-01-
からりと晴れた青空に、丸みを帯びた雲が浮かんでいた。
初夏を感じさせる空の変化に、しかし目をくれる者はここにいない。皆一様に表情は硬く、各々の戦闘服を着込んでいた。猥雑な人の気配が絡まり合う中で、場の雰囲気を一貫しているのは、そこに身を置いているだけで心拍数が上がってしまうような緊張感だ。
一昨日、玉屋先輩と僕が勝負をした競技場の側に、僕達はいた。
僕達からほど近い場所に十数名の一団――対戦相手である第一サバゲー部『レギンレイヴ』の面々がたむろしていた。四人しかいないこちらに比べると、人数差がはっきりとわかる。
「『レギンレイヴ』の連中、妙にそわついてやがんな。ハッ、あんなんで戦えんのか?」
軽く言う玉屋先輩の表情にも、微かな強張りが見て取れた。僕と戦った時のようにベストを着込み、準備万端といった出で立ちだ。
「わたしもちょっぴり緊張してますけどねー。試合そのものは、ほとんど一年ぶりですし」
特有の空気に酔ったのか、少し頬を上気させながら真乃は視線を左右に走らせた。昨日の訓練時と同じ格好の白崎先輩が、真乃に話しかける。
「なに、そう気負うこともない。君の普段通りの実力を出してくれれば、それでいいさ」
「そう言ってもらえると助かります。……白崎先輩は全然緊張してるって感じしませんよね。部長の風格ってやつですか?」
「そんなことはないさ、日浦。見ての通り、私も心中穏やかならざるものがある」
「見ての、通り……?」
白崎先輩の返答に真乃が首をかしげる。確かに彼女の見た目からはまるで不安が読み取れなかった。ポーカーフェイスの練習でもしてるんだろうか。
「――ごめん遅れたーっ! ……けど、セーフだよね?」
と、そこで焦った様子の萩野先輩が、僕達の一団に駆け込んできた。白崎先輩がうなずいたのを見て、胸に手を当てながらほうと息をついた。
「よかったぁ。……それはそうと、試合! 久しぶりの試合だよ! 燃えてくるね、みんな!」
彼女は重々しい空気をものともせず、いつもと変わらない元気さではしゃぎ出した。一昨日部活に遅れていたことといい、どこかマイペースなところがあるのかもしれない。
昨日と同じ枯草色の迷彩服を着ている彼女は、頭に迷彩柄のバンダナを巻いていた。上に覗いている茶髪も、なんだか柄の一部に見える。
危険度減少の観点から頭部、及びその装備品には戦死の判定はなくなっているから、ヘルメットだけでなくキャップやベレー帽など、各人の好みに合わせた選択が可能だ。僕のように必須のゴーグル以外を使用しないプレイヤーも少なくない。
先輩の格好を見るともなく見ていると、彼女が僕の方に顔を向けた。僕の視線をどう受け取ったのか、彼女は頬を紅潮させてこちらを指さした。
「伊坂くん、またなんか失礼なこと考えてない? い、言っておくけどね! 別にボクの頭に合うヘルメットが見つからなかったとかこの迷彩服も中学用のサイズだとか、そういうことは一切ないから! ……ないからね!」
「まだなにも言ってないんですけど」
自分から全部説明してくれていた。身長のことは気にしているみたいだし、あまり触れない方が得策そうだ。どうにか話題転換の素材を探す。
「あー、その、えーっと……萩野先輩、武器はなにを?」
「ん? ……ボクはほら、これ」
僕のあからさまな話の逸らし方にまるで疑念を抱かない様子で、彼女は自身の銃に視線を落とす。左右の腿に一つずつホルスターが装着されていて、両方とも同じ拳銃が入っている。
「……グロックですか?」
「そ、18C。ボクの相棒だよ」
「それじゃ、火力に心配はなさそうですね」
彼女の持つグロック18Cはフルオート機構を搭載したハンドガンだ。いわゆる長物の銃と同じように、引き金を絞っている間ずっと弾が連射される。長物に比べて装弾数と射程が控えめだが、使いようによっては主兵装としての使用にも十分耐えうる。
「見ただけでわかるんだ。結構詳しいね、伊坂くん。実は銃マニア?」
萩野先輩の的外れな質問に、僕は思わず苦笑する。
「サバゲーやってる時点で、多かれ少なかれ銃好きだと思いますけどね。……昔、トイガンとか迷彩服とかを扱ってる模型店で、手伝いをしてたことがあるんですよ。知識だけに限って言えば、そこらの選手よりは上だと思います」
「ふぅん、そっかぁ」
「作戦を立てることもなく歓談とは、余裕だな。犬ども」
納得したような声を上げた萩野先輩の背後に、突如として一つの影が近づいた。
「――ッ、うひゃあぁ!? ……び、びっくりしたぁ。急に後ろから話しかけるのやめてよ! 無駄に大きいからってなにしても許されるわけじゃないんだからね! 橋田!」
後ろを確認するや否や、彼女はいつかのように縮こまって半分涙目になりながら怒りだした。それを聞いた男――橋田は楽しそうに破顔する。
「くはっ。無駄に大きい、と来たか」
一言で表すなら、でかい。萩野先輩の言う通りだ。
二メートルに届こうかという偉丈夫。しかし肩幅は広くがっちりとしていて、背丈ばかりが高いというわけではない。制服の上からでも筋骨隆々とした体型がよくわかった。角張った輪郭と彫りの深い顔立ちのせいで、正直なところ高校生に見えなかった。
「そちらこそ、相変わらず無駄に小さいようでなによりだ。上級生への口の利き方くらいは、覚えて貰いたいものだがな」
「なっ、この……! いっつも小さい小さいって馬鹿にして!」
「あぁすまない、態度と声だけは人並み以上に大きかったな。……身長とは逆に、な」
どうしよう、こればっかりは僕にはフォローできない。
「っくぅ……! い、いいもんね。ボク達が勝って、目にもの見せてやるんだから!」
言われたのが相当悔しかったのか、萩野先輩は顔を真っ赤にして橋田を睨み付けた。
「おっと、ついに言うことまでも大きくなったな。これは見上げた成長だ。背丈の方も同時に成長するなら、まだいくらか救いがあったものを」
「うぅー! ああ、もう! どこまで同じネタを引っ張れば気が済むのさ……! いつまでも負けてらんないからね、今日こそボク達が勝ってやるから!」
