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塗料が飛び交う戦場で  作者: 伊森ハル
第二章 半人前のつくりかた ―― The Hang of It
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-02-

 部室に戻ると、一人の少女が備え付けのパイプ椅子に座っていた。

 赤みがかった茶の短髪を有する彼女は、窓がある部屋の奥部へと視線を投げながら、所在なさげに足をぶらぶらとさせている。小さな体躯も相まってかわいらしい所作だけど、どういうわけか頬をむくれさせていて、その表情からは人形のような美しさというよりも、むしろ子犬のような愛嬌が感じられた。

「――あ、帰ってきた! おかえり凪ぃ!」

 と、少女は白崎先輩がドアを開けるなり椅子から飛び降りて、朗らかな笑顔をたたえながら駆け寄ってきた。座っていたときも背が低いとは思っていたけど、こうしてみると小学生なみの身長だ。ますます小動物ってイメージがしっくりくる。

萩野(はぎの)か、遅かったな」

「ほんとだよー、ちょっと遅れてきたら誰もいないんだもん。ボク、帰っちゃおうかと思った」

 少し怒ったような素振りで返しつつ、萩野と呼ばれた彼女はつま先で立って、後方に位置する僕らを見た。

「あれ? なんか人数が、多い、ような……――ひゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 目があった瞬間、すぐさま顔を背けられた。そのまま縮こまってぷるぷると小刻みに震える彼女に、泰然とした口調で白崎先輩が問いかける。

「ん? どうした、萩野?」

「お、おば……おばけぇ! おばけがいるよ! どうして気付かないの凪! 凪のすぐ後ろで全身血まみれの迷彩服を着た男の幽霊がこっちに微笑みかけてきたよぉ……! きっと昔の日本の兵隊さんが、ボク達みたいな遊びで戦争ごっこやってる人達を叱りにきたんだよぉ!」

 言われて、自身の服を見る。迷彩の上からまだらに赤色が塗られているという僕の風体は、自分から見てもかなり怪しかった。もし夜中にこんな格好で外を闊歩している人間と遭遇したら、僕は迷わず逃げる。それこそ全力で逃げる。

