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塗料が飛び交う戦場で  作者: 伊森ハル
第二章 半人前のつくりかた ―― The Hang of It
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-03-

 カーテンが開け放たれて、そこから差し込む夕日の光を受けた埃が、空中できらきらと舞っていた。先刻までと比べて視覚的にかなり明るくなったのに反して、しかし部室内は重々しい沈黙に支配されている。

 その静寂を破ったのは、僕の目の前に立ちはだかっている真乃だった。

「……さて、陸斗。なんで正座させられてるかわかる?」

「いや、これは自主的にやっ「わかる?」理解してる」

 言い訳どころかちょっとした反論でさえ許してもらえなかった。やたらと空気が重い。真乃から発せられている無言の圧力が主な原因だろう。

 パイプ椅子の上に正座をした状態で、僕は尋問を受けていた。

 尋問、というのは決して形容の意味ではない。たとえ内容が何気ない日常会話であったとしても、会話の主導権を一方的に握る側の人間が存在するのなら、その人物が発する質問は容易に威圧力を伴いうる。

「あの、真乃? なんで正座させられてるかはわかるんだけどさ、この空気はキツ――」

「ふーん、そう、わかってるんだ。意外だなー。……へぇ、そう。そうなの」

 妙に長い横髪をくるくるともてあそびながら、彼女は静かに言う。直接的に責め立ててこないのが逆に怖い。この幼馴染み、どう考えても脅迫術を心得てる。

「ごめんなさい」

「なにに謝ってるのかわかんないなぁ。それに、謝る相手が違う気がするんだけど」

 じゃあなんでお前が怒ってるんだよ。

 そう言ってやろうと思ったけど、絶対に話がこじれる。というか、いまの僕は口答えができる立場じゃない。それでなくともこちらは弱みを握られているのだ。状況を読み誤れば、驚くほど簡単に僕の社会的地位は失墜する。少なくとも彼女の機嫌を損ねるのは得策ではない。

 誰か味方はいないのか、誰か。すがるように他の二人を確認するけど、当然ながら僕に味方してくれる人間などこの場にいようはずもなかった。

 視線だけを横に向け、当の被害者を確認する。

「んだよクソッ、そんなに叫ぶほど驚かなくてもいいじゃねぇかよ……」

 彼女、玉屋香憐(カレン)先輩はといえば、部屋の隅に向かってぶつぶつとなにごとかつぶやいていた。

「……あ、その、玉屋先輩?」

 背中から負の感情を瘴気のごとく吹き出させている彼女に、僕はおそるおそる呼びかける。玉屋先輩はゆっくりと振り向いて、自虐的な笑みを浮かべた。

「はっ、いいんだ別に。男っぽいなんて言われたのは初めてじゃねぇし……気にしてねぇし」

 まるでよさそうには見えなかったし、ものすごく気にしてるように見えた。

「陸斗」

 真乃が冷たい声で僕を呼ぶ。嫌な汗が頬を伝うのを感じながら、僕は聞き返した。

「……な、なに?」

「まず謝ろうか」

「すいませんでした!」

 椅子から降りて土下座した。平謝りだ。一体、僕にそれ以外のなにができるというのか。

「いやあの、喋り方も男子っぽかったからついそうなのかなーなんて思っ――」

「陸斗」

「……はい」

「フォローになってないよそれ」

「ごめんなさいッ!」

 僕の謝罪を聞き入れるでもなく、玉屋先輩はただ虚空に向かって独り言を漏らし続ける。

「あれか? (バスト)か? そうなのか? 確かに大きくはねぇけどよ……」

 男と間違われたことがそんなにショックだったのか、聞いてもいない情報を漏洩させていた。

 確かにいくら彼女の着用している戦闘服やタクティカルベストが身体の線を隠していたとはいえ、一目見た時点で女性と気づけなかったのは痛い。礼を失したどころの騒ぎじゃなかった。

 真乃から発せられている圧迫感が僕の背中にのしかかる。ひょっとすると殺意で人を殺せるんじゃないだろうかこの子。……いずれにせよ、どうにかして事態に収拾を付けないとまずいことになりそうだった。