「威勢の良い子犬だな。吠えるのはいいが、後で泣きを見るなよ?」
「む。……そ、そうやって余裕ぶってたら、すぐに足下すくってやるかんね!」
「くははっ。いいだろう、俺が軽くあしらってやる」
ホントにホントだかんねーッ! という萩野先輩の叫びを意にも介さず、彼はこちらへ顔を向けた。
「久しいな、白崎の。再び戦場で相まみえることになるとは思わなかったぞ」
「……橋田先輩か、見ての通りだ」
先輩、の部分に妙なアクセントを付けて、彼女はそう答えた。橋田は僕達全員に一瞥をくれると、再び白崎先輩へと向き直る。
「ふむ、五人。少なくとも、これで人数不足での廃部は免れたというわけか」
「ああ、当座の問題は消滅した。……萩野の宣言通り、今日の試合は取らせてもらう」
「その威勢の良さが最後まで続いてくれるなら、俺としても文句はないのだがな。少しくらいは気概を見せてくれなければ、こちらとしても張り合いがない」
白崎先輩は橋田の余裕に苛立ったように、口端を少しだけゆがめた。彼の背後に待機している第一サバゲー部員の面々に視線を投げると、挑戦的な声音で言い返す。
「随分と新顔が多いじゃないか、橋田先輩?」
「あぁ、ほとんどは二軍だ。新入部員にも試合を経験させてやらねば不満が出る」
「私達も舐められたものだ。……同情のつもりか?」
「正当な評価に過ぎん。舐めているつもりも、侮辱するつもりも無い。貴様らがこれにすら勝てないようなら、あの一件も致し方あるまいよ。いい加減に諦めたらどうだ?」
いまいち要領を得ない問いに、白崎先輩は黙り込んだ。対する橋田は冷徹に言い放つ。
「だんまりか。それもいいだろう。俺の意図など関係ない、どちらにせよ叩き伏せて終わりだ」
「……負けなど、するものか」
白崎先輩は、自軍の待機場所に戻ろうとする橋田の背中に、つぶやきを投げた。その声が、微かな震えを帯びていることに、僕以外の誰かも気付いただろうか。
歩みを止めて、橋田はゆっくりと彼女を見やった。
「期待しておく、とだけ伝えておこう。だが、貴様らには致命的な欠点がある。それが変わらなければ俺には勝てん。たとえこちらが、二軍であってもだ」
「負けるわけにはいかない。……それに今日は、いつもとは違う」
「新兵、か」
それに呼応するように、彼は僕らを一瞥する。訝しげな表情で彼は尋ねた。
「見ない顔だが、強いのか?」
白崎先輩は黙ったまま、答えない。
それを肯定と受け取ったらしい。彼の口端がつり上がった。先刻までの笑顔とは違う、戦意に充ち満ちた攻撃的な笑みだ。
「そいつは重畳。――そこの新入生ら、せいぜい楽しませてみせろよ!」
勝手な勘違いをしたまま、彼は踵を返して第一サバゲー部の待機場所へと歩いて行った。
「誰ですか、あれ?」
真乃が変な物を見たときのような、複雑な視線を橋田の背中に投げながら、誰に問うともなく言った。僕もきっと、彼女と同じ顔をしていることだろう。
「三年の橋田康次。第一サバイバルゲーム部、通称『レギンレイヴ』の部長だ。頭が切れる方ではないが、強い。……私達も早く準備を済ませてしまおうか。時間にさほど余裕もないしな」
切り上げるように言って、足下のバッグから取り上げた迷彩柄のつば付き帽子を目深に被る白崎先輩。彼女の顔つきは普段よりもわずかに暗く、どこか冷静さを欠いているように見えた。
競技場の入り口二つにそれぞれ設置されたプレハブで、僕達は試合の用意を始める。といっても服はもう着込んでいるから、後はその他の装備品を着けるだけだ。
「ルールはいわゆるフラッグ戦。旗に見立てた敵陣のボタンを先に押したチームの勝ちだ」
白崎先輩の説明を背中で聞きながら、準備を進める。声に混じって硬質音が聞こえるところをみると、彼女自身も装備を整えているようだ。
「先ほど待機していたのが今日の全戦力だろう。申請によれば、敵軍の数は橋田も含めて十五。……彼我の戦力差は三倍か」
「二軍でそれかあ……また増えたねー。ほんとにこれで勝てるのかな?」
情報を聞いた萩野先輩が、不安げにつぶやく。
「どちらにせよ、これ以上の私達の戦力増強は望めないさ。頭数にはいくらか不安が残るがね」
「三倍か。フラッグ戦なら、大した差じゃありませんよ」
「ん? ……言うじゃねぇか、リクト」
何気なく発した僕の言葉に、玉屋先輩がやたらと食いついてきた。
「あ、いや……敵陣に到達すれば勝ちですから。守りの隙を突くことさえできれば、なんとかなるんじゃないですかね。……それが難しいと言ってしまえば、それまでなんですけど」
「んだよ。てっきり秘策かなんかあるのかと思ったら……。そんなん当たり前だろ?」
「はは……ですよね」
ごまかすように笑いつつ、ガンケースからM4を取ってスリングベルトを肩に回した。識別用のタグチップを付けるのは競技場に入ってからだ。使用する場所以外では発射可能な状態にしてはいけない。
「腕章忘れんなよ、リクト?」
「え? ……あぁ、そうでした」
玉屋先輩に言われて、腕章を着けていないことに気付く。戦闘中に敵味方を区別するために、肩の部分に薄手の布を巻き付けておく必要がある。僕達のチーム『ドッグフェイス』は赤色という指定がされていた。
腕章も巻き終えて、おおよその準備が整ったころ、白崎先輩が背中から声を掛けてきた。
「伊坂、これも着けておけ」
彼女が渡してきたのは、インカム型の無線機だった。オリーブ色に塗られたそれは、いかにも野戦用といったおもむきだ。
サバゲーが競技化してからは無線機を使わないチームはあまり見かけなくなった。資格無しで使える範囲の物がイーストサークルから出ており、大半のプレイヤーはこれを使用する。
渡された無線機を左耳に着けて、送信口を適当な位置にもってくる。僕が装着を終えたのを確認して、白崎先輩が周囲に目を走らせる。他の人達も皆近くに集まってきていた。
「終わったか。……日浦も、子細無いな」
「しさい……? 問題はありませんよ。おっけーです」
