06 <邪剣姫ヒスティア>
(:フロンス街道)
帝国騎士団。
神聖ユーロ帝国の建国当初から皇帝が指揮権を持つ直属の軍隊として帝国騎士団は存在した。高倍率の試験を受け騎士団学校に入り、拷問のような訓練を経て騎士団員になることは帝国内では最高の誉れである。騎士団に配属された後は、五人一組の班で行動し、実力が伴えば班長、大班長、部隊長と出世していく。騎士団員は馬術や槍に秀で、部隊長クラスともなれば高難度の魔法を当然のように扱い、上級の魔物すらいとも容易く屠る。
それなのに。
「なんなんだあの化け物はよおッ!」
その子供の足元には帝国騎士団第7部隊長であるアレックスさんの首が転がっていた。目を見開き、口を大きく開き、赤黒い舌がだらしなくそこから出ている。アレックスさんの短く刈られたブロンドの髪が血で真っ赤に染まっていた。軍神アレスを体現したかのような、筋肉に覆われたその体は既に蹂躙されていた。四肢はもぎとられ、腹部には大きな風穴が空いている。アレックスさんだけではない、オレの班とジャンの班を残したその他すべての騎士団第7部隊団員は血の海に沈んでいた。そしてその惨状を生み出したあの子供はというと。
「笑ってやがる……!」
アレックスさんの返り血で汚れた顔に、狂気の笑顔を貼り付けていた。口と目を三日月状に歪ませ、今にも喜びが全身を貫き爆発しそうになる寸前、といった様子で笑っている。そして、その目は俺たちを捉えている。帝国騎士団第7部隊を名を、捉えている。オレの班のヤツらはそれを感じてか、恐怖に慄いている。槍を持つ手がぶるぶると震えていた。
「フレッド、どうする。サシじゃ敵わねえよな」
隣で槍を構えるジャンが額に汗を浮かべながらそう言う。口に薄ら笑いを浮かべてはいるが、強がりだろう。敵を見る目とその額の汗、そして槍先が震えていることが、何よりの証拠だ。
「班長のオレらが怖気づいてたら、士気に関わるぜ、ジャン。槍先の震え、止めろ」
「つってもなあ……大班長に続き、部隊長までああなっちまうとなあ……キツいぜ、ほんと」
オレはアレックスさんの胴体の近くに転がる死体ーーウィリス大班長の死体に目をやる。アレックスさんと同様に、腹部に風穴が空いており、そこから臓物が好き勝手飛び出ている。吐き気がこみあげるが、耐える。オレたちの敵であるその子供はウィリスさんの腹を突き破った左手ーーウィリスさんの、そしてアレックスさんの血と臓物で汚れた手を、まるで愛でるかのように見つめていた。先ほどからそうしたまま、動きがない。
「ジャン、お前、<鑑定>持ちだろ。見たかよ、あいつのステータスプレート」
「ああ、見た。が、役に立たん。あいつ、<隠蔽>持ちだ。笑えるぜ、レベル4のガキにここまで殺られるわけねえだろ」
ジャンの口角が吊りあがるが、頬の肉がぴくぴくと痙攣している。無理矢理笑ってるのが見え見えだ。オレはスキル<多重思考>(マルチタスク)を使い、そんなジャンを脇目にもう一度状況を整理する。
地形は見通しの良い平原で、撤退するにしても隠れるものがなく追撃されたらおしまい。救援を呼ぼうにも、<通信>の魔法陣を相手が悠長に書かせてくれるとも思えない。他の部隊も近くにおらず、本国にはここからだと最低でも二日はかかるため、救援は望めない。生き残りはオレ、ジャン、オレの班の班員4人(全員ゴミだ)とジャンの班の班員4人。
「詰んでるじゃねえか……!」
オレは大きな舌打ちをする。ジャンが「ヤケになるなよ」と茶化す。
どうする。一か八か撤退か? アイツから逃げ切れるか? アレックスさんとウィリスさんを瞬殺したあいつから? 無理だ。見逃してくれるとも思えない。撃破なんて以ての外だ。うちの部隊はアレックスさんが最高戦力だ。うちにはアレックスさん以上に強いヤツは居ない。
「……居ない?」
「フレッド、気が触れたか? 勘弁してくれ」
「……ジャン、一つ策がある」
「……言ってくれ」
オレはジャンに肩を寄せ、後ろの班員ゴミどもに聞こえないよう小さな声で、言う。
「生贄を捧げて、悪魔を呼ぼう」
ジャンの顔に驚きが現れる。が、数秒してその顔に先ほどと同じような笑みを浮かべる。
「<邪剣姫>か?」
「ああ……ただあいつは亜人の肉じゃ満足しねえ。人間の命をきっかり8つでやっと召喚だ。分かるな相棒。カウントしろ」
「ああ分かるよ相棒……いち、にの、さん!」
オレとジャンは同時に振り向いて、後ろに控えていたゴミどもを槍で殺す。何故ですか班長、やら貴様、やら聞こえたが、使えねえのが悪い。自分が一番可愛いんでね。
再び振り返り化け物を見ると、オレたちの行動の意味が分からないのか、少し首を傾げている。ただ、襲いかかってくることはないようだ。
「その驕りが命取りだぜ……! <肉を捧げる! 邪剣姫よ来たれ!>」
元・部下たちの死体が痙攣し始める。その痙攣はどんどんと大きくなり、更にその死体たちの影がゆっくりと大きくなってゆく。影と影とが結びつき、大きな黒い穴になる。その穴の奥から巨大な邪気を感じる。
するり、と音がする。衣と衣が擦れる音がして、それからその穴から手が出てくる。そのまま穴から押し出されるようにして、ゆっくりと、姿を現す。
<邪剣姫ヒスティア>。
褐色の肌、赤色の前髪が目元で横一線に切りそろえられ、その他の部位の髪が豊満な胸に沿ってするりと整っている。黒色のドレスを着ており、まるで修行僧のように同じ色の布で目を覆い隠すようにぐるぐる巻きにしている。そして、剣を左手に持っていた。その通り名の由来である―—<邪剣>。細身の剣は今は鞘に納められている。
「おお……成功か」
ジャンが邪剣姫の美しい姿を見て感嘆する。
「よく召喚に応じてくれたな、邪剣姫ヒスティアよ」
オレは彼女にそう声をかける。ヒスティアは辺りの死体の山、そしてオレとジャン、それからあの化け物を順番に見て、ふんと鼻を鳴らす。
「オレたちは肉を捧げた。命に従ってもらう。あのガキを殺せ」
「……」
ヒスティアは剣の柄に右手をかけた。そして、一閃。
ジャンの首が、飛ぶ。ヒスティアの剣は既に鞘に収まっている。
「あ?」
オレの口から出たとは思えない間抜けな声を出してしまう。
「……お主たち、勘違いしておるのう。妾が貴様らのような下衆に使役される存在と思うてか。まして筋肉ばかりの男の命を捧げられても、嬉しくもなんともないわい」
ヒスティアがそう言って、再び剣の柄に手をかける。
弁明をする前に、オレの首は飛んでいた。