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愉快な仲間

 この辺りでは一番人が多く集まる場所だから、と彼らは言う。

 在来線の他にも私鉄が何本も乗り入れ、バスの乗り場は十を超える。月浜は県内で一番賑わう駅であり、人通りが絶えることがない。


 複雑な造りの駅の東口から出ると、若い女性向けのファッション専門店ばかりを詰め込んだビルが二つ並んでいる。ファミレスがあり、居酒屋があり、歩道橋が行き交う大通りから離れ始めると、細い道の奥には怪しげな夜の店が並んでいた。派手なドレスの女が男と腕を組んで歩き、一つだけ健全な色合いで灯っているコンビニエンスストアの前には、酔いつぶれた若いサラリーマンがうずくまっている。


 道の隅に渦巻く小さな欲望をつまみ食いしつつ通りを抜け、エリィは隠れ家へ帰ってきていた。そして、すぐに怒られた。


「あのサイトはなくなったのに、何故まだ会う約束をする?」

 

 何年もテナントが入らないまま打ち捨てられたビルの三階はもとはバーだったところで、中には古びたカウンターと、丸い座面がくるくるとまわる椅子が七脚そのまま残されている。

「やん、あんなの、社交辞令っていうかぁ、一応あの場ではいいわよって言っただけでぇ」

「なにが社交辞令だ。会いに行く気まんまんじゃないか」


 カウンターの奥には説明しようのない謎の暗がりがあって、そこから「ボス」の声がする。

 「ボス」の姿を見た者はいない。真の名を知る者もいない。だが、この辺りに集う「人でなし」たちは彼を慕い、指示に従うようになっている。


ずた(・・)、我々の正体を知る者は、少なければ少ないほど良い。あの青年は誰かにぺらぺらと話すようには思えないが、人間は裏切る。我々ほどそれを知っている者はいないはずだ」

「あたしはエリィよ。そんな汚い名前で呼ばないで」


 かつて父から与えられた自分の名が、エリィは嫌いだった。

 今は自由だ。好きに振る舞い、好きに眠り、好きな服を着て、好きな名で暮らせる。

 紺色の長いワンピースに、ド派手な大きな白い襟。くるりと回ると、裾と襟がはためいて、心が浮かれる。


「確かに哲は素敵だったわよ。綺麗な顔に、綺麗な瞳、綺麗な体に、綺麗な心……」

 ほう、とため息をつくと、長い髪がふわりと広がる。

「また会いたいわ」

「そら、またこれだ」

 「ボス」のうんざりした声など、エリィには聞こえない。

 頭の中は「素敵なあの人」でいっぱいだから。見た目もいいが、悩みの質もいい。なぜ人は人を妬むのか? もう二十七歳にもなるのにこんなピュア丸出しの質問を大真面目に、しかも「妖怪」相手にするなんて。


 彼を怒らせたら、どれほど甘い露が吸えるだろう?

 彼が憎しみを募らせたら、その味はきっと「人でなし」の魂を消し去るに違いない。


 人でなしは憎しみを吸えなくなったら消えてしまうが、逆に、狂おしいほどの怒りや憎しみを口にしても死ぬという。自分の命の形を変えてしまう程の甘い蜜(憤怒)を味わったら、その命が尽きてしまうと聞いている。


 命を落とすほどの美味とは、どんなものなのか?


「くだらない夢想に浸っているようだな、エリィ」

「あん、嬉しい。エリィって呼んでくれて」


 返事をしないくせに、と「ボス」は呟く。

 その後の小言はすべて無視して、エリィは上階の自分のねぐらに入ると闇と同化して、眠りについた。


 まどろみの中に浮かぶ、白い顔。


 鬼釜哲。


 いつでも薄く微笑んだような穏やかな顔をして、静かに生きている美青年。

 彼は寂しい青色の気配を放ちながら、こう言った。


 ――エリィさん、なぜ人は怒り、僕から離れていくんでしょう?