「そうか。よし、では私達の呼び出し名を教えておこう。そう人数も多くないから、いまのうちに覚えておけ」
本名でそのまま呼び合うこともあるが、同じ名前の人が同チームにいるときなんかのためにコールサインを設定しておくと便利だ。といっても、おおよその人は雰囲気出しのためとか、なんとなく格好いいからって理由でコールサインを使っているけど。
「萩野が《ピアシングバレット》、玉屋が《ファイアワークス》、私は《パッシブソナー》だ」
「……統一感が皆無ですね?」
「いいのいいの、雰囲気出しってやつだから! なんか格好いいでしょ? ……実際、そんな使わないしね。二つ名、って言うのかな? そんな感じ」
僕の疑問に、横から萩野先輩が答える。もう少し簡素なものを想像していたからちょっと驚いたけど、どうやら彼女達も後者であるらしかった。
「なんか、センスが似てるね。思い出すなぁ」
真乃が隣で囁いた。
似てる、というのは僕と真乃が入っていたチームでも格好よさ重視のコールサインを使っていたからだ。どうやら真乃も僕と同じことを感じていたらしい。
「それで、わたし達はなんて呼ばれるんですか?」
「お前らは入部した順に、マノが《テンダーフットワン》、リクトが《テンダーフットツー》だ。忘れんなよ?」
テンダーフット、か。いままでも何度か玉屋先輩にそう呼ばれてたけど、どういう意味なんだろう。疑念が顔に出ていたのか、それを察したらしい彼女は問わず語りに答えてくれた。
「日本語に訳すと……『初心者』とか『新参者』とかって意味になんのかな。コールサインが付くまでは、この呼び方でいくことにしてんだ。ま、ちゃんとした名前はそのうち付くから、気長に待ってな」
「あまり話もしていられない。そろそろフィールドに入る時刻だ。行くぞ」
白崎先輩がいつになく引き締まった声で、場の流れを一気に取り去っていった。こういうのもある種、部長という立場に必要なカリスマ性なのかもしれない。
「っし、行くかあ。……おいマノ、まだ緊張してんのか? 楽にしろって、ほら」
未だに少し表情が硬い真乃の頬をおもむろにつまんで、ぐにぐに、と動かす玉屋先輩。
「え――わ、ちょ、うにいー。……ひょっと、いひゃいです」
「はは、やわらけぇ。……もっと楽に構えな。戦場じゃ、そんなん邪魔になるだけだ」
軽やかに笑って、彼女は手を放した。真乃が赤みが差した頬をさすりながら、微笑む。
「……はい」
「それでいい。ほら、さっさと来ねぇと始まっちまうぜ」
プレハブを出て行く先輩達について外へ出る。すぐ右手には、競技場の入り口があった。目の細かい緑色のネットで囲われた、一種の閉鎖空間である戦場が外界と繋がる唯一の地点だ。
玉屋先輩と勝負するために一昨日もここへ入ったはずなのに、緊張感がまるで違う。あの中に入ってしまえば、もはやそこは別世界だ。
「どうしたの、伊坂くん?」
思わず息を飲んだ僕の顔を、萩野先輩が不思議そうに見上げていた。
「あ、いや、なんでもありません。ちょっと考えごとを」
「もしかして、緊張してる? ……ふっふー、お姉さんがほぐしてあげるよ!」
言うなり彼女は僕の顔に向かって腕を伸ばしてきた。
「え、なにを、……ん?」
「と、届かない……!」
玉屋先輩が真乃にしたのと同じことをしようとしたんだろうけど、僕の顔まで手が届いていなかった。
「う、この、えいっ。……うぅ」
ぷるぷる震えながらも背伸びをしてるけど、どうしても首までが限界みたいだ。
「あの」
「言わないで! なにも言わないで! もういい、行こう……」
耳をふさぎ、いやいやをするみたいに頭を振ってから、彼女は拗ねたような表情で中に入っていく。その様子がなんだかおかしくて、僕は自然と足を前に出すことができた。
競技場に入ってから少し歩いたところで、白崎先輩は立ち止まった。振り向いて、全員の顔をゆっくりと見回す。
「もう一度、確認しておこう。ルールはフラッグ戦。私達の拠点は……あれだ」
言いつつ、白崎先輩は目を横に向けた。
視線の先――僕の背後には腰ほどの高さの台があり、その上に赤色の円形をしたボタンが乗っていた。見ようによってはクイズ番組の解答ボタンにも見える。
遠くからでも位置がわかるように、台からは三メートル程度の柱が伸びており、その先には言葉通り赤色の旗がついていた。
「青色の物が敵方にも配置されている。旗の色が青だから、間違えることはないだろう」
彼女が指さした方向を見ると、青色の小さく布がはためいているのが確認できた。
「制限時間は三十分。時間切れの場合は、残った戦力の割合が多い方が勝ちだ」
「割合ってことは……あれ? どっちが有利?」
小首をかしげる真乃。白崎先輩が思案するように目を伏せつつ、答える。
「一概には言えないな。こちらは人数が少ないから一人あたりの割合が大きくなるが、それが絶対的に不利、というわけでもない」
「う? ……あー、逆に考えれば、生き残ることさえできたら一人で二割ってことですもんね」
「そういうことだ」
割合以前の問題として十五対五というのは相当に不利だが、そんなことは彼女達もわかりきっているのだろう。僕が敢えてそれに触れる必要もない。
「まあ、よほどのことがない限り、判定での勝敗決定などあり得ないさ。フラッグの奪取か敵の全滅。この二つの条件だけ念頭に置いておけば、まず間違いはない」
そう言うと、白崎先輩はスリングで肩に掛けていた銃を右腕に持ち直した。
彼女が持っているP90は|個人防衛火器(PDW)という少し特殊な分類に属する銃で、人間工学に基づいた近未来的な形状をしている。抱え込むように保持して撃つことができ、取り回しに融通が利く銃だ。
「指揮は私が執る。人数の都合上、私自身も戦闘に参加することになるが……もし私が退場したときは、各自の判断で動いてくれ」
「あいよ」「了解ー」「わかりました」
僕以外の三人が、皆一様に軽い調子で返答する。
しかし、僕の胸中には一つの懸念が存在していた。
「……あの、いいんですか?」
「む、なにがだ?」