 オーケー、落ち着け大丈夫。フォローだ、フォローを入れろ僕、がんばれ陸斗。

「ああああああのでも! ゴーグルで見えなかっただけで先輩はどう見ても可愛い女の子なんで自信持って下さい大丈夫です!」

「か、かわっ? ……は、はぁ!?」

 一瞬で玉屋先輩の顔が真っ赤になった。

「……ば、ばばバカじゃねぇの!? ば、バカじゃねぇの!」

 彼女は口を開けて放心したみたいに数秒止まった後、壊れた機械みたいに同じ台詞を繰り返しはじめた。

 ……あれ? なんだこれ、楽しい。ちょっとした嗜虐心が、僕の中で頭をもたげる。

「可愛い! 玉屋先輩可愛い! 可愛いなぁ玉屋先輩!」

「な、な……ななッ……! なに、言って……」

 試しに何回か言ってみたら、手をわたわたさせながら混乱してる様子。……面白い。

「真っ赤になって照れてるところがまた可愛い!」

 そんな風に調子に乗ってたら、

「あ、わ……か、かかCut it out(いい加減にしやがれ)! You bugger(なにやってんだバカ)!」

「可愛ぃふぶぅッ!?」

 頬を思いっきり張られた。

「Don't be silly(ふざけたこと言つてんなよ)! Was my face red(こっちはすげぇ恥ずかしかったんだ)!」

 なおも英語で喚く先輩。意味はわからないけど、好意的なものではないようだ。

「……むぅ」

 納得がいかないような表情で真乃が唸る。彼女から発せられる圧力はなぜか増していた。別に間違ったことはしてないはずなのに、なんだか理不尽だった。

「バカじゃねぇのバカじゃねぇのバカじゃねぇのバカじゃねぇの……」

 そうこうしてる内に玉屋先輩は部屋の隅にパイプ椅子を移動させて、ぶつぶつと独り言モードに移行。見ようによってはなんだか拗ねているようにも見える。

「……これは、なにかまずかったですかね」

 助けを求めて先輩二人の方に水を向ける。答えてくれたのは萩野先輩だった。

「んー、カレンは可愛いとか言われるのに耐性ないから。たぶん照れ隠しじゃないかなって思うんだけど。真乃ちゃんに言われたときも同じような反応してたし」

 可愛いからってあんまりやり過ぎるといまみたいに混乱して手が出るから注意だよ注意ー、と言いつつ、彼女はいつのまにか取り出した板チョコの包みを開ける。できればその忠告は先にして欲しかった。

「伊坂」

 と、それまで黙っていた白崎先輩が急に声を上げた。

「な、なんですか」

 どうにも白崎先輩の感情を読むのは難しい。彼女が笑うことは度々あれど、独特の語り口が起因してか、話しかけられると少しだけ身構えてしまう。

「いろいろと大変だろうが、ともかく今日から君は仲間だ。徐々に慣れていってくれればいい。……とは言っても、その心配はあまり必要なさそうだがな?」

 思わせぶりな口調で言って、彼女は玉屋先輩を見やる。いまいちなにを言いたいのかわからなかったけど、その表情に疎ましさとか嫌悪感だとか、そういった負の感情が乗っていないことだけは確かだった。

 椅子に座っている白崎先輩に向けて、僕は頭を下げる。

「えっ、と……これから迷惑をかけるかもしれませんけど、よろしくお願いします、先輩」

 そんな僕を見た白崎先輩は、まるで氷がほどけるみたいにやわらかく口元を緩めて、静かな声で答えた。

「こちらこそ、だ。後輩?」


 暮れなずむ日が、市街地にあるビルの群影を浮かび上がらせていた。私立日向原(ひなのはら)高校は町の中心部から少し離れた山近くに座しており、町の全体像を一望することができる。

 佐羽倉(さばくら)市。まがりなりにも首都圏に位置しているとは思えないほど、ここは自然が豊かだ。他の地方に比べてサバイバルゲームの人口が多いのもそれが理由だろう。

 僕は真乃と共に帰路を歩いていた。緩やかな下り坂を彼女に合わせてゆっくりと進む。学校前を路線に含むバスもあるけど、僕や真乃は徒歩で駅まで行き、電車で移動したあと市街地近くの家までまた歩く。登校はその逆だ。