 

 美しく整った目鼻立ちを、エリィは上から順にそっと撫でていく。

 夢の中の哲は少しだけ嫌そうな顔をすると、自分の頬に触れるひとでなしの手を強い力で払った。



 



 次の日は金曜日で、哲にとっては一週間の勤労の締めとなる日だ。月浜駅から徒歩六分のところにあるディスカウントストア「デイアンドナイト」は年中無休で、土日の方が時給は高い。けれど哲は好んで、月曜から金曜までの五日間を働く日に決めていた。

 エリィと話し込んだせいで、眠りについたのは午前二時。生活のリズムが崩れている、と哲は思う。まぶたが重く、思考も冴えない。そして何より肩が重い。

「哲ぅ、今はなにをしてるの?」

 背中にエリィがしがみついていた。人間ではない存在に物理的な重さはないらしいが、不気味な女が背中に乗っているという現状はやはり重い。

「開店準備です」

 哲は小声で答え、半分開いたシャッターの向こうに商品を出していく。


 昨日の夜、教えてくれと頼んだのは哲の方だったが、エリィが馬鹿正直にやって来るとはあまり思っていなかった。彼女の目的は既に果たされている。人の恨み憎しみを食べるのに忙しくなって、哲の子供じみた疑問のことなどすぐに忘れさるものだろうと思っていたのに。


 商品の陳列や諸々のチェックを終えて一番レジに入り、哲は小さく笑う。


 哲以外にはエリィの姿は見えていないらしく、瑞島ゆきえも、もう一人のアルバイトである三方(みつかた)鋭斗(えいと)も、真横で彼らを覗き込んでいる不気味な女には一切気が付いていない。

 見えない誰かと話す姿は、傍から見たらどれだけ奇妙に映るだろう。

 哲は考え、エリィへと目をやる。


 今はレジ手前の安物のフライパンが大量に詰まれているカゴの前にいて、じっと三方を見つめている真っ最中だ。



(今日も見てるなあ)

 三方鋭斗、二十六歳。

 一歳若いが哲とは同じ学年で、デイアンドナイト月浜中央店のアルバイトとして働いている。一年前まではニートだった。高校を卒業してからのんびりだらだら自宅警備員生活を満喫していたのだが、両親が相次いで病に倒れたため働かざるを得なくなり、自宅からほど近い小汚いディスカウントショップでアルバイトをし始めた。


 憂鬱極まりないリアルライフの始まり、人生初の敗北――。

 ところが三ヶ月ほど我慢して通っているうちにあることに気が付いた。


 同僚である女性、今現在鋭斗が見つめている先にいる人物、瑞島ゆきえ。

 おっとりとした垂れ目に、ぽってりとした唇、隠しきれない巨乳が「エロい人妻」であるところの彼女は、いつもいつも鬼釜哲を見つめている。


(鬼釜君はイケメンだから)

 同性である鋭斗から見ても、哲は美しい青年だった。

 生まれ持った器が違うからって、同程度の年月をかけて育んだ結果にこれほど差があるなんて。

 チビ、小デブ、ヲタ、コミュ障などなど何重苦をも抱えている自分と、美麗、細身、物憂げな視線から儚い色気を放ち続ける哲。万が一横に並んだりしようものなら、現実の非情さに二度と立ち直れない、と思いつつ、その一方ではこんな風にも思ってしまう。

(でも、鬼釜君になら抱かれてもいいんだな、これが)

 鬼釜哲は静かな青年だった。いつでもほんのりと微笑むだけで、怒らないし、苛立たない。強烈なクレーマーが来た時ですらそう。あれほど熱い視線を送るゆきえに対してもとてもクールだし、なにより鋭斗に対してなんの差別もしない。

 何度か同じ部屋で休憩をしているうちに、哲の「無害さ」は「うらやましさ」を上回って、いつの間にやら鋭斗はこんな男なら友達になってもいいかもと、思うようになっていた。


 故に、鬼釜君なら抱ける。抱かれてもいいし、抱いてもいい。そんなバカな呟きをしてしまう程度の愛着を感じている。一方的にだが。

 鋭斗はぐふふと笑いを漏らしながら段ボール箱を開け、商品の補充を続けつつ監視も怠らない。



(デキてんのかなあ、二人は)