「作戦を教えて貰ってないんですが……こんな、大丈夫なんですか?」
僕達は作戦内容をまるで知らされていなかったのだ。直前になって伝えられるのかと思いきや、まるで動きがない。
「戦況がどう動くか、我々にはわからない。ならば、戦場の流れに合わせて対処するより他にあるまい?」
理に適っているようでいて、どうにも納得できない。ある程度の基本戦略は決めておいてもよさそうなものなんだけど……。
いや、長々と考えるのはやめにしよう。僕の悪い癖だ。いまの指揮官は白崎先輩なのだから、僕はその決定に従えばいい。
気持ちを切り替える。いまは準備を終わらせなきゃならないんだ。
M4の識別用タグチップを腰に付いている小型バッテリーへさし込んで、弾倉を入れないまま空撃ちした。――動作は良好。
念のためにUSPも同じく確認する。使う機会があまり無いとはいえ、肝心な時に動かない、なんてことは避けたい。こちらも同じく問題は無かった。
「……時間だな」
袖を軽くまくり、腕時計を確認して、白崎先輩が真剣そのものといった表情でつぶやく。
「よっし、やるぞー! うー……わくわくしてきた!」
それを聞いた萩野先輩が、嬉しそうに身震いをしながら膝を屈伸させる。身体に貯め込んだエネルギーを発散したくてしょうがないって感じだ。先ほど橋田が発した『子犬』という形容は、あながち間違っていないかもしれない。
「さあって、やってやるか!」
玉屋先輩が口から犬歯を覗かせる。獰猛な笑みを顔に走らせて、彼女は見えない敵を威嚇するかのように前方を睨み付けていた。
「Rock'n'Roll(戦闘準備だ)!――気ぃ引き締めて行けよ!」
彼女が叫ぶや否や、試合開始の合図であるアラームが、戦場に鳴り響いた。
――空気が一気に引き締まる。両軍から発せられる意気がぶつかり、奇妙な熱が肌に伝わる。
「よし、行くぞ。玉屋と萩野が先行、それに私達が付随する」
「はい!」
僕は内心の興奮に反して、できるだけ平静を装いながら、先輩達の背中を追いかけた。
「ゴーゴーゴーゴー! 走れ走れ!」
玉屋先輩の声が前から聞こえてくる。それに答える余裕もなく、僕はひたすら走っていた。
フラッグ戦において、スタートダッシュというのは中々に重要だ。序盤に進むことができれば、後から敵陣に進攻する場合も短い距離で済むし、なにより敵を自陣から離れたところに押しとどめておくことができる。
遮蔽物の配置はなかなかに絶妙で、一気に敵方へと攻め入ることができないようになっていた。迷路のような複雑さこそないが、走る時間に対して進む直線距離が存外に短い。
フラッグからは二十メートルも行っただろうか、少し速度を緩めて、玉屋先輩が無線のマイクを口元にやった。
「ちゃんとついてきてるか、マノ?」
『は、はい。大丈夫です』
そんな返答が、僕の方にも聞こえてくる。
真乃は僕達が進んできた道の、およそ十メートルほど遅れた位置を維持していた。
十メートルという距離は、近いようでいて実のところはそうでもなかったりする。
元来トイガンは突撃銃だろうが狙撃銃だろうが、有効射程にたいした差異はなかった――それどころか、電動の突撃銃の方が飛距離が長い場合すらあった――のだが、サバゲーの競技化に伴ってある程度の差別化が図られるようになった。連射性に制限がかけられる代わりに、飛距離が伸びたのだ。
そして生じた両者の差はおよそ十メートル。真乃の保っている距離は適切な狙撃手の位置だといえる。
「……ん? 二人とも、止まれ」
と、白崎先輩が突然立ち止まった。萩野先輩と玉屋先輩が周囲に視線を巡らせ、足を止める。
「どうか、したんですか?」
尋ねるも答えはない。玉屋先輩がこちらを振り向いて口元に人さし指を当てる。静かにしろ、という意味か。
見れば、白崎先輩はなにやら真剣な面持ちで左耳に手を添えていた。辺りを見回しながら耳をそばだてる様は、なんだか猟犬を彷彿とさせる。
「右前方、敵の足音が三……いや、四か?」
この人の聴覚はいったいどうなってるんだろう。
「さっすが《音源探査機》。相変わらず、耳がいいね」
なんでもないことのように萩野先輩は言うが、正直言ってありえない。異常だ。
「少し静かに頼む。近くで話されると、聞き取れなくなる」
半ば愕然としながらも、昨日の訓練時に覚えた違和感の正体に思い当たって納得する。彼女は僕と萩野先輩の会話を聞き取っていた。
あのとき、僕と萩野先輩が話していた場所と、白崎先輩が待っていた射撃練習場の間には、結構な距離があったはずだ。なのに白崎先輩はその会話内容を掴んでいた。話の流れで尋ねそびれたけど、なんのことはない、耳がいいというだけの話だったのだ。
「一時の方向。距離は……三十から四十メートルか」
直線距離でそれなら、体感的にはもう少し長くなるが、間もなく戦闘が始まることになる。
「よっしゃ、じゃあ行くか。先手必勝って奴だ」
玉屋先輩が嬉しそうにつぶやく。確かにその論理は間違っていない。先制攻撃というのは意外と馬鹿にできない効力を発揮する。
「そうだな、……いよいよ戦闘開始だ」
白崎先輩の指示によって、再び移動を開始。心なしか、手中にある銃が軽く感じられた。
後ろから飛来した赤色のペイント弾が、顔のすぐ横を通り過ぎていった。赤い点はそのまま失速し、地面へと落下する。
背中を預けているベニヤ板の壁からは、連続して着弾の衝撃が伝わっていた。
「先手必勝、……先手、必勝、ねえ」
背後から響いてくる銃の駆動音を聞きながら、僕はぼやくようにつぶやいた。
「……なんだって真っ正面から突っ込んでるんですか!?」
「あー、悪い。……つい熱くなっちまった」
原因は彼女、玉屋先輩にある。先手必勝なんてもっともらしいことを言った彼女は、そのまま正面から攻撃を仕掛けたのだ。当然のごとく相手は応戦を始め、初撃で減らせた戦力は二人に留まった。
銃撃の合間を縫って玉屋先輩が応射をするけど、相手も心得たもので、遮蔽物を使うことで上手く攻撃を避けていた。
「あーくそ、やっぱ隠れてると駄目だな。全っ然当たんねぇ」
「その原因を作ったのはカレンだけどねー」
「うぐ……」
言い返せない、というように言葉に詰まる玉屋先輩。そんなやりとりを横で聞きながら、僕は身体をあまり出さないようにして、相手の様子を盗み見る。
半円状になって展開している敵影は数にして四。やや湾曲した横隊といったところか。それぞれが壁やドラム缶に身を隠していて、容易に着弾は狙えない。
敵が装備している銃は全てMP5――ドイツで開発された短機関銃――だった。癖がなく、初心者用として人気が高い。逆に特徴がないとも言える。他の装備も統一されているところを見ると、部の備品として渡されたものなのかもしれない。
「どうにかしねぇと、時間切れになっちまう。……どうする、ナギ?」
「そうだな、ふむ」
指示を仰がれた白崎先輩は、壁に寄りかかりながら、平然とした態度で思案する。
数秒としない内に顔を上げた彼女の目は、萩野先輩に向けられていた。
「萩野、君なら行けるか?」
「ボク? まあ……大丈夫かな。うん、任せて。行ってくるね」
「行ってくる、って……一人でですか?」
たった二丁の機関拳銃だけで、なにをする気なんだろう。それを訊こうとした瞬間、敵方の銃撃が途切れた。
「見てればわかるよ、じゃ」
短い返事を残して、萩野先輩がすかさず行動を開始した。
「え? い、いや……」
慌てる僕を尻目に、彼女は軽快なステップで物陰から踊り出る。
それはもはや倒れ込むに近い脱力だった。しかしそこに過度の弛緩はない。彼女の全身が、だんだんと重力に屈服し、バランスを失う直前にまで傾く。
「行くよ」
耳をくすぐる囁きを聞いた直後、彼女は弾けるように視界から消えた。
「え……!?」
いまのいままで彼女がいた場所には、微かな砂煙が残るばかりだ。
消えたのではなく動いたのだ、と遅れて理解する。壁から頭を出してその背中を捉えたときには、すでに彼女は敵のいる方向へと猛進していた。
加速と呼ぶにはあまりにも急激で、走ると呼ぶには唐突すぎる移動。
弾丸。
そんな連想が、頭をかすめる。
彼女のコールサインはまさにその体現なのだと、いまになって実感した。
萩野先輩の動きに愕然としている間にも、彼女は一条の微粒を伴って疾駆する。射程の短いハンドガンを装備していることなんてお構いなしの、派手な移動だ。
「来たぞ、一人だけだ! 訓練通りに行け!」
そんな彼女を敵が放っておこうはずもない。飛び出した影に火線が集中するのは必至だ。
『先輩、掩護します』
後方の真乃がL96(スナイパーライフル)を構えた。しかし、白崎先輩がそれを手で制す。もの言いたげな真乃に向かって、白崎先輩は心得ていると言わんばかりにうなずいた。
「身を出している敵は二人だ。あの程度ならば支援は必要ない。……むしろ、萩野にとっては邪魔になる」
馬鹿な。なにを言ってるんだこの人は。無謀すぎる。それでなくても敵はまだいるんだ。
僕の疑念を見透かすかのように、彼女はこちらへ目配せする。
「伊坂、君も見ておけ。あれこそ彼女が彼女たる、萩野飛鳥が《神速の徹甲弾》たる由縁だ」
「いけるぞ、仕留めろ!」
敵が叫ぶ。けたたましい発砲音と共に無数のペイント弾が萩野先輩へと飛来する。僕なら、迷わず後退しただろう。そうすれば倒すことはできなくとも、ひとまずやられる心配はない。
けれど、彼女は違った。
「……甘い……ねッ!」
小さく息を吸うと、先ほどと同じように身を落とす。全力を出す前の、一時のクールダウン。
その動作を取っている間にも、全ての弾は彼女に向かって進んでいる。
あと数瞬で命中しようかという距離にまで近づいたころ、萩野先輩は思い切り地を蹴った。
「……なん、だ。あれ」
それ以上の言葉が出てこない。言葉を失うなんて表現があるけれど、なるほど人は本当に驚いたときには声が出なくなるものらしい。
僕の目に写ったのは、異様ともいえるスピードで次々と弾を避けている彼女の姿だった。
ハードルを跳ぶ陸上選手さながらに上半身を柔らかくたたみ、驚異的な速度で動いている。
右に少し飛んだかと思うと左斜め前に進み、身体を捻って側方に回転。小刻みに進行方向を変えて、弾と弾の間を縫うように突き進む。
踏みしめられた砂利のこすれ合う音が、その肩が風を切る音が、やけに大きく聞こえた。
――銃弾に当たらない方法は、大別して二つある。
銃というものは構造上どうしても攻撃の範囲が制限されてしまう武器で、銃口の先以外にはどうやっても弾は当たらない。よって、銃口の先にその身が晒されないよう常に横へと回り込んでしまえば射界に入ることは絶対にあり得ない。一つ目の回避方法はそれだ。
もう一つはもっと単純。『発射された後の弾を避ける』ただそれだけ。萩野先輩が取った行動もこれに当たる。
弾速の早い実銃ならばそんな方法はまず無理だけど、トイガンならば可能だ。
重さが半グラムもないペイント弾をはき出すこの武器の弾速は、実銃と比べて圧倒的に遅い。故に、ばらけのない直線的な弾道ならば比較的簡単に避けることができる。
そう、あくまで『直線的な弾道』ならの話でしかない。広範囲にわたって形成されている弾幕に突っ込むなんて無謀もいいところだ。
それに、銃に近づけば近づくほど発射された弾を避けるのは困難になる。いくら弾速の遅いトイガンとはいえ、近距離で弾を避けるには相当な動体視力と、それに反応できるだけの身体能力が必要とされるからだ。
それでも、現に萩野先輩はそれを可能としている。壮絶な運動神経。イタチのようにしなやかな、しかし力強い動きで着実に敵へと近づいてゆく。
――五秒も経過しないうちに、萩野先輩の射程圏内に敵が入り込んだ。
豪速で迫り来る萩野先輩を前に、相手は必死になってトリガーを引く。だけど、もう弾が切れているらしい。空撃ちの音だけが虚しくその場に反響した。
何度も何度も。繰り返し引き金にかかっている指を屈伸させているようだけど、結果は同じ。遠目にも動揺しているのが手に取るようにわかった。僕だってかなり驚いてる。
「はぁっ、……いよっし、ゴールッ!」