「いや、萩野。彼は例の新入部員だぞ? 日浦と同様、先ほど入部時の実力検査をしてきたところでな。玉屋にやられて、こんな格好になっているだけだ」

「……え? なに、え? 新入部員?」

 ぴた、と動きを止めて彼女は辺りを見回した。目が合う。混乱しているのが手に取るようにわかった。

「新入、部員?」

 思わずうなずく。少女は表情を変えないまま自分の頬を軽くつねり、痛そうに顔をしかめた。

「つまり、つまりさ、ということは、この部に入るってことだよね。おばけじゃなくて生身の人間ってことだよね」

「だからそうだって言ってんだろ。第一、どうして昔のユーレイが現行の迷彩服着てんだよ」

「……や」

 呆れ気味の玉屋先輩を意にも介する風もなく少女は立ち上がり、満面の笑みを浮かべて腕を空へと振り上げる。腕を伸ばした状態でも僕の顔まで手が届いていなかった。小さい。

「やったぁ! ……えぇと、ボクは萩野飛鳥(はぎのあすか)。よろしく! やったね凪! これで潰れないですむねっ!」

 白崎先輩達の方を向いて喜んでみせたり、かと思えばすぐさま僕の手を握ってぶんぶん振りまくったりする。なかなか忙しい子だった。

「ねぇねぇ名前は? お姉さんに教えてよ!」

 快活そうな、大きな瞳を光らせながら顔を覗き込んでくる。プレゼントを目の前にした子供みたいだ。お姉さんなんて呼称を自分で使ってるあたりからも背伸び感が伺える。

「伊坂です。伊坂陸斗」

 って、お姉さん? 自分のことをお姉さんって言ったかこの子? それにしては少しばかり背丈が低すぎるような……。

「そっかー、よろしくね伊坂くん! ……どうしたの?」

 僕の訝しげな表情に違和感を覚えたのか、疑問げに問うてくる彼女の、制服の胸に付いた校章(バツジ)をちら(ヽヽ)と見る。色は赤。二年生だ。

「萩野……先輩、ですよね?」

 おそるおそる、確認する。

「え? や、やだなぁもう、わざわざ確認するまでもないでしょ?」

 その瞬間、それまでの人なつっこさを感じさせる笑みが、引きつった微笑へと変貌した。

「え、えーっと」

「するまでも……ないよね?」

 完全に目が笑ってなかった。

「なんで目ぇ逸らすの? ちゃんとこっち見ようよ? お姉さん怒らないから、ね?」

「その……すいません」

「ど、どうして謝るの? ちょっと意味がわからないかな」

「ごめんなさい?」

「うわぁぁぁぁ!? お願いだから謝らないでよぉ!? 別にボクはそんな、小さくなんか――」

「え? え、あー……はい」

「ねぇなんで『冗談キツいな』って表情するの!? ねぇ!?」

「だ、大丈夫ですよ。多分」

「なにが!? ……うぅ」

 萩野『先輩』は半分涙目になりながら、もの凄い勢いで椅子に座っている真乃の方へ走っていった。

「い、伊坂くんが、伊坂くんがいじめるよ真乃ちゃぁぁん……!」

 真乃はそれを受け止めて、抱きしめたり頭をなで回したりし始める。

「よーしよしよし。どうどう、落ち着いて下さい萩野先輩。……チョコ食べます?」

「うぅ、ありがとう……」

 バッグからチョコレートを取り出して、萩野先輩へと渡す真乃。接し方がまるで愛玩動物に対するそれだった。餌付けか。

「あは、大丈夫ですよ先輩。ロ……背の低い女の子が好きな人だっていますからー」

「ぅぐ、ボクのこと慰めてくれるのは真乃ちゃんだけ――ちょっと待っていま『ロリコン』って言いかけなかった!?」

「気のせいですよー、気のせい。……飴食べます?」

「食べる!」

 萩野先輩も萩野先輩で単純だった。それでいいのか。

 すっかり機嫌を直した様子で、萩野先輩は飴を口の中で転がしながら僕の方に顔を向けた。

「伊坂くん、とりあえず着替えてきた方がいいんじゃないかな。なんていうか、不気味だよ?」

 僕の身なりを見てそんな忠告をしてくれた。確かにこの格好は不気味を通り越して、もはやスプラッタだ。

 いずれにせよ、僕だって汚れた服を着たままでいる趣味はない。勧めに従って、僕はひとり更衣室たる男子トイレに向かった。


「おかえりー」

「えっと、ただいま……?」

 制服に着替え終わって帰ってきた僕を迎えたのは、真乃以外の全員による視線の集中攻撃だった。最奥に座っている白崎先輩と目が合ったけど、すぐに逸らされる。

「……なんか、話してました?」

 部の空気がなんだかおかしい……ような気がする。

「べつにー?」

 あからさまにすっとぼける萩野先輩の顔に浮かんでいるのは、どこか含みのある笑顔だった。ひとまず、一番教えてくれそうな人物に話を振る。

「なにかあったんですか、玉屋先輩?」

「別に大したことじゃねぇよ。お前の実力についてアスカに教えてやってたんだ」

「はぁ、なるほど」

 僕の弱さがおもしろおかしく萩野先輩に伝わったわけか。なんだかちょっぴりヘコむなぁ。

「あぁいや。たぶんアスカが笑ってんのはそういう意味じゃねぇと思うぜ」

「違うって、じゃあどういう意味で笑ってたって言うんですか」

 すこし拗ねながら、聞き返す。玉屋先輩までもがにやりと笑った。

「さっきのゲームのことをアスカに話したあと、どうしてリクトを入部させた方がいいのかわかんねぇよなって話になったんだけどよ、そうしたらマノがすげー勢いで怒り出し――」

「わわわわ、せ、先輩! そういえば、玉屋先輩はまだ着替えないんですか?」

 話の腰をへし折る形で、真乃が遮る。

「どうしたんだよ急に。服はまだいいよ、汚れてもないしな。実を言えば、こっちの格好の方が気に入ってんだ。どうも制服は(しよう)に合わねぇっつーか……」

 真乃の言葉通り、玉屋先輩は未だに迷彩服のままだった。ヘルメットこそ外しているものの、ゴーグルやタクティカルベストは着けている。てっきり僕と同じく着替えるものだと思ってたけど、そうしていないところを見ると、結構面倒くさがりなところがあるのかもしれない。