 山近くという地理状況に夕方という時間帯も相まって車通りはほとんどなく、一定のリズムを刻み続ける二人分の足音が耳に心地よかった。

 僕も真乃も、黙って歩き続ける。実のところ、数ヶ月ぶりに言葉を交わした彼女となにを話したらいいのか、まるで見当がつかなかったのだ。

「陸斗」

 そんな僕の心情を察してか知らずか、真乃が沈黙を破った。

「まだ、気にしてるの?」

「……まあね」

 彼女の曖昧な、しかし僕にとっては明確な問いかけに、僕は短く答えた。できるだけ平静を装ったけれど、もしかしたら声が震えていたかもしれない。そんなところにまで気を遣っている自分に内心で苦笑しながらも、僕は続けた。

「自分でもいい加減に忘れたいとは思うけどさ、どうしたって忘れられないよ」

「……やっぱり、嫌だった? その、無理矢理連れてきて」

「……」

 どう答えるべきか、一瞬だけ迷った。嫌じゃなかったと言えば、それは嘘になる。しかし、力を必要とされて嬉しかったのもまた事実だ。

 どうしてあんな強引な真似をしたのか、とは訊かない。言えば少なからず棘が出るだろうし、なにより彼女の本意を知るのが少しだけ怖かった。

 僕が部に入りたがらなかった本当の理由を、真乃は知っている。その上で僕をまたこの競技に引きずり込んだのだ。そこにおそらく悪意はない。

「いいさ、ここで逃げたってどうにもならないことくらい、僕だってわかってる」

 かつて、ある一件を境に、僕はサバイバルゲームという競技と決別した。少なくとも、自分ではしたと思っていた。……でも、完全に抜け出すことはできなかった。

 結局のところ、僕はなにをするにも中途半端なのだろう。本当に逃げたかったのなら、わざわざ重い競技道具を持ったまま登校し、あまつさえ部室前に赴いたりはしない。

 真乃に非はない。彼女はただ、僕の背中を軽く押したに過ぎないのだから。

「真乃」

「ん? ……なに?」

「ごめんな。……心配かけたっていうか、気を遣わせてさ」

 僕の言葉を聞いた彼女は、小さな声を立てて笑った。蝋燭(ろうそく)の灯が揺れるのを眺めているような、穏やかな気持ちにさせる笑いだった。

「昔っからなんでもすぐに謝りすぎだよ、陸斗は。……そうじゃないでしょ?」

「……ありがとう」

「ん、よろしい」

 柔和な笑みを浮かべながら、小さく息を吐き出す。

「ほんと、嫌になっちゃうくらい変わんないなぁ」

 しばしの間、無言で歩き続ける。

「……あ」

 もう少しで駅まで到着しようかというころになって、急に真乃が声を上げた。

「なにかあった?」

「や、そういえば陸斗に胸を触られたことについてまだなにも言われてなかったなぁって」

 根に持ってやがった。

「あ、あああれは事故! お互いにとって不幸な事故だ!」

 せっかくいい雰囲気になってたのに、どうしてわざわざ壊すんだろうこの子。

「うんうんそうだね事故だねーでも明らかに加害者は陸斗で被害者はわたしだよね?」

「ご……」

 咄嗟に謝罪の言葉が出かけて、口をつぐむ。

「ご?」

 にやにや、と。どこか嗜虐的に笑いながら、真乃がこちらの顔を覗き込んできた。このままじゃ、また弄られるかもしれない。

「ご、ごちそうさまでしたっ!」

 はたかれた。

「痛いんだけど」

「そんな強くは叩いてない。……確かになんでもかんでも謝りすぎだって言ったけどさ、そこは違うでしょ?」

「……ありがとう?」

「それも違う。……怒るよ?」

「もうとっくに怒ってるんじゃ「なにか言った?」申し訳ございません」

「ん、仕方ない。許す」

 軽快に笑って、彼女は僕に視線を合わせる。なんだか今日は謝ってばっかりだ。

「おかえり、陸斗」

 感慨深げに言う彼女の顔をなんだか直視することができなくて、僕は少しだけ視線を逸らしながら「ただいま」と答えた。

 胸の内に生じた、小さな痛みを無視するように。


「行ったか」

 窓から入り込む斜陽に目をすがめながら、白崎(しらさき)(なぎ)は静かに独りごちた。その視線の先には、並んで歩く二人の新入部員がいる。品定めでもするかのように、彼女は鋭い視線で彼らの姿を眺めていた。