軽やかに宣言すると、彼女は両手に持ったグロックをそれぞれ標的に向けて発砲する。あの距離ならば外れようもない。
撃ち出された弾丸は過たず命中し、ヒットを知らせるブザーが二つ鳴り響いた。
戦死の通告を受けた二人が、両手を挙げて場外にある安全地帯の方向へ歩き出す。
萩野先輩が飛び出してから、敵を倒すまでに要した時間は、約七秒。
「玉屋、準備だ」
「っし、オーケー!」
間を置かず発せられた、白崎先輩の冷然とした口調の指揮を受けて、玉屋先輩はAK―47(アサルトライフル)を眼前に構えると、敵の方向へいつでも飛び出せるように、しゃがみこんだ。
「なんだ、いつのまに……!? どういう……」
ヒットブザーに驚いた様子で、残る二名の敵が顔を出す。数瞬の硬直を経て、彼らは我に返ったように銃を構えた。
『まずっ、……戻るね、よろしく!』
それを察知した萩野先輩は機敏に横へ跳んだ。すんでの所で彼女が隠れた壁が赤く染まる。
「玉屋。……いまだ、行け」
「Yeah! Roger that(了解だ)!」
突如、名前を呼ばれた玉屋先輩が左前方へ突撃を敢行した。
獰猛な肉食獣が獲物を視線で捉えるような俊敏さで、未だ萩野先輩に気を取られている敵へ向かってAKを構える。相手も泡を食ったように自分の銃(MP5)を持ち直すが――もう遅い。
玉屋先輩の手中で、ライフルがうなりを上げて敵に銃弾を放つ。獣の牙によって食い破られた跡のように、赤色の塗料が対象の戦闘服へと染みついた。甲高いブザーが鳴り、相手の戦死を告げる。そのまま残る一人に銃口を向け、引き金を絞る。しかし、
「クソッ、弾が……!」
AKの弾丸はとうに尽きていた。何度か反撃したあと、再装填をしていなかったらしい。
敵の銃口は彼女を捉えている。再装填の余裕はない。
「この程度で、負けて……られるかよ!」
彼女はAKの銃身下部、ちょうどハンドガードの下に当たる場所へと手を回し、そこにある引き金を引いた。
直後、ガスが放出されると共に、乾いた薪が爆ぜるのにも似た発砲音が響き、大量のペイント弾が玉屋先輩の前方へ発射される。
射出された弾丸は遠方になるにつれて広く弾幕を形成し、敵影を包み込むようにして着弾する。発射時とは正反対の湿った音が連続で聞こえ、次いでブザーが耳を突いた。
――BG―15。いつぞや僕が喰らったやつだ。
「Yeah! 初心者がいくら束になろうが無駄なんだよ。出直して来な!」
彼女の歓声をバックに、淡々とした様子で白崎先輩が口を開く。
「《最前線の打ち上げ花火》玉屋香憐。……凄まじいだろう?」
打ち上げ花火……。
打ち上げているかどうかはともかく、攻撃の過激さを的確に表しているとは思う。でも、
「……コールサインを付けるのはいいんですけどね。前のチームでも同じことやってましたし」
萩野先輩といい白崎先輩といい、聞いててかっこいいんだか気恥ずかしいんだかわからない。名付け親に会えたら、いったいなにを思ってそんな呼び名にしたのか訊いてみたいところだ。
「さっきから気になってたんですけど、誰がつけてるんですか、その名前?」
「私だ」
ここにいた。
「え……?」
「い、いや。確かに名付け親は私だが、別に私が勝手に付けたわけではないぞ? この部――『ドッグフェイス』の立ち上げ以来、ある程度の期間を経た部員は部長から呼び出し名を授けられるのが伝統になっていてだな……」
白崎先輩は急に言い訳をするような口調で弁解を始めた。どうしてそんな慌てて話すのだろうか、僕は特に急かすようなことは何もしていないのだけれど。
「そ、それに与えたのが私というだけで、実質的には玉屋が考え――ッ、かがめ、玉屋!」
話の途中で急に目つきが険しくなった、と思った次の瞬間には、彼女は鋭く叫んでいた。警告を受けた玉屋先輩がその場でかがみ込む。
「うぁっ!? ……ととっ」
数瞬後、いままで彼女がいた空間を赤い弾丸が通過した。目標を失った相手の弾丸が背面の壁に当たるよりも速く、白崎先輩は遮蔽から身を出し、右腕のP90を構え、発射する。
銃口から吐き出された弾は狙いを定める時間の短さとは裏腹に、驚くほどの正確さで玉屋先輩を攻撃した射手に命中した。耳障りな音が鳴り、敵戦力の減少を知らせる。
「サンクス、助かったぜナギ」
「二軍相手とはいえ、戦闘中に話をしていたこちらの落ち度だ、気にするな」
玉屋先輩の回避行動に白崎先輩の射撃。どちらもほとんど反射に近い動きだった。よほど慣れていない限りこんな芸当は不可能だ。
退場する相手方の選手を視界の隅に捉えながら、白崎先輩は僕を見た。
「いつまでもここに留まっている暇はない。前へ進むぞ」
「え? ……進むんですか?」
「? なにか問題でも?」
いや、だって、と言いかけて、止まる。
試合前に決めたはずだ。口出しをするのはやめよう、と。
――出過ぎたことをするな。余計なことをするな。それ以上踏み込めばまた同じことになる。
胸の奥が、ちくりと痛む。僕は反駁の意志を自ら押さえ込んで、うつむいた。
「……いえ、なんでもありません」
「そうか、なら早く動いてしまおう。前線はできるだけ上げておいたほうがいい」
切り上げるように言った白崎先輩に従って、僕達は進軍を再開した。
無線機の向こう側で、溌剌とした高い声が弾ける。
『カレン、援護よろしく!』
『あんまり出過ぎんな! こっちのことも、考えろって!』
またも遭遇した部隊を相手取って、萩野先輩と玉屋先輩の二人が、順調に戦いを進めていく。どうやら攻撃の要となるのはこの二人らしい。白崎先輩と僕は壁に隠れた状態で援護射撃を行っていた。
競技場の中央部だという、開けた広場のような空間を、凄まじいまでの速度で萩野先輩が駆け抜ける。それに慌てた敵影に向けて、玉屋先輩が銃弾をたたき込む。
「……凄い」
「ああ、彼女達は強いぞ。少なくとも、初心者程度には引けを取らない」
思わずつぶやいた一言を耳ざとく聞きつけた白崎先輩が、どこか誇らしげな声音で言う。
『――うわあぁっ!? あっぶなぁ……! ねぇ、カレン、どうしてボクがいる方に撃つの? 味方にペイント弾プレゼントってどういうこと!?』
『いや、なんつーか、その……見えなかったんだ』
『哀れむような目で見ないでよぉ!? ……いくらボクでもそっちの視界に入らないほど小さくないよ! ともかく、援護射撃はもっとよく見てからにしてよ!』
三名で構成された敵小隊を突き崩し、殲滅しきった彼女らの会話が、耳に入る。
「そのぶん荒削りな部分があるといえばある……というか、またか」
独り言のようにつぶやいて、ため息をつく白崎先輩。
「また?」
疑問に、彼女は黙って首肯する。無線機のマイクを手で押さえて小さく答えた。
「どうも玉屋は熱くなると周りが見えなくなるきらいがあってな、間違えて萩野に弾を当ててしまったこともある」
「まあ……突撃役を一人にっていうのも、厳しいものがありますしね」
これまでの立ち回りを見ていると、萩野先輩が持ち前の俊足を活かして敵を攪乱し、その間に玉屋先輩や後方の人間が仕留める、という動きがこのチームの基本となっているようだった。
突撃に関して言えば、派手な立ち回りで注意を引くという意味で、玉屋先輩が寄与するところも大きい。
『ナギ、こっちは敵影無しだ。これで大体、相手の半分は倒したな』
「こちらもクリアだ。二人は引き続き先行を頼む。……ここを抜ければ、敵の拠点はすぐだ。急ごう」
白崎先輩は答えつつ、比較的開けた中央部を駆け足で通り過ぎる。僕もそれに続いた。直径二十メートルほどの広場部分を七割方進んだところで、
『――わ、わわっ!』
唐突に無線機から発せられた、妙に上擦った真乃の声が耳に入った。
「どうした!?」
慌てて振り返ると、彼女は半ば僕達に背中を見せる形で、L96AWSを構えていた。
「敵……!」
「……ぬかったか」
最も彼女の近くにいるのは、白崎先輩と僕だ。
咄嗟に銃を向ける――駄目だ。ちょうど敵の身体のほとんどが壁に隠れていて、僕のところからじゃ上手く狙えない。
それが判明するなり、白崎先輩は長い尾のような黒髪を翻し、敵を狙える位置へ向かって走り出していた。
真乃が引き金を絞るが、しかしブザーの音は聞こえない。外れだ。真乃は飛びすさりつつ、ライフルを手から放し、腰部ホルスターからベレッタM92FSを引き抜き、撃つ。
照準もろくにつけられないまま放たれた弾はまたも命中しなかったが、敵方の気勢をわずかに削ぐことはできたらしい。数瞬の硬直が相手を支配する。
「真乃!」
短く叫ぶ。つけいる隙はいましかない。しかし、予期に反して銃撃は続かなかった。
『く、ぅ……!』
敵がMP5の銃口を真乃に向ける。
見れば、彼女はベレッタのスライドに手を掛けているところだった。その動作を見て、僕は攻撃が途切れた理由を理解する。
「あいつ、なんであんな物使って……!」
彼女が持っているハンドガンはメインアームのL96と同じく、弾を装填するのに逐一スライドを後退させなければならないエアーコッキング式だったのだ。
次弾の装填が終わるよりも早く、相手の銃が駆動を開始する。
――ブザーが真乃の退場を告げた。
「ちぃっ!」
白崎先輩は微かに口元を強ばらせて、P90による銃撃を浴びせる。弾丸は過たず標的に命中。敵のヒットブザーが起動する。
残念そうな顔つきで、真乃が両手を挙げる。なにか物言いたげな視線をこちらに投げてきたが、しかし彼女は黙って安全地帯へと歩いて行った。
狙撃手は近づかれると弱い。連射がきかないスナイパーライフルでは近距離戦に対処しきれないからだ。さすがに副兵装まで単発式っていう真乃は極端な例だけど。
珍しく冷静さを欠いた表情の白崎先輩が、駆け足で戻ってくる。
「……全員、静かに」
短く指示すると、再び耳をそばだてて、周囲に敵がいないかを確かめる。数秒としないうちに彼女はうなずいて、まぶたを開いた。
「よし、行くぞ」
そこからしばらくの間、敵との遭遇はまるで無かった。
倒した人数は七名だから、まだ過半数が残っているはずなんだけど、それを気にする様子を微塵も見せずに、先輩達は前進を続ける。
「……あ、あれ!」
程なくして萩野先輩が歓声を上げた。彼女が指さした先では、青色の薄布がはためいていた。支柱の下には、胴体ほどの大きさをした箱がある。
敵拠点だ。あそこにあるボタンを押すことが、勝利条件。
「行ってくるねっ!」
一方的に宣告すると、彼女はフラッグへ向かって一直線に突っ走る。
「あ、おい、待てアスカ! 勝手に一人で前に――」
慌てて制止しようとした玉屋先輩だが、数秒ほど遅かった。
どこからともなく激しい駆動音が発生し、一条の弾丸が萩野先輩を襲う。
「え? う、わっ――ひゃあぁぁぁぁぁぁぁ!?」
唐突な攻撃に反応する間もなく銃撃をもろに受けた彼女は、そのまま体勢を崩して転んだ。勢いを殺しきれなかったらしく、ごろごろと二メートルほど転がる。ブザーの音がそれに合わせてぐわんぐわんと揺れていた。
「うわ……」
あれは痛そうだな、と思わず顔をしかめる。
「うぅ、痛あ……」
案の定、いまにも泣き出しそうな顔で萩野先輩は立ち上がった。だが、それ以降は思い起こしたように無言で避難場所へと歩き出す。
「隠れろ」
短く、小さな、しかし的確な指示。僕と玉屋先輩は瞬時に遮蔽物に身を隠した。顔をほんの少しだけ出して、弾丸が飛んできた方向を見る。
そこには一人の男がいた。遠目にも体格の良さがわかる、威圧感すら覚える身長。
三年、橋田康次。――第一サバイバルゲーム部『レギンレイヴ』の筆頭者。
彼は唇を開き、静かに言葉を紡ぐ。
「……三人。貴様らならば、もう少しやると思っていたのだがな。まあいい」
いかなる感情がそうさせるのか、彼は小刻みに身体を震わせていた。
「く、くく……! くは、くははははははは!」
重低音の這うような声が聞こえてきた。それはやがて、高らかな哄笑と変化する。
「くはははははは! よくぞここまでたどり着いたな、勇士達! 貴様らは『死せる戦士達』となるには早すぎる……! 我ら『神々を継ぐ者』を打ち破り、永劫の誉れとするがいい!」
……うわぁ。
「どうした、リクト?」
「なんていうか、あの人……」
相当イタい。
「あー……、そうだなあ」
僕が全て言い終える前に玉屋先輩は察したらしい。困ったように頬を掻く彼女も、なんだか遠い目をしていた。
「いいかリクト、一ついいコト教えてやる。……あーゆー種類のニンゲンはな?」
僕を諭すように言いながら、彼女はそっとAKの銃口を橋田へ向ける。
「どうした《最前線の打ち上げ花火》玉屋香憐! 様子見など愚図の所行だ、ひたすらに全力でかかってくるが――」
「無視して倒すに限る」
そして、そのまま引き金を絞った。
「――って、うおぉッ!? ……おい貴様、不意打ちとはやってくれるな犬風情が!」
すんでの所でそれをかわした橋田が理不尽な怒りを露わにした。その巨体に似合わず、彼の動作は機敏だった。
「知るかバカ、勝手に喋ってただけだろうが。訊いてもねぇことをいつまでもうるせぇんだよ」
「く、この……! ……貴様がその気なら、俺とて容赦はせんぞ!」
言うなり彼は手中の銃を持ち上げる。現れた形状の大きさに驚愕している暇もなく、その汎用機関銃――ラインメタルMG3が震えだした。
「まずい――戻れ!」
白崎先輩の咄嗟の叫びに反応して、僕達は身体を完全に引っ込めた。赤い弾丸が数発、身体の脇を通り抜ける。背中の壁越しにも着弾の振動が伝わった。なかなかに狙いが正確だ。
「チッ。……いくら二軍っつってもあいつがいるんじゃ、ちょっと厳しいかもな」
憎々しげに玉屋先輩が漏らす。僕はほんの少しだけ顔を出して相手を観察した。すぐに弾が飛んでくる。慌てて顔を引っ込めると、それを追いかけるように耳障りな高笑いが響く。
「くははははッ! どうした犬共、貴様らの意気はその程度か!?」
少ししか見えなかったけど、わかる限りでは、現用ドイツ連邦軍の迷彩服にY字型サスペンダーを装着し、頭には特徴的な形のシュターレヘルムを被っている。
一際目を引くのが彼の得物、ラインメタルMG3だ。第二次世界大戦中にドイツで制式採用されたMG42の戦後改良モデルで、専用のマガジンを装着することにより一人での運用が可能な機関銃。橋田自身の体格も相まって、仰々しさすら感じられる大きさだ。
「機関銃持ちがいるっていうのは、予想外ですね」
「あぁ。しかもあの野郎、弾が多いからって遠慮無く撃ってきやがる。いつも突破すんのが面倒でしょうがねぇ」
銃の種類が違ってもおおよその性能が頭打ちだったころとは違って、現在のサバイバルゲームでは機関銃の存在はちょっとした脅威だ。重い上に大きくて運びづらいし、有効射程も他の銃とさほど変わらない。しかし、弾倉一つあたりの弾数が桁違いに多いのだ。
いまは円筒型弾倉を取り付けているから、性能上は三百発の装填が可能になっているはずだ。アサルトライフルやサブマシンガンの平均的な装弾数が三十から六十発であることからも、その特別さがわかる。
射撃が収まったところを見計らって、玉屋先輩が壁から腕を出して弾をばらまく。
「うろたえ弾など! 本当の実力を見せてみろ、新入生!」
しかし相手も心得たもので、散発的な迎撃には動揺する素振りも見せない。むしろ出した腕に応射をしてくる有様で、下手に攻撃しようとして身体を出すと逆にやられそうだった。
こちら側の反撃を警戒してか、橋田が放つ銃撃の途切れ目が短くなってくる。僕達が完全に隠れている状態でも、威嚇をするように弾丸が飛んできた。
「どうします、先輩?」
指揮官に指示を仰ぐ。答えはすぐには返ってこなかった。
決断しかねている様子の白崎先輩を叱咤するように、玉屋先輩が口を開ける。
「突っ込むしかねぇだろ。どっちにしたって、ここで止まってるわけにもいかねぇよ」
「だが、そう簡単に行けるか?」
「迷ってる暇はねぇ。Pikes Peak or bust(勝利か全滅か、どっちか)だ、二つに一つしかねぇのさ」
白崎先輩は帽子のつばに手をやって、数瞬だけ考え込む素振りを見せたが、すぐに顔を上げた。
「次の攻撃が止まると同時に突撃する。玉屋は左から。……伊坂は右から頼む」
「そうこねぇとな。……リクト、お前はとりあえず、コージに向けて撃ちながら走っとけ。弾は当たらねぇだろうが、ひるませるくらいはできんだろ」
「はい」
短く答える。まともな動きを指示されたのはこれが初めてだ。いやが応にも緊張が高まった。
「ビビってるには時間が足りねぇ。……そら、もうすぐだ」
玉屋先輩がつぶやく、まるでそれが合図だったかのように――銃撃が途切れた。
「走れ、リクト!」
指示通り遮蔽物たる壁の右側から飛び出す。走りながら手中のM4を橋田に向けて発砲。
「無駄だ、そんな攻撃が当たるものか! 恐るるに足らんな!」
走りながらの射撃は想像以上に命中率が悪い。彼の言う通り、僕が撃った弾はまるで橋田に向かっていなかった。弾倉内の弾が切れ、M4の駆動が空転する。
「弾丸をくれてやる、存分に喰らえ、犬!」
橋田が持つ機関銃の銃口が、視界の左端を走っている玉屋先輩を捉える。
「……く、おわあぁっ!」
正面から迫るペイント弾を避けることができず、彼女の左肩が赤く染まった。ブザーが鳴る。
「伊坂、行け!」
僕のすぐ後ろをついてきていた白崎先輩が、鋭く叫んで速度を緩めた。
「無駄だと……言っている!」
彼女がP90を構えて引き金を絞ったのと、橋田の撃った弾が白崎先輩の胸に当たったのは、ほぼ同時だった。
白崎先輩のブザーが鳴ったのを背中で確認しつつ、前へ進む。今度は僕に銃口が向けられる。まずい、このままじゃ全滅だ。橋田の肩に力が入る。いまにも引き金が引かれる状態だ。
思わず目を閉じる。――しかし、銃の駆動音は聞こえてこなかった。
「……俺達の勝ちだ」
代わりに聞こえてきたのはそんな台詞と、戦死通告のブザーとは違う、遠くから響いてくるような長い音。多分、フラッグ奪取の通知音だろう。
「見かけ倒し……いや、見かけ通り、か」
まぶたを開くと、橋田は失望したような顔で僕のことを見ていた。