「……っと、それよりもだ。リクト、ちょっといいか?」

「はい? なんですか?」

「さっきから気になってたんだけどよ。お前、上の名前(ファミリーネーム)って『イサカ』だよな?」

「そうですけど、……なにか?」

「特になにがあるってわけでもねぇんだけどさ。その名前、どっかで聞いたような気がすんだよなぁ。イサカ、イサカリクト……あ」

 口元に手をやって、首をかしげる玉屋先輩。数秒してから、閃いたとでも言わんばかりに拳を打って面を上げ、

「なぁおい、もしかしてお前って――」

 やけに嬉しそうな口調で問いかけてきた。ゴーグルに隠れてるから確認はできないけど、きっとその向こうでは目を輝かせているのだろう。質問の内容にまで思索が及び、わずかに動悸が速まる。……まさか。

「――ニューヨーカーなのか?」

「……は?」

 まるで予想しない問いが投げられてきた。

「なんだ、違ったか?」

「え? ……え?」

 肩すかしを食らったように声を落とす玉屋先輩に対し、僕はといえば、全くもって質問の意図と意味が理解できないでいた。

「伊坂、玉屋はアメリカ出身なんだ」

「そーいうこった。……つっても十歳のとき日本に来たから、いまじゃどっちも馴染みの国だけどな。爺さんはイギリス人らしいし、元の血筋がどこにあんのかはよくわかんねぇ」

 白崎先輩が助け船を出してくれたけど、話が逸れたせいか、やっぱりわからない。

「そうなんですか。……それで、僕が伊坂だと、どうしてニューヨーカーなんです?」

「あー、つまり……『イサカ』って名前の街があんだよ。ニューヨーク以外にもあるらしいけど。で、聞いたことある名前だから日系アメリカ人(ジヤパニーズアメリカン)なのかと思ったんだが……よく考えてみりゃ、向こう(ステイツ)でもそんな名前の奴は見たことねぇしな。勘違いか」

 玉屋先輩はいかにも得心したように何度もうなずいていたが、やがてこちらに向き直った。笑みを浮かべて、手を差し伸べてくる。

 英語をちょくちょく織り交ぜてこられると、時折なにを言ってるんだかわからなくなるけど、これくらいの単語なら僕にだって判別可能だ。

 出された手を取って、同じように軽く笑う。

「はは、なんだか僕も先輩のこと、兄みたいに感じてきましたよ。男子部員が僕だけだったらどうなってたかわかりませんし」

 直後。

 ぴた、と彼の動きが止まった。――いや、止まったのは玉屋先輩だけじゃない。周囲の空気が、水を打ったように静まりかえっている。

 その重い沈黙を破ったのは、玉屋先輩だった。

「あー、リクト……それ、冗談(ジヨーク)にしちゃ、ちょっとキツいぜ?」

「……はい?」

 予想外の反応に戸惑っている僕を尻目に、彼は顔のゴーグルに手をかけ、一挙に外した。

 緩く波打った、金糸を思わせる色の短髪が揺れる。それまで薄曇りのプラスチックに隔てられていた目が露わとなっていた。

 勝ち気そうな印象を見る者に与える、猫のそれにも似た形の瞳は、海の水を溶かし込んだような、深く暗い(あお)色をしていた。くっきりした目鼻立ちとも相まって、なるほど日本人離れした雰囲気を纏っている。

 それを見た僕はといえば、呆けたように硬直していた。

 玉屋先輩が発した言葉の意味を懸命に咀嚼する。ジョーク? どうして? 僕の発言のどこが冗談だって言うんだ? ――雑然とした頭の中が次第に整理され、やがて、いくつかの歯車が完璧に噛み合った。

「なにを勘違いしてんだか知らねぇけど……」

 いまの僕にとって問題となっているのは顔の部分部分ではなく、総和だ。

 その顔立ちは、そう、紛れもなく、

「あたしは女だぞ?」

 女子のそれ、だった。

「……は」

 身体の硬直が、解ける。

「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 そして、いままで出したことがないくらいの大声が、部室内に響き渡った。


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