 瑞島ゆきえの熱い視線。二番レジから哲の背中を見つめる瞳の煌めき、潤み。

 二人が話している場面は何度も見たが、せいぜい在庫の確認程度で、休み時間の交流などは確認できていない。それゆえに、怪しい。

 職場で不倫なんて、絶対にバレてはならない最上級の機密事項で、不器用そうな人妻と、無口な美青年は裏で、たとえばスマホなどでやり取りをしていて、週に一度程度の頻度で密会を繰り返しているのではないか。


 いや、していて欲しい。是非。密会。していて欲しい。


(で、すごいんだ鬼釜君は。いつもはあんなに静かなのに、ゆきえさんにだけはドSなんだ)


 それはもうどうしようもなくはしたない格好をさせて、旦那とはこんなことしないだろう? どうだ、恥ずかしいか? と高笑いしながらプレイに興じて――いてほしい! ゆきえさんも最初はイヤイヤするくせに、最終的には鬼釜君の言いなりだ。ダメ、と断ったすべての行為を今はもう、ほれ、自分から。OH、ビッチ。美青年とビッチ。人妻のビッチ! ヒュウ、最低最悪、この世に神も貞淑も、ない!


 最初はゆきえだけだった妄想の種。芽が出て膨らんで、哲も巻き込んだらもうどうしようもなく幅が広がった。圧倒的なリアリティがこんなにも役に立ったのは初めてで、鋭斗の妄想はエキサイトし、更新されていく一方だ。

 二人にしてほしい会話のパターン、愛し合い方、たまには喧嘩、夫からの疑いの目、職場バレなどなど、考えだしたら楽しくて仕方ない。


 楽しくて仕方ないので、鋭斗はこの職場に通い続けていた。小うるさい店長は嫌いだが、同じフロアで視線を交差させている二人のことを、鋭斗は心の中で愛で続けているのである。


 だが、ニヤつきながら商品の補充を続ける合間の観察に、今日は突然のアクシデントが起きた。


 ゆきえがこちらを見つめている。鋭斗を、戸惑いの表情で見ている。今日もお暇な二番レジから、ゆきえの視線が注がれている。

(え、なに?)

 急いで視線を段ボールへ戻し、ハラハラ気分で再び様子を窺うと、やはりゆきえの視線は自分へと向けられていた。目が合ってしまい、鋭斗は慌てて小さく会釈して、心臓の爆音を必死で抑えていく。

(ナンデ? ユキエサンナンデ?)

 いつも向けている遠慮のない視線に気づかれてしまったのか。

 急におどおどしながら今日の目玉商品を両手で掴み、鋭斗はしゃがんだまま深呼吸を始めた。

 棚だけを見つめておこう。真面目に仕事をしているように振る舞おう。

(いや、真面目に働いてるけど)


 カゴにおつまみを大量に詰め込んだ客が、舌打ちをしながら鋭斗の隣を行き過ぎていく。

 小太りの店員が鬱陶しい。二ヶ月前、ちょっとだけ傷ついた客からのクレームを思い出し、鋭斗は慌てて立ち上がる。視線は棚へ、レッツ陳列YES陳列。焦燥を必死でごまかそうとするが、うまくいかない。


 そして、気が付いてしまった。

 ゆきえではなく、その隣。一番レジから向けられる自分への視線。


(え、なんで? 鬼釜君までなんで?)


 美術館に展示されている彫刻のような端正な顔立ち。

 その上半分が少しだけ歪んでいる。あからさまではないものの、眉はひそめられ、瞳には困惑が浮かんでいる。


(鬼釜君、どうしてそんな悲しげな瞳で俺をみるの?)



 哲の背中には、鋭斗からなにかを吸って満腹になったエリィがくっついている。


「やあねぇ、あの男! ゲスの極みだわよぉ、気持ちはわかるけど、うふ、うふ、ぐふふふ!」


 目立たない同僚、三方鋭斗の日々の愉悦についての詳細を聞かされ、哲はこの日、眠れない夜を過ごすことになった。

 

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