする。お前がそうしたいって決めたことだから。」
暗くて良太の表情はよく見えないけれど、たぶん、笑っていたと思う。
さっきの遠い喧騒を思い出す。モブキャラに埋もれる良太。教室で僕の主役だった良太は次第に背景に変わっていって、いつかほかと見分けがつかなくなる。良太とのキラキラした思い出の映像が、全部ただの綺麗な景色を写したCMになる。どう?
そんなのいやでしょ。
「わ、どうした?」
次の瞬間、思わず良太に抱きついていた。良太は突然の出来事に硬直する。
「やだ。」
「え?」
さらにきつく抱きしめた。
「わがままでいいから、僕とずっと友達でいて。やっぱり僕には、良太のいない世界なんて考えられない。恋人になんてなれなくてもいいから。っていうかわがままだったのは僕の方だよ。僕自分のことしか考えてなかった。自分の気持ちさえ整理できればって思ってた。あのときはほんとにひどいこと言っちゃってごめん。もしかしたらこれからも迷惑かけちゃうかもしれないし、ギクシャクしちゃうかもしれないけど、それでも僕は、これまでずっと友達でいてくれた良太が好き。」
いつかと同じ、気持ちを全部吐き出してみたら、今日はすごく気持ちがよかった。顔が熱くなって、胸の鼓動が速くなる。ずっと触れたかった、良太の体。
困惑の様子だった良太は、ぎこちなく僕の背中へ手を回した。筋肉質の腕が暖かい。
「タカヒロはいっつも溜めるだけ溜め込んで、吐き出す時に一気に全部出すから俺ついてけないよ。」
良太はそういって、微笑みながら僕の頭を子供をあやすようにぽんとなでた。
「けど、そういってくれて、死ぬほどうれしい。」
良太は前と同じ、涙をぽろぽろとこぼし始めた。最近まで知らなかった、良太の泣き顔。太い眉毛が綺麗に垂れる。
「俺、やっぱお前から離れるなんて、できないわ。お前はやっぱり大切な友達。恋人にはなれないけど、それでもいいの?」
僕はこくりと大きくうなづいた。良太につられて涙が溢れた。恥ずかしいけどどう頑張っても止められなくて、良太の胸を借りてひたすら泣いた。
好きな人に胸を借りて泣くシチュエーション、テレビで見るときは恥ずかしくていつも目を伏せていた。泣く行為は恥ずかしいことで、それも人の胸でなんて論外、人の涙は見たくないし、まして自分の涙なんて絶対見せたくなかったはずなのに、いまはこの状況が幸せだった。同じ気持ちになって一緒に涙を流せる相手がいることが嬉しかった。たとえ恋は実らなくても、好きな人が自分を友達として求めてくれる、今はそれだけでいい。いつか良太に恋人ができる日が来るかもしれないし、僕に他に好きな人ができるかもしれない。それでも一度捨てかけたこの友情は、捨てようとした途端に切なくてどうしようもなくなるこの友情は、もう離したくない。
5分ほどそうして抱き合っていたが、だんだん冷静になると、男子高校生が夜泣きながら抱き合っているのは結構怪しい。近くにいたセミが鳴いたのに驚いたふりをして僕は離れた。
「そうだ、わがままついでにさ。」
「なに?」
まだ涙で顔がグシャグシャの良太がこちらを見下ろす。初めて人の泣いた顔が可愛いと思った。
「さっきのキス、全然良くなかったからもう一回。」
「はあ?」
「もう一回やっちゃったんだから2回も変わらないよ。」
良太は困ったような顔でしばらく迷ったが、また微笑んで言った。
「仕方ねーな。でももう一生わがまま聞いてやんないからな。」
そういってほんの一瞬だけ、良太は僕に口づけした。
さっきよりもっと色気もなく短くて、優しかった。
初投稿となります。お楽しみいただけたでしょうか。
特別奇をてらった展開もありませんが、ゲイがノンケの人に恋して、可能な限り円満な関係になるとすればこうじゃないだろうか、というのを、自分の希望を大いに織り交ぜながら書きました笑
取り方によってはグッドエンドにもバッドエンドにも見えるストーリーかなと思います。
こんないい人すぎるノンケはそういないと思いますが、妄想してると楽しくてどんどん自分の好みのノンケができてしまいました笑
自分は絵が描けないので、これが漫画とかになったらさらに萌えるだろうな。。。
これからもBLに限らずいくつか書いてみたいと思いますので気に入っていただけたらそちらもどうぞよろしくお願いします。