「さっそく心配ごとか、リーダーさんよ?」

 その背中に問いを投げたのは、同級生の玉屋香憐だった。凪は振り返り、彼女の姿を視界に認める。制服に着替えた彼女は、依然として頬が微かに紅潮しているように見えた。あるいはそれは夕日のせいかもしれないが、おそらく原因は彼(ヽ)だろう。

 協調性については心配いらないな、と凪は胸中で彼――伊坂(いさか)陸斗(りくと)をそう評した。

「あんまり心配してても、いいことねぇと思うぜ。キユーっていうんだっけ? そういうの」

「そういってくれるな。私としても、これが杞憂に終わるのならそれでいい。だが、そう簡単にことが上手く運んでくれると思えるほど、私は楽天家ではないんだ」

「少しくらい気楽に生きた方がいい。少なくとも悲観主義者(ペシミスト)よりはよっぽどマシさ。……ま、あいつはどっちかってぇと、そっちみたいだけどな」

「あいつ?」

「……リクト、だよ」

 名前を呼ぶに際して、逡巡とも呼べないような躊躇いが見て取れたが、それをわざわざ指摘する気にはならなかった。事件があった身としては、彼女にも思うところがあるのだろう。

「伊坂か。彼が、どうした?」

「あぁ。どうにも考えを悪い方に向ける癖があるっつーか……」

「ほう、よく見ているな」

「バッ、(ちげ)ぇよバカじゃねぇの。あんなん誰でもわかるぜ」

 凪にしてみれば単に感心して言っただけなのだが、香憐にはそういった意味には捉えられなかったらしい。心なしか顔の赤みが増しているように感ぜられた。

「いやボクわかんなかったけど、やっぱよく見てると思うよ、カレンはさ」

 そこで話に入ってきたのは萩野(はぎの)飛鳥(あすか)だ。何気ない口調で言いつつ、クッキーを口に放りこむ。

「見てねぇよ! お前が鈍いだけだ、アスカ」

「む、鈍いってなにさー!」

「ともかく、だ」

 場が雑談方面に向かっているのを察し、強めに発声して一度流れを切る。凪の声に反応して二人が居住まいを直した。

「問題は来週、ということになる」

 その言葉によって、それまで弛緩しきっていた部室内の空気に、糸が張り詰められたような静かな緊張感が走る。

「新入部員が、いや、伊坂がどれだけ動けるか、という懸念もあるが……」

(はな)から期待はしてねぇよ。元があれじゃあ、どれだけ鍛えても高がしれてる」

 半人前でいい、と香憐はつぶやくように言った。

「別に完璧な動きはできなくても、半人前が作れりゃ上々だ」

「たった二週間足らずで、か?」

「だからこそだよ。期間が短いなら、そのぶん身も入るだろうしな」

「そう上手く行くものかな。可能であるなら、それに越したことはないが」

「Whatever will be will be……なるようになる。逆に言えば、なるようにしかならねぇよ」

「……萩野、どう思う」

「んむ? ……んむぐ、む」

 急に話を振られ、黙々と菓子を咀嚼していた飛鳥は慌てて口の中身を飲み下した。

「ふぅ。……ボクはなんていうか、伊坂くんが楽しんでくれたらそれでいいかなって思うよ」

「いまの彼は楽しめていない、と?」

「んーよくわかんないけど、そんな感じ。真乃ちゃんに比べて、伊坂くんはちょっとワクワク感がないって気がする」

「……なるほど」

 二人の観察眼は意外と馬鹿にできない。適当に言っているようでいて、どうしてなかなか鋭いところを突いてくることがある。凪自身、他人を観察するのが苦手だというのも相まって、二人の意見を参考にする機会は多かった。

「あんまり気にしないでよ。ボクだって伊坂くんがカレンと勝負してるとこを見たわけじゃないんだから。凪はいろいろ考えすぎだよ。別に否定はしないけど、やりすぎてもよくないよ?」

「……そういうものか?」

「そうだよ。部長だから気負うのはわかるけどさ、いくら考えたってわかんないものはわかんないんだから。……凪っていっつも難しそーな顔してるんだもん。少しは気楽にやりなよ」

 この表情は無意識の産物であって、常日頃から考えごとをしているわけではないのだが、そのことを説明する意味もないように思えた。

 なんにせよ、一日で相手の人となりを判別できようはずもない。凪はそこで思考を止め、自身の荷物に手をかけた。

「……そろそろ解散にしよう。各自、装備の点検は怠るなよ」